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モイラ編03-12『一ヶ月後』

新拠点が完成したとの報告を受け、スラムの入り口へとロクを走らせた。

ロクから降りると新拠点の入り口にはメンバーが勢揃いしており、左右に別れて伊織に向かって深々と礼をした。


「憎い演出をしてくれる。サト、考えたのはお前だろう?」

「恐れ入ります。」


伊織が目覚めた時にはサトしかおらず、サトに言われるままについてきた結果のこのサプライズだ。

伊織は入り口に向かって歩くと一人ひとり、全員に労いと礼の言葉を掛けた。


(涙の一つでも流せれば良かったんだがな。まあ、栓無い事か。)


そして伊織を先頭に全員で中に入る。

和式木造三階建ての建造物だが、そこは異世界仕様だ。

梁が高い。


「背の高い種族がいるから梁が高いのか?」

「ああ、ここまで高くする必要もないかと思ったんだけどね。

一応、でっかいお客さんが入ってくる事を想定してね。」


どうやら伊織を案内しててくれるのは建築責任者でもある一本だたら(タラ)のようだ。


「1Fは売場と従業員用スペースで、あとは在庫用倉庫だったか。」

「ああ。売場は今は広すぎるぐらいだがね。しばらくはパーテーションで区切ってデッドスペースかな。」

「なるほど。ガラスを再現する事を前提に作ってあるのか。すばらしい発想だ。」

「へへ、そりゃあ売るための工夫もしたいしよ。まあ、今は嵌め殺しになってるとこもあるけどね。」

「うむ、ここだけ見てもタラに任せて良かったと思う。」

「お、おう。でもまだはえーよ。もっと色々見てからにしてくれ。」


タラは顔を真っ赤にしている。


「あと従業員スペースは事務所も兼用してるんだが、その隣に応接室も造っておいたぜ。

それなりの家具は設えてあるから見てくれよ。」

「よくフォローしてくれたな。応接室は完全に頭から抜け落ちていた。」

「いいってことよ。」


応接室は高級宿ラウンジにも引けをとらない仕様だった。


「ほう。随分金を掛けたな。」

「ここばかりは店の顔だからな。主様に恥をかかす訳にはいかんからと、サトがじゃぶじゃぶ突っ込んだぜ。」

「うむ、その割は嫌味無く上品に纏まっていて俺の好みだ。」

「お気に召していただけたなら幸いです。」

「サト、よくやってくれた。」


「次は地下の俺の城に案内するよ。」


伊織はタラに案内されて地下におりた。

仄かに香る土の匂いが新居を思わせる。


「結局B2Fまで作ったのか?」

「いやいや、まだ人手も工作機械も全然足りてない。

しばらくは拡張の必要はないと思う。

でも人が増えたらどんどん個室にしていいぜ?

