モイラ編02-03『商業ギルド』
スウィートルームは圧巻の最上階ワンフロアぶち抜きだった。
これだけでも1日あたり金貨1枚(約100,000円)は破格だろう。
『モイラ』に飛ばされるまでの16年。
伊織の世界は限りなく狭かった。
伊織は青木ヶ原の結界から外界へ一度も出たことがない。
伊織にとって外の出来事とは経験ではなく知識に過ぎなかった。
つまりこのような豪華な部屋どころか町の中のあらゆるものを伊織は貪欲に求めた。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、か。
俺にとっては識ることと経験することでは天地の違いがあるのだがな。
俺は愚者にも及ばぬということだろうか。」
「急にどうしたのじゃ?」
「いやすまん、戯れ言だ。」
この世界は広く、不思議に満ち溢れている。
その全てに触れたい。
俺は愚者であり続けたい。
旅をするのもいいな、伊織は漠然とそう考えていた。
昼食は全員で『金の小麦亭』へと足を運んだ。
夜は酒場になるようで、テラス席が多く設置されていた。
中に入ると売り子が元気に出迎えてくれた。
「ここは初めてなんで、お勧めを適当に見繕ってくれ。」
注文が面倒だったからではなく、単に店が勧めるなら間違いないだろうと思っただけだった。
だが、出てきたものを見て伊織は不思議そうな顔をした。
「これは何という食べ物なんだ?」
「『金の小麦亭』の目玉料理なんですよ。まずはお一つどうぞ!」
見ればわかる。どう見ても目玉だ。
少々抵抗はあったが何事も経験かと思い直し、口に運ぶ。
「おお、美味いなこれは。」
柔らかいゼラチンが口の中で溶け、甘辛いソースが非常に相性がよい。
予想外の気分を堪能していると空気を読まない声が聞こえた。
「あっはっは。百々目鬼は共食いなのじゃ。」
一瞬ピリッとした空気が走るが、当のメメはどこ吹く風だった。
「目、食べると、おめめ、よくなる、よ?」
「なに?それは初耳なのじゃ。」
「ね、村雨。」
「うん、なんなのじゃ?」
「村雨の、目、ちょうだい?」
「ちょ、やめるのじゃ!ホラーは嫌なのじゃ!」
「残念。」
二人の遣り取りを見て、ノノはぽかんと口を開けていた。
理解が及ばないのだろう。
「ノノ、百々目鬼は『百の目を持つ者』という意味でな。
多くの『目』を持つ妖なんだ。
そして他者の目を吸収することで、その目が持つ能力を吸収することができる。」
「どんな力?」
「魔眼や邪眼と呼ばれるもので、目を合わせるだけで様々な精神干渉を・・・と言ってもイメージし辛いか。
相手を動けなくしたり、眠らせたり、そういうのが多いな。」
「すごい。」
真っ直ぐな興味を向けるノノに、百々目鬼は恥ずかしそうに俯いていた。
真っ白な頬がうっすらと朱に染まっている。
「ああ、しかも百々目鬼は邪眼や魔眼持ちにとっては天敵でもあるからな。」
「邪眼、好物、よ?」
その後に運ばれてきた料理も満足できるものが多かった。
余談ではあるが、目以外のゲテモノ料理はなかった。
やはりというべきか、百々目鬼は黙々と眼球料理を口にしていた。
[マイマスター。]
(レミィか。どうした?)
食事が一通り落ち着き、各々がまったりとした空気を楽しんでいると、レミィが話しかけてきた。
[先程、目のお話をしていましたから小話をと思いまして。]
(ほう。聞こう。)
[モイラでは邪眼や魔眼を移植する者がいます。珍しくはありますが、今後そういう者を見掛けることは充分考えられます。]
(興味深いな。)
[移植する目は魔物の物である事もあります。]
(なに?免疫学に真っ向から喧嘩を売っているが、拒絶反応は大丈夫なのか?)
