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閑話:数の魔術師

 デスゲーム宣言直後のセレノス。

 ざわめく広場の片隅で、ひとりの男が途方に暮れていた。


 男の名はコーサク。

 現実では児島幸作という名の、どこにでもいる中年サラリーマンである。


 小学生の娘に「いっしょに遊びたい」とねだられて、発売されたばかりの『Eternal Online Fantasy』を購入したのが運の尽き。

 フルダイブ型ファンタジーゲームなんて未知の世界に、ちょっとした興味もあった。

 だがログインした矢先、待っていたのは夢の冒険ではなく、悪夢のデスゲーム宣告だった。


 ――だが不幸中の幸いだったのは、ログイン当日、娘は妻の実家に帰省中で端末に接続していなかったことだ。

 もし娘まで巻き込まれていたら、コーサクは絶望のあまり立ってすらいられなかっただろう。


 そうして独り、彼だけがゲームに捕らわれた。


「……なんでオレがこんな目に……」


 ジョブ選択画面では、よくわからないまま「マジシャン」を選んだ。

 魔術師なら派手でカッコいいだろう、くらいの安直な理由である。


 だが現実は違った。

 魔法の買い方すらわからず、ひとつも使えない“魔術師”。

 ジョブの特性も背景も知らず、ゲーム操作もおぼつかない。

 ただの役立たず。


 広場で右往左往していたとき、小さな女の子――プレイヤーのナツキが声をかけてくれなければ、今ごろ餓死していたかもしれない。

 彼女に街中クエストの受け方を教わり、どうにか日銭を稼ぐ日々。

 酒場『ルーイン・ゴート』の一室を借りて、身を縮めて暮らすしかなかった。


 数日後、トーチというギルドが装備を配布してくれるようになり、街中にいる限りはなんとか安心できる環境になった。

 しかし、外に出てモンスターと戦う勇気など、到底持てない。


 コーサクは自然と、街に残る“留守番組”のひとりとなっていった。


* * *


 ある日、コーサクはいつものように街中クエストを終え、ルーイン・ゴートの部屋で暇を持て余していた。

 手慰みにコマンド窓をいじっていると、見慣れないアイコンが目に留まった。


「……ん? なんだこの四角い格子みたいなやつ……」


 恐る恐るタップすると、無数のセルが並んだ画面が目の前に広がった。


「おおっ!? こ、これは……Magicalsoft Bugcelか?」


 目の前に出現したのは、現実で散々使い倒した表計算ソフトのVR版だった。

 コーサクは思わず笑みを浮かべる。


 ――経理部のしがないヒラ社員。

 だが、表計算ソフトの扱いだけには自信があった。

 普通なら一日かかる伝票処理を、セル関数とマクロで一瞬に圧縮。

 上司に「おお、頑張ったな」と言われながら、裏ではコーヒーをすする余裕すらあった。


「いやあ、懐かしいなぁ……」


 指先でセルを叩き、数式を打ち込む。VR空間ならではの直感的操作もあいまって、かつての感覚が蘇る。

 そんな中、ふと「バージョン情報」を開いた彼は奇妙なものを見つけた。


「……テクニカルサポートボタン? なんだこりゃ」


 心臓が跳ねた。

 もしや、これを押せば外部に助けを呼べるのではないか。


 期待を込めて、ボタンに指を伸ばす。

 ――カチリ。


 ……。

 数秒、数十秒。

 なにも起きない。


「……やっぱり駄目かぁ……」


 肩を落としたそのとき、ふと記憶がよみがえった。

 かつて同僚と盛り上がった、知る人ぞ知るイースターエッグ。


「……そうだ、Altキー押しながらサポートボタン、だったな」


 VR空間にキーボード窓を呼び出す。

 懐かしい黒光りするキーの配列が、目の前に浮かび上がった。

 コーサクは深呼吸をして、指を伸ばす。


「よし……Alt、サポート、ポチッとな!」


 ――瞬間。


 表計算窓が、漆黒に染まった。

 セルの格子は赤く反転し、数字が血のように滴り落ちる。


「な、なにぃっ!? これ……仕様か!?」


 コーサクの体がずぶずぶと数字の渦に沈み込んでいく。

 目を閉じても、瞼の裏にまで浮かび上がる無限の数列。

 九九の掛け算から始まり、円周率の果てしない小数列、素数の並び、フィボナッチ数列……。


「うああああっ!? やめろ、もう見たくねぇぇ!!」


 耳元では、無機質な声が延々とバグセル関数のエラー通知を読み上げている。

