第八話:女神は細部に宿る
セレノス北部、冒険者通りの外れに佇む小さな酒場ルーイン・ゴート。
そこを仮の根城とするギルド《トーチ》の面々は、作戦会議を終え、早速次なる行動に移っていた。
目的は、自分たちの装備を整えることではない。
このデスゲームを生き抜くすべてのプレイヤーに、確実に命を守れる《最強装備》を行き渡らせる――それが彼らの目指す目標だった。
「現在までの合計、約一兆七千億PP……」
帳簿を確認した結が、無表情で呟く。
「兆……って……どこの国家やて……」
シャチョーが額に手を当てて目をぐるぐる回している。
「たぶん、普通に世界十位以内に入る」
ケンタが冷静に返す。
「一兆越えてもまだ足りないなんて……」
結が小さく息を吐いた。
「でも、それで全員の命が守れるなら、安いもんだ」
ケンタの声は、静かだがはっきりしていた。
* * *
三人は《ルーイン・ゴート》を出て鍛冶屋へ向かう途中、神殿前を通りかかった。
「……でっかいな」
シャチョーがふと足を止める。
白い女神像が、高台から街を見下ろしていた。
「守ってくれるなら、今こそ頼みたいところだな」
ケンタがぽつりとつぶやいた。
そのまま彼らは鍛冶屋の方角へと歩を進める。
* * *
店の奥から現れたのは、筋骨隆々なドワーフの鍛冶職人NPCだった。
「注文は受けよう。ただし――良い装備を作るには、それ相応の“良い素材”が要る」
金床を叩きながら、低い声で断言する。
「そこらの鉱石じゃ、せいぜい並装備が関の山じゃな」
「素材かぁ……」
シャチョーが頭を掻く。
「どっかに、ポンとええ素材、落ちとらんかねぇ……」
その視線の先――神殿の高台に再び目をやる。
* * *
「……なんか、すっごく見下ろされてる気がする」
神殿前で立ち止まった結が、そわそわと呟く。
「そりゃ見下ろしてるだろ。物理的に」
ケンタがさらっと返す。
「で、どうすんの」
怪訝な顔で問う結に、ケンタは一拍置いてから頷いた。
「――やる」
「おう」
隣で即答するシャチョー。すでにツルハシを取り出し、軽く素振りを始めている。
「……やるって何!? なにその“当然の流れ”みたいな雰囲気!?」
「素材化する」
「素材化だがね」
二人の口から揃って飛び出す禁句。
「いや無理無理無理! これ神様の像よ!? めっちゃ怒られるやつじゃん!? なんでそんな“石ころ感覚”なの!?」
「いやあ、見れば見るほど良質な――いや、何も言っとらんて」
シャチョーが悪びれずに像を見上げながらごまかす。
「Calmの魔法は、対象を落ち着かせるんだ。心拍数と精神反応に影響する」
ケンタが冷静に解説を始める。
「だから何!? 像に心拍数とかソウルゲージとかあるわけ!?」
「あるかもしれんし、ないかもしれん。でも、素材フラグに反応すれば……」
「うわー! バグってる! 技術屋の理屈って怖い!」
結の叫びをよそに、ケンタが魔法詠唱に入る。
「Calm――」
淡い光が女神像を包み始める。
「ちょっと! 本気でやるの!? あたしだけ現代人!? なんの儀式だよそれ!」
「……そいやっ!」
問答無用で、シャチョーのツルハシが振り下ろされる。
カンッ。
硬質な音が響いた瞬間――像の足元から小さな光の粒が舞い、金属質の塊がいくつも、ゴロゴロと地面に転がり始めた。
「……なにこれ、数おかしくない!? どんだけ出てくるの!?」
結が口を押さえて見つめる。
「像のサイズがサイズだからな」
ケンタが苦笑する。
「でも……このままじゃ持ち運べないよ!? 絶対重量制限超えてるって!」
「そこでこれやて」
シャチョーがニヤリと笑い、呪文のように口にした。
「/tell banchang bank」
するとその場で、彼の手元に銀行インベントリ窓が開いた。
「……開いた!?」
結が二度見する。
「通常は銀行の建物内で『BANK』って発話せんと開かんけどな。こいつは名前付きの銀行NPC、いわゆるNamed。遠距離から/tellで呼べば、どこでも銀行が開けるっていう、ありがた~いバグなんだわ」
「え、それセキュリティガバガバじゃん!?」
「そうそう、それがまたいいんだわ」
シャチョーは満足げに鉱石を次々とインベントリに突っ込んでいく。
その数は文字通り“山のよう”で、像のサイズに比例して出現した大量の素材だった。
やがて最後のひと欠片まで収納し終えたとき、結がぽつりと呟いた。
「……でもさ、素材だけじゃないよね……?」
その視線の先には――
ぽつんと地面に座り込んだ、手のひらサイズのミニチュア女神像。
「これは……」
ケンタが慎重に拾い上げる。
その彫刻された瞳が、明らかにこちらを睨んでいた。
「……たぶん、めっちゃ怒ってるな」
「当たり前でしょおおおおおおおおおおおお!?」
結のツッコミが神殿前に響き渡った。
* * *
夜。広場の焚き火のまわりに、再びメンバーが集まる。
「Calmって、元はNPCの反応範囲を狭める魔法だったんだ。でも、プレイヤーにも使えるようにしたとき、データ構造にバグが混じったらしい」
ケンタが語る。
「ふむ。たしかにあれは……共用体の配置の問題じゃな」
ログ爺がうなずいた。
「共通オブジェクトの構造体定義で共用体でメモリをケチっておって、心拍補正値と素材化可能フラグが同一のメモリ領域にあったはずじゃ」
空中にホワイトボード状のパネルを出して図解を始めるログ爺。
「?…???…」
結の頭上にクエスト起点NPCばりの?マークが大量に浮かぶ。
「Calmの副作用で心拍補正値を書き換えたつもりが、物品の定義ではそこは素材化可能フラグだったというわけじゃな」
矩形で囲まれたリストの一部分を赤ペンでグルグルマーキングする。
「つまり……Calmで採掘できるようになっちまったってことか」
ケンタが納得したように呟く。
「ま、そういうバグを見逃さんのが――トーチなんだわ」
シャチョーが満足げに笑った。
「Calmは固定長の数値を上書きするだけでメモリー破壊は限定的じゃから、まあええ…」
老技術者は苦笑を浮かべていた表情を引き締めて告げた。
「じゃが、可変長の文字列でのオーバーランバグには細心の注意を払うのじゃ。スタックを破壊するとプログラムが暴走するのは必定じゃて」
結は理解が追いつかず、両手をわたわたさせながら叫ぶ。
「えっ、えっ、それって宇宙がビックリしてバーン!ってなっちゃうやつ?」
「な、なるべく自重するだわ(冷汗)」
足元では、ミニチュア女神像が無言で座っていた。
ただじっと――だが、どこか刺すような視線で。
ケンタは思わず視線を外す。
「……ほんと、ごめん」
---第八話あとがき
この書を最後まで読了した者よ。その粘りと知的好奇心に、女神として敬意を表すわ。
次なる第九話は、明朝六時三十分に顕現する予定だ。忘れぬことだな。
そしてもし、そなたの心にわずかでも響くものがあったなら──
感想や評価という形で示してくれるとよい。それは我が観測にも貴重なものとなるだろう。
我が名はセレネ・エテルナ。この世界の灯火、汝らの歩みを見守る存在なり。
---セレネ・エテルナ




