黒は穿つ
スカイタワー。
この国にて一番高い人工物の頂上へと着地した俺は、ビシッとイケメン仮面の口上を決める。
良かった、予想通りここにいてくれた。
ゾンクリムが去り際残した「この綺麗な月が一番近い場所でまた見たい」なんて似合わない言葉から、近場で一番高いこのスカイタワーにいると踏んではいた。
けれどあくまで予想。もっと高い山とかいくらでもあるし、世界に出ればもっと高い山や人工物だって存在する。何よりそもそもこの言葉に意味があるのかさえ疑っていたから、当たって本当に良かった。
「イケメン、イケメン仮面……!? 馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁ!? どうやってここを、この右足の領域を見抜いたのです……!?」
「無論、助けを求める声がしたから。イケメン仮面として、当然の使命だからね」
本当はイケメンセンスもそこまで発動してなかったけれど。
それでも根拠なんて説明する方が野暮だろうと、イケメン仮面としての百点回答を言い放ってやりながら、周辺を見回して状況を把握していく。
俺達の登場にあんぐりと口を開ける、小さな丸眼鏡をした赤スーツの、レッドスカーという名らしい悪魔。
俺達を見て、満面の笑みを浮かべるゾンクリム。
一瞥だけしてはきたが、すぐにどうでもいいとばかりに空へと視線を戻すゴスロリ服のロリ悪魔。
そしてスマホを弄るノッポの悪魔のそばに、屋上の中央にて今なお眠っている先輩の友人。
先ほどとほとんど同じ、人質を取られている危機的状況。
違うのはどちらのターンかってこと。今度は俺達が攻め込む番、戦う準備と覚悟が完了している。些細だけど、一番大きな変化だ。
「げほっ、げほっ……!! この、いい加減下ろしなさいっ! いつまでも、抱いてるんじゃないわよ!」
「ああ、申し訳ないです。今下ろしますので……大丈夫です?」
「へ、平気よ。……ふうっ、冗談抜きで死ぬかと思ったわ。見てこれ、まだ足ふらふらよ」
いざ決戦だと、奮起しようとしたそのとき、抱えていた先輩から辛辣な声色をかけられる。
申し訳ないと謝りながらゆっくりと下ろせば、先輩は生まれたての子鹿みたいに両足を震わせながらも、今出した槍を支えにして何とか立っている。
……イケメンハイジャンプで人を運ぶのは、もっと慣れてからにしよう。
「ちっ、左腕! あいつらを片付けなさい!」
「嫌だぇ。俺はさっき満足しちまったからな。後は頑張ってくれ、右腕」
「なっ、なら右足……は領域維持で無理です、ええい左足ゥ!!」
「ええ……面倒臭いし……右腕の命令を二回も聞くのとか吐きたくなるけど……お母様のためなら仕方ないね……」
心底嫌そうな顔と声色ながら、それでも鎌を現出させ、突撃してくるゴスロリロリ悪魔。
早速戦闘かと構えようとした瞬間、イケメン仮面よりも早く前へと出た先輩は、真っ黒な十文字槍で振るわれた鎌を弾き、胴に蹴りを入れて吹き飛ばす。
「おっと、あんたの相手はこの私よ。折ってくれた腕の分、熨斗付けて返してやるから覚悟しなさい」
「……生意気……弱っちい人間さんのくせに……」
蹴り自体は柄で受け止めながら、それでも勢いを殺しきれず屋上から落とされるゴスロリロリ。
先輩は一瞬だけこちらに目を送ってきた後、そのまま少女の後を追って飛び降りていく。
「クフッ、いいんですか? あんな小娘に左足の相手なぞ務まるとは思えませんが?」
「心配ないよ。先輩は自分で誰かのために立ち上がれる、俺なんぞよりずっと立派なヒーローだからね」
「ぐぬっ、この、生意気なガキめが……! いいですとも! この千載一遇の好機に退くなどあり得ない! こうなればこの私、右腕が自らお相手ししてあげましょう! 精々墓場で感謝してください!」
