第二十三話:ルビー・アイの誘惑(後編)
ゴブリンのダンジョン――ルビー・アイ最深部のボス部屋
白亜の石柱が立ち並ぶ、何処か神殿を思わせる大広間はゴブリンの軍勢で埋め尽くされていた。
『トーチ』の一行は、対処不能な大軍勢に囲まれた上、パーティの要の戦力も敵となる事態に置かれていた。
危機的な状況に茫然と立ち尽くすケンタ。
しかし、チャーム支配下の結とベルウッドを残して撤退する選択肢はなかった。
(どうする?どうする?……考えろ!俺!)
頭の中でグルグルとあらゆる手立てを検索するが、この状況を打破するソリューションは見つからない。
やがて、目を閉じて可能性の低い撤退を決意する。
「タクヤ!結とベルさんにスタンを打ち込んで、抱えて撤退しよう」
「オイオイ、二人抱えて逃げられる状況かよ!」
ロード以外のゴブリン兵には魔法が効くことに気づいてデバフや呪詛で軍勢を押し留めていたタクヤが叫ぶ。
その時だった。
広間に眩い光が走った。
「ライトニング!」
「ライトニング!」
「ティアーズ・オブ・トゥールース!」
雷光が前列のゴブリンを薙ぎ払い、後詰めのゴブリンには雷撃の雨が降り注ぐ。
「助太刀します!」
凛とした声が、茫然としていたケンタの耳を打つ。
ケンタの横を黄金の風がすり抜けて行った。
目の前でつややかな黒髪がふわりと揺れ、かすかな香りを残して消え去る。
眩いばかりの黄金の騎士、エレネが前線に踊り出た。
「シャチョーの黄金鎧と同じモノとは思えないな」
思わず場違いな感想を洩らすケンタ。
「ファイヤーボール!」
「ファイヤーボール!」
「ファイヤーウォール!」
ゴブリンの群れに火の玉が次々と撃ち込まれ、
更に奥では炎の壁が大量のゴブリンを包み込み焼き払う。
後方を振り返ると、緋色の祭服をまとった女性が杖をついて、うつむいていた。
「ぜぇ……はぁ……もうソウルゲージすっからかんよ。体力ゾンビなみよ。どーすんのよ」
とうとう座り込み、しかし絞り出すように叫ぶ。
「あとは任せた!いっけーエレネ!!」
エレネがかすかに微笑み、黄金剣を持った右手を掲げて答えると、滑らかに盾を割り込ませてゴブリンの群れを捌いて行く。
雑魚のゴブリン兵は次々と数を減らしていった。
しかしながら、高レベルのゴブリンエリートや、強力な魔法を使うゴブリンメイジが、未だ多数残存していた。
「危ない!」
ゴブリンメイジの放ったファイヤボールが、エレネに襲いかかる。
思わずヒールを飛ばすケンタ。
「え?バカっ、今はダメ!」
エレネに向いていた多数のゴブリンが一斉にケンタの方を向く。ヒールタウント――ヘイトを稼いだ前衛へのヒールが挑発効果となり、敵がヒーラーに跳ねる。
「うわ、ヤバっ!?」
逃げ惑うケンタ。
「パラディンはヘイト稼ぎが課題ね……」
唇を噛むエレネ。
「エンドレス・スリープ!」
「エターナル・チャーム!」
ケンタに襲いかかってきたゴブリン達が、突然立ったまま――寝た。
そして、一部は同士討ちを始める。
「ケンタ様、大丈夫ですかー?」
赤毛のハイエルフ――アンがチャームしたゴブリン兵を操りながらケンタに声を掛ける。
「あ……アンちゃん、アルケミストなのか?」
ログ爺と同じジョブ――アルケミスト。
ログ爺はクラフター寄りなので、トーチの面々はあまり意識していないが、戦闘系アルケミストは群集コントロールに長けたEOF随一の魔法職であった。
敵を眠らせ無力化するスリープ。
エビルアイと同じ、敵を魅了し味方にするチャーム。
ソウルゲージの回復を劇的に速めるウィンド系バフ。
物理職の攻撃速度も上げ下げ自在。
こうも多彩な補助魔法を使いこなされると、クラフター専用職などという認識を改めざるをえない。
「キャンセル・マジック!」
「キャンセル・マジック!」
アンは、結とベルウッドのチャームを解く。
