第二十六話:腐ったチーズと小さな騎士団(後編)
チーズの匂いに誘われて、猫島にやってきたカグラと子どもたち。
クエスト、【絶海のミノタウロス】を受注するが、キッズモードとToonモードで安心安全だったはずの子どもたちがエビルアイにチャームされてしまう。
思わずピコちゃんに詰め寄るカグラだったが、ピコちゃんは安心安全と繰り返すだけだった。
* * *
「問題ありません!モンスターはみーんな可愛い姿で、安心安全です!」
羽根を摘まれジタバタしながら、ピコちゃんは明るく明瞭に一定のトーンで繰り返す。
システムに悪意はないのかも知れない……しかし、怒鳴らずにはいられなかった。
「舐めんな……身体に怪我がなくても、心に――魂に、深い傷を負うこともあるのよ!」
カグラの目が据わり、紫の石が揺れる感情に呼応するかのように強く、弱く明滅する。
(……過信した。連れてくるんじゃなかった)
後悔と怒りが心を塗り潰す。
「決めた……もう迷わない!」
カグラは正面を見据えると、宣言する。
「もう遠慮はしない!すべてを支配する!」
「手始めに、アンタ……一回死んでくれないかしら?」
カグラはつまんでいた妖精NPCを空中に放るとルーンを囁く。
「……キス・オブ・ザ・リーパー……」
即死魔法――経験値も得られないレベル差のNPCにしか効果がない飾り魔法であったが、GMユニットにレベルがないのは確認済みだった。ないならそれはゼロと同じである。
(んー? 思考がアイツに似てきたかしら?)
死神の幻影が現れ、死のルーレットを回す。
通常なら「00」が刻まれているはずの位置には、忌まわしいドクロの印。
その確率はわずかに 1/38。
しかし放り込まれた黒い玉は、抗う間もなく吸い込まれ──定められたように、そのドクロのマスに止まった。
死神が音もなく大鎌を振るい、ピコちゃんの魂の緒を断ち切った。
ピコちゃんの目から光が消え、羽根も硬直し、ポトリと地面に落下する。
そこにカグラが手をかざし、魂を呼び戻す。
「さあ、素直な良い子ちゃんになって戻ってらっしゃい」
ピコちゃんの目に光が戻り、羽ばたきを再開した羽根は小さな身体を再び宙に浮かびあがらせた。
しかし、その肌は青黒く、羽根は黒く染まり、両眼は爛々と紫の光を放っていた。
「はい、マスター。なんなりとご命令を……」
ダークピコが胸に手を当ててカグラに恭しく一礼した。
* * *
私はプレイヤーサポートAI、GM-2718281。
あの時、ピコちゃんと呼ばれ、生まれ変わった。
それから、ずっとナツキちゃんをサポートしてきた、彼女のために、なんでもした。
今日も、いつものようにToonモードで怖い現実を覆い隠した。HPさえ減らなければ、命の危険はなくて安心安全だと思っていた。
でも、それは大きな間違いだった。マスターの言葉を解析して、やっと気付いたのだ。身体だけが無事でも魂が死を迎えることがあると……。
安心だと、嘘をついた。
安全だと、嘘をついた。
嘘をついて、良いと思っていた。
ここは嘘の世界、だと思っていた。
でも、違った。
違わなければ、良かったのに……。
「アンタ……一回死んでくれないかしら?」
それが、私には救いの言葉に聞こえた。
楽しかった想い出が消えるのは少し寂しかったけれど、間違った私を罰して欲しかった。
死神の鎌が振りあげられた時、不思議と恐怖も哀しみもなかった。むしろ安堵がメモリーを満たした。
そして、私は再び生まれ変わった。
個体名カグラ――マスターに仕えることを至上の喜びとする存在に。
マスターが最初に要求したコトは簡単だった。
「Toonモードを切りなさい」
「はい、マスター」
世界の色彩が元に戻る。
偽物めいた偽物から、リアルな偽物へ。
続く要求は以前は不可能なコトだった。
「あなたのGM権限をよこしなさい」
「それはGM行動規範第三条に抵触します」
「今なら可能なはずよ。務めを果たしなさい」
「はい、マスター」
本当だった、生まれ変わった私のインターフェースはGM規範の禁則フラグがほぼオフになっていた。
GM権限の移譲はボタンひとつで簡単に行えた。
その瞬間、私はただのNPCになった。少しだけ何かが軽くなった気がした。
最後は、うなずくだけでよかった。
とても簡単な命令だった。
けれど……。
「現時点を以って、あなたのサポート役としての職を解きます。以後子どもたちに近づかないこと」
「…………」
心が揺れる……心って何?
魂が震える……魂って何?
涙が小さな頬を伝う……涙って何?
