第二十一話:ルビー・アイの誘惑(前編)
北エリス草原を抜け、中央山脈へと続く道。
切り立った岩壁と濃い霧に覆われた谷間――冒険者のあいだで「一度入れば迷う」と噂される『アウロラエ迷宮谷』が、いま目の前に口を開けていた。
「……ここがそうか」
ケンタが足を止め、狭間に沈む闇をじっと見据える。
「出でくんのはミノタウロスだべな」
ベルウッドが二本の斧を軽く打ち鳴らし、目を輝かせる。
「んで、そいつが持ってっと噂のが――」
「魔法属性つきの斧、『ミノアックス』だぎゃ!」
シャチョーが大仰に手を広げた。
「それそれっ! ふた振りとも欲しいんだべ!」
ベルウッドは飛び跳ねんばかりだ。
「二本も? 欲張りすぎでしょ」
結が笑いながら弓を背負い直す。
「でも確かに一本でも出てくれたら、めっちゃ助かるんだよね〜」
これまで、散々と物理無効モンスターに苦しめられてきた一行――特に前衛職にとってマジック武器の入手は悲願であった。
「ただし、あの牛が毎回持っとるわけじゃないがや」
シャチョーが指を立てると、ベルウッドも頷いた。
「そうそう、素手で突っ込んでくるハズレもおるんだべ。……でも、当たり引いた時のワクワクは格別なんだよなぁ!」
「つまり、ガチャだな」
久々にトロール姿のタクヤが舌を打つ。
「チッ……子供らも連れてくりゃ、牛肉取り放題だったのにな」
「食べ物のことしか考えてないんだから!」
結が呆れ声を返す。
「……んだす……肉……すき焼き……」
後ろで舟を漕ぎはじめたユメゾウの寝言に、一同は顔を見合わせて苦笑した。
その時――谷の奥から、蹄が岩を砕く重い音が轟いた。
霧の中から姿を現した巨躯。
――だが、その手には何も握られていない。
「……あ〜あ」
ベルウッドが肩を落としつつ斧を構える。
「やっぱハズレだべぇ……!」
巨体が突進し、谷が揺れる。
仕方なく応戦しながらも、結が口を尖らせた。
「ちょっと〜! これ倒しても斧は出ないんでしょ?」
「そうそう、牛肉も出んがや」
シャチョーの一言に、タクヤが絶叫する。
「だったらやっぱ子供ら連れてくるべきだっただろォォ!」
* * *
六戦目――。
「わっ、見て! 『優美なレイピア』だ!」
結が目を輝かせる。
刃には魔法の紋様が刻まれ、青白い光が淡くきらめいていた。
「うわ〜、キレイ! これ、部屋に飾っときたいくらい!」
結が嬉しそうに声を弾ませる。
「なして斧じゃねぇんだぁ!」
ベルウッドが地団駄を踏む。
七戦目。
「ま、まさか……!」
シャチョーが目を見開く。
地に落ちていたのは――神々しい輝きを放つ『宝剣』。
「輝く宝剣だがやぁぁぁ!! 手品に使ったら映えるがや!」
「だから斧はどこだぁぁぁ!!」
ベルウッドが谷に向かって吠える。
八戦目。
ずっしりとした銀光を放つ鈍器が転がり出た。
「おおっ、『聖鉄のメイス』だ!」
ケンタが思わず声を上げる。
「魔法属性までついてる……ありがたい強化だな」
「ええメイス拾ったがや、ケンタ!」
シャチョーが背中を叩く。
「……他の武器ばっか出でんのに……なんで斧は出ねぇんだべよぉぉぉ!!」
ベルウッドの絶叫が谷にこだまし、霧を震わせた。
九戦目。
谷を揺るがす轟音とともに、また一体のミノタウロスが姿を現した。
その右手には――鈍くも確かな光を帯びた斧が握られている。
「きたぁぁぁっ!! 斧だべ! 今度こそミノアックスだぁ!!」
ベルウッドが歓喜の雄叫びをあげ、瞳をギラギラと輝かせる。
「ほんとに持っとるがや!」
シャチョーも大げさに腕を振り回す。
「今度こそ当たりやて!」
「やった〜! これでやっと終わりかも!」
結も声を弾ませた。
巨体を仕留め、倒れたミノタウロスから斧が転がり落ちる。
タクヤが駆け寄り拾い上げると、笑みが一瞬で引きつった。
「……おい、これ……」タクヤが呻く。
「えっ……うそでしょ……」
結が覗き込み、眉をひそめる。
それは刃こぼれだらけで赤茶けた錆に覆われた、みすぼらしい斧だった。
魔力の輝きなどどこにもなく、持ち上げるとボロボロと錆がこぼれ落ちる。
「……錆び斧ぉぉぉ!?!?」
ベルウッドの絶叫が谷に轟く。
「いやぁ〜、ある意味レアだがや」
シャチョーが肩をすくめて笑う。
「ふざけんなぁぁぁ!! なんで斧だけ、まともなの出ねぇんだべよぉぉぉ!!」
ベルウッドは膝をつき、錆まみれの斧を抱えて泣き崩れた。
その時だった。
ズシン……ズシン……と、これまでとは比べ物にならない重さの足音が谷に響く。
霧を割って現れた巨影――二回りは大きいミノタウロス。
そして両手には、青白い光を放つ二本の斧が握られていた。
「なっ……二刀流!?」
結が息を呑む。
「ひぃぃっ! でら反則だがや!」
シャチョーが後ずさる。
「や、やったぁぁ! 本物のミノアックスだべぇぇ!! 二本だぁぁ!!」
ベルウッドの瞳が狂気じみて輝いた。
錆びた斧を放り出して突っ込んでいく。
「落ち着けベル! 死ぬぞ!」
ケンタが叫ぶ間もなく、巨体が地を蹴った。
ギィン! ガァン!
