モイラ編01-08 『伏姫神』
伏姫。
伏姫は犬塚信乃が仕えた里見家の姫で、非業の死を遂げたと伝わっている。
そして里見家の守り神のような存在に至ったとも。
「伏姫様は寂しかったそうじゃ。神様になって、とても長い時間が過ぎたのじゃ。自分を知る者が居なくなって忘れられてしまうのが怖かった、そう言うておったのじゃ。」
村雨は伊織の肩に頬を擦り付けている。
伊織はその姿を猫のようだと思った。
そう言えば結界の中に転がっている獣人も猫だった、とも。
「それで里見の守り刀として代々使われていた妾に目を付け、輪廻の八魂を妾に埋めて現世を覗き見していたのじゃ。」
伊織は村雨をひょいと抱き上げ、胡座を組み、そこに村雨を座らせた。
震える体を後ろから抱き締めてやると、村雨は体の力を緩めた。
「妾が九十九神になったとき、それはもう嬉しかったそうじゃ。伏姫様は子をなす前に身罷ったそうでな。妾のことを実の娘のように思うてくれとったそうじゃ。あ、頭をなでなでしてたも。」
伊織は村雨の腰から右手を離しそのまま村雨の頭に載せると、優しく撫で撫でした。
「うへへ、大きい手じゃの。うんと、それでな。ほんとはあまり下界を視てはならんそうじゃ。なんでも、玉と繋がりすぎてしまう?そんなことを言うておったな。難しゅうてようわからなんだが。」
村雨は顎を上にあげて伊織の目を覗き込む。
「ちゃんと聞いているぞ。」
「うむ。それがよくなかったらしくてな。妾の信乃の記憶を孝の玉が吸い込んで?あのようになったらしい。危うく妾と融合してえらいことになるとこじゃったと言うておったぞ。」
村雨はケラケラと笑っている。
実際笑い事ではないことになった訳だが、伊織は静かにスルーした。
「それで伏姫様が助けてくれた訳じゃ。伏姫様はしばらく自重すると言うておったから、もう大丈夫じゃろ。」
「自重というのは下界の様子を見ないという事か?」
「そうじゃろうな。」
伊織は状況を理解し、しばらく黙考した。
「レミィ、村雨の話をどう思う?」
「齟齬は見受けられません。」
レミエルは敢えて最低限の返答に留め、あえて自らの意見を言わなかった。
伊織が、この後どういう判断をするのかを聞きたかったのだ。
「気に入らんな。俺の物語は俺が納得しなければならない。」
「イエス、マイマスター。」
「このままでは気分が悪い。干渉するぞ。」
「ご指示を。」
天界にいるレミィの口許は本人の意図するところ無く綻んでいた。
「まずは状況を整理しよう。
犬塚信乃は霊的な存在ではなく、村雨の記憶であり、孝の玉の記憶でもあった。
つまり、外部からの刺激が引き金となって村雨の記憶を孝の玉が吸収した結果、犬塚信乃が村雨の体を乗っ取ってしまった。
孝の玉は生前の犬塚信乃に長く接触していたことで、ある意味において犬塚信乃に染まっていたのかもしれんな。
村雨はまぁ、現状で問題ない。
最後に伏姫様だが、村雨を通して世界をご覧になることを自重されるとのこと。
ここまでで何かあるか?」
「ございません。」
「ないのじゃ。」
「俺は伏姫様には気兼ねなく下界の様子を楽しんで頂きたいと考えている。」
「イエス、マイマスター。」
「うむ、妾もそれがいいのじゃ。」
「孝の玉を取り出せるか?」
「伏姫様が何かあったらすぐに取り出すようにと言うてな、出来るようにしてくれたんじゃ。」
「そうか。駄目なら無理やり引っこ抜くつもりだったが、手間が省けたな。」
「それ妾が酷い目に遭うやつじゃろ!」
「遭わなかったのだから問題なかろう。」
「やはり伊織は夜行の鬼子なのじゃ!」
「微妙に意味が違うがまあいい、とっとと玉を出せ。」
「ぐぬぬ、いつかねじ込んでやるんじゃからな!」
村雨の体から薄く光る玉がふわふわと出てきた。
「レミィ、俺がこれを受け入れることは可能か?」
想像していなかった質問に、天界のレミィは少し顔をしかめた。
「マスター、それはあまりに危険です。
玉と縁がないマスターが吸収して無事に済むとは思えません。」
「やはりそうか。ならばいつも通り力づくで支配すればいい。俺の最も得意とするところだ。」
伊織は村雨を持ち上げて脇へと移動させ、村雨が腰に佩いた妖刀を抜く。
