第二十五話:腐ったチーズと小さな騎士団(前編)
すいません、誤字発見してしまったので一字だけ修正しました。
セレノスの港町に、妙に鼻をつく匂いが漂っていた。
「……ん? なんかくさい……これって……チーズの匂い?」
カグヤ――ハイエルフの金髪美女に扮するダークエルフのカグラは美食家というより悪食である。
以前、ヘスペリアでも、この腐ったようなチーズの匂いを嗅ぎつけて、探し回った事があるが、残念ながら発見には至らなかった。
(くさい……不味そう……ああん……でも絶対食べる)
顔をしかめながらも、どこか懐かしく濃厚なその香りに引き寄せられるように足を進めた。
停泊していたのは古びた木造船。船体にはかすれて読みにくい文字が残っている。
『猫島行き 定期便 ※帰りは気分次第』
その時、背後からぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
「カグヤねーちゃん! どこ行くのー!?」
「船!? 船にのるの!?」
「チーズ食べに行くの!?」
無邪気な声をあげる三人の子ども――アキラ、ハルト、ナツキが駆け寄ってくる。
子どもたちはカグラの正体を知らない。だましているようで少し気がひけるが圏内では仕方がない。
オーダー陣営の都市圏にカオス系種族の居場所はないのだ。
(ガードを全部片付けちゃえばラクなんだけど……)
タクヤに止められたことは、別に気にしていないのだが、実際に実行しようとしても、なぜか毎回うまくいかなかった。
(神像がなくなっても神に加護されてるって感じかしら?)
じゃれつく子どもたちを見下ろし、もう止めても無駄だと悟り、カグラは小さくため息をついてから船に乗り込んだ。
* * *
木造船はぎしぎしと音を立てながら港を離れていく。
「わぁー! 海だぁー!」
「すっごーい!」
子どもたちが甲板ではしゃぐなか、ナツキの肩に乗っていた小さな妖精ピコちゃんが羽を震わせた。
「安全圏を離脱しました。……キッズ保護プロトコル作動っ! Toonモード、パーティ全員に強制適用ですっ!」
ぱちんと指を鳴らす仕草と同時に、周囲の空気がほんのりと色調を変える。波間に漂う魚影さえも、ぬいぐるみのような丸っこい姿へと変化した。
「えへへ、かわいい〜!」
ナツキが身を乗り出して海をのぞくと、イルカのようなモンスターがぴょこんと跳ねた。
「だいじょうぶですっナツキちゃん! ToonモードONなので、敵はぜんぶ可愛くて安全ですっ!」
「よかったぁ〜! じゃあチーズも安全なのかな?」
「……チーズに安全不安全の概念があるかは、ちょっと未確認です!」
ピコちゃんの真面目な答えに、カグヤは苦笑しつつ視界をにらむ。
(……本当はどんな姿なのか、もうわからないじゃない)
UIには「Toonモード:強制適用中」の文字が点滅していた。
* * *
猫島。
波に揺られ、たどり着いたのは、潮風にさらされた小さな桟橋と、緑に覆われた緩やかな丘。鳥の声がこだまし、どこかのんびりとした空気が流れている。
誰もいないように見えたそのとき、草むらからひょっこりと姿を現したのは――三毛柄の猫だった。
「ニャ? よそ者かニャ?」
「しゃべったーーっ!?」
「ねこがしゃべったーー!」
「かわいいーーっ!」
三人が大騒ぎするのを気にもせず、三毛猫はのそのそと歩み寄る。
本来は猫の獣人種族のはずだ。だがToonモードのせいで、誰の目にもただの可愛い猫にしか見えない。
「チーズの匂いに誘われてきたニャ? なら、もっと詳しいのがいるニャ。……ちょっと待つニャ」
奥へ声をかけると、がっしりした体格の縞模様の猫が姿を現した。筋肉質な獣人の気配があるのに、姿はやっぱり“ただの猫”。
その姿を見た瞬間、カグヤの脳裏に妙なイメージがよぎる。
(……虎がぐるぐる木のまわりを回って、最後は溶けてバターになった――そんな話、あったっけ)
視線が無意識にその背中を追い、唇がつい湿る。
(……じゃあ君は……チーズになったりするのかしらね)
じゅるり、と口の端に涎がにじみ、慌てて袖で拭った。
――その瞬間、縞模様の猫はぴくりと耳を立てた。
背筋にぞわりと悪寒が走り、思わず毛が逆立つ。
「……ニャ?」
理由はわからない。ただ、目の前の金髪の美女が絶対的強者のオーラを発していて、逆らってはいけないことだけは獣人の勘が告げていた。