余裕と言わんばかりに両手を挙げ、その腕から体を赤い煙へと変えていくレッドスカー。
俺が倒すべき相手はこっちだと、マントを翻し、イケメン仮面としてレッドスカーを見据える。
正義のヒーローとしてはこういうべきじゃないかもしれないし、心配は野暮だなんて言われたから、これはあくまで地味太としての言葉ですが。
──任せましたよ先輩。誰かのために立ち上がれる、俺なんぞとは違う本物のヒーロー先輩。
屋上から飛び降りた黒条院荊華。
自らの黒い髪をたなびかせながら落ちる彼女は、槍の穂先を下に構え、展望台の屋根へと先に着地していたゴスロリ服を着た隠れ悪魔──左足の上に狙いを定めた。
「危ないね……慎みがないよ……下品……」
「必要ある? 目には目を、敬意には敬意を、愛には愛を、そして暴力には暴力を。それがこの私の淑女哲学なのだから」
ふわりと軽く跳んで踏みつけるような槍の刺突を躱し、パンパンと埃を払う左足。
そんな少女を前に、着地した後でくるくると。
黒条院は躱されたことに驚くこともなく、挑発するように、折られた腕などなんともないと誇示するように槍を回してみせる。
「降伏しろ、償えなんて言わないわ。この私の友達に手を出したんだから、相応に死になさい」
「……可哀想な人間さん。抗おうが……逃げようが……弱いんだから……どうせ死ぬのに足掻いてる……」
「むかつくガキね。ああいや、悪魔なんだからガキぶってるだけのババアか。老いと幼さの悪い所取りね、ああ可哀想」
ニヤリと、嘲るように三日月みたいに口角を上げる黒条院。
あまりに露骨な、子供でさえ乗るかも分からない挑発を前に、左足は不機嫌そうに頬をひくつかせた直後、その場から姿が消える。
ガキン、と。
左足の姿が消えた直後、金属同士がぶつかったような鈍い音が響き渡る。
左足の放った鎌の一撃。
上級悪魔さえ容易く凌ぐ超常的身体能力によって放たれた攻撃は、それだけで黒条院は愚か歴戦の色師さえ容易く葬る──そのはずだった。
「あれ……?」
「どうしたの? どうせ死ぬか弱き人間なんて、一振りで殺せるんじゃなかったの?」
打ち付け合い、そのまま拮抗する両者の得物。
左足が困惑で首を傾げた直後、歯を食いしばる黒条院は、更に力を込めて弾き飛ばし、がら空きになった胴へと突きを三回ほど直撃させる。
「おかしいね……黒のくせに……それにさっきはもっと弱かったのにな……」
「そうよ、私は弱い。そんなことは誰よりもこの私が自覚してる。それでも上級悪魔をぶっ殺したいってなら、インチキの一つや二つは用意しておくものでしょう?」
三箇所に穴を開けられながら、まるで痛くないと平然な顔で不思議がる左足。
そんな左足へ黒条院は肩を弾ませ、額に汗を滴らせながら、それでも不敵な笑みを作ってみせる。
黒条院の言うインチキ。
色師の中でも突出しているわけでもない彼女が、数発とはいえ大悪魔と打ち合える理由は複数あるが、土台となっているのはただ一つ。
五歳の頃からこの日のために溜め込み続けた色力を、なりふり構わず身体強化と槍の硬度補強へ回している。ただそれだけのことだった。
それは単純にしてもっとも強力とも言えるごり押し。
けれどほとんどの色師が思い浮かべることもないし、やる価値さえ見出せないただの愚策であった。
当たり前だ。
色師が色術を使うために必要な力である色力。多くの色師には容量を増やし制御する思考はあっても、自ら術を削ってでも溜め込む意義を見出せないからだ。
前提として、黒条院荊華に色術の才やセンスはない。
彼女の持つ色は、五色の中で下から二番目に戦闘に向かないとされる黒。
色術を使うための力、色力は並の色師と大差なく。