狸達は地下を好むしな。」


辿り着いた先は確かに広々としていた。

隅の方に工具素材が雑多に積まれているだけだ。

いや、あれは。


「地下への寝具の持ち込みは禁止する。」

「何故だ!」

「阿呆。階段を昇ればすぐに自室だろうが。作業が終わったら部屋に帰れ。」

「ぐぬぬ、努力する。」


「許さん。徹底しろ。見つけたら尻叩きの刑だ。福利厚生に関しては妥協せんぞ。」

「わーったよぉ。でもなんで福利厚生なんてのが大切なんだ?」

「部下を不自由な環境においた結果、生産性が落ちたのでは意味がなかろう。」

「ふーん、そんなもんかね。」


「部屋に寝具や家具は要らんか?」

「いる!」

「うむ。明日の仕事を頑張るために使ってよし。」

「なるほど。そういう事か。確かに疲れを残してはいい仕事はできんね。」


「では、2Fに向かおうか。」

「おう、ついてきて。」






2Fに上がって目に飛び込んできたのは廊下に並ぶ数多の神棚だった。


「ほう、これは随分と思い切って表に出したな。」

「実はこれ、伏姫神様(フセ)の考案なんだ。」

「うん?どういう事だ?」

「というのも地球の現世では信仰心の獲得に神々は頭を痛めているらしくてな。

それならいっそモイラで信仰を広めたらどうかと考えたみたいだ。」


「フセは神々の事情に詳しいだろうからな。その見立ては間違っていないのだろうが、しかしこれは壮観だな。」

「一応主様が世話になってる(祝福をもらった)神々についてはそのご神体を祀っているんだ。

あとは小さい札にそれぞれの神様の司るところを書いてくれたよ。

伏姫神様(フセ)が直々に。効能ありそうじゃね?」


「うむ。神々は静謐なところで祀るべきなのが当たり前と考えていたが、そういう事ならこの形がよいのかもしれんな。

皆にも相性のよい神が見つかれば互いにとって善いことだしな。」

「そうだな。あたしも早速、火之迦具土神(ひのかぐつち)様と天目一箇神(あめのまひとつのかみ)様に毎日ご挨拶する事にしたぜ。」


「鍛冶とは相性のよい神々だな。

っておい、これは夜刀神(やとのかみ)様の脱け殻ではないか。」


その神棚には木彫りの小さな白蛇と共に倉ぼっこ(クラ)が自慢していた夜刀神(やとのかみ)の脱け殻が祀られていた。

伊織が貼った小さな護符がついているので間違いない。


「だからご神体を祀っているって言ったじゃん。」

「クラがよく手放したな。」

伏姫神様(フセ)夜刀神(やとのかみ)様も喜ぶだろうとか言って説得してたぜ?クラは呆気なく転がされてたが。」

「そうか。念のため後で護符を強化しておこう。」


「マイマスター、大量の祝福が届いておりますが報告しても宜しいでしょうか?」

「嫌な予感、と口にするのは無礼であろうな。聞こう。」


「イエス、マイマスター。

夜刀神(やとのかみ)様の祝福(精神5)』を獲得しました。

倉ぼっこ(クラ)様の『夜刀神(やとのかみ)の祝福(精神5)』が『夜刀神(やとのかみ)の守護(精神20)』に上書きされました。」

「どうやら観て居られるのだな。『夜刀神(やとのかみ)』様、ありがとうございます。」


伊織は夜刀神の神棚に向かって深々と頭を下げた。


「『建御雷之男雷(たけみかづち)の祝福(力5)』を獲得しました。

伊邪那美命(いざなみのみこと)の祝福(全能5)』を獲得しました。」

「『春雷』と、あとはエーテルスライム(ニジタマ)を捕獲した際の呪言が一因だろうか?