[拒絶反応については太古から研究されているようで、それ専用の術式を継承し続けている一族もあるとか。魔法ならではというものではありますが、人族の執念の一端を垣間見るようで、非常に興味深いですね。すみません、話が逸れてしまいました。]
(いや、非常に有意義な話だ。)
[以前耳にしたことがあるのですが、そういった魔眼専用のオークションが存在するようです。繋ぎをつけるのは容易ではないかと思いますが、百々目鬼様が興味を示されるのではと思い、報告しました。]
(百々目鬼は新しい『瞳術』を得ることに貪欲だからな。間違いなく興味を示す。よく報告してくれた。また情報が入ったら教えてくれ。)
[イエス、マイマスター。]
食後は伊織達『商業ギルド組』と村雨ら『自由行動組』に別れた。
村雨達は一旦宿に戻って仕切り直すようだ。
人通りが少なくなったところで伊織はレミィに話しかける。
「レミィ、プレゼンの準備はどうだ?」
「昨日までに収集した『モイラ』の情報を踏まえ、同・・・アイン様はじめ『お座敷童子ず』の面々にご協力いただいたことで完璧な仕上がりとなっております。」
「そうか、苦労をかけるな。」
「いえ、これもサポートのうちと心得ております。」
「覚、役目は理解しているな?」
「無論、交渉ごとは全てサトにお任せくださいませ。(伊織様と二人きり。これはあのデートというやつでは?)」
「こと交渉においてお前を上回る者はいないだろうな。」
「いえ、必ずしもそうとは限りません。」
「そうなのか?」
「はい。私の能力は厳密な読心ではございませんので。
完全に感情をコントロールできる方が相手ですとなかなか。」
主様のように。とは付け加えなかった。
覚が『モイラ』へと招聘されたとき、彼女は伊織を観て内心驚愕した。
以前は心の動きが活発で、その感情も非常によく観えた。
それは死の床についていたとしても。
だが今なお伊織の感情の動きはほぼ観えない。
恐らくはノルンと宇迦之御魂神の施術による影響なのだろう。
伊織の命を救う方法が他になかったとはいえ、覚は忸怩たる思いを抱いていた。
そんな覚の曇った心をよそに、商業ギルドの建物が見えてくる。
商売人とおぼしき人々の波を掻き分け、二人は歩む。
商人たちは伊織の和装と覚の見たことも無い真っ黒な衣装に好奇の目を向けるも、流石に前を遮って話しかけるような猛者はいなかった。
受付まで進むと後ろに控えていた覚が前面に出る。
対して伊織は従者のように後ろに控えていた。
「商会の新規登録と特許に関する説明をお願いします。」
「承りました。すぐに係のものがご案内致します。」
異世界とはいえプライバシーはしっかりしてるな、と伊織は思ったがすぐに思い直す。
商売の種をこんなところで周囲に聞かせる訳にもいかないか、と。
「お待たせいたしました。そちらにお掛け下さい。」
担当者は目付きの鋭い女性だった。
二十代後半ぐらいだろうか。
商業ギルドの制服とおぼしきスーツをパリッと着こなす姿はできるOLのように見えた。
彼女は覚の両目に巻かれた布を一瞥することもなく、普通に応対している。
伊織は彼女への評価を一つ上げた。
「免状についてのご説明は必要ですか?」
「はい、お願いします。」
彼女の説明は以下のようなものだった。
まず、商会の発行する免状には種類があり、それに応じて税金面での優遇、扱える物、取引できる相手、などが決まってくるという。
免状は三年毎に更新する必要があり、月々には『免状使用料』なるものを支払う必要がある。
また、商業ギルドは銀行としての機能を持っており、預金も可能とのことだ。
預金は庶民レベルには浸透していないようだが、これだけでも登録する価値があるのかもしれない。
倉ぼっこに預けることができる伊織にとっては個人資産を預けるかどうかはついては別途検討する必要があるだろう。
「取り扱い商品に無制限(甲種)をご希望でしたら等級に応じて月次でこちらの料金をお支払いいただきます。また、保証金として・・・」
伊織が話を理解している間にも覚はどんどん話を進める。
等級は『特級』、『一級』、『二級』~『四級』の、大きく三種に別れるらしい。
『特級』は大陸全土のあらゆる国々の最上位、つまり王族や帝室とも取引できる権利を持つ。