彼女の持つ色術は『懐』と名称付けた自らの空間に物を溜め込むという、利便性こそあるものの戦闘には適さないもので、四肢は愚か上級悪魔とさえ打ち合える力など持ち得ない。
だからこそ、彼女は自らの色力をひたすらまでに『懐』へ溜め込み続けた。
自身の術の容量のほぼ全てを色力で埋め、決戦の夜に最も色力を効果的に扱える術──純粋な肉体強化との親和性が高いと判断した槍術をひたすらに磨き上げた。
げに恐ろしきは黒条院の研鑽と執念。
彼女は今宵のみ、積み上げてきた全てと己の命を燃やしながら、大悪魔の四肢にさえ届くほどの色師として完成した。
左足に、黒条院の──否、たった一人の人間の執念の果てを推し量ることは出来ない。
生まれながらの強者。悪魔の中でさえ特別な、大悪魔の力を賜った四肢の位を持つ悪魔故に。
だからこそ、左足の黒条院を見る目は変わる。
例え目つきは変わらずとも、目の前の人間が、片手間で処理出来る相手ではないと理解した。
「ふうん……ならちゃんとやるから……簡単に死んでね人間さん……」
左足は手に持つ鎌へと力を送る。
鮮やかな赤色だった鎌は、脈打ちながら徐々に濃くなり、血のように深く濁った赤へと変貌していく。
「ねえ見て……左足の鎌は血や力を吸って大きくなるの……たくましいでしょ……?」
「サイズ合ってないから見かけ最悪ね。そんな農具より、日傘でも振り回してる方がお似合いなんじゃないの?」
その場から動くことなく、明らかに射程範囲でないにもかかわらず、乱雑に振るわれた鎌。
けれど黒条院は咄嗟の回避。
その直後、黒条院が先ほどまでいた場所は、パックリと空間に穴が開いてしまっていた。
「っ……!!」
「左足の鎌は何でも裂いちゃうの……人も自然も空気も……空間だってすっぱりと……」
縫い付けられるように強引に接合される、ちょうど鎌のサイズと合っていた斬り穴。
黒条院は一瞬でも覗いてしまった穴の先に背筋をぞっとさせながら、切れた頬から滴る血を拭い、左足の持つ鎌へと睨み付ける。
「つまり防御と回避は不可能で射程範囲も自在。なのに斬られる毎に火力と範囲は増していく……まったく、反則もいい所だわ」
「差は理解してくれた……? したならさっさと死んで欲しいな……どうせ意味なんてないからね……」
舌打ちしながら再び槍を構え直そうとするも、それより早く回避に移る黒条院。
小さな体躯で踊り子が舞うかの如く軽快に、されど荒々しく振るわれる鎌。
技術なんてものはない、純粋に振り回しているだけ。だがそれでも四肢の身体能力と鎌の効果をもってすれば、回避困難反撃不可能、当たれば全てが致命となる必殺である。
「また掠ったね……大きくなっていくよ…」
まるで子供が見つけた蟻の巣を塞いだり水を流し入れるかのような。
傷だらけになっていく黒条院を観察しながら、徐々に大きくなっていく鎌を変わらぬ変わらぬ軽さで振り続けていく。
「くっ……なら……!!」
裂かれて開いた天井から展望台内へと入り、円形の通路を駆けて速度をつける。
ゆっくりと展望台内へと下りてきた左足の背後へ周り、加速を乗せた渾身の刺突を仕掛けるが、振り向きざまに振るわれた鎌に弾かれてしまう。
黒条院は左足への有効打を持っていない。
確かに今の彼女は上級悪魔を凌駕する域にある。特異な色術を用いず、純粋な白兵戦で上級悪魔に勝る色師は稀であり、例えそれが一夜限りのものであっても誇るべき力だ。
だがその凌駕は、あくまで並の上級悪魔に限った話。
今宵、黒条院の相手は大悪魔の四肢。人が上級と区分するだけで、上級とは別格な彼らには食らいつくだけで精一杯であり、距離や技さえ無に帰す左足の鎌から逃れることは出来なかった。
「ぐふっ……!?」
