会社の若い部下が「個人的には」という言葉をよく使う
私はとあるオフィス家具メーカーに勤めている会社員。営業部門に所属しており、役職は課長だ。
仕事は順調で、家庭も円満、まあ中間管理職としてよくやっていると称していいのではないだろうか。
そんな私だが、最近ちょっと気になることがある。
会社の若い部下と会話をしていた時のことだ。
私がスマホで今流行っている音楽の動画を見せる。
「今、若い子の間でこの曲が流行ってるらしいね。君はどう思う?」
かなりテンポが速く、私ぐらいの世代の男には歌詞を聞き取るだけで精一杯という感じだ。
すると、部下は――
「個人的にはあまり好きじゃないですね。流行ってるんで一回聴いたけど、一回きりでした」
「ふうん、そうかね」
他愛のない会話である。
しかし、私は気になってしまった。
そういえば、彼は「個人的には」という言葉をよく使うなぁ、と。
思い返してみると、あの場面でもこの場面でも、といった風にかなりの頻度で使っている。
そこで機会があれば、なぜ「個人的には」という言葉を使うのか聞いてみよう、と心の内に留めた。
***
そのチャンスは意外に早く訪れた。
部下と二人で外回り中、ラーメン屋に立ち寄った。
店内は空いており、テーブル席に座ることができ、和やかなムードで食事が進む。聞くなら今しかないと思った。
「ちょっといいかな」
「なんです?」
「君は“個人的には”という言葉をよく使うけど、あれはなんでなんだろう?」
「ああ……」
自分でもよく使っているという自覚はあるようだ。部下は箸を止め、考えを練りながら答え始めた。
「あれはなんというか……たとえば、今ここで二人でラーメン食べてますよね」
私はうなずく。
「で、課長はこのラーメンがものすごく美味しかったとしましょう」
“ものすごく”という程かは分からないが、美味しいラーメンだと思う。
「その後、俺に『ラーメンどうだった?』って聞いて、『いやー、イマイチでしたね』って返ってきたら、なんかカチンとくるというか、傷つく感じがしません?」
想像してみる。
確かに、ラーメンごと自分の味覚まで否定されているような、そんな気分になるかもしれない。
イマイチって、何もそこまで言わなくても……と思ってしまうかもしれない。
「だけど、『個人的にはイマイチでしたね』だとどうです? 多少マイルドになるというか、俺にとっては美味しかったけどこいつには合わなかったんだな、まあしょうがないって感じになりません?」
彼の言う通り、ただイマイチと言われるよりはダメージが少ないかもしれない。
「個人的には」という言葉がつくと、あなたの味覚や感想を否定するわけではないけど、このラーメンは自分には合わなかった。そんなニュアンスになる気がする。
自分の意見はこうだけど、それはあくまで自分個人の意見です。あなたの価値観にどうこう言うつもりはありません。私は私、あなたはあなた。争うつもりはない、という平和的なバリアーを張る感じになる。
理解はできたので、私はレンゲでスープをすする。
「なるほどなぁ」
「こんな説明でいいですか?」
「ああ、個人的にはよく分かったよ」
「ちょっと使い方が間違ってる気がしないでもないですね」
部下のおかげで、私の中で新たな選択肢が産声をあげたような気分だった。
個人的には――なんて便利な言葉なんだろう。これを使えば余計な反感や対立を生まずに済む。
これからの人生、私は「個人的には」を上手く活用していこう、と決めた。
***
午後のオフィス。さほど忙しくないこともあり、女子社員と軽い雑談になる。
こんな話題を振られる。
「課長って占いとか信じる人ですか?」
彼女が占いの本をよく読んでるのは知っている。星占いや血液型占いの話をしているところを見たこともある。
私はあまり信じてはいないが、「信じてない」とバッサリ言ってしまうと、彼女の趣味を否定するようになってしまう気もする。どう答えたものか、と悩む。
ああ、そうか。こういう時こそあれの出番だ。
「個人的には、あまり信じていないかな」
すると、女子社員は微笑む。
「あー、そんな感じします。課長は占いに頼るより、自分を信じて前に進もうって人な感じですし」
「アハハ、そんな立派なもんじゃないがね」
よし、なかなか上手くいったぞ。
彼女の占い趣味を否定することなく、場がほがらかになった。
「個人的には」デビュー、大成功だ。
……
夕食時、妻が里芋の煮物を出してきた。どこか安心感のある美味しそうな匂いが鼻に届く。
しかし、妻の表情は自信がないように見える。
「今日の煮物、ちょっと固いかも」
なるほど、煮加減を間違えてしまったのかな。
一つ食べてみる。
確かに少し固いが、私としてはこれぐらいの歯ごたえの方が好みだったりする。やや芯が残る、ほくほく一歩手前なぐらいの固さが好きなのだ。
だけど、これをそのまま言うと、妻の感覚を否定することにもなりかねない。
今まで成功作として出してきたほくほく芋は、私にとっては不味かったんだよ。みたいに取られたらたまらない。
そこで――
「うん、個人的にはこれぐらいの固さがちょうどいいかも」
この答えに妻は胸をなで下ろした様子だ。
「あらそう? 失敗したかと思ったけどよかったわ~。だったら今度からはこれくらいの固さにしようかしら」
妻を傷つけることなく、私の好みも伝わった。
私はそのまま里芋を食べ続ける。「個人的には」は夫婦円満にも役に立つ。
……
久しぶりに同期の男と酒を飲んだ。
勤めている営業所は違うが、役職は同じ課長、しかし部下の扱いには苦労してるようだ。
瓶ビールが一本空いたあたりから、向こうの愚痴が多くなる。
「最近の若い奴らは、ちょっと仕事を頼むと、すぐ嫌な顔して。俺らが若い頃なんて自分から仕事貰いに行ったけどねえ」
自分が20代ぐらいの頃を思い出してみる。
そうだったかなぁ。私もわりと上司から急な頼み事をされると、うげえってなるタイプだった。多分顔にも出てた。
とはいえ、せっかく久しぶりに会った同期の話をむやみに否定して、嫌な気分にもさせたくない。
やんわりと自分の意見を伝えるなら、やっぱりあれだ。
「まあ……時代じゃないかな。会社に自分を捧げるって時代は終わったんだよ。なんて、個人的には思うけどね」
「うーん、まぁなぁ……そんなもんなのかもしれないな」
ホッ、上手くいった。
同期の愚痴を、相手を傷つけずに受け流すことができた。まるで闘牛士だ。オーレ!
