モイラ編03-16『ゆうべのお楽しみ/ギルマス』
大浴場にて。
海辺から帰還した伊織は潮風に曝された体を清めるべく大浴場へと足を運んだ。
遠くから村雨の叫び声が聞こえてきたが、きっとメメ仕業だろう。
一通り体を掛け流し、湯船に浸かる。
「あー、やはり風呂はいいものだ。身体の中から清められるな。」
疲れが湯船に溶け出すのを実感していると、扉の向こうからパタパタと誰かが駆ける音がする。
今朝百々目鬼と約束していた事を思い出す。
「メメが走るところなど見た記憶がないが。」
がらりと扉が開くと、案の定、メメが仁王立ちした。
「お楽しみに、来た、よ?」
「よし、今日は俺がお姫様を接待してやろう。
ほれ、流してやるからそこに座れ。」
「うん。」
背中を向けたメメはとてもほっそりとしている。
「姫様はちゃんと飯を食ってるか?」
「うん、サトも、ご飯、くれる、よ?」
どうやらサトも同じ心配をしていたようだ。
「お前は昔から少食だったな。オークの目は口に合わないか?」
「ううん、美味しい、よ?」
「その割は食べている所を見た記憶がないが。」
「えっち。」
すっぽんぽんで背中を向けている者の台詞とは思えない。
「何故だ?」
「恥ずかしい、よ?」
「そういえば目を補食するところを見られたくないとか言っていたか。」
「うん、マナー、ね?」
「マナーか。だが店では普通に食っていたよな?」
「料理は、えっち、じゃ、ない、よ?」
「不可思議なものだな。そんなに恥ずかしいならメメ専用の保管庫を作るか?」
「嬉しい、よ?」
「確かメメの部屋の隣は空いていたな。あとで一本だたらに伝えておこう。」
「コレク、ション、する、ね?」
「うん?食わないのか?」
「それ、は、それ、よ?」
「もしかして倉ぼっこの脱け殻集めに触発されたか?」
「うふふ、うん。」
「趣味は生活を豊かにすると言うからな。」
「主様も、やろう、ね?」
「ふむ。悪くないが何を集めたものか。」
「女の子、ね?」
「それは集めるものではなかろう。だが何故か女性比率が高いのは、遺憾ながら認めざるを得んな。」
「ホイホイ、してる、の?」
「『妖ホイホイ』にそのような効果は無いはずだが。もしかしたらそのような異能が妖人に吸収されたか?推察するのも馬鹿馬鹿しい話だが。
まあいい、湯船に入ろうか。」
「だっこ。」
「メメは甘えん坊だな。」
「お姫様、だから、ね?」
「そうだな、メメはお姫様だ。」
メメを湯船に下ろし、湯に浸かる。
この広々としたスペースをたった二人で独占する事のなんと贅沢な事か。
「今ばかりは世界一の贅沢者かもしれんな。・・・何をしている?」
「抱っこ、ね?」
「よかろう。」
伊織はメメを後ろ向きに抱き寄せた。
メメの後頭部から立ち昇る柑橘系の香りが湯船に合う。
「昔は、私が、だっこ、した、ね?」
「そうだな。初めての時は握り潰されるかと思ったぞ。」
「うふふ。」
「サトは見た目を気にして『妖羽化』したようだが、メメもそうなのか?」
「メメは、いつも、一緒に、いたかった、よ?」
「なるほど。人型ならいつでも気にしなくていいと思ったのか。」
「うん。」
「ならばこれからもずっと一緒にいてくれ。」
「メメ、には、主様が、必要、よ?」
「うむ、俺にもメメが必要だ。
『倉』で共に過ごした日々は今もずっと続いている。」
「うん、これからも、ずっと、ね?」
「ああ、ずっとだ。さて、のぼせる前にそろそろ出るか。」
「拭いて、ね?」
「最後までお姫様だな。」
「うん、お姫様。」
伊織にとってサトが右腕であるなら、メメは左腕と言えた。
それはもはや比喩ではなく、自らの存在としてそう思えるほどに。
風呂から出てメメを伴って食堂に向かうと、ここいるはずのない者に出くわした。
「なんだ。ギルドを首になったのか。雇ってやるから条件を言ってくれ。」
「そんな訳ないでしょ。それにしても美味しいわね、これ。」
アリストロメリア冒険者ギルドのギルドマスターことエレオノーレだった。
ナイフとフォークを器用に使いながら高速で貪り喰っている。