二本の斧が岩壁を削り、地面を裂く。
凄まじい風圧に一行は吹き飛ばされそうになった。
「くっそ、速ぇ!」
タクヤが転がりながら呻く。
「……なら、これで少しは鈍らせてやる!」
黒い紋が宙に浮かび、ミノタウロスの足元に広がった。
「――鈍重化!」
呪詛が発動し、巨体の動きがわずかに鈍る。
その隙を逃さず、ベルウッドが二本の斧を振りかざした。
「おらぁぁぁっ!!」
渾身の一撃が火花を散らし、二本の青斧を弾き返す。
結が弓を引き絞り、矢を放つ。
鋭い一矢が肩口を穿ち、巨体がよろめいた。
「ナイスショットだて!」
シャチョーが叫ぶ。
「……まだ切れねぇぞ、この呪いは!」
タクヤが歯を食いしばる。
だがミノタウロスはなおも雄叫びを上げ、二本の斧を振り回す。
鈍重化で遅れながらも、その凶暴な斬撃は止まらない――。
そこへ、背後に忍び寄ったシャチョーが短剣を抜き放つ。
「……ここだがや!」
素早い手さばきで斧の柄を払う。
「武器落とし!」
ガラン!
右手の青斧が弾き飛ばされ、地面に転がる――が、その瞬間、光の粒となって掻き消えた。
「な、なんだがや!? 消えちまったぁぁ!?」
シャチョーが蒼白になる。
「……武器落としは武装解除はできても、拾えねぇんだよ」
タクヤが低く吐き捨てた。
「一本減ったぁぁぁ……!」
ベルウッドは血の涙を流す。
その絶望の最中、ケンタがさきほど錆び斧を拾う。
「……なら、代わりを持たせてやればいい」
ケンタは迷いなくミノタウロスに錆び斧を投げ渡す。
「はぁ!? なにやってんの!?」
結が声を裏返らせる。
「敵に武器渡すとか頭おかしいでしょ!?」
「THAAANX!」
ミノタウロスが低く唸り、礼を言って錆び斧を握り直した。
そして、青斧と錆斧を振りかざし再び突進してくる。
だが、その動きは明らかに鈍かった。
片手が錆び斧になっただけで、力強さも切れ味も半減していたのだ。
「……今だべぇぇぇ!!」
ベルウッドが血の涙を流しながら斧を握り直す。
その姿は鬼神の如き迫力を放っていた。
「おらぁぁぁぁぁっ!!」
二本の斧が閃光のように走り、ミノタウロスの巨体を切り裂いた。
断末魔の咆哮を上げ、牛頭の怪物は崩れ落ちる。
そして。
残された二本の斧は、どちらも青白い光を帯びていた――ミノアックス。
「……両方……本物に、なってる……」
結が呆然と呟く。
「な、なんでだがや!?」
シャチョーが目を剥く。
ケンタが静かに息を吐いた。
「簡単なソリューションさ。最後に持ってる武器がなんであろうと、ドロップテーブルは変わらない。
……要は、二本持たせておけば元通り――そういう仕組みなんだ」
ベルウッドは両手に輝くミノアックスを握り、鬼神のごとき気迫で天に掲げた。
「うぉぉぉぉっ!! ようやっと……ようやっと手に入ったんだべぇぇぇ!!」
血の涙は嬉し涙に変わっていた。歓喜の雄叫びを谷に響かせる。
「で、出たな……狂喜乱舞モードだがや」
シャチョーが腰を引きつつ青ざめる。
「ほんと……戦ってるときより迫力あるかも……」
結が苦笑しながら弓を背負い直した。
「……ともあれ、これで物理無効とも渡り合える」
ケンタが静かに頷いた。
「次はユメゾウの剣だな。進もう、この先だ」
「……んだ…もう食べられねえだ…むにゃ…zzZZ」
当の本人は夢の中のようだった。
* * *
一行は谷を抜け、さらに奥へ。
岩肌をくり抜いたような不気味な洞窟の入口が、濃霧の中に口を開けていた。
赤黒い鉱石が壁面に点々と埋まり、内側からはおぞましい気配が漂っている。
「……ゴブリンのダンジョン、ルビー・アイ」
ケンタが低く呟く。
「うわ、名前からしてイヤな予感しかしない……」
結が眉をひそめる。
「次は斧より肉が出るといいんだがや……」
シャチョーの軽口に、タクヤが鼻で笑い返す。
「狭そうだな。やれやれだぜ……」
かすかに響く、甲高いゴブリンの笑い声。
その闇の奥へ、彼らは踏み込んでいった。
(つづく)
---第二十一話あとがき
いやぁ〜今回は泣いたべ……。
ここまで読んでけで、ほんとありがとなぁ!
次回は中編を来週火曜日のお昼頃に投稿すっから、また読んでけだらオラ嬉しいんだべ!
もし少しでも楽しんでけだなら、ブクマとかポイントとか入れてもらえっと、ほんに励みになるんだよ。
次回はついに……オラのダブルミノアックスが唸りあげっからな! 血の涙どころか、嬉し涙で画面が見えなくなるべかもしんねぇ……だははっ!
---ベルウッド