「無駄だよ……他よりちょっぴりましだけど……もう飽きたからね……」
咄嗟に受けた真っ黒い十文字槍は両断されながら、それでも受けきることは出来ず。
黒条院は右肩からタスキをかけたみたいに裂かれ、返しのもう一振りで右腕を切り落とされ、噴き出した血と腕が空を舞う。
だが黒条院が悲鳴を上げる間もなく。
左足はくるりと回り、容赦なく、裂かれた胴を大きく太くなった鎌の柄で吹き飛ばす。
「これでおしまい……正直楽しくもなかったよ……拍子抜け……」
ガラス前の鉄柵に叩き付けられ、声になりきれない呻きを零す黒条院。
ひしゃげた鉄柵に埋まる彼女に、左足は少しずつ小さくなっていく鎌を遊ぶように回し、抑揚のない声で退屈を告げながら近づいていく。
「まだ立てるよね……? 落ちるか斬られるか……ねえ、最後は貴女が選んで? ちょっとくらい楽しませてよ……?」
元のサイズに戻った鎌の先を引っかけるように黒条院の肩に刺し、無理矢理に立たせながら、左足は死に方を問いかける。
右手は落ち、胴は見ていられないくらいに裂かれ、長い黒髪を血を濡らし。
それでも黒条院は左足の頬へ血の混じった唾を吐きかけ、ほんの僅かに口角を上げる。
「ばーか……」
「……もういいや……なら斬って落としてあげる……バイバイ……」
唾を拭ってから少しだけ、ほんの少しだけ時を孕んだ声で別れを告げる左足。
鎌の先を黒条院の肩から抜き、真っ二つにせんと鎌を大きく振り上げた。
──その直後だった。決着の鎌が振り下ろされるよりも前に、真っ黒な十文字槍の穂先が左足の右目を貫いたのは。
「きゃ、きゃああッ!!」
鎌を落とし、両の手で突かれた右目を押さえながら、金切り声で悲鳴を上げる左足。
そんな少女の前で、左手に槍を持った黒条院は、ようやくとばかりにほくそ笑む。
「うそ……うそ……! だってその槍は折ったのに……!」
「当然ストックくらいあるわ。そんな大層な力を持ってるくせに、最初から最後まで舐め腐ってるから、私なんかにひっくり返されるのよ」
色力で右腕を動かせるのであれば、全身もまた同様。
溜めてきた色力を血として代用し、物と化した右腕を『懐』から出して色力で強引に接合。
暴論としか思えない延命手段。延命とさえ言えない、強引な応急処置。
相応に奔る激痛を眠気覚ましに、黒条院は湯水の如く色力を消費しながらも再び立ち上がり、血反吐を吐いてから再び槍を構えて地面を蹴った。
「ッ、死んで……!」
左足は右手で目を押さえながらも、急いで鎌を拾い上げようとする。
だが黒条院の槍はそれよりも速く。
雷光のように奔る黒い軌跡。音さえ置き去りにした正確無比な三連突きは左足の脳、脊髄、心臓を抉り貫いた。
「ここまで費やして、上級一人に辛勝とか、自分の弱さに嫌気が差すわね……」
左足の倒れる音は耳に入るも、確認出来ないまま崩れ落ちる黒条院。
戦闘が終わり、十年分の貯蓄のほとんどを使い切った彼女は、生存のために残っている色力を全て回していく。
上級悪魔と戦闘は愚か、相対すら初めてだった黒条院は知らない。
彼女がただの上級悪魔と思っていたゴスロリ服の少女は、上級悪魔を遙かに凌ぐ悪魔であったことを。
普段の左足ならば、こんなヘマをしなかったかもしれない。
他の色の四肢が相手であれば、或いは一度も負かしていない実力ある色師が相手であれば、こうまで愚かにも間合いに入ることはなかったかもしれない。
だからこの戦果こそ、まさしく大番狂わせにして大金星。
黒条院荊華の十年の研鑽と誓いは、ついに大悪魔の四肢の慢心と命さえ穿ったのだ。
「あとは、任せるわよ……。変態不審者……クソヒーロー……」
仰向けに倒れた黒条院は空を──この上で戦っているであろう、色んな意味で非常識な正義のヒーローへ託すように微笑んだ。