「カグヤねーちゃん? なんか、よだれ……」
「ち、違うわよ。ただ……ちょっと食欲が刺激されただけ」
子どもたちはきょとんとして首を傾げる。
ナツキは気にせず、ぱぁっと顔を輝かせた。
「わぁー! ふたりとも名前ないの? じゃあナツがつけてあげる!」
ピコちゃんがぱっと羽を光らせる。
「命名スキル検出っ! 発動準備完了ですっ!」
「えっとね……君は三毛だからミケ! 君は縞々だからトラ!」
ナツキがにこにこと指差すと、二匹の頭上に名前プレートがふわりと浮かび上がった。
「ミケ……なんか気に入ったニャ」
「トラ、か……悪くないニャ……」
「命名完了しましたっ! 対象は今後『ミケ』『トラ』として全プレイヤーに認識されます!」
「やったぁー! これでもう、まちがえないね!」
無邪気に笑うナツキ。その横で、カグラははっと息をのんだ。
恐ろしい――。
幼い笑顔ひとつで世界の理が塗り替わっていく。意志も打算もなく、ただ自然に。
無垢だからこそ、これほど脅威的な力はない。
背筋に冷たいものが走り、笑顔を浮かべる少女を見ながら、カグヤは思わずぞっと身をすくめた。
* * *
トラがカグヤたちを案内したのは、牧場だった。
丸太の柵で囲まれた放牧場で、数頭の牛が草を喰んでいる。
「ねこがうしさんのおせわしてる!」
「ふしぎ〜」
「ぼく、しってるー、アリもぼくじょうつくるんだ」
昆虫好きのハルトが目を輝かせる。
(これ本当に牛なのかしら?ここ、クレタ島ってことはないわよね?)
ケンタたちがミノタウロス狩りに遠征したことを思い出して、牛頭人身のモンスターを目の前の牛に重ねる。
(一頭狩ってみようかしら?)
思わず唇を舐めるカグヤ。
草を喰んでいた牛たちが一斉に頭を上げてキョロキョロと辺りを見回す。
(あの反応、五分五分かしら?うーん……)
面倒なので、ストレートに聞くことにする。
「トラ、あれは本当に牛なの?」
「そうニャー。 でも……」
表情を曇らせて付け加える。
「洞窟の怪物のせいで今は牛乳が出ないニャ……」
(それってチーズ作れないじゃない……!)
【?】 ピコーン!
トラの頭上に金色のクエスチョンマーク――クエスト起点NPCの印が出現する。
「あー、くえすとだー!」
「どんなの?どんなの?」
「わーい!くえすと!がんばろー!」
子どもたちが勝手に盛り上がって、クエストを受注してしまう。
ピコーン!
『クエスト:【絶海のミノタウロス】が受注されました』
「やっぱりいんのかーい!」
思わず地が出てしまうがなにも不都合は起きない。
猫島にはセレノスのガードは居ないのだから当然である。
「カグヤねーちゃん、なんかいつとちがう?」
「ちょっとこわ〜い」
「ママみた〜い」
受注済みを表す灰色のクエスチョンマークを頭上に掲げたトラも、何故だか尻尾を丸めて怯えていた。
周囲を見渡し、ガードがいないことにようやく気づいたカグラ。
「……はぁ? ここ圏外じゃない! 私、なんで今まで姫芝居してたのよ……」
* * *
「いくわよ、おチビちゃんたち!」
煩わしい変身ゼリーも、化粧さえもきれいさっぱり落としたカグラが、漆黒のローブを翻す。
久しぶりに風が素顔を撫で、白銀の髪をきらめかせる。
「ねーちゃん、へんしんした!」
「かっこいいー」
「ママみた〜い」
子どもたちには変身ヒーローに見えるのか、概ね好評である。
「以後、私の事はカグラと呼びなさい。あと他のみんなには内緒よ」
一応口止めをしておく。
「わかったーカグラマン!」
「カグラマンかっこいいー!」
「ママみた〜い」
「おまえらのママどんなだよ……」
その時、周りを飛んでいたピコちゃんがピコーンと反応する。
「保護者呼称を複数回確認しました!」
カグラの周りをグルグル飛翔し宣言する。
「以後、個体名『カグラ』をナツキちゃんたちの保護者としてタグ付けします!」
「うら若き独身女性を捕まえて、ママ認定かよ……」
軽くボヤくと左手の指輪に目をやる。
「……コイツのせいもあるか?」
その言葉に答えるかのように、紫の石に妖しい輝きが揺らめいた。
「まあ、いい。洞窟に向かうわよ!」
「「「はーい」」」
小さな騎士団が声を揃えた。
* * *
――――――――――――――――――――――――
【絶海のミノタウロス】
依頼者:猫島村長
目的地:絶海のラビリンス
