第二十七話:眠らぬ不死者の地下迷宮(前編)
『眠らぬ不死者の館』──
常夜の空間を、『トーチ』と『マジセラ』混成パーティの足音が静かに進んでいく。
「委員長、ホントにこんなとこで良かったのか?」
ケンタが、ルビー・アイの件のお礼をさせてくれと打診したところ、即座にここ『眠らぬ不死者の館』への同行を求められた。
「ええ、ありがとう。パラディンとして、アストラル系モンスターを視察したかったのです」
エレネがお堅いお礼の言葉と、ここを希望した理由の建前を告げるが、内心はまったく異なっていた。
(……はわわ♡……嘘は言ってない……ドワちゃんの幽霊ぜったい見たいもの!……それで、それで、あわよくば、あのブーツをゲットするのよ!)
心の中で拳を握り締める。
彼女は、誰にも打ち明けていないが、極度のドワマニアなのだ。
(デスゲーム化がなければ、今頃はセカンドキャラでドワ三昧だったのに……哀しいわ)
そんな思いの中、ドワーフに変身できるアイテムの存在を知って、彼女が我慢できるわけがなかった。
しかし、表面上は素知らぬ顔で、歩を進める。
* * *
今回の探索は、トーチからは案内役としてケンタ、シャチョー、結、そしてガン鉄の4人。
マジセラ側は、エレネとアンのコンビだった。
ケンタたちは、ダンジョンへの案内だけで礼を済ませる気はなかった。
あの戦いで、エレネたちマジセラパーティがヘルプに入ってくれなければ、トーチの面々は全滅していたに違いないのだ。
前回のパーティにいなかったガン鉄が来ているのはそのためであった。
ガン鉄が、インベントリから装備を取り出して、エレネとアンに手渡す。
あのお堅い委員長のことだから固辞されるかもしれないとソリューションを用意していたが、それは杞憂だったようだ。
エレネが、意外なほど目を輝かせて、礼の言葉を述べる。
「素晴らしいわ!新しいドワん装備……いえ、新しいドアが開けるかのような装備だわ!」
(わー♡ ガンちゃん可愛い! やっぱりパーティにはぜーったいにドワ成分が必要だわ! それにドワ装備!! うれしい……うれしい! もう死んでもいい……いえダメ、ダメよ私! みんなで生還するって約束したんだもの!)
エレネに渡したのは、『眩い白銀の鎧』と『愚直なる白銀の盾』。
どちらも、オリハルコンのベースにミスリル銀を多めに配合することで、聖騎士の力を極限まで高める仕様。
小型種族のドワーフ工房ならではの精緻で優美な装飾が隅々まで施されており、芸術作品と言っても過言ではない。
そして、愚直に分厚く、角張ったタワー型の大楯は、ドラゴンの一撃をも跳ね退けそうであった。
「ガン鉄殿、本当にありがとう、この身が果てるまで、この素晴らしい装備と共に戦い抜く所存ですわ」
アンには、『春めく若草色のローブ』。
かわいらしいワンピースのような仕立てだが、雷や魔力干渉を防ぐ絶縁素材で仕立てられており、首元や裾にはオリハルコン製の金糸で精緻な刺繍が施されている。
さらに内部にはマナ導線が織り込まれていて、魔力を超伝導並みに流すことができる。
「わー♡ ステキですー!」
アンは物陰で魔法のような早着替えを披露して、みんなの前でくるんと回って礼を言う。
「ガン鉄様、ほんとにありがとうございますー。大事に着ますねー」
――ふと、アンの耳に幻聴のようなものが響く。
(……ナナ?)
『私の分は? そうよね……分かってるわ。
どうせ、ゾンビにはボロボロの色褪せた祭服がお似合いだ、ってことよね。わーん、呪ってやるー!
