モイラ編01-14 『十種大祓詞』
かつては賑わっていたであろうその村は静寂に包まれていた。
人ひとりいない村内には火車の蹄の音だけが物悲しく響く。
焼け落ちた民家は修復されることなく風に任せて風化される運命だろう。
文字通り、諸行無常だ。
せめてもの救いは付近に遺体が散乱していないことぐらいだろうか。
(レミィ、盗賊が遺体を処理するものか?拠点にするならそうするんだろうが。)
[遺体が大気中の魔力を吸収することでゾンビ化する危険があります。ですので人族は火葬または首を落とす処理をするのが一般的です。ですがマスターが仰るように盗賊がゾンビ化に対処するのは不可解に思います。]
(嫌な可能性が出てきたな。まぁ、積極的に詮索する真似はするまい。それは俺の仕事ではないだろう。)
[・・・イエス、マイマスター。]
(不満があるなら何でも言っていいんだぞ?)
[いえ、不満はございません。付近の村によるものか、先の駐屯地によるものか、他国によるものか、色々と可能性を考えておりました。]
(そうか、詮ないこと言ったな。すまん。)
[いいえ、お気遣い嬉しく思います。マイバディ。]
あまり大きな声で話せないような内容の念話をしていると、自宅に帰っていた三人娘がトボトボと戻ってきた。
「お兄ちゃん。」
涙目で伊織に話しかけてきたのは末妹のノノだった。
「お父さんとお母さん、いなかったよ。」
もしかしたら一命を取り留めて・・・
そんな希望を抱いていないことはポタポタと地面に落ちる雫が物語っていた。
「お兄ちゃん。お父さんとお母さんは天国にいけない?」
「ならば、ノノが送ってあげるか?」
ノノは勢いよく顔を上げ、伊織にしがみついた。
「私、やる、なんでも、だから。」
「よく言った。俺が手伝ってやるから一緒にやろう。
お前たちもノノと一緒にやるか?」
伊織はノノの柔らかい髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「はい、是非お願いします。」
「やる。」
嗚咽を漏らすノノと歯を食いしばって涙を堪えるネネは対照的だったが、その想いが同じであろうことはその場にいる全員が認めるところだった。
「では、『雛子剣舞』を奉納する。村雨、よもや舞を忘れてはいまいな?」
「誰に言うておるか無礼者め。妾が小娘どもに指導すればよいのじゃな?」
「話が早くて助かる。簡易的でいい。」
「じゃが囃子がないぞ?」
「鎮魂の祝詞でいいだろう。十種祓詞に合わせてくれ。」
「ふん、二時間で仕上げてやるわ。」
頼もしい村雨の言葉にひとつ頷くと、伊織は村の瓦礫や廃材を組み上げ、村の入り口に簡素な祭壇を作り上げた。
祭壇や衣装などは本家本元には遠く及ばない。まして鼓や笛に至ってはそれそのものがないため、囃子を奉納することすらできない。
だが伊織も村雨もそういった形式には一切拘っていなかった。
形式が重要なのはもちろん理解している。
だが今、この場においてはもっと重要なことがあるというだけだ。
三人娘の心の平穏が得られればそれでよい。
己に課されたのはただの演出であると伊織と村雨は断じていた。
各々が忙しく動き回る中、伏姫はキラキラとした目で三人娘を見つめていた。
伏姫は人が好きだ。
踏まれても踏まれても、何度も立ち上がり、大地に根付く、そんな人が好きだ。
それは獣人であっても彼女は意にも介しない。
彼女たちが前を向こうと懸命に舞う、その姿勢こそがただただ好きだった。
やがて準備が終わり、伊織が祭壇の後ろに立つ。
その眼前には廃墟と化した村が広がっている。
伊織から少し離れた後方には村雨が両膝をついて控えている。
そのさらに後方には三人娘が並び、村雨同様の姿勢をとっていた。
そんな中、伏姫は村と祭壇のちょうど中間の位置へてくてくと歩み寄った。
そして不意に浮かび上がる。
(妾は伏姫神。遠く大和に住まう一柱として『雛子剣舞』見届けようぞ。さあ、舞い、踊れ、人の子よ。その想いを高天原へ届けてみせよ!)
