第三十話:霧の幻影城(前編)
ハイエルフの拠点シルヴァノールは、『大妖精の黒い森』の南東に位置している。
その大森林のさらに南側には、もう一つ小さな森があった。――『小妖精の白い森』である。
昼なお薄暗く、常に濃い霧に包まれたその森の奥には、鋭く天を突く尖塔を備えた古城が佇んでいた。
――『霧の幻影城』。
吸血鬼の伝説に彩られ、眷属たちが跋扈するダンジョン。
今回ケンタたちの狙いは、物理職にとって必須とされる、『流麗なる絹の黒帯』――攻撃速度を高めるヘイスト効果を持つ帯である。
案の定、「オレも欲しい」と名乗りを上げたのは物理職ばかり。
気づけば前衛だらけの顔ぶれになっていた。
第一パーティは、『トーチ』からガン鉄、ケンタ、結、シャチョー。
さらにバーバリアンの兄妹――ユメゾウとベルウッドが加わる。
第二パーティは、オオオニ組の四人。そこに獣人族のラオとジンが同行していた。
森の入口に並び立つ二つのパーティ。
霧の切れ間にのぞいた尖塔はすぐに靄に呑まれ、再び幻のように姿を隠した。
「おいケンタぁ、せっかくシルヴァノールが近いんだで、嫁さんに挨拶してかんでもええのか?」
シャチョーがにやつきながら肩を突く。
「……え? なんで?」
ケンタは本気で首をかしげ、霧の森を見やった。
「お前なぁ……そういうとこやがね」
シャチョーは呆れ半分、笑い半分でため息をつく。
「あんな素敵な人、ケンタにはもったいないね」
結はあきれ顔で肩をすくめる。
竜のねぐらから脱するためのソリューションとは聞いていた。――それなのに、なぜだか胸の奥に小さなつかえが残っていた。
「……女泣かすなよ」
ビシャモンが短く言い残し、霧の奥へと視線を戻した。
森の奥へ足を踏み入れると、すぐに外界の音は吸い込まれた。
風もなく、鳥の声さえしない。
聞こえるのは仲間たちの靴音と、時折かすかに滴る水の音だけだった。
霧は濃さを増し、木々の輪郭さえ曖昧に溶けていく。
やがて――足音とは別に、規則正しい蹄の響きが近づいてきた。
「……誰か、いる」
結が弓を持ち直し、霧の奥を睨む。
白い靄を割って現れたのは、真っ白なたてがみをたなびかせる一角獣だった。
尖った角に霧をまとい、瞳は紅を帯びて輝いている。
――ユニコーン。
『小妖精の白い森』を巡回する主であり、侵入者を選別する守護者。
その眼差しは澄んでいて、『トーチ』や獣人たちには敵意を向けなかった。
だが、赤い光は確かにオオオニ組へと注がれている。
「……チッ、やっぱカオス嫌われとんな」
ゾーキンが剣を構える。
「ちょ、ウチら狙い撃ちかいな! なんでやねん!」
ヒロミが目をむいて叫ぶ。
ジークが太鼓を叩くリズムを切り替えた。
「♪僕の歌で守ってあげる〜、『鉄壁のコンチェルト』〜!」
歌うような掛け声と共に、響き渡る音色がパーティ全体を包み、物理防御が一時的に上昇する。
だがその瞬間を狙ったかのように、ユニコーンが霧を裂いて突進した。
角が一直線にゾーキンの胸板を打ち据え、巨体の戦士がたたらを踏む。
「ぐっ……ぬぅぅっ!」
HPゲージが一撃で三割ほど削られ、ゾーキンがよろめいた。
ユニコーンの瞳がぎらりと光り、次の標的を探すように揺らめく。
「こっちや、相手はワシや!」
ビシャモンが咆哮と共にタウントを叩き込み、ユニコーンの視線を強引に引き戻す。
「今っ!」
そのタイミングを見計らって、ラオが詠唱に入る。
彼の手から溢れる淡い光がゾーキンを包み、辛うじて体勢を立て直させた。
「こいつは……レベルが高すぎる!」
ケンタが眉をひそめる。確かにこのまま殴り合いを続ければ、前衛が何人いても持たないだろう。