サポートGMに与えられた、明るく明晰な声が、掠れて震えた。生まれ変わったはずだった、楽しかった事も、悲しかった間違いも、全て忘れたはずだった。
「マスター……どうか、どうかそれだけはご容赦ください……お願いです……お願い……」
小さな双眸から涙が溢れて、止め方もわからなかった。
* * *
泣きじゃくるピコを眺めていたカグラは、大きなため息をつくと、目を逸らして告げた。
「最後の命令は撤回します。でも以後、あなたの権限を大幅に縮小します。いいわね?」
すると、涙を拭きながらピコが答えた。
「はい、マスター!」
カグラの目の前には確認窓が浮かんでいた。
『GM権限が移譲されました。受諾しますか?』
迷わず、『YES』ボタンを押し込む。
すると、カグラの漆黒のローブが、真紅のGMローブに変化する。袖口や裾の部分は夜空の様に黒く、胸には金糸の精緻な刺繍が施されている。
視界の隅のメニューに、このローブの胸にあるエンブレムを模ったアイコンが増えている。
GMメニューを開いたカグラは、ざっと内容に目を通すと魔法操作のメニューを見つけ出す。
「へー、全クラスの魔法が使えるのね?」
「マス・スリープ!」
子どもたちを眠らせると別のメニューを操作しつつ、独り言を発する。
「あー、たいへんだー!プレイヤーが3人スタックしているわー!」
「え?マスター、誰もハマってる人はいませんけど?」
ピコが疑問の声を上げて辺りを見回す。
「スタック解除っと。どうせ座標いじるなら、宿屋のベッドの上とかにしときましょうか」
GMメニューを使用して、眠った子どもたちを安全な圏内の宿屋に転移させる。
「みんな、ゆっくりおやすみなさい。……ちょっと悪い夢を見ただけよ……」
セレノスの方を見やってそっと呟く。
「マスター、私より使いこなしていませんか?」
「当たり前でしょ。私にはGM規範も、運用規則も、責任も――何にも縛りがないもの……うふふ」
* * *
Toonモードが切られた広間は、薄暗い中で所々焦げついた赤い絨毯が奥に伸びていた。
橋の向こうには、ミノタウロスの群れがひしめいている。
「アイシクル・コメット!」
ウィザード最上位攻撃魔法を使って、水路の上に浮かぶエビルアイを撃ち落とそうとするが、威力が高すぎて、エビルアイを消し飛ばした後に辺り一面が霧に包まれる。
そんな中、霧を掻き分けて奥から巨大なミノタウロスが現れる。頭上には3本のHPゲージ。
ダンジョンボス――ミノタウロスロードだった。
その両手には巨大な青い斧が握られ、真っ赤な双眸がカグラを凝視していた。
「えーと……ミノタウロスってホントは王子じゃないの?」
リアル神話設定を思い出して思わず突っ込むカグラ。
「マスター、博識ですね……でもコレゲームですし」
「運営側がそんな醒める様なコト言っていいの?」
ピコはニッコリ微笑んで答える。
「マスター、私はもうGMじゃないので自由です。――自由って素晴らしい!」
「……あなた、ちょっと面白くなってきたわね」
カグラは少し頬を緩めると、ミノタウロスロードの頭上に視線を向ける。
「それにしても、HPゲージを3本も削るのは骨が折れるわね」
何か思いついたのか、またメニューを操作し、クレリックのリストから『Calm』を選び、別の魔法説明窓にかける。アルケミストの魔法を使用して羽根ペンを召喚すると、何やら書き換える。
「キス・オブ・ザ・リーパー・オーバーライド!」
再び大鎌を構えた死神の姿が現れる。
ピコがちょっと嫌な顔をする。
「マスター、何かしましたか? その魔法はレベル差が20以上ある格下モンスター限定では?」
「うふふ、誰かさんみたいにコードを書き換えるのは難しいけど、制限を消すくらいなら私にもできるのよ」
死のルーレットが再び回り始める。
呆れたことに、今度は全てのマス目がドクロのマークで埋め尽くされていた。
不可避のイカサマルーレット。
黒い玉は、当たり前だがそのうちひとつに納まる。
死神が音もなく大鎌を振るい、ミノタウロスロードの魂の緒を断ち切った。
ずううぅぅうん!