結とベルウッドの目に光が戻る。
「よかった……ほんとうに……」
ケンタが若干の涙声でつぶやくと、二人を後退させる指示を出す。
ユメゾウ、ガストンとハーフリング達が、未だ茫然自失の二人を後方に誘導する。
アンはその間にも、次々と味方にはバフ、敵にはデバフを掛けていく。
「クイック!」
「クイック!」
「スロウ!」
「クーリング・ウィンド!」
座り込んでいたナナの視界の隅に、人間の頭部に涼やかな風が吹き込む様を図案化した、青いアイコンが点灯する。
全魔法職プレイヤー垂涎の『EOF最高最上魔法』(パピ通調べ)――ソウル回復速度上昇バフのアイコンである。
「わあ、ゾンビ復活!アンちゃん最高!」
バフのおかげでソウルゲージの回復が早まったナナが再び攻撃魔法のルーンを編み始める。
「アイシクル・コメット!」
ウィザード最上位攻撃魔法――氷の彗星がゴブリン兵を薙ぎ払う。
「そうそう、アイツらもさっさと片付けよっか」
ナナがアンに目配せをする。
緋色の祭服と、若草色のローブがケンタの前ではためく。
「マージング・ソウル!」
アンがソウル強化バフを掛けると、二人のソウルゲージが一体化し七色に揺らめく。
二人が手を繋ぎハモった。
「「アイシクル・コメット・ブーステッド!!」」
ウィザード最上位攻撃魔法がアンの補助で更に強化される。
巨大な氷の彗星が頭上に現れ、2匹のエビルアイと周辺のゴブリン兵を跡形もなく薙ぎ払った。
氷の爆発の余波であたりには霧が立ち込める。
その霧を裂くように黄金の光が残りのゴブリンを貫いてゆく。
最後方に、羽根飾りを差した赤い帽子をかぶり、戦場を睥睨する小太りのゴブリンがいた。
この軍勢の指揮官――ゴブリンコマンダーである。
赤帽子は余裕綽々で指揮を取っていたが、一瞬で全ての部下を失って恐慌状態となり逃走を始める。
しかし、エレネがいつの間にか回り込み、立ち塞がる。
「こんにちは、何処へ行くのかしら?」
「『しかしまわりこまれてしまった』って天の声が聞こえそうだがや」
シャチョーが壁に縫い付けられたまま、ちょっとだけ赤帽子に同情する。
赤帽子はゴブリン語で何か喚くと、床に硬貨をぶちまけて踵を返す。
「買収……のつもりかしら?」
エレネの声が一段冷える。
「バーティカル・スラッシュ!」
君には、これで十分よとばかりに、剣士の最初期スキルで一刀両断にする。
「天界へ良い旅路を……」
……広間に、再び重苦しい沈黙が落ちた。
「残るはアイツだけね」
オリハルコンの盾を構え直すエレネ。
その眼差しは、ただひとり残った王に注がれていた。
* * *
「グオオオオオォォオオ!」
軍勢を失ったゴブリンの王が咆哮をあげる。
「どうやら、召喚は弾切れらしいな」
「え?その声タクヤ様ですか?」
アンが足元のミニトロールにビックリする。
「お……おぅ、バレちまったか、オレ本当は……」
「か、かわいい〜です〜♡」
もふもふと、ミニトロールをなでまわすアン。
「……やれやれだぜ」
戦いの前の静寂、王の赤い目が侵入者を興味深げに観察する。
「来るわよ!」
エレネが警告を発する。
(私も本当は、素直に可愛いものは可愛いと言いたい……でも、今はダメ)
キッと前を見据えて盾を掲げる。
その後ろからナナが魔法を投げる。
「アイシクル・コメット!」
ロードの額のルビーが妖しく光る。
『魔法類は無効です』
氷の彗星は揺らめくように虚空に消えた。
「あぁ……私の最上位魔法が!?」
ナナがガックリと膝をつく。
「どうせ、どうせ……私なんてゾンビほどにも役に立たないのよ……ゾンビだったらアイツに噛みついてゾンビロードにしちゃうのに……ガッカリよぉ〜」
「いや、ゾンビロードになった方が恐ろしいがね」
壁に縫い付けられたシャチョーが突っ込みを入れる。
ドグワアアァァン!!
