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モイラ編02-19『晴耕雨読』

菊理媛神が立ち去った後も伊織にはまだ仕事が残っている。

ペイパル女史が運び込んだコリンナ師の書物は膨大な量だった。

ざっと見ても200冊は越えているだろう。

先日コリンナ師の魔法書店で伊織が入手した初級魔法の入門書でも一冊あたり銀貨30枚(30,000円)である。

仮に全ての書が同様の価値であるとして、その総額は金貨60枚(6百万円)にのぼる。


しかもこの中には目玉の飛び出るような額の書もあれば、そもそも価値をつけることができない書も含まれるだろう。

とても一度会っただけの小僧にくれてやるような代物ではない。


倉ぼっこ(クラ)が丁寧に『お宝蔵』に収納している間に軽く確認したところ、魔法に関してのものだけではなく、様々な本があった。

人族の歴史書、ローゼンベルガー帝国(・・)の歴史書、バーンガルド王国における魔物の分布資料、古代文明史、魔法金属加工技術書、奈落(アビス)の考察書、SSランク冒険者の手記、惑星モイラ成り立ち、などなど。

果ては先程『バティム』が出現したようなグリモワール(・・・・・・)とおぼしきものまで紛れていた。


それらは伊織が完全読破を誓う程度には興味を引かれるもばかりだった。

無駄な本など一冊として存在しなかった。


「コリンナ師は一体何を考えているのだろうな。」


伊織は何度となく頭の中を巡り続けている言葉を口にした。


「師のお考えは私にもわかりません。私は貴方が入口で仰った言葉を信じることしかできません。どうかこの()達を大切にしてあげて下さい。」


ペイパル女史は腰を深く折ってお辞儀する。

彼女が書物という物をどれだけ大切に思っているのかが切実に伝わる言葉だった。

礼には礼を以て応える伊織ではあるが、この件には多分に私情が含まれることだろう。

伊織にとっては叡智の無下にすることなどあり得ないのだ。

伊織なりの供養(・・)をしたいと思う程に。


「無論、大切に扱うし、全て(・・)の書を記憶(・・)すると約束しよう。

こう見えて本を読むのは得意でな。

不眠不休ならば丸二日も掛ければ終わるだろう。

(もっと)も、あくまで記憶するだけだが。

内容は後日ゆるりと楽しませて貰うつもりだ。」


「えっ?記憶?2日?」

「主様だからねえ。」


伊織の種族が『妖人(あやかしびと)』に変化したことで、生来備わっていた異能の一部が妖人へと統合した。

能力そのものは今なお残っているが、ステータス上では消えてしまっている。

もしもその異能が残り続けていたならば『完全記憶』と記載されていただろう。


「ペイパル女史には世話になった。礼を言う。」

「いえ、これが正しかったのかは私には判りませんが、少なくとも懸念していた案件が片付いたのは確かです。こちらからも御礼申し上げます。」


「では、我々は本来の目的を果たすとしよう。後先になってしまったが入館料は必要ないのか?」

「ええ、本来でしたら入館料として銀貨5枚(5,000円)をお支払いただき、保証金として金貨3枚をお預かりしております。

ですが今回の件の御礼として、今後の(・・・)お三方の入館料と保証金は免除させていただきます。

何かしらの身分証明証はお持ちですか?」


「『商取引許可証』があるな。」

「では、お帰りの際に受付にて『商取引許可証』をご提示いただき、『特別入館許可証(全)』をお引き取りください。」


「わかった、有り難く頂戴する。すまないが魔道具に関する書物がある場所を教えてくれないか?」

「では、ご案内しますね。」


その後、倉ぼっこ(クラ)は貪欲に知識を吸収した。

異能『馬鹿と天才』による、好きこそ物の上手なれといった効果は絶大で、目の前に積まれた書物がみるみるうちに溶けていく。

当初は先程入手した書物の記憶に取り掛かろうと思っていた伊織だが、ゾーン(・・・)に入ったクラの様子を見て考えを改め、わんこそばを運ぶ給仕の如く、粛々とクラに尽くした。

クラの様子には天照大御神(あまてらす)ことヒルメも大いに驚き、いそいそと伊織を手伝った。


退館を(しら)せる鐘が鳴ってもクラは気付いた様子もなく、全く顔を上げようとしない。

パラパラと紙を捲る音だけが響く。


伊織はおもむろにクラの頭をわしわしとかき混ぜながら声を掛ける。


「そろそろ帰るぞ、クラ。」


はっ、と驚いて顔を上げると窓の外はすっかり暗くなっていた。


「うぇ!?夜!?