そのフォークの先には先ほど獲ったものと思われる巨大な蟹が突き刺さっていた。
「残念だ。首になったらいつでも言ってくれ。
ちなみにそれは西海岸で獲ってきたジャイアントクラブだ。」
「あんな所までご苦労なことね。」
伊織は口に出して少しだけ後悔した。
もしもグリフォンの一団の件が発覚したらこの一件と紐付けられる可能性を考慮したのだ、が。
「あのあたりで鳥の飼育を始めてな。」
「ふぅん。物好きね。あんなとこ、魔物の巣窟でしょうに。」
ならばと、いっそ報告した態を装う方向に切り替えた。
これならばあとでとやかく言われても問題ないだろう。
メメは感付いたようだが。
「ひどい、おとこ、ふふ。」
「ほんとよ。わざわざ私が来たのも、そこのひどい男のせいなんだから。」
「うん?まだ何も間引いてはいないが?」
「間引いちゃダメなやつでしょそれ!」
「小粋な『夜行ジョーク』だ。
だが、だとすれば何なんだ?本当にわからんのだが。」
「はあ。あのね、あんたは200年の間、誰にも為し遂げられなかった偉業を達成したのよ?」
「ああ、迷宮を踏破した件か。だが報告が必要とは聞いていないが?」
「ちょっとその感覚が理解できないのよね。名声が欲しいとは思わないの?」
「名声か・・・うーむ、考えてみたが特に必要とは思わんな。メメはどう思う?」
「主様を、自慢、できる、なら、いる、よ?」
「そうか、確かに配下は強い主を欲するものだな。これは目から鱗だ。
撤回しよう。名声を得るには報告すべきだったんだな?」
「そうね。パレードなり、領主による式典なり、色々とできるわ。」
「両方とも面倒極まりないな。」
「あのね。名声を得るというのは注目を得る事と同義よ。当たり前でしょ。」
「わかった。心底遺憾ではあるが、配下達の為に頑張るとしよう。
それで、俺はどうすればいいんだ?」
「最下層のオークエンペラーの討伐を証明できるものはある?」
「初回討伐時のものはグズグズになって破棄したし、さっき狩ったのはロクが喰ったな。」
「貴族でも簡単には口にできない最高級のお肉なんだけど!」
「そうなのか?そいえばロクのやつ、やけに静かに喰っていたが、ふふ、してやられたわ。」
「というかまた狩ったの?」
「ああ。また沸いてから狩ればいいのだろう?無傷の首でも持ち帰ればいいか?」
「そんなことができるの?」
「だそうだが?村雨。」
隣でお利口に蟹を貪り喰っている村雨に話を振る。
「誰に、もぐもぐ、向かって、もぐもぐ、言うておる。
しかしこの蟹は美味いな!
もぐもぐ、造作もないわ。妾は忙しいのじゃ。
あの程度ならあとで幾らでも刎ねてやるゆえ、そのような些事で話し掛けるでないわ。」
「だ、そうだ。」
「・・・あなたの配下は粒揃いね。」
「うむ、何処に出しても恥ずかしくない自慢の配下達だ。」
「パレードと式典が終わったら正式に『冒険者証明書(Aランク)』と『冒険者パーティ証明書(Aランク)』を発行するわ。」
「まだ一つだけしか攻略していないぞ?」
「あのね、Aランク許可証はA級ダンジョンに入る為の物なのよ。踏破者が所持していないなんて笑い話にもならないわ。」
「そう言われると筋は通っているな。」
「まあ、あんた達みたいなのはそうそういないけどね。」
「という事は珍しくはあれど、そういった事例はあるんだな。」
「それなりにはね。」
「現役のパーティとして現存するのか?」
「ついこの間、奈落で消息不明になったわ。」
「それは残念だな。機会があれば会ってみたかったが。冥福を祈る。」
「主様。」
「サトか、どうした?」
「今後は商売の件も含めて領主との関係性が深くなるでしょう。
その前にギルドマスターとの関係をより一層深める必要があると考えます。」
「帰るわ。御馳走様。」
「近い将来、ダンジョンで異変が起きます。」
急いで立ち上がったエレオノーレはゆるゆると腰を下ろす。
そしてサトが話す内容を察した伊織は一点だけ確認することにした。
(サト、アリちゃむには確認してあるよな?)