当然ながら目の飛び出るような料金を請求されるらしいが、それ以上に過去の取引実績の評価が厳しく審査されるそうだ。
今の伊織には無縁の話で、たいして興味が惹かれることはなかった。
担当の女性も説明義務のようなもので話をしたのだろう。
『一級』は国を跨いでの商売、つまり輸入や輸出に関わることができる。
一級以上の商会を一般的に『大商会』呼称するらしい。
これも現状の伊織一行に必要とは言えないだろう。
『二級』以下は国内で完結する商売に制限される。
一般的な商人は『二級』『三級』『四級』に該当するらしい。
等級は商会の規模に直結し、商会の格にも繋がるそうだ。
「では、まずは『甲種四級』でのご登録でよろしいでしょうか?」
「よろしくお願いします。」
「商会名は如何なさいますか?」
「『越後屋』で登録願います。」
これについては事前に決定されていた。
座敷童子達の満場一致らしいが伊織は詳しく聞いてはいない。
伊織は自身の琴線に触れないことには冷徹なまでに無関心なのだ。
尚レミィを含めた会議では「山吹色のお菓子が~」「お主もワルよ~」などという言葉が飛び交っていたとか。
等級を『四級』としたのは、商会の規模が大きくなった時点で変更すればいいというアドバイスに素直に従ったからだ。
また、取引用の口座も用意し、各種引き落としにも備えた。
保証金は商会解散時には返金されるそうだが、倒産などで資産がマイナスになった際にはそこから補填されることとなる。
余談ではあるが貸倒引当金などとしての使用は許されず、あくまでも自己の倒産が確定したときの保険であるとのことだ。
ともあれ、そうはならないように気を付けたいものだ。
「それでは『特許』について説明致します。」
『特許』とは、現代では知的財産権ともいうもので、発明者を保護するために作られた制度だ。
発明者は『発明』を商業ギルドに登録する。
『利用者』は発明者に金銭を支払うことで『発明』を使用する権利を得る。
登録期間に制限があったり、商業ギルドへ手数料などはあるものの、現代知識をうまく利用できる制度といえるだろう。
他にも細々とした説明を受けたが概ね問題は無さそうだった。
「では、現物と資料をお持ちしてまた伺います。」
課題を理解できたところで明確な道筋が見えた。
説明が終わったあとは改めて受付で『商取引許可証(甲種四級)』を受け取った。
ようやく明確な身分証を手に入れたことに伊織は安堵した。
伊織に根なし草としての適正はないらしい。
商業ギルドを出て空を見上げる。
「さて、まだ時間はあるか。」
「では、『冒険者ギルド』へ参りませんか?」
「ふむ。身分証が手に入ったことで登録は必要なくなったが、話を聞いてみるだけでも無駄にはならんか。」
「御意にございます。(デート!デート!)」
「覚、手を繋がないか。」
「ふぉ。」
冷静を旨とする覚には珍しく、表面に出るほど驚愕していた。
もちろん否はない、断じて。
覚は天にも昇る心持ちだった。
「昔、二人で『倉』に行くときにはよく手を繋いでくれただろう?。
お前にはバレてしまっているだろうが、俺の精神は変容してしまった。
追体験をすることでその変化を見極めたいんだ。」
覚は冷や水を掛けられたように眼帯の裏の目を見開いて停止した。
「主様が変わってしまわれたのは感情面だけに過ぎません。
その高潔な精神に一片の曇りもございません。
サトにはわかります。」
「感情と精神は別物なのか?」
「はい。むしろ大樹のように揺るぎなき精神は主様の御成長の賜物であるとサトは確信しております。」
「なんだ、図太いって言いたいのか?」
もしかしたら自分は少し神経質になりすぎていたかもしれない。
確かに自己の精神面の成長については度外視していた。
伊織は自己の変容についての考察を一度リセットし、改めて考え直すことにした。
「滅相もございません。それより早くサトをエスコートして下さいませ。」
「それでは、どうぞ手をお取りください、お嬢様。」
優しく繋がった互いの手は十年の時を経ても暖かかった。
(今日は手を洗えませんね。)
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ちゃむだよ? >_(:3」∠)_
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