タイムスリップた!どうしよう!異界の次はタイムスリップだよ主様!」


「そうだな。スリップしたのはクラだけだが。

今日のところはもう帰るぞ。また明日、足を運ぼう。」


「明日も!やったー!あー、楽しかったなあ。

本を読むのがこんなに楽しいなんて、クラは初めて知ったんだよ主様。」

「それはよかったな。本は人生を豊かにしてくれるという。明日も励め。」


「うん!主様が抱えてる本は今から返すの?」

「いや、借りて帰る。宿でも読みたいだろう?」

「主様大好き!」


ヒルメは二人の関係を微笑ましく見ていた。

そして彼女は確信した。図書館に引き篭るのも悪くない、と。


伊織は二人を伴い受付へと向かった。

ペイパル女史の指示通りに『商取引許可証』を提示すると、わずかな時間で『特別入館許可証(全)』を3枚手渡される。

本を持ち出しで借りる場合にはさすがに預り金が必要となるそうで、一冊あたり金貨1枚(100,000円)、今回は5冊で金貨5枚(500,000円)だった。

なかなかの金額ではあるが、返却時には全額返金されるので問題ない。


(もっと)も、汚したり破損するようなことがあればその限りではないが。

九十九神だけあってクラはものを大切にする習慣が根付いているから問題ないだろう。

村雨にさえ気を付ければ。


図書館を出るとしとしと(・・・・)と雨が降っていた。


「モイラに来て初めての雨だな。」

「こっちも雨が降るんだねえ。」


雨が降らない星に生命が根付くのか疑問ではあるが、伊織には思い浮かばないクラの発想になんとなく口角が上がった。

異能『馬鹿と天才』とはいうが、伊織にとってはその両方ともに居心地のいい幼馴染みだった。


「ヌレルゾ ハヤク ノレ」


ぶっきらぼうな物言いの兄貴分の気遣いに癒されながら、一行は宿へと戻った。

宿に戻りいつものように全員が揃ったところで図書館での今日の出来事を説明しつつ、ヒルメを紹介することにした。


菊理媛神きくりひめの考えに沿うなら、彼女が天照大御神であることは伏せるべきだろう。

(もっと)も、後ろの方で悪い顔(・・・)をしてニヒルに笑う伏姫(フセ)あたりはお見通しなのだろうが。


まあ、あくまでもヒルメの治療(・・)の為の一時的な措置に過ぎないのだ。

別に公になったとしても特段都合が悪くなるということはないだろう。

伊織としてはそんなふわっ(・・・)とした秘密のつもりだった。


「という訳でヒルメが同行することになった。少々、引っ込み思案なところがあるが、彼女のためにも遠慮せず積極的に関わって欲しい。」

「また、女?」

「いつまでも俺の序列第一位(いちばん)はお前だけだ、百々目鬼(メメ)。」

「うふふ、一番、メメが、一番。」


通常営業である。


「しかし、メメに同意する訳でもないが、確かに伊織が連れてくるのは女子(おなご)ばかりじゃの。」

「いや、今回は男もいるぞ。いや、あれは男なのか?クラはどう思う?」

「見た目は男の人だし、そうなんじゃない?」

「なんじゃ。まだおるのか。それで、そいつは何処におるのじゃ?」


「色々と聞きたいこともあるし、顔合わせがてら呼び出すか。

『妖牧場』()でよ、バティム。」


伊織の目の前に魔方陣が出現し、黒い霧が立ち昇る。

間を措かずして現れたのは黒い燕尾服を着た背の低い痩躯の男だった。

男は優雅に一礼する。


「ソロモン72柱序列第18位バティム、ルシファー様の命に従い推参致しました。」

「わからん奴だな。俺はルシファーなどではないと」

()ッ!!」ゴスッ

「ひでb」


いつの間にかバティムの後ろに回り込んだ伏姫(フセ)がバティムの脳天にチョップを落とした。

バティムは白眼を剥いて気絶してしまった・・・


「悪魔の戯れ言に耳を貸しちゃめっ、なの。」

「そうだな。留意しよう。」


伊織はバティムへの質問はいつでもいいだろうとあっさりと思い直し、白眼を剥いたままのバティムを容赦なく『妖牧場』へと送還した。


「ふーん、初めて見たが今のが悪魔なんじゃな。クラを召喚しようとした時はあんなのが出てきそうになっておったのか?」