(もちろんです。主様の信用に関わりますので。)
(そうか、彼女が納得したならいい。)
「聞きたくないわ。心底聞きたくないのに。立場が憎いっ。」
「ほれ、お代わりもある。のんびり食うといい。
サトには全権を委ねる。思うようにしていい。」
「では、全てお話ししましょう。
情報の対価として絶対的な情報の制限を求めます。万一漏洩が露見した際には我々と敵対するものと見なさざるを得ません。そして一切の言い訳は聞けません。」
「随分と過剰じゃない。そんなにヤバイ情報なの?」
「主様の信頼に関わるという点において妥協は有り得ません。」
「信頼・・・第三者?まさかダンジョンマスター絡みとか言わないでしょうね。」
「返答を聞く必要が無くなってしまったではないか。」
「話が早くて助かります。」
「無しよ、今のは無し!私は何も気づいていないわ!」
「覚を前にその言い訳は噴飯ものですが、勘が良すぎるのも考えものですね。」
「あー、己の有能さが憎い。というか、まあ、どうせ聞くしかないのよ、うん。」
それからサトはエレオノーレに淡々と説明を続けた。
ダンジョンマスターと接触し、これを取り込んだ事。
今後のダンジョン運営は何も変わらず行う事。
ただしダンジョンに悪魔種が出現するようになる事。
「無茶苦茶ね。ダンジョンの常識がひっくり返るわ。」
「一般的にダンジョン内に種族が増える事はあるのですか?」
「そうそうないけどそういった報告はあるわ。ダンジョン変異と呼ばれている現象ね。」
「でしたら変わらず運営するなら問題ないでしょう。」
「そこはあなた達を信頼するしかないけど、問題はこれが露見したら間違いなくダンジョンマスター狩りがはじまるわ。」
「露見する可能性があると仰るのですか?」
「問題はそこじゃないわ。露見した後の事を考える必要があると言っているの。
情報なんてどこから漏れるかわかったものじゃないんだから。
それに漏れる漏れないじゃなくて推察される時点でアウトなのよ?
極めて不安定な状況と言っていい。」
「なるほど。一理ある。やはり長生き」
「お黙り。」
伊織の呟きをエレオノーレは華麗にインターセプトした。
「アリちゃむ、隠行を解いて下さいますか?」
「うん、わかったんだよ。」
伊織の結界は対象者が解除できるようせっていすることが可能だ。
自力で隠行を解除すると、エレオノーレの前に可愛らしい小さな妖精が姿を現した。
「え、嘘。ダンジョンマスターって妖精だったの?」
「迷宮妖精のアリちゃむなんだよ。」
「かわいい・・・はっ、んんっ。
アリストロメリア冒険者ギルドのギルドマスター、エレオノーレよ。
こういう言い方もどうかとは思うけど、いつもうちの連中がお世話になっているわ。」
「それはお互い様なんだよ。歪な持ちつ持たれつだね。」
「違いないわね。」
冒険者は一攫千金を求めてダンジョンに潜る。
ダンジョンマスターは冒険者を利用して魔力の残滓と感情を得る。
時にはその命を奪ってでも。
それが不文律だった。
「あなた達ダンジョンマスターの存在が明確に露見することで不文律が崩壊するわ。
そして新しい秩序が生まれるでしょう。
その過程が血の道で塗装されるか否かは貴方達次第よ?」
「こちらとしては殊更に事を荒立てるつもりはありません。」
「ねえ、私を取り込みたくて話をしたのはまあ、100歩譲って許してあげる。
だけど余りにも影響範囲が広過ぎる。
アリストロメリアに留まらず、国すら越えて大陸中のダンジョンに火の手が上がりかねないわよ。
私の手に負えない事を理解してる?」
「もちろんです。
なるほど、見解の相違ですね。
我々にそんな事は関係ないのですよ。
アリちゃむは主様の配下です。
すなわちアリちゃむの支配するアリストロメリアA級ダンジョンは主様の所有物です。
そして我々配下は主様の所有物を守ります。
今回貴女にお知らせしたのは主様のためにその事実をお伝えした過ぎません。
極論してしまえば他のダンジョンの事情など知った事ではないのですよ。」
サトの歯に衣を着せない物言いにエレオノーレは絶句する。
「ダンジョンマスターとしては他のダンジョンに思うところはないのかしら?」
が、一縷の望みを掛けてダンジョンマスターであるアリちゃむに意見を求める。
情に縋るようで卑怯な物言いである事は承知していたが、それでも言わざるを得なかった。
「他の子達が捕まっちゃうのは悲しい事だとアリちゃむは思うのです。
なので危なそうな子はアリちゃむが保護するんだよ。」
「そうなるとダンジョンはどうなるのかしら。」
「保護の条件としてダンジョンを崩壊させるように指示するんだよ。
そしたらきっとわかるんだよ。」
「・・・」
余りにも苛烈な報復にエレオノーレ再度絶句してしまう。
いや、苛烈ではないのだろう。追われる住居に自ら火を放つようなものだ。