今さらではあるが御力をお借りした上で祝福まで頂けるというのも貰いすぎだな。

確かに信仰を広める一助となれるようにする必要がある。

それから、タラ、俺に限らず皆に祝福を与えてくださった神々の神棚も用意してくれ。」

「おう、任せとけ。つっても伏姫神様(フセ)が主導でやってくれるんだけどな。」


「以下は私の知るところで主様とは関わりの薄かったであろう神々の祝福です。

天宇受売命(あめのうずめのみこと)の祝福(敏捷5)』を獲得しました。

櫛名田比売(くしなだひめ)の祝福(器用5)』を獲得しました。

木花開耶姫(このはなさくやひめ)の祝福(幸運5)』を獲得しました。

石長比女(いわながひめ)の祝福(精神5)』を獲得しました。

毘沙門天(びしゃもんてん)の祝福(筋力5)』を獲得しました。

吉祥天(きっしょうてん)の祝福(幸運5)』を獲得しました。

弁財天(べんざいてん)の祝福(器用5)』を獲得しました。

阿修羅天(あしゅらてん)の祝福(筋力5)』を獲得しました。

荼枳尼天(だきにてん)の祝福(敏捷5)』を獲得しました。

技芸天(ぎげいてん)の祝福(器用5)』を獲得しました。

迦楼羅天(かるらてん)の祝福(敏捷5)』を獲得しました。

摩利支天(まりしてん)の祝福(体力5)』を獲得しました。

以上です。」


「本当に大量だな。毘沙門天様以外は全部女神だが。」

「モテモテじゃねーか主様。そういうネットワークでもあるのかね?」


伊織達の預かり知るところではないが、『天女会』なる『天』の女神が集う女子会がある。

そしてタラの予想は偶然にも正鵠(せいこく)を射ていた。


「これは拠点の至る所に神棚を(しつら)える事になりそうだな。」

「この調子だと3Fの廊下にも拡張する必要が出てくるかもしれんね。

はは、そのうち神域になったりしてな。」

「うーむ、神々の力など我々理解しているのはほんの一部だからな。頭から否定はできん。」

「まじかよ。・・・手抜きは許されねーな。」






一方この頃、伏姫には大量の念話がひっきりなしに届いていた。

だが彼女は悪い笑みを浮かべながらその全てを黙殺した。

情報の安売りはしない。

ここは焦らしプレイで女神達の期待を引っ張るが吉である、と。

そして自らのプロデュースが想像以上に嵌まっていることに満足し、次なる一手を考えていた。


「うーん、『守護』以上の加護をくれたら主様に紹介するというのは安直かしら?