あ、私は呪術は使えなかった……しくしく……』
「前回、ソウルリンクし過ぎたかしら……?」
アンは少し顔を引きつらせながら、微笑んだ。
* * *
一行は館の奥で、地下への階段にたどり着く。
階段を降りた先の廊下は、少し先で行き止まりになっており、大きな本棚が鎮座していた。
ケンタは本棚の本の中から、赤い背表紙の本を一冊取り出すと、空いたスペースに手を突っ込み、なにかを操作する。
すると、本棚が軋みながら、左右に開く。
「こんな仕掛けが!? やはり同行してもらって良かったわ……」
「こっから先は崖道だ。気を抜くと落ちるぞ」
シャチョーが顔をしかめて、別のダンジョンの出来事を思い出す。
「井戸がないなら大丈夫だがや」
天然の岩壁に沿って続く細道。
左は奈落。右はごつごつの岩。誰ひとり気を抜けない区間。
だが、ようやく開けた場所が見えてきた。
「この先にドワ幽霊の部屋があるがや。寄ってくかや?」
「ええ、ぜひ……」
(いよいよだわ……楽しみでしかないわ♡)
思わずエレネが、ふと気を緩めた──その瞬間だった。
ズズズッ……!
「っ!? タケノコ……!?」
岩陰から、巨大な緑褐色の影が現れる。
ケンタの脳裏に旧EOFでの嫌な記憶がよみがえる。
「地下タケノコ!? やばい、配置トラップだ!」
バンブーシュート・テラー――通称地下タケノコが跳ねる!
『固有スキル:バンブーシューティング』
地鳴りのような衝撃が崖道を揺らす。
「きゃ……!」
バランスを崩したエレネが、足を踏み外す。
「委員長!」
ケンタが腕を伸ばし、間一髪、手を掴んだ──
が、二人まとめて──
ガラガラガラッ!!
崖下へと消えていった。
「ケンタ!?」
「エレネ様!!」
結とアンの悲鳴が、奈落の闇に吸い込まれていく。
* * *
……いつまで落ちているのかわからなかった。
旧EOFであれば、この崖下はすぐに牢屋エリアに繋がっていたはずだ。ちょっとした落下ダメージで済み、スケルトン囚人に絡まれて終わり――それが定番の“配置トラップ”だった。
だが今回は違う。
落下ははるかに長く、やがて二人を受け止めたのは、牢屋ではなく荒々しい岩肌が広がる天然の洞窟だった。頭上から滴る水の音、鉱石の淡い輝き、そして底の見えない暗闇。
「……ここ、牢屋じゃないのか」
ケンタは呻くように言葉を漏らす。
旧EOF時代から囁かれていた噂が、脳裏によみがえる。
――『不死者の館の地下には、ゾンビドラゴンのねぐらがある』。
デマとも、プレイヤーたちの願望とも言える噂話。
だが、この仕様変更の匂い。新生EOFでは、それが“実装”されてしまったのではないか――。
ケンタは背筋を冷たくする。
「まさか、ほんとに……」
隣で鎧を叩きながらエレネが立ち上がる。
「ゾンビドラゴン……? ふふっ、それは面白そうですわね」
「……いや、笑い事じゃないんだって!」
* * *
二人はしばらく無言で歩き続けていた。
岩肌は湿っていて、時折、水滴が肩に落ちる。壁際には苔のようなものが発光し、緑色の淡い光が足元をぼんやりと照らしている。
「……出口、見つかりませんね」
エレネが周囲を見回しながら呟く。
「どっちに進んでも行き止まりか、同じ景色にしか見えない。まるで迷路だな」
ケンタはため息をつきつつ、岩壁に手を当てる。旧EOFではこんな自然洞窟は存在しなかった――それが逆に、彼の不安をかき立てていた。
そのときだった。
ぽつり、と前方の闇の中に灯りが浮かんだ。
ランプのような小さな光。
やがて、その光を掲げる影が姿を現す。
――それは、一匹のカエルだった。
だが、ただのカエルではない。
漆黒のタキシードに身を包み、胸元には白いフリルシャツ。頭には艶やかなシルクハット。
そして手には、宝石のように青く輝く長い杖。淡い光を帯び、歩くたびに洞窟の壁を照らし出していた。
「おや……こんなところで迷われましたかな、ケロ?」
低く上品な声。カエルはシルクハットを軽く持ち上げ、紳士的に一礼した。
ケンタとエレネは言葉を失い、ただ呆然と見つめる。
「ふふ……ちょうどよいケロ。わたくしの“お茶会”に、ぜひお越しくださいませんかな、ケロ?」
カエルの頭上に、ぴこん、と光が灯る。
――金色のクエスチョンマーク。
冒険者なら誰もが知る、クエスト起点の合図であった。
* * *
ケンタはクエスト窓を開いて確認する。
――――――――――――――――――――――――
【お茶会のお手伝い】
依頼者:カエル貴族
目的地:眠らぬ不死者の館 地下大洞窟
依頼内容:お茶会の準備を手伝っていただきたい、ケロ。まずは、テーブルセッティングのため、この先に居座る竜を追い払うのです、ケロ!