「その話、まだ引っ張るのか。」

「冗談とは言うておったが、お主の事じゃ、全部が冗談でもあるまい?」

「お見通しという訳か。さすがは村雨だな。」


「ふふん、讃えるがよいのじゃ。ん?・・・貴様、また誤魔化そうとしたな!」

「村雨がどんどん賢くなって、主として嬉しく思う。」

「戯れ言はいらぬ。ほれ、キリキリ吐くのじゃ。」

「別に隠すような事でもないぞ?あの時のやつは悪魔というより邪神のように感じたから念のために接触しなかっただけだ。」


「邪神というと、夜刀神(やとのかみ)様のようなものかえ?」

「いや、蛇ではなく、もっとこう、イカとかタコみたいな感じだったな。」

「まあ、やばそうな奴には違いなかろ。」

「それはそうだな。そう思って神威を感じた瞬間に強制切断させたよ。流石に邪神を相手にするのは御免(こうむ)りたい。」


「話が逸れてしもうたが、明日はどうするんじゃ?」

「明日からは・・・そうだな最低でも3日は自由行動とする。

それぞれに金貨1枚(100,000円)を支給する。存分に羽を伸ばしてくれ。

不足するようなら言ってくれ。」


「そう仰るからには何かあるのですよね。主様は如何お過ごしになるのでしょう。」

(サト)の言うように最優先でやることができた。

明日より倉ぼっこ(クラ)、ヒルメと共に図書館に篭る。希望者は付いて来ても構わんが、くれぐれも騒がないようにな。」

「お供いたします。」

「いや、悪いが(サト)にはお前にしか出来ない仕事を任せたい。

朝食後に火車(ロク)で出掛けて夜まで戻らないので、皆はそのつもりでいてくれ。

サト以外は解散していいぞ。」


お前にしか出来ない仕事を任せたい。お前にしか。

サトはなぜ録音機がないのか心底残念に思った。


「サトは皆と協力して特許品の製作を進めてくれ。本来は俺が指揮すべきなんだろうがな。苦労を掛ける。」

「苦労などと、どうか仰らないで下さい。サトは大役を命じられたことを誇りに思います。」


「そうか、俺はいい従者を持ったな。

ついでに腕のいい武器屋、防具屋、鍛冶屋、木工職人、金属細工師、魔道具屋などにアタリをつけてくれ。

余裕があれば接触して特許に関する協力を取り付けることや、後日立ち上げる工房との繋ぎを頼む。

レミィ、君もサトに協力して欲しい。」


「承りました。必ずやご期待に沿う結果を報告します。」

「イエス、マイマスター。」




ーーーーー

ーーー




翌日。


伊織は宿で朝食を摂り、クラ、ヒルメ、それから猫獣人三姉妹を伴って図書館へと向かった。

昨晩から続く雨は変わらず降り注いでいる。


「お姉ちゃん、図書館ってどんなところなの?」

「そりゃ、本がいっぱいあるんじゃないのか?」

「本も沢山だが、建物自体も相応に立派なものだったぞ。見えてきたな。ほら、あの白くてでっかいやつだ。」


「うわー、お城みたい。」

「でかっ!どんだけ本が詰まってるんだ?」


ピンと伸びた彼女達の尻尾に心を癒されながら伊織は火車(ロク)から降りた。

皆を伴い受付で三姉妹の入館料を支払う。

『特別入館許可証(全)』のおかげで三姉妹の保証金は不要とのことだった。

昨日借りていた5冊の本を返却すると、預り金の金貨5枚(500,000円)が払い戻された。


「さて、クラは何を読むんだ?」

「昨日の続きで魔道具と、それから錬金術、あとは魔方陣だね!」

「そうか、今日はナナ達が手伝ってくれるそうだが、ちゃんと礼を言っておけよ?」

「うん!主様はどうするの?」


「コリンナ師の本の目録を作るから全部出してくれ。その後は上から順に全部憶える(・・・・・)。」

「主様はいつも通りぶっ飛んでてクラは安心だよ。」


こうして伊織とクラにとって至福の3日間の読書タイムはあっという間に過ぎ去った。

______

ちゃむだよ? >_(:3」∠)_

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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