だが襲撃者にとってはたまらない。
ダンジョンマスターに手を出したらダンジョンが崩壊する。
襲撃が無駄になるだけではなく、余計な事をしなければ得られたはず利益が失われるのだ。
周囲からの視線は厳しいものとなるだろう。
アリちゃむが採る手段は強力な抑止力になり得るだろう。
それでも手を出す馬鹿はいるだろうが。
ともあれ、彼女はその為の犠牲はやむを得ない犠牲であると心得ているのだ。
そこまで考えて、もはやエレオノーレにはアリちゃむを説得する意思は無くなった。
ならば自身に取り得る最善手は。
「貴方達の考えは理解したわ。その上で貴方達に提案します。
この件をギルドの最上層部に報告する。
そして穏便に事を進めるよう理解を得る。
その為の協力をお願いできないかしら。」
「それは最初の約束を反故にする事と同義では?」
「その上で対価を用意するわ。」
「伺います。」
エレオノーレはとりあえずは理性的な交渉が続いている事に安堵した。
だがその対価となると生半可なものでは通用しないだろう。
「冒険者ギルドとアリちゃむの間で協定を結びます。
アリちゃむに属する各ダンジョンマスターへの一切の干渉を禁止させます。
人族社会ではダンジョン内の全ての利権は冒険者ギルドに帰属します。
よってこれは全ての人族に適用されます。」
「なるほど。悪くない案ですが足りませんね。」
「というと?」
「我々以外の他のダンジョン及び妖精郷との交渉を禁止します。」
「・・・」
覚にとってこの提案は当然と言えるものだった。
サトとしてはアリちゃむにはダンジョン業界の頂点に立って貰わなければならないのだ。
もちろん敬愛する主の為に。
「我々はアリちゃむとの出会いを奇貨として、まずは国内の全ダンジョンを制圧します。
勿論、妖精郷との交渉次第では結果が変わることもあるでしょうが。」
「・・・」
伊織はもちろん初耳だったが興味深く覚の話を聞いていた。
全権を委ねたからには伊織が口を挟む事は有り得ない。
口を挟むという事は信頼していないと口にする事と同義なのだから。
一方でエレオノーレは頭を抱えたくなった。
この連中がここまで大きな絵図を描いているとは思わなかった。
先ほど口にしたが、影響範囲が広過ぎて己の裁量を完全に逸脱している。
そしてここで空手形を切って後になって「できませんでした」では、この連中は何をしでかすか知れたものではない。
「・・・さすがに独断はできないわ。」
「では、当初の約束を反故にすると受け取っても?」
「ぐぬぬ・・・わかりました。
当面は何も聞かなかった事にします。当然今回聞いたことは漏らしません。
まずは上層部を説得するためにあなた方の影響力を証明して下さい。
アリちゃむが複数のダンジョン支配する事が証明されれば、先の条件で上層部を説得してみせます。」
「造作もございません。ご英断に感謝します。」
「もー、なんなのこの子!手強すぎるんだけど!」
「さもありなん。サト相手に交渉するなど正気とは思えん。」
「するしかないのよ!」
「まあ、サトは俺の為にああ言ったが、そうそう敵対などせんから安心してくれ。
俺は平和主義者なんだ。」
「よく言うわよ。」
「事実だ。平和の方からは何故か一方的に嫌われているだけでな。」
「ともかく、こちらとしては情報を流せないから根回しすらできないわ。」
「ああ、アリちゃむと協力して・・・具体的には幾つぐらいあればいいんだ?」
「A級ならアリストロメリアも含めて3つもあれば充分に異常事態でしょ。」
「ふむ、すでに目星はついているな。」
「ブラちゃむとクリちゃむね。頑張って説得するんだよ。」
「うむ、期待している。」
「はあ、どっと疲れたわ。今度こそもう帰るわね。」
「サト、基礎化粧品の試供品と蟹を包んでやってくれ。」
「御意に。」
「ちょっと今化粧品って言ったわよね!」
「ああ。まだ簡単なものだから余り期待はしないでくれよ?」
「わかったわ。礼儀として感想ぐらいは報告してあげる。」
「うむ、有難い。」
「それじゃ、目処がたったら連絡してちょうだい。」
エレオノーレは足取りも軽やかに去っていった。
化粧品の回復力はそこらのポーションよりも効能があるのではないか?
そしてあの切り替えの早さは見習うべきかもしれない。
伊織は益体もない事を思った。
「腹が、腹が、裂けるのじゃ・・・助けてたも・・・」
床には立派に育った腹を突き出したセイウチが転がっていた。
こいつに化粧品は効きそうにない。伊織は嘆息した。
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ちゃむだよ? >_(:3」∠)_
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