難易度:★★★★★
報酬:青くて素敵なステッキ
――――――――――――――――――――――――
「やっぱり、いんのかーい!!」
思わず叫ぶケンタ。
「難易度がかなり高いですね。受けますか?」
エレネが隣からクエスト窓を覗き込んで問う。
ケンタは少し考えてから答える。
「出口のギミックかもしれない。受けるだけ受けてみよう。キャンセルもできそうだし……」
「そうしましょう。『撃退』だけでいいみたいですし」
エレネがちょっとワクワクした感じで意外と乗り気だった。
「確かに『撃退』ならある程度HPを削るだけでいいもんな」
ケンタは苦笑しながら、受注ボタンを押す。
『クエスト:【お茶会のお手伝い】が受注されました』
ゴゴゴゴォゴォォッ!
受注と同時に奥の岩がスライドし、その先には瘴気が漂う薄暗い通路が伸びていた。
* * *
二人は岩壁に沿って進み続けた。やがて、湿った狭い通路が途切れる。
「……開けましたね」
エレネが小さく息を呑む。
そこは巨大な空洞だった。
天井は高く、ところどころに鉱石の群れが妖しく光り、まるで星空のように輝いている。
だが、底の見えない暗闇と、不気味な静けさが広がるばかりで、生き物の気配は一切なかった。
「……旧EOFには、こんな場所はなかったはずだ」
ケンタは周囲を見回し、背筋に冷たいものを感じた。
嫌な静けさ。空洞の奥から、何か巨大なものが蠢く気配――。
――ズシン。
洞窟全体を震わせる重圧が、足元から這い上がってきた。
闇の奥から姿を現したのは、二人の想像を遥かに超える巨体。
骨と緑色の腐肉が癒着し、翼は破れた布のように垂れ下がり、眼窩の奥で緑色の炎が揺らめいていた。
頭上には5本のHPゲージが見て取れる。
「……っ! な、なんだこれ……デカすぎる……!」
旧EOF時代、噂話に過ぎなかった存在。
――ゾンビドラゴン。
それは、プレイヤーたちの願望とも悪夢とも言える噂が、いま目の前に具現化した瞬間だった。
竜が口を開いた。
瘴気を帯びた咆哮が、空洞全体を震わせる。
――ドラゴンロア!
音ではない。魂を直接叩き割る衝撃。
二人の視界がぐにゃりと歪み、恐怖が理性を吹き飛ばした。
【状態異常:フィアー/全能力値低下(-50%)】
フィアーの効果で身体の制御が奪われ、二人ともゾンビドラゴンに背を向けて逃走する形となる。
そこへ追い討ちとなる一撃が下される。
――ドラゴンブレス!