依頼内容:洞窟から夜な夜な、牛頭人身の化物が現れ牛をさらって行くんニャ。牛の数は激減し、ストレスの為か、残りの牛も乳を出さなくなったニャン。このままでは猫島の酪農はおしまいニャ。旅の方、どうか洞窟の化物を退治してくださいニャ。
難易度:★★★
報酬:腐った匂いの超熟チーズ一年分
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「なーんだ、お使いでチーズにありつけるんじゃない」
俄然やる気が湧いてくるカグラ。
ピコちゃんのガイド付きで、一行はすぐに目的地の洞窟に足を踏み入れる。
「ここ、すずしー」
「あ!コウモリさんがいっぱいいる!」
「よくみるとかわいい!」
洞窟の中に足を踏み入れると、すぐに壁や床が人工的になり、ギリシャ風の彫刻が立ち並ぶ迷宮になっていた。
「ラビリンスってわけね……面倒ね」
カグラは金色の骨片を取り出すと、呪文を囁きながら放り投げる。
それらはみんな、空中でコウモリの形になると、骨しかないのに器用に飛んでゆく。
「すごーい、骨が飛んだー!」
金色のコウモリたちは、迷宮をくまなく飛び回って帰ってくる。時間にして数分で、迷宮の全探索が完了した。
カグラは、黄金のスケルトンを一体呼び出すと、骨コウモリからの情報で地図を書かせる。
「わー、金のほねマンもかっこいー」
「なまえないの?」
「じゃあ、きみはホネキチ!」
「ピコーン!命名スキル、無詠唱で発動でーす♡」
ピコちゃんがホネキチの周りを飛び回る。
「私の可愛い子に、勝手に骨付きチキンみたいな名前を付けないでほしいわね……てか、あなた気に入った?」
ホネキチは激しくうなずくと、ケタケタと顎を鳴らしながら完成した地図を渡してくる。
地図の真ん中には大きめの広間があり、そこにバツ印が付いていた。
「ここね?ご苦労様。左手の法則じゃ辿り着けないタイプね。階層がなさそうなのはラクでいいわ」
一行はミノタウロスが待ち受けるであろう広間へ最短経路を進んで行った。
* *
目的地の広間は、奥に長い長方形で、神殿を思わせる巨大な白亜の石柱が等間隔に立ち並んでいた。
広間の中央を地下水路が横切っており、石柱の間にアーチ状の石橋が見えていた。
その奥にはまだ闇が蹲っており、全容はまだ掴めない。
「こういうことか……」
「わー、牛さん人形がいっぱいー」
「ちっこーい」
「いっこほし〜」
水路の向こうには、無数の牛頭人身のぬいぐるみ(三頭身)が闊歩していた。
(あの青っぽい斧はミノアックス?見た目がぬいぐるみでも侮れないわね……)
カグラは手勢のスケルトン軍団を呼び出そうと皮袋を取り出すが……。
ハルトがそれを奪って走り去る。
「え?どうしたの?返しなさい!ハルト!」
どうも動きがぎこちなく、すぐに追いつけたが、皮袋はもう前方に投げ出された後だった。
それを、石橋の上でアキラが受け止めた。
その動きも不自然で、まるで人形のようだった。
「あは、これは、あぶないから、すてるね」
抑揚のない声でそう告げると、アキラは地下水路に皮袋の中身を振り落とす。
その瞳にはいつもの輝きが無かった。
(チャーム!?どいつが?)
水路の上にフワフワと漂うものがあった。目玉模様の鳥よけ用風船のようだ。デフォルメされた絵柄だが、こちらをじっと覗き込むような視線はかえって不気味だった。
(まさか、あれがエビルアイ?!)
ピコちゃんの羽根をつまみ、怒鳴りつける。
「おい、ウサ耳チビ!キッズモードは無敵じゃないのかよ!?」
「だいじょうぶです!お子様は一切ダメージを受けません!安心安全です!」
定型のような反応を繰り返すピコちゃん。
「HPが減らないだけってこと?マジか……」
「あはっ、ねーちゃんこわーい」
「あはっ、ねーちゃんこわーい」
「あはっ、おねーちゃんこわーい」
「「「ママみた〜い、こわーい、あははっ」」」
いつの間にか、小さな騎士団全員の瞳から輝きが失せていた。
(つづく)
――第二十五話あとがき
「さいごまでよんでくれてありがとー!」
「つづきは、らいしゅうのかようび、おひるごろにでるんだよ!」
「ちゃんと見にこないと……ママが、こわいことしちゃうかも……」
「ママはね、ほんとにすっごくこわいんだけど……」
「だいすきなんだよ、ホントだよ!」
「だからさ……ブクマとか、ポイントとか……ちゃんとあげて?」
「「「ママがよろこぶから!」」」
――チャーミングな騎士団