どうにかして『恩寵』まで引っ張れれば・・・」


伏姫の暗躍は雪だるま式に影響力を増していた。






廊下の先には広々とした大部屋があった。


「ダイニングというか、もはや食堂と言うべきだな。」

「一度に50人は入るからね。」


広々とした室内には長テーブルと丸椅子が設えられており、綺麗に磨かれてニスのような加工まで施されていた。


「素晴らしい加工だな。この品質で数を揃えるのは現世でも難しいのではないか?」

「運良く腕のいい木工職人達に巡り会えたんだ。金貨袋でぶん殴って協力してもらったよ。」

「程ほどにな。隣はキッチンか。」

「そうそう。ここにも断熱や換気の符術を施してくれよ。」


「地下も合わせて今日中に済ませよう。万一事故があってもいかんからな。地下同様、安全面には十二分に配慮しよう。」

「そりゃ助かる。」

「しまった。料理人がいないな。」

「主様の料理は私が作りますので問題ございません。」


「そういえばサトは『料理人』の異能を手に入れたんだったな。」

「御意に。」

「だが、皆の分までは賄えまい。」

「実はスレブ商会とイスクラ商会から奴隷を購入しております。

料理人2名、使用人見習い6名、店員見習い3名の計11名です。

全て見目麗しい乙女を取り揃えておりますのでご安心下さい。」


「うむ・・・うむ?見目麗しい乙女である必要はあるのか?」

「1Fは店舗ですし、人目につくこともままありますので。」

「そうか。まあ、それで悪いことはないからよかろう。」

「はい。今後は孤児院を通して続々と信徒、ではなく従業員を、洗脳、ではなく教育します。」


何やら不穏な言葉が次々に聞こえた気がしたが伊織は聞かなかった事にした。


「サトには苦労を掛けるが、引き継ぎは済ませたか?」

「はい、セバス達が優秀で助かりました。あの二人なら間違いはないでしょう。」

「それは重畳。100点だな。

しかし・・・そろそろ遠征を、とも考えたがな。

この家を見て考えを改めた。俺達にはもう少し余裕があってもいいとな。

サトには急がせてせて悪かったが、しばし新居を満喫したいな。

この素晴らしい新居に魅了された主を許してくれるか?」


「勿論、主様のお心のままに、と申しましょう。

自宅でしたらサトも主様に質の良い料理を振る舞えますので、嬉しく思います。」

「そうか。では決定だ。最低でも半月は拠点に留まる事とする。」

「御意にございます。」


「ところでこの冷蔵庫のような物や(かまど)のようなものは倉ぼっこ(クラ)が作った訳ではないよな?」


技術云々よりも環境がないから無理であるはずだと伊織は考えていた。


「いえ、全てではありませんがクラの手が入っているものは多いですよ。

彼女は積極的に他の工房に出入りしているようです。」

「なんと、あの人見知りの達人がか。クラは成長著しいな。」

「はい。『モイラ』で最も成長したのは間違いなくクラでしょう。私も負けては居れません。」

「共に精進しよう。ところであれはトイレか?」


「ええ、特許申請したものが多々ありますよ。」

「是非、拝見しよう。」


「まずは何と言っても水洗式にできたことですね。」

「つまり一般的では無いのだな?」

「一般的には人力による汲み取り式ですね。堆肥にする術が発達しておりませんので、川に垂れ流し状態です。」

「川が汚染されてひどい事になってそうだな。」


「事実、悪臭や生態系の破壊が発生しております。」

「まあ、それをどうこうするのは俺の仕事では・・・だがやはり気持ち悪いな。」

「堆肥の技術を浸透させる予定ですので、ひとまずは様子を見てはいかがでしょう。」

「そうだな。」


「あとはスライムを用いた循環型の濾過(ろか)システムですね。」

「それもまさかクラが?」

「はい。屋上に現物がございます。」

「ひと月そこらで出来るような代物ではないと思うんだが。

本物の天才なんだろうな。見事だ。褒美を考えねばなるまい。」


「褒美でしたら脱け殻の採取に出掛けられてはいかがでしょう。ちょうど半月ほどのんびり過ごされるという事ですし。」

「そうだな。後でクラに確認するとしよう。

2Fは共用スペースと倉庫にして、余ったら居住区ということだったか。」


「そこは調整があったようです。共用スペースと倉庫はそのままですが、大浴場が追加されていますね。」

「風呂だと!」

「大浴場は建設指揮を執った一本だたら(タラ)に案内させましょう。」

「おう、サプライズの自信作だぜ?ついて来な!」


意気揚々と先導するタラについていくと()でかい浴場が鎮座していた。


「どうだー。でっけーだろ?」

「おお、俺は現世でもこんなに大きい湯船は見たことがない。

壁面の富士の絵が銭湯のようでよいではないか。」

「あれは狸達が頑張ってたな。

ここは絶対に手を抜けないって謎のやる気を見せてたぜ。」

「うむ、良いものだ。ところでここは入り口の暖簾(のれん)通りに女湯なのか?」


「基本は『女湯』だが主様がいるときは主様専用時間が設けられるらしいぜ。

男と狸は隣だな。」

「ほう、正直なところその心遣いは嬉しく思う。ここは特権を振りかざすとしよう。

うむ、非常に気に入った。安直ではあるが今日一番のお気に入りだな。」


「そう言って貰えると造った甲斐もあるってもんだよ。

ちなみに風呂でもサトが説明した循環型濾過システムはここでも使ってんだ。

クラはあっけなく造ったが、ありゃあ革命が起きるぜ。」

「なるほどな。」


「んじゃ3Fの個室と大部屋に行こうぜ。」

「ああ、引き続き案内を頼む。」


3Fはまるでホテルのようにズラリと左右に扉が並んでいた。


「個室は基本的に六畳一間だが、セパレート式のところは二部屋合わせて十二畳一間にもできる。