「個人的には」は赤いマントの役割も果たすんだなぁ。
この後つまみとして出てきた牛すじが、実は闘牛の肉だったりして、なんて思ってしまった。私もだいぶ酔ってるな。
……
外回り中、テレビカメラを連れたリポーターにインタビューされたこともあった。
今の政治についてどう思うか、という質問だ。
私は一瞬で頭を回転させる。今時はテレビで流れた映像はすぐに拡散され、一生残ることもあるらしい。
だから、下手なことは言えない。
かといって、質問を無視して通り過ぎるということもしたくない。
よし、決めた。
「えーと……そうですね。個人的にはよくやっていると思いますが、しかしもう少し何とかしてもらいたい部分もあったり……。取り急ぎ、やっぱり税金を少なくして欲しい、というのが本音ですかね、アハハ」
緊張で少し声が裏返ったが、ジョークも交えた軽快な回答になったぞ。
リポーターたちは礼を言って、去っていく。
ふぅ、これならネット上で叩かれることもあるまい。もしかしたらジョークがウケて、ちょっとした有名人になったりして。
ちなみにこのニュース番組は夜中の番組だったので、後で放送を確認したら、私へのインタビューは使われていなかった。
***
そして、時には「個人的には」の使い方を間違えてしまうこともあった。
高校生の息子が大学に行くか、専門学校に行くか、真剣に悩んでいるという。
私にもこういう進路の悩みは覚えがある。
「……どうだろう、父さん?」
すがるような息子の眼差し。私もできる限り応えてやりたい。
自分の中で考えをまとめると、私は諭すような口調でアドバイスを始める。
「そうだな。お前の進路が大学にせよ専門学校にせよ父さんは金を出すし、応援するが、個人的には大学に行っておいた方が……しかし、具体的にやりたいことがあるなら、個人的には専門学校という手も……」
私が話していると、息子の目つきがみるみる鋭くなる。
「“個人的には”ってなんだよ!」
「え?」
「俺の視点に立ってないっていうか、なんか突き放すような感じじゃないか!」
「いや、そんなことはないぞ! 私はお前のことを考えてだな……!」
高校生のナーバスさを舐めていた。
この後、息子をなだめるのには苦労した。「個人的には」は、あなたとは争わない、あなたの意見を尊重しますよという効果があるが、その一方で“一応意見は言うけど責任は持たないよ”のようなニュアンスも含んでしまっているということか。
……
大口取引先でのプレゼンテーション。
新しく開発された、絶妙な座り心地のオフィスチェア。我が社の目玉商品であり、この契約を決められれば、今期の売上目標はあっさり達成できてしまう。
失敗はできない局面なので、私自ら発表を行う。
「弊社のこの新型チェア、非常に腰に優しい構造となっておりまして、個人的には最高の座り心地であると自信を持って……」
ここで取引先の一人から指摘が入る。
「個人的には? あなたの個人的な感想より、具体的な椅子の強みなどを知りたいんですが……」
しまった。さすがにプレゼンで「個人的には」はまずすぎた。何とかリカバリーしなければ……。
「ええと、法人的には、背もたれに弊社独自の工夫が凝らされておりまして……」
「法人的!?」
もうメチャクチャになってしまった。
しかし、椅子そのものの性能がよかったおかげで、契約自体は取れた。
ありがとう、商品開発部の皆さん。
こんな具合にトラブルもあったが、私は「個人的には」を使い続けた。
やがて私も年を取り、会社を定年退職し、老後を迎え、穏やかな日々を過ごす。
ある日、私は書斎でうとうとと眠くなった。自分のために買った自社製チェアの感触が心地いい。
私は眠る寸前にこう思った。
ああ、多分、私はもう起きることはないだろうな、と。
うん、いい人生を送ることができた――
***
葬儀はしめやかに執り行われた。
喪主は年老いた母に代わり、今では立派に育った息子が務める。
式場に訪れてくれた親族、父の友人、元同僚らの前で、挨拶を行う。
「……父は素晴らしい人でした。会社を立派に勤め上げ、こうして大勢の方に慕われ、私のことも育ててくれました。父とは喧嘩をしたこともありますが、それも今となってはいい思い出です。故人的には、きっといい人生を送ったと思いつつ、旅立ったのではないかと……」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。