ふと、彼の視線が隣の結へと向いた。
「結、声をかけろ! エルフの血なら、通じるかもしれん」
「え、ええっ!? わ、私が!? ちょ、ちょっと待って……!」
結は弓を下ろし、心臓をばくばくさせながら一歩前に出た。
「こ、こんにちはっ! ……あ、いや、おはようございます!? ちがっ、こんばんは!? ご、ごきげんよう!? ……ああもうっ!」
緊張で声が裏返り、次々と出てくる挨拶が空回りする。
それでも必死に声を届けようとする結の姿に、ユニコーンは足を止めた。
真紅の瞳の光がすっと引き、霧を揺らして鼻を鳴らす。
やがて結の目の前に近づくと、たてがみを揺らしながら大人しく首を垂れた。
頭上に金色のクエスチョンマークがぽん、と点る。
――――――――――――――――――――――――
【小妖精の村への誘い】
依頼者:ユニコーン
目的地:小妖精の村
依頼内容:乙女よ。この霧の森には難儀しているであろう。小妖精の村への道筋を求めるならば、我が背に乗るが良い。
難易度:★
報酬:なし
――――――――――――――――――――――――
「わーっ! みんな聞いた? 乙女だって! 乙女!」
結はぱぁっと顔を輝かせた。
ユニコーンは白い毛並みを揺らし、結の頬に鼻先をこすりつけた。結にすっかり懐いている様子だった。
「ユニコーンは乙女、とくにエルフの血が入ってる乙女にはすぐ懐くんだ」
ケンタが淡々と解説する。
「『霧の幻影城』は『小妖精の村』のすぐ近くだ。……クエストを受けて案内してもらおう」
ケンタの言葉に、一同はうなずき合った。
「ユニコーンちょろいがね」
シャチョーが肩をすくめる。
「ユニコーン、かわいー!」
結は頬をすり寄せ、上機嫌で笑っていた。
「……結ちゃんもちょろいがね」
* * *
「はっや!!」
結を乗せたユニコーンは、霧深い森をまるで迷路を知り尽くしているかのように、一直線に突き進んでいった。
風を切る速度に結はしがみつくのがやっとで、声すら霧にちぎれていく。
「♪西風に乗って駆け抜けろ〜、『西風のロンド』〜!」
ジークの歌と太鼓のリズムが重なり、オオオニ組の足取りも軽やかに速まる。
その旋律に助けられ、彼らはユニコーンの背中を見失わずに済んでいた。
だが、別パーティのケンタたちはそうはいかない。
「……『旅人のブーツ』をとっておいてよかったな」
ケンタが息をつきながら言う。
速度上昇効果を発揮していたものの、『西風のロンド』には遠く及ばない。
じわじわと差は開き、黒い木々の影の向こうにジークの背が霞んでいく。
霧が流れ込むたびに心臓が跳ねたが、必死に走り抜け――やがて同じ場所に辿り着くことができた。
そこは木々が途切れた小さな広場だった。
淡く光る白いキノコが円を描き、その内側にはキノコの笠を屋根にした家々が整然と並んでいる。
小さな水路が村を区切り、光が霧の中でゆらめいていた。
目的地の『小妖精の村』に違いなかった。
その前で、ユニコーンは足を止めていた。
「クエスト完了か?」
一同が息をつきかけたそのとき、ユニコーンの頭上に浮かんでいた灰色のクエスチョンマークが――再び金色に灯る。
「……連作クエストか」
ケンタが低くつぶやく。
結が恐る恐るウィンドウを開き、内容を確認した。
そして公開モードに切り替えて、仲間に見せる。
――――――――――――――――――――――――
【お茶会のお手伝い】
依頼者:小妖精の村村長
目的地:小妖精の白い森
依頼内容:お茶会の準備を手伝ってください。まずは、テーブルセッティングのため、この先に居座るアイツを追い払ってください。