そしておもむろに自らの掌を斬った。
「マスター!」
「妾に伊織を切らせるなど、何を考えておるのじゃ!」
「まぁ、見てろ。」
伊織は浮遊する玉に自らの血を振り撒いた。
反応は劇的だった。
「ぐはぁああっ!いきなり何をする!」
なんと、犬塚信乃が玉から転がり出てきた。
「ほぉ、お前が飛び出てくるのは予想外だったが、これはこれで実に都合がいい。」
伊織は薄く笑った。
その笑顔を見てレミィは「魔王はこんな風に笑いそうだな」と思った。
「俺に仕えろ、犬塚信乃。」
「お前は何を言っているのだ。」
「簡単な話だ。
村雨は暴走に怯えることがなくなる。
伏姫様は自由に下界をご覧になれる。
俺は満足する。
予定ではここまでだったが、おまけがついてきた。
お前は実体のない霊体とはいえ自由に振る舞える。
三方良しどころか『四方良し』だろう?」
「伏姫様が・・・それは誠か?」
「誠じゃよ信乃様。里見の名に誓うのじゃ。」
上手く村雨がフォローしてくれたことに伊織は内心で拍手する。
「俺に勝ったならば仕えるのも吝かではないのだが、そうか伏姫様が・・・」
「勝負というのは?」
「刀でも無手でもいい。俺とて自分より弱い者に仕えたくはないからな。」
「ふむ、今は無理だがいずれ肉体を用意できるかもしれんぞ?」
「本当か!?・・・ならば当面は客将としてならばどうだ?
肉体を得ることができたら勝負してくれるな?」
「問題ない、希望に応えよう。」
「俺は犬塚信乃だ。今後ともよろしく・・・
村雨、お前には迷惑を掛けたな。すまなかった。」
「いいのじゃ。また主様にお会いできて嬉しいのじゃ。」
「そうか。だが客将とはいえ、俺も主を持つ身となる。
お前は伊織様にお仕えすべきだろう。」
「そ、そうなのか?でも、妾は・・・」
信乃から唐突に突き放された村雨は動揺する。
「二人とも、そう硬く考えなくていい。
昔はどうだったか知らないが、俺はそんなことには拘らんよ。
では、そうだな。こうしてはどうだ?
信乃が正式に仕えてくれることになったら、村雨を直臣としてつけよう。
村雨はそれまで俺に仕えてくれてもいいし、別に今まで通りでもいい。」
信乃は小考し、軽く頷く。
「寛大な処置に感謝します。」
「ならば妾も伊織に仕えるのじゃ。」
「ほう、いいのか?」
「別に今までの関係は変わらんのじゃろ?ほ、ほれ、妾たちはの?」
「友達だな。別に態度も改めなくていい。」
「うむ!ならば今後ともよろしくなのじゃ!」
「では村雨を正式に配下と認め、序列第八位とする。」
「あー!火車より下なのじゃ!ぐぬぬ。」
「序列が上の方が偉いという時代もあったが、今となっては任命順に過ぎん。
どうしてもというなら当人同士で勝手に遣り取りしてくれ。
だがお前を緊急招聘する際に必要になるからな。
序列が変わることがあれば必ず報告しろよ?」
「では主様、必要ならまたお呼び下さい。
尤も、霊体の身ではできることも限られますが。」
信乃は玉に吸い込まれるようにして消え去り、その玉もまたゆっくりと伊織に向かって漂い、伊織の胸へと溶けるように消えた。
「うむ、違和感もないな。霊体ならいっそ『妖牧場』に送るか?」
胸の奥から抗議するような声が聞こえた気がしたが、伊織は黙殺した。
「まあいい、これで片付いたか?」
「マスター、心臓に悪いのでこのようなことはせめて先にお声掛けください。血もそんなに沢山流す必要はなかったのではありませんか?」
「善処しよう。」
伊織が大好きな玉虫色に輝く魔法の言葉だ。
「マスター、大量の異能を獲得しました。」
「うん?このタイミングでか?」
「はい、どうやら伏姫神様からのようです。」
「そうか、満足頂けたなら何よりだ。
もし今後も下界をご覧になるのなら、楽しんでいただければよいのだがな。
詳細報告は捕虜三人の身の振りを決めてからとしてくれ。」
「イエス、マイマスター。」
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ちゃむだよ? >_(:3」∠)_
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