大部屋は十二畳で六人だな。

主様の部屋はとりあえず十二畳の私室、十二畳の談話室、六畳の個室の三部屋で考えていたんだが、まだ必要か?」

「俺も六畳一間で構わんぞ。」


「さすがにそれはねーわ。主様の威厳を見せてくれよ。」

「そういうものか?」

「はい、タラに一理あります。

なぜなら主様が節制しすぎれば部下が贅沢をできなくなるのです。

勿論、必要以上の贅沢を推奨する訳ではありませんが。」


「目から鱗だ。確かに言われてみればその通りだな。よかろう、匙加減はタラに一任する。」

「おう、予定通りにいくぜ。当然だが家具は全部オーダーメイドで取り揃える予定だ。

俺の記憶だと主様は和風を好んだよな?和風で製作させている最中だがそれでいいか?」

「勿論だとも。タラが優秀すぎて心がぴょんぴょんしてきたぞ。」

「おう、家具はまだだが内装は終わってるから、それを見てから存分にぴょんぴょんしてくれ。」


「待て、なぜ畳がある?」

「やっぱそこだよな。サトがやってくれたんだ。」

「そちらは厳密には畳モドキですね。薬草園のい草(・・)に似た植物を取り寄せて細工師に手配したものです。」

「確かに香りは異なるが見た目はわからんな。見事だ。」


「まだ六畳分しか用意できなかったが、出来上がり次第全部入れ換えてもいいか?」

「うむ、文句などあるものか。三姉妹にも見せてやらねばな。」

「一応案内は以上だが何かあるか?」


「後出しで申し訳ないんだが、B2Fに武道場が欲しいな。急ぎでなくていい。」

「あー、なるほどな。俺も見落としてたわ。反省反省。

んじゃ豆狸を動員してボチボチ掘らしとくよ。」


「頼む。後は完璧以上に完璧だな。タラ、褒美は何が欲しい。

今なら国でも盗ってきてやるぞ。」

「さすがに褒美一つで国を滅ぼすの忍びないからやめて差し上げろ。

つっても、褒美なあ。

あー、希少金属が手に入りそうだったらそれをくれ。

ミスリル、アダマンタイト、オリハルコンなんてのがあるらしい。

ちっと叩いてみてーな、とね。」


「よし、ドワーフの国を叩きたいんだな?」

「そうじゃねえ、国から離れろ。」

「タラは無欲だな。結局は皆の装備になる物ではないか。」

「いやいや、それだって腕を磨くためだぜ?」


「まあいい、サト。積極的に希少金属を集めてくれ。予算は任せる。

なんならスレブ商会に借りを作っても構わん。

それから製造部門と豆狸の全員に三日間の強制(・・)休暇と一時金を与えろ。」

「御意に。」




その日の夜。

早速とばかりに伊織は大浴場の湯船を満喫していた。

バカみたいに広い浴室に一人きり。

今なら湯船で泳いでも誰にも怒られない。

伊織の精神は16歳という年相応の年齢へと傾いていた。


「俺は自由だ。生きている。生きているぞ。」


モイラに降りたその日に叫んだ時の気持ちがフラッシュバックした。

反射的に叫びたくなったが、そこはぐっと堪えた。

驚いた部下達が殺到しかねない。


「失礼致します、主様。」


振り返るとタオル一枚に身を包んだサトが控えていた。

女性らしい美しいラインが際立っており、伊織はそれ見て素直な感想を口にした。


「サトは美しいな。」

「お、お目汚しを失礼致します。」


サトの反応は劇的で、普段はほとんど変わらない顔色が朱に染まっていた。

それもそのはずでサトは伊織の感情が手に取るようにわかってしまう。

それだけに伊織の率直な言葉はよりダイレクトにサトの心に刺さった。

なにより先程の心を剥き出しにした伊織の心の叫びに胸を打たれていた。


「『妖羽化』を経てこの体を手に入れる事ができたのは主様のお陰です。

で、ですのでサトのこの体は主様の物でございます。」

「そうか、では隣に来てくれるか。」

「は、はい。失礼致します。」


サトはおずおずと湯船の中の伊織の隣に腰を下ろした。


「すまんな。」

「何がでございますか?」

妖人(あやかしびと)になってしまったばかりに、俺はお前の想いに答えることができない。」


伊織はサトを掛け替えの無い大切なものであると理解(・・)している。

そしてそれは想い(・・)とは遠く離れたところにあるものだ。

伊織はそう心得ていた。


「それは違うのです。私が主様の答に期待するなどとても。

このままで構いません。どうか今まで通り、サトをお側に置いて下さいまし。」

「サトはいつも俺に与えてくれてばかりだな。」

「ふふ。もっとサトを頼って下さいませ。」


性欲を感じなくなった伊織ではあるが、僅かに肩に触れる感触を心地よく感じていた。


「そろそろお背中を流しましょう。」

「頼む。」


サトは伊織の背中を丁寧に流した。


「『妖羽化』する前にもこうやって流してくれたな。」

「あの頃の姿はお恥ずかしい限りです。」

「俺は好きだったぞ。女性に掛ける言葉としては不適切だろうが、幼い俺には頼もしく感じたものだ。」


伊織の本音はサト最後の防壁を簡単に破壊してしまった。

サトは考えるよりも先にタオル越しに伊織の背中に抱きついてしまった。


「い、今は頼もしくは感じて下さいませんか?」

「頼もしいとも。だがそれ以上に柔らかいな。」


サトは自らの鼓動と伊織の鼓動が重なるのを感じながら、今ここにある幸せを噛み締めていた。

伊織もまたそれぞれが変わってしまったふたりの間にも、今なお変わらぬ絆がある事に安堵していた。

そうしてしばらく間、ふたつの影が動くことはなかった。

______

ちゃむだよ? >_(:3」∠)_

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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