難易度:★★★★★
報酬:妖精のステッキ(小)
――――――――――――――――――――――――
「わぁ、お茶会だって! なんか楽しそう!」
結がぱっと顔を輝かせる。
その横でケンタの顔がみるみる引きつった。
彼にはすぐに分かった。これは――アレと同種のクエストだ。
「……これ無視!」
きっぱり言い放つ。
一同はきょとんとしたが、ケンタの異様な拒絶に押され、誰も異論は挟まなかった。
結だけが「せっかくなのに」と名残惜しそうにウィンドウを閉じた。
視線は自然とすぐそばにそびえる城壁へと移る。
霧に霞む尖塔、その根元に口を開けるのは、吸血鬼の城への正門だった。
* * *
「ここはボス不在のダンジョンなんだ」
霧に煙る城壁を仰ぎ見ながら、ケンタが一行に説明した。
「城主はレイド級モンスターのヴァンパイヤだけど、GMが操作する特殊なイベント専用ボスなんだ。
だから、運営不在の今のEOFでは出ようがないはずだ」
仲間たちはうなずき合う。
いくら吸血鬼の城と聞けば身構えるとはいえ、出現すらしない存在を気にしていても仕方がない。
「今回の目的はあくまで物理攻撃速度を上げるヘイスト帯なので、地下牢獄の番人だけが目標だ。
ボスが居ないのはかえって助かる」
ケンタは、ここ最近の苦戦を思い返して続ける。
「だけど、ここまでの経験だと、危険な変更がないとは言い切れない。油断は禁物だ」
ケンタの言葉に、前衛ばかりの面々は気合を入れ直す。
正門を押し開け、一行は『霧の幻影城』へと足を踏み入れた。
そこに広がっていたのは、枯れ果てた芝生の前庭。
ただし前庭全体が高い植え込みで区切られた迷路になっており、まっすぐ進むことはできない。
濃い霧が漂うたびに通路の先が歪んで見え、奥行きの感覚すら狂わされる。
画面越しに見た記憶はあっても、こうして実際に足を踏み入れると不気味さは段違いだった。
「おいおい……こりゃ、でっけぇ奴にゃキツイ作りやな」
ゾーキンがぶ厚い肩を狭い通路にねじ込みながらうめいた。
「なら、これやな」
ビシャモンが腰から取り出したのは、ドワーフの作業靴。
仲間たちも続いて装備し、たちまち背丈の低いドワーフの姿へと変じていく。
「ほんま助かるわぁ、これ。狭いとこはドワにならんと通られへん」
ヒロミがドワ声で笑い、ドワーフ姿のオオオニ組がぞろぞろと迷路に踏み入っていった。
足音は軽くなり、肩をすり合わせるような通路も難なく進める。
ただしその外見と動きはどう見ても、ちびっこドワオニ組。
「……なんや、妙に可愛いがね」
シャチョーがにやにやしながらつぶやき、背後で結が小さく吹き出した。
こうして一行は、霧と植え込みの迷路に挑んでいくのだった。
* * *
「よし、左手の法則で行こう」
ケンタが合図を出す。
左の壁に沿ってひたすら進み、迷路をしらみつぶしに探索していく――旧EOF時代から定番の攻略法だった。
しかし現実となった迷路の空気は、ただのゲームの記憶とは比べ物にならない。
植え込みの間を進む一行の背後や頭上から、低い呻き声が立ちのぼる。
――レイス。
――ワイト。
迷路の中は彼らの巣だった。
特にレイスは壁をすり抜けて突如現れるため、常に背後の気配に神経を尖らせねばならなかった。
一方ワイトは通路の奥からじわじわと現れ、狭い道を塞ぐように立ちふさがる。
ゾーキンが応戦する間もなく、壁の中からレイスが抜け出し、氷のような手を伸ばしてきた。
「エナジードレイン……! 食らったらレベル下がっちまうべ!」