 『=VLOOKUP の引数が無効です』

 『#REF! エラーです』

 『循環参照が発生しました』


 それはただのメッセージのはずなのに、呪詛のように脳髄を焼く。


 ――ここは「魂の拷問室」。

 バグセルに隠された、禁断のデバッグ空間。


 無数のセルが壁を作り、牢獄のように彼を閉じ込める。

 上下左右、どこを見てもエラー値。

 数式はひたすら暴走し、やり直しも中断も許されない。


「……これ……バグじゃなくて……罰か……?」


 心臓を握りつぶされるような圧迫感。

 コーサクの魂は、数の奔流にすり潰される寸前だった。


 ――そのとき。

 ひとつのセルが青白く光っていた。 


* * *


 数の奔流に押し潰されそうになりながら、コーサクは必死に記憶を掘り返す。


(……そうだ……イースターエッグには続きがあった……!)


 同僚と夜中にネットで漁った、くだらない隠し仕様の情報。

 それは半分都市伝説のように語られていた。


 ――魂の拷問室から抜け出すには、ただひとつ。

 青いセルに「Bugcel2040」と入力せよ。


 目の前に、一つだけ浮かぶ青白いセル。

 周囲の赤黒いエラー値の海にあって、それは希望の光のように見えた。


「……信じるしか、ない……!」


 震える手でVRキーボードを呼び出す。

 カタカタとキーを叩き――


 Bugcel2040


 ――Enter。


 瞬間、牢獄の床が低く唸りを上げ、エレベーターのようにせり上がり始めた。


「うおおっ!? 上がって……る!」


 無数のセルの壁が下方へ流れていき、コーサクは数式の海を抜けていく。

 耳をつんざいていたエラーメッセージも遠ざかり、数字の流れが静かに収束していった。


 やがて、数値で描かれた天井がぱっくりと割れる。

 白い光が差し込み、コーサクの体を包み込んだ。


「……まるで……ゲームの裏階層に迷い込んだみたいだな……」


 床は止まり、新たな階層に到達する。

 そこは――四方八方を真っ白なセルで覆われた、無機質なシートの部屋だった。


 床も壁も天井も、バグセルのシートになっている。

 余白も窓もなく、ただびっしりと方眼紙を貼り詰めたような閉鎖空間。


 息苦しいほどの規則性と閉塞感に、コーサクは思わず喉を鳴らした。


「……ここが、次の階……?」


* * *


 彼は試しに目の前のセルを選び、数式を打ち込んでみる。


 【=1+1】


 入力を確定すると、表示が【2】に変わった。


「……おお、計算された」


 次は隣のセルに【3】、さらにその隣に参照式を入力する。


 【=C12+D12】


 結果は【5】。


「うん、ちゃんと動くな」


 思い通りに結果が返ってくると、妙に嬉しくなってくる。

 閉じ込められていることさえ忘れ、つい夢中になってしまった。


「マクロは……書けるのかな?」


 出しっぱなしのキーボード窓にショートカットを打ち込む。


 Alt+F11。


 ――目の前にマクロエディタが開いた。

 会社で夜なべしたときの、あの編集窓だ。


「おお、これは捗るなあ」


 指先は自然と動き、HELLOという関数を定義する。

 内容は単純に、文字列を返すだけ。


Function HELLO()

HELLO = "こんにちは、火星!"

End Function


 エディタを閉じ、壁のセルに【=HELLO()】と入力すると、表示は【こんにちは、火星!】に切り替わった。


「バッチリだ」


 閉じ込められていることも、デスゲームだという事実も、今は頭から消えている。

 ただ静かなシートの部屋で、セルに数式を打ち込んで結果を眺める。

 数字や文字がきちんと応えてくれる、それだけが心地よかった。


 誰に見せるでもなく、コーサクはひとり悦に入りながら、延々とセルを埋め続けていた。


* * *


 セル遊びに夢中になっているうち、ふとコーサクの頭にある記憶がよみがえった。


(……そういえば、あのバグ……まだ残ってるのかな……?)


 それはBugcel97の頃から存在する、古参ユーザーの間ではちょっとした笑い話になっていた怪現象だ。

 マクロエディタでオブジェクトのプロパティツリーを開こうとすると、なぜかMagicalsoft製のメールソフト、DoubtLookのインストールが始まってしまうことがある。