ロードの黒い剣をエレネが盾で受ける。
とても反撃をする余裕はない。
「しかし、ちょっと火力が足らねーな」
タクヤがエレネに強化バフを投げながらぼやく。
シャチョーを壁から剥がしても、物理職のアタッカーは1人だけである。
起死回生の援軍となったエレネパーティだが、魔法中心のアタッカー構成が、裏目となってきた。
ケンタがシャチョーのマントを破って、壁から引き剥がす。
「シャチョー!アイツの頭上に銀行インベントリを開くんだ!」
不思議な指示に、疑問の表情を浮かべるシャチョーだったが、すぐさま実行に移す。
三角飛びの要領で壁を蹴り、ロードの頭上で例のコマンドを発動する。
『/tell ハルブバッハ BANK!』
ロードの頭上に銀行インベントリ窓が開く。
「よし、次は両替だ!全部銅貨にして引き出すんだ!」
「はあ?」
疑問だらけだが、指示には従うシャチョー。
『/tell ハルブバッハ 全部銅貨に両替頼むがや』
『かしこまりました』
どこからともなくハルブバッハの声が響く。
ゴブリンロードに大量の銅貨の雨が降り注ぐが、
煩わしそうにするだけでダメージになっている様子はない。
広間に残る全員の頭に疑問符が点灯する中、ケンタがへたり込んでいるナナに耳打ちする。
「え?ほんとに?」
ナナは半信半疑で再びルーンを編み出す。
「ライトニング!」
雷撃がゴブリンロードの横に落ちる。
「外れたがや?……いや?」
「ウガガガァアア!!」
初めての雷撃の痛みに驚いたのかロードが後退る。
「どうして?魔法無効ではなかったの?」
エレネが驚きのあまり、振り返ってケンタに疑問を投げる。
「単純なソリューションさ。銅は金の1.45倍も電導率が高い。そして、ライトニングは一旦銅貨に落ちたら、もう魔法じゃなくてただの高圧電流さ」
「……ペテン師」
呆れ顔で呟くエレネ。
「よおーし、おねーさん頑張っちゃう!」
急に元気を取り戻したナナがアンを呼ぶ。
「アンちゃん!やっちゃいましょう!」
するとアンがケンタに身を寄せて左腕を抱える。
「ケンタ様もご一緒に」
「え?アンちゃん、なにすんの?」
ケンタの顔が若干赤くなる。
「どうせヒールタウントしかやらかさないなら、アンタの魂も貸しなさい」
ナナがそう決めつけて、彼女もケンタの右腕に両手を絡める。
「マージング・ソウル・トリプル!」
今度は3人のソウルゲージが一体化し正三角形を形成する。七色の光が辺り一面を照らし出す。
ナナがケンタの耳元に口を寄せると、ルーンの編み方をささやく。
そして、広間に三人の声がシンクロして響き渡る。
「「「ティアーズ・オブ・トゥールース・エクステンデッド!!」」」
雷撃の雨というより、高収束されたレーザーのような光の雨がゴブリンロードを包み込む。
「ウグオオオオオォォオオガガガァアア!!」
ゴブリンロード全身が焦げ付き、初めて怯えの揺れを見せた赤い双眸には、より鮮やかな緋色の祭服だけが映えていた。
やがて、ロードが地面に膝をつくと、額のルビーが砕け散った。
HPゲージの一段目も消し飛んでいた。
「シャチョー、アイツに『武器落とし』いけるか?」
「お、おうよ、まかしときゃ〜!」
膝をついたロードの後ろに回り込み、黒い剣の柄を狙う。
「武器落とし!」
ドグワァラン!