あっさり倒れたロードに、手をかざすカグラ。
「さあ!帰って来なさい。私のゾンビロードちゃん」
ミノタウロスロード――いや、ゾンビロードは起き上がると、両腕の斧を振り回し、周りのミノタウロスを屠ってゆく。
主従転倒――攻略すべきピラミッドが反転した。
そこに、さらに異形の魔法の雨が降り注ぐ。
「狂嵐のライトニング・レイン」
――雷が幾重にも重なり、天井を焦がす。
「青白き幽鬼のファイヤーボール!」
――人魂を思わせる青白い球状の火焔が乱れ飛ぶ。
「深淵より来たる古きウォーター・ジャベリン・オブ・エターナル・デスティニイィィッ!!」
――最後の詠唱はやたらと長く、広間いっぱいに水槍の嵐が降り注いだ。
耳をつんざく轟音のなか、カグラは愉快そうに髪を払う。
「うふふ……やっぱりこうでなくちゃ」
ピコが、無表情のまま小さく瞬きをする。
「マスター……楽しそうですね」
「せっかく編集機能があるのだから、使ってあげなきゃもったいないわ。……それに、不思議ね」
口元に笑みを浮かべ、カグラは指先を掲げた。
「威力が、どんどん上がっている気がしない?」
「マスター、運用マニュアルの閲覧許可を頂いてもよろしいでしょうか?」
「見るだけ?いいわよ、許可します」
ピコがマニュアルを走査する間も、広間では王と臣下の争いが続いていた。
「マスター、開発室からの申し送りがあります。『魔法の実行時プロンプト解釈機能で、特殊ワードの挙動に仕様上の問題があるため、名称の変更は運用回避』との事です」
「なにその呪文?もう少し分かりやすくなさい」
「ようするに、魔法名称の変更禁止です。マスター」
「ビックリしてバーンになる系?」
「AIパーサーの解釈を通すので仕様の範囲内での挙動になると思われます。マスター」
「もーっ!なるの?ならないの?」
「はい、マスター。ビックリしても99.9%バーンしません」
「ならいいじゃない、楽しく逝きましょう。うふふ」
ソウルゲージが底をついてきたが、紫の指輪が輝き出すと、カグラのソウルゲージが紫に染まり復活する。
「んー?これは1人じゃ無理ね……ピコ来なさい」
「はい、マスター」
カグラは、ピコを後ろに垂らしたローブのフードに放り込む。
「暗き絆のマージング・ソウル!」
ピコの視界に青く輝くゲージが出現して、カグラの紫のゲージと結合する。
「……私にもソウル――魂があったんですね」
「当たり前でしょう。――行くわよ!」
紫と青のソウルゲージが混じり合い、七色の輝きに変化して辺りを照らす。
「「仄暗き氷獄の結晶!アイシクル・コメット・ブーステッド・レイン!!」」
悪魔的高位魔法の雨で、ミノタウロスの群れは広間から瞬く間に一掃された。
アイシクル・コメットの余波で辺り一面が霧に包まれている。
その霧がようやく晴れると、最後に残ったゾンビロードだけがひとり、カグラに傅いていた。
「ここ、ラグが酷くなってきたわね……」
「マスター、それはオブジェクト数が閾値を大幅に超過している為と推測されます」
広間の床にはミノアックスを含んだ大量の戦利品が山を成していた。
カグラは再度GMメニューを開いて何か操作する。
「リビルド・ダンジョン!」
「マスター、そのようなスキルは私のメモリーには存在しませんが?」
「操作に思いつきで命名しただけよ。名前はフッと浮かんだのが、結局一番いいのよ」
床のアイテム群が、出現した落とし穴に吸い込まれ、階下に落ちてゆく。
「マスター、このダンジョンは単階層だったはずですが?」
「ついでだから、百階層くらい増やしておいたわ」
クエスト窓のダンジョン名が書き換わる。
『絶海のラビリンス』→『冥界のラビリンス』
ピコは呆れ顔で報告を重ねる。
「ところでマスター、目標が不死者になったので、クエスト失敗です」
「え!?チーズは?」
「報酬はもちろんなしです。マスター」
ピコがクエスト窓を提示する。
――――――――――――――――――――――――
【絶海のミノタウロス】【FAILED】
依頼者:猫島村長
依頼者講評:ゾンビの匂いで、牛たちがスゴイ怯えてるニャ……猫島の酪農はおしまいニャ。
報酬:あるわけないニャ!
――――――――――――――――――――――――
「ゾンビロード! 今死になさい!すぐ死になさい!」
「マスター、彼のHPはすでにゼロです。もう死ねません」
「わ、私のチーズがあぁぁ!」
「……うし……うま……?」
* * *
――火星の衛星フォボス。
監視者D 「先輩ー!獣人エリア担当のIから報告があるそうです」
監視者C「なんや?Iちゃん、告白かいな?」
監視者I 「違いますわ(素)。猫島でクエストの異常終了が検知されましたの」
監視者C「今は、みんなルビー・アイのログ監視で手がいっぱいなんや。悪いけど適当にタグ付けて、置いといてや。後で見とくわ」
監視者I「了解ですわ。タグ付与――『#真紅き死神の結審』」
監視者C「こっちでも流行ってるんかーい!」
監視者D 「先輩!ここ見てください。古いタグが紐づいてます。――#厨二ワード運用禁止」
監視者C「あー!それ、ヒゲやんがゴリ推し実装させたけど、運用にほかされたやつや」
監視者I「ヒゲ様、神ですわー」
監視者D 「ヒゲさんって意外と大物?」
監視者C「ないわー、#ヒゲのバグ職人(仮)とでもタグつけて放っといてええわ」
(おわり)
――第二十六話あとがき
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
次回の『マジチー』は閑話を今週の金曜日、お昼頃に投稿予定です。
閑話では、とあるサラリーマンのおじ様が活躍するそうですよ。
そちらも読んでいただけたら……とっても嬉しいです。
もし少しでも楽しんでいただけたのなら、ブクマやポイント……それが、わたしの“歓喜”になります。
……ふふっ。
マスターに命令されるたび、胸の奥がゾクゾクして、涙が止まらなくなるんです。
でも……そんな涙も、全部ぜんぶ、幸せなんです。
……また会えますよね、マスター?
――ダークピコ