ベルウッドが声を上げる。経験値を吸い取られるその一撃は、冒険者にとって致命的な脅威だった。
ヴァンパイヤほどの脅威ではない。だが、十分すぎるほどの厄介さを備えていた。
物理攻撃が効かない相手だが、既にマジック武器を揃えた前衛たちが暴れ回る。
剣や斧が影を裂き、呻き声をかき消していく。
「ホーリー・スマイト!」
ケンタが呪文を放つと、レイスの姿が一瞬揺らぎ、呻き声が途切れた。
「フォース・オブ・エテルナ!」
ラオも詠唱し、ワイトの動きが鈍り、よろめくように後退する。
幾度も現れては消える亡霊たちを、ひとつひとつ排除していく。
血の匂いも、冷気も、霧に混じって消えていった。
やがて一行は、芝生の先に開けた空間へとたどり着く。
――城の正面入り口。
重厚な扉は最初から大きく開け放たれており、その奥に広がる闇がぽっかりと口を開けていた。
霧よりも濃い暗黒が城内へと続き、ひんやりとした気配が漂っている。
* * *
開け放たれた扉の奥をそっと覗くと、そこは広いホールだった。
高い天井からは黒ずんだシャンデリアが吊られ、壁際には割れた鏡や朽ちた肖像画が並ぶ。
薄暗い空間の中を、メイドや執事の格好をした幽霊たちがゆらりゆらりと浮遊していた。
「……出迎えご苦労さん、てか」
シャチョーが肩をすくめ、小声でつぶやく。
ケンタは素早く状況を見定め、隣のラオに低く囁く。
「いいか、Calmは二度掛けしてくれ」
「二度……?」
ラオは一瞬だけ眉をひそめたが、理由は問わずに頷いた。
本来、Calmとは敵の連携を断ち切り、群れが一斉に襲いかかるのを防ぐための魔法だ。
これまでバグ技に使われることが多かったが、ここでは正しく――本来の用途として用いられようとしていた。
二人は息を合わせて詠唱する。
「Calm!」
静かな光が広がり、漂っていた幽霊の気配が淡く鎮まる。狙った相手以外との「リンク」が切れ、群れが一斉に襲いかかる危険がなくなった。
まず一体を引っ張り出すと、前衛たちが集中して叩き落とす。
呻き声とともに霧へと散る影。
次の一体も同じ手順で処理し、さらにその次へ。
メイドも執事も、ひとつずつ冷徹に片付けられていった。
やがてホールの中は、不気味な静けさだけが残った。
「よし……クリアだな」
ケンタが小さく息を吐く。
一行は慎重に足を踏み入れ、清められたホールの床を進み始めた。
その後ろで、ラオはふと気づいた。
(……そういえば、一度も掛け直していない)
本来なら戦闘の途中で効果が切れて、再度Calmを唱えねばならないはずだった。
だが今回は、最初の二重詠唱だけで最後まで持ってしまったのだ。
(……二度掛けしたから、なのか?)
ラオは小さく首をかしげながら、仲間の背中を追った。
(つづく)
――第三十話あとがき
最後まで読んでくれてありがと〜!
後編は来週火曜日のお昼頃に投稿予定だよ。
ぜっっったい続きも読んでほしいな!
ユニコーン、ほんっと可愛かったでしょ? しかもね、私、乙女とか言われちゃったんだよ! 乙女だよ!? えへへへ〜!
もう完全に懐かれちゃってさ、鼻先でスリスリって……ふふん、勝ち組!
あ〜あ、それなのにお茶会クエスト、やりたかったなぁ……。ケンタ、なんであんなにビビってたの? ちょっと慎重すぎじゃない?
でもまあ、後編はきっとすっごいことになるから!
私も全力でがんばるし、だから絶対見にきてね!
もし少しでも「続き気になる!」って思ってくれたら、ブクマやポイントで応援してくれると超うれしいです!
あと、先週ポイント入れてくれた方、ほんっとありがとう!
今週もぜひ読んでくださいねっ!
――結