 コーサクが会社で使っているBugcel2036でもたまに発生する。


 最初のうちは「シェア獲得のためのステマでは?」と冗談めかしていたらしいが、40年以上経った今もなお修正される気配がない。

 開発元にすら忘れ去られた“遺跡バグ”に違いなかった。


「メール……もしかしたら外部と連絡が取れるかも!?」


 希望を込め、コーサクはマクロエディタを呼び出す。

 何度か操作を試すと――見覚えのあるウィザード風インストーラーが立ち上がった。


「……ほんとに始まったよ……」


 半信半疑で進めていくと、目の前に古臭いメール画面が開く。

 DoubtLookのロゴまでそのままだ。


 コーサクは胸が詰まりそうになりながら、妻と娘のアドレスを打ち込んだ。

 件名「無事だ」、本文「心配するな。帰る方法を探す」とだけ書いて、送信。


 送信バーは最後まで進み、完了の表示が出る。

 だが――いくら待っても返信は来なかった。


「……やっぱり、駄目かぁ……」


 肩が落ちる。

 現実との接点をようやく見つけたと思ったのに、手応えはゼロ。


 しかしふと、別の考えが浮かぶ。


(ゲーム内なら……送受信、できるんじゃないか?)


 とはいえ、メールを送る相手がいない。

 この短期間で、コーサクが親しく言葉を交わしたのは――


「でも、ゲーム内にメアドを聞くほど親しい人はいないし……」


 ぼやきながらフレンドリストを開くと、視界にひとつだけ名前が浮かんだ。


 ――ナツキ。


 たったひとり、彼のフレンドリストに登録されている名前だった。


* * *


 フレンドリストを眺めていると、不思議なことに気づく。

 ――名前の横に、小さな封筒のアイコンが追加されていた。


「……おいおい、これって……DoubtLookとリンクしてるのか?」


 半信半疑で、その封筒アイコンをタップすると、そのまま宛先が入力された送信窓が開いた。


「マジかよ……便利すぎるだろ……」


 だが宛先が子供だと思うと、筆が止まる。

 幼い少女に宛てるには妙に堅苦しい、それでいて社会人らしいバカ丁寧な文章を慎重に書き上げた。


件名:お願い


ナツキ様


突然のご連絡を差し上げる非礼をお許しください。

私、児島幸作と申します。先日は街にてご親切にしていただき、誠にありがとうございました。

その節は、おかげさまで餓死せずに済みました。重ねて御礼申し上げます。


さて、本題に移らせていただきます。

現在、私は「Magicalsoft Bugcel」に類似した、壁・床・天井がセル状の

“表計算シートの部屋”に閉じ込められております。


自力での脱出は困難と考えられ、もしバグセルに関する手がかりや対処法をご存じでしたら、

ご教示いただけますと幸甚です。


お忙しいところ大変恐縮ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます。


敬具

児島幸作


 数分もしないうちに、返信が届いた。


『ピコちゃんがおしえてくれたの

えらーをみんなかいしょーしないとそこはでれないんだって』


「……エラー……?」


 下の階――あの拷問部屋を思い出し、背筋が冷たくなる。

 耳元で響き続けたエラーメッセージの呪詛が、また脳裏によみがえる。


 だが、そこで立ち止まっていても仕方ない。

 コーサクは顔を上げ、両の拳をぎゅっと握りしめた。


「よーし……バグみんな解消してやる! 数の魔術師なめんなよ!」


 そう宣言する声が、無機質なセルの部屋に吸い込まれていった。


* * *


 ──火星の衛星・フォボス、観測室。


監視者A「魂の拷問室、クリア最短記録更新を確認」

監視者C 「このおっちゃん、意外とすごいやんけ」

監視者D 「脱出だけなら『ゲート』使えばいいのに」

監視者B「スペルブックが空ですね。登録数0です」

監視者D「もしかして、レベル30まで魔法を我慢して『賢者』転職条件狙ってるとか?」

監視者C 「ムリムリ!上位職実装まだやん」

監視者A「タグ付与、#無理数の魔術師」

監視者I 「未知の地平を目指す眼差し……おじさま……素敵ですわ」


監視者C 「……わいも目指そうかな、賢者」


(おわり)


――閑話:数の魔術師あとがき


えー……いつもお世話になっております。

経理部の、えーっと……児島でございます。


最後まで読んでいただきまして、誠にありがとうございます。

いやぁ、まさか自分が“数の魔術師”なんてタイトルで出張ることになるとは……。

正直、バグセルのデバッグとテストで缶詰は、おじさんにはただの拷問でしたよ。ええ。


えー、それからですね、次回の『マジチー』本編第二十七話は来週の火曜日、お昼ごろに投稿予定とのことで……。

『トーチ』さんと『マジセラ』さんが提携攻略を実施する予定みたいです。

もし続きも読んでいただけましたら、私も……あ、いや、作者もきっと喜ぶと思います。


それと……もし、ほんの少しでも「まあまあ面白かったよ」と思っていただけましたら、ブクマとかポイントとか、ちょっと押していただけると、励みになるそうで……。

おじさんからも、どうぞよろしくお願いいたします。


では、えー……また次回、お目にかかれましたら幸いです。


――児島幸作

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