その場の全員に届いた思念の効果は絶大だった。
神が世界に宣言した。
たったそれだけで儀式が術式へと昇華した。
最初に異変を察知したのは伊織の頭の上に乗った水精だった。
まるで誘蛾灯に吸い寄せられる蝶のようにふらふらとフセに吸い寄せられた。
それに気づいたフセは目を丸くしたものの、手を差し伸べて水精を招き寄せた。
伊織は伏姫の意図と静謐な魔力の高まりを敏感に察知し、当初予定していたおままごとを脇に投げ捨て、大規模術式を組み上げるべく急いで修正する。
余裕がなかったこともあり、水精の動きには全く気がついていなかった。
(まったく、無茶振りにも程があるぞ。)
ひとりごちりながらも一から手順を組み上げる。
(まずは祓詞にするか。)
伊織は深く息を吐き、魔力を乗せながらゆっくりと、だが朗々と唄い上げる。
「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
諸々の禍事 罪 穢 有らむをば
祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す」
村雨は伊織のアドリブに特段驚くこともなく、「あー、マジのやつじゃな。」と思いつつも大人しく控えていた。
三人娘は村雨が動くまでは待機を命じられており、忠実にその指示を守っていた。
大地から光の粒子が溢れるまでは。
伊織の祝詞が祓詞であると察した伏姫はこっそりとそれを支えた。
結果、伊織が意図せぬ大地の浄化がはじまり蛍のような光が村の至るところに漂い始めた。
三人娘は顔を上げ、口を大きく開いて空を見上げており、村雨は苦笑し、伊織は術式の制御に必死でそれどころではなかった。
水精はひっそりとフセの手を離れ、小さな光に向かっては一つひとつを無心に吸収していた。
フセだけはその動きに気づいていたが、彼女の柔らかい微笑みからはその考えを読み取るものはいなかった。
(どこまでやれば気が済むんだあの姫様は。)
次こそは予定に戻り、『雛子剣舞』を奉納するつもりだったが、伏姫にああも挑発されてしまっては全霊を以てこれに応えなくては『夜行』の名が許さない。
本番への前段階として柏手を打った。
『2礼8拍手1礼』
参拝の作法の中でも異例ともいえる8拍手は、出雲大社の勅祭でのみ使用される、神々に対し限りない拍手を以て讃える作法だ。
続いて本命の十種祓詞を急遽変更して『十種大祓詞』を唄い上げる。
そこでようやく村雨が静かに立ち上がる。
続いて三人娘も我に返り、慌てて立ち上がった。
「高天原に神留り坐す 皇神等 鋳顕給ふ
十種瑞津の宝を以て
天照国照彦 天火明櫛玉 饒速日尊に
授給事 誨て曰
汝此 瑞津宝を以て 中津国に天降り 蒼生を鎮納よ
蒼生 及 萬物の病疾辭 阿羅婆 神宝を以て
御倉板に鎮置て 魂魄鎮祭を為て
瑞津宝を 布留部 其の神祝の詞に曰」
静かな立ち上がりだった。
刀身に妖気を込め、薄く輝く刀を振るいながらゆらゆらと舞う村雨に見惚れつつも、三人娘達は不器用ながらも、父と母の冥福を真摯に祈りながら丁寧に舞った。
「甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
一二三四五六七八九十 瓊音
布瑠部 由良由良 如此祈所為婆
死共 更に蘇生なんと誨給ふ
天神 御祖 御詔を 稟給ひて
天磐船に乗りて
河内国は 河上の 哮峯に 天降座して
大和国 排尾の山の麓
白庭の高庭に遷座て 鎮斎 奉り給ふ
號て石神大神と申 奉り 代代神宝を以て
萬物の為に布留部の神辭を以て
司と為し給ふ故に布留御魂神と尊敬 奉
皇子 大連大臣 其神武を以て
斎に仕奉給ふ物部の神社」
今、伊織は確かに神威を感じた。
今までノルンにも伏姫にも神威を感じることができなかった。
が、頭の先から足の先までトランス状態に落ち、さらに伏姫が手を曳いてくれたことにより、一種の奇跡が起きた。
伊織は正面で優しく微笑む伏姫に確かな神威を感じていた。
滝のような汗を拭う事なく、伊織はギアを一つ上げる。
「天下 萬物聚類 化出 大元の神宝は
所謂 瀛都鏡 邊都邊 八握生剣
生玉 死反玉 足玉 道反玉
蛇比禮 蜂禮 品品物比禮
更に十種神」
物語は最大の山場を迎える。
神の宝をひとつ唄い上げる度に白く輝く玉が浮かび上がり、村の上で絡み合いながら高らかに舞う。
よもや太古に語られた本物の宝ではないだろうが、その光はその場にいる全員を柔らかく包み込んだ。
水精も10の玉を追いかけるようにして昇ってゆく。水精が人の頭ほどの大きさに成長したことを見届けたフセは笑みを深めた。
「甲乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
一二三四五六七八九十 瓊音
布留部 由良由良と 由良加之 奉る事の由縁を以て
平けく聞食せと
命長遠 子孫繁栄と
常磐 堅磐に護り給ひ幸し給ひ
加持 奉る」
滝にような汗が頬を伝う中、暴れ狂う魔力を慎重に、丁寧に誘導する。
そして神威に当てられ朦朧とする伊織は最後の力を振り絞る。
「《神通神妙神力加持》」
伊織が締めを唄うと、ひとつ、またひとつと、村の外れから数多の光が浮遊してきた。
それは37もの数を数え、緩やかに村の上を廻る。
ふと、2つの光がこちらに、否、三人娘達に寄ってきた。
彼女達はにそれが何であるのかをすぐに理解したのだろう。
長女のナナまでも声をあげて泣きじゃくった。
伊織、村雨、そして伏姫はそんな三人の様子を静かに見守っていた。
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ちゃむだよ? >_(:3」∠)_
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