ゾンビドラゴンのブレス――毒と疫病が入り混じった暗緑色の奔流が、二人の背中を焼く。
「う……ああっ!」
肌を焼くような毒の侵蝕、そして骨髄を腐らせる病が重ねて襲いかかる。
【追加状態異常:毒DoT/疫病:自然回復停止】
幸いフィアーの効果は数秒で切れ、身体の制御は戻ってきたが、二人の視界の端はデバフアイコンで埋め尽くされていた。
「く……そっ、最悪のデバフ祭りだ……!」
ケンタは歯を食いしばる。
「……っ、でも……ゾンビドラゴンに挑めるなんて、光栄ですわね……!」
エレネの顔は蒼白だったが、それでも騎士らしく笑おうとする。
「無理だ! 引くぞ!!」
ケンタが腕を引く。
二人はフラつきながら、全身にデバフを抱えたまま洞窟を必死に駆け出した。
背後で、竜の咆哮が再び轟いた――。
* * *
ふらつく足をどうにか前に運び、二人は全力で走った。
一歩進むごとに心臓が握り潰されるように痛い。
毒に蝕まれ、病で体力もソウルも回復せず、視界はぐにゃぐにゃと歪んでいる。
「くっ……もう……走れ……ない……!」
ケンタがよろめき、岩壁に肩をぶつけた。
「……わたしも……」
エレネの白銀の鎧はひどく重く、足は鉛のようだった。
その瞬間、見慣れた青い光が目の端に映った。
「――あ」
暗い洞窟の奥。先ほど現れたカエル貴族が、まるで待ち構えていたかのように立っていた。
青い杖を掲げ、上品にシルクハットを傾ける。
「お帰りなさいませ、ケロ」
二人はその場に崩れ落ちた。
毒と病と恐怖で、もう立ち上がることもできない。
ケンタもエレネも、息を荒げながら必死に耐えていたが――このまま放っておけば確実に死ぬ。
「……まったく……竜のご機嫌を損ねては困りますな、ケロ」
カエル貴族は肩をすくめ、青い杖を軽く振った。
淡い光が二人を包み、しばしの安らぎが訪れる。
だがデバフの効果は消えない。ただ死に至るのを先延ばしにしただけだった。
「さて……お茶会は、いつになりますやら、ケロ」
カエル貴族はシルクハットを二指で持ち上げ、くるりと背を向ける。
「準備がございますので、これで失礼するケロ」
ケロケロ♪
カエル貴族は、青い杖の淡い光と鼻歌だけを残し、暗がりへ消えていった。
* * *
「ドジっちまったな、『キャンセル』も灰色だ」
ケンタがクエスト窓を確認するが、途中キャンセルはできそうもない。
キュア系の魔法を使ってみたが、ゾンビドラゴンのデバフは消えてくれない。
二人のHPゲージは毒ブレスのDoT効果で減り続けている。ケンタのヒールも、回復が追いつかない。
やがて、ケンタのソウルゲージが底をつく。
パラディンであるエレネもヒールは使えるが、こちらもすぐにソウルを使い果たす。
二人の視界の端で、HPゲージが赤く点滅していた。
残りはわずか数%。呼吸をするだけで、ゲージがジリジリと削れていく。
死の気配が、辺りを濃密に満たしつつあった。
「ここで終わり……かしらね?……みんなと“希望”について話したかったなあ」
エレネが息も絶えだえつぶやく。
「……すまない、委員長。俺がもっと慎重なら……こんなとこに連れて来ることもなかったのに……」
ケンタは唇を噛みしめ、肩で荒い息をしながらうつむいた。
「いいえ、私が悪いの……最後だから……あのね……」
エレネが少し逡巡し、告白する。
「私、ドワーフが好きなの……」
(最後だし、いわなきゃ。私のせいなのよ……)
うつろな目でそう口にして、赤面しかけるが力が抜けて顔を覆うこともできない。
「それで、あのブーツが欲しかったの……だから……だから、私欲のためにこんなことになったの、全部私が悪いのよ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「委員長が悪いわけないだろ……」
ケンタは一瞬驚いたような表情をするが、すぐにいつもの不敵な笑顔を浮かべて人差し指を天に向ける。
「それに最後と決まったわけじゃない。俺にひとつ、ソリューションがある」
(つづく)
――第二十七話あとがき
……ぜぇ……ぜぇ……。
ドラゴンブレスを浴びたばかりで……あとがきなんて……書いてる場合じゃ……ないのよ……。
でも……最後まで読んでくださって……ほんとうに……ありがとう……。
後編は……来週火曜日の……お昼頃に投稿予定です……。
次回……生きていたら……続きを……読んでくれると嬉しいわ……。
もし少しでも……楽しんでいただけたなら……ブクマやポイントだけでも……いただけると……励みになります……。
次回……これがラストソリューションにならないことを……祈ってて……。
ドワ……じゃなくて、どうか祈ってて……。
――エレネ