黒い剣が、重々しい音を立てて地面に落ち、光の粒となって掻き消えた。
「あー剣がああ……なんて、もうケンタのソリューションには驚かんがね」
シャチョーが肩をすくめるとケンタが口もとを緩めながら答える。
「シャチョー、勘がいいな」
ケンタは床にドロップしていた錆びた長剣2本をロードに投げ与える。
「THAAANX!」
律儀に礼を言い二刀流に構え直すゴブリンロード。
「姉さん方、やっちゃってください」
張り詰めた空気を緩めたいのか、ケンタが少しおどけて攻撃再開を指示する。
またも疑問符に包まれつつも、エレネは盾を構えて攻撃に備える。
そこへゴブリンロードが、二刀を振るい突進して来る。
ドグワァァァ――シャーッ! トトンッ。
盾で錆びた双剣の連撃を軽くいなし、今度は押し返す。
そこに魔法の雨が降り注ぐ。
「鈍重化!鈍足化!毒霧!」
アンとナナが再びケンタの腕を取り、さらにアンはタクヤをつまみあげる。
「オイオイ……そういうことね……やれやれだぜ」
タクヤが抗議の声を上げるが、手のひらに載せられて観念する。
「マージング・ソウル・クアドラプル!」
四人のソウルゲージが正方形に結合し、七色の光が四辺を満たす。
「「「「アイシクル・コメット・ザ・ファイナル!!」」」」
七色の彗星がゴブリンロードを直撃し、そのHPを極限まで削っていく。HPゲージが最後の一段の半分を切った。
「エレネ!」
「エレネ様!」
ナナとアンが、今度はエレネにも手を伸ばす。
「マージング・ソウル・クインタプル!」
五つのソウルゲージが渾然一体となり、円環を形成する。七色の輝きがその内側をも満たしてゆく。
「「せぇ〜の♪」」
アンとナナが軽くタイミングを取ると、五人の合唱が綺麗に揃う。
「「「「「エンチャント・ファイヤ・エクステンデッド!!」」」」」
付与魔法――それはアルケミストの真骨頂とも言える魔法体系であった。
その力は物質に魔法の力を付与し、数々の魔法装備や魔導具を生み出してきたが――戦場で最も輝くのは、武器そのものに炎や雷を宿す瞬間なのだ。
エレネの剣が聖なる炎を纏い、白銀の輝きが彼女の全身を覆ってゆく。
エレネは沸き起こる力を胸に、ゴブリンロードに最後の突進を決行する。
いつの間にか、その背には純白のオーラが翼を拡げ、更に彼女の魂を加速させてゆく。
ゴブリンロードは動かない。
いや、動けなかった。
ダンジョンボスとして与えられた高度な知能。その魂が初めて恐怖に塗りつぶされ、脚をすくませた。
それは彼の最後の成長であったのかもしれない……。
「スラッシュ・オブ・ザ・ホーリーフレイム・ファイナル!」
眩いくらいに白く収束した剣閃がゴブリンロードを袈裟懸けに両断する。
「さようなら、ゴブリンの王様」
エレネが最後にそっと呟き、剣を納める。
ずううぅぅん!
広間を揺るがして倒れ込んだ王は、光の粒子となって消え去る間際、その手の剣をエレネの前に放ってよこした。
まるで持っていけと言わんばかりに……。
「え?」
そこには黒い長剣が二振り、鈍い輝きを放っていた。両方とも鑑定するまでもなく、ゴブリンロードのレアドロップ、『燃え尽きた漆黒の長剣』であった。
「どうして?最後に彼が持っていたのは錆びた剣が2本じゃ……」
「最後に持ってる武器がなんであろうと、ドロップテーブルは変わらない。でも、同じ剣を2本持たせておけばドロップテーブルの剣が2本出る――そういう仕組みなんだ」
「バグ技なの? この私が、バグ技の片棒を担いでしまったの……?」
混乱するエレネを宥めるようにアンが肩に手を置き提案する。
「エレネ様、受け入れましょう。多分今更何言っても無駄です」
「神様あぁ!罪深き子羊をお許しください」
* * *
――火星の衛星フォボス。
監視者A「ルビー・アイ最深部で神威発現を確認」
監視者B「あそこには神級ユニットは配置されていないと認識していますが?」
監視者C「造りは神殿風やけどな」
監視者D「先輩!これ、プレイヤーIDじゃないですか?」
監視者C「そなアホな事あるかい!」
監視者D「映像を出します」
スクリーンにボス部屋の映像が再生される。
画面を純白の剣閃が斜めに横切り、映像が途切れる。
(沈黙)
監視者A「タグ付与――『#純白き天使の顕現』」
監視者C「それ、惚れてまうやつやん」
(おわり)
---第二十三話あとがき
最後まで読んでくださり、心より感謝いたします。
次は閑話を今週金曜日のお昼頃に投稿する予定です。
そちらもお読みいただければ、この上ない喜びです。
もし少しでも楽しんでいただけたなら、ブックマークやポイントを頂戴できると、大きな励みになります。
……仲間たちと魂を重ねたあの感覚。光が形を変えるたびに、絆が強まっていくのを確かに感じました。
……ここで誓わせてください。
私は、もう二度と――バグ技などには加担いたしません。断じて、いたしません。
……それはそれとして。
じ、実は……誰にも言えないのですが……ドワちゃんのブーツの噂を聞いてしまって……欲しくて、欲しくて……。
(……だめ、落ち着きなさい私……落ち着いて……っ)
は、はわわ♡ ど、どうしましょう……私としたことが……!
---エレネ




