モイラ編01-10 『奴隷解放』
火車が狩った猪のようなものを食べながら時間を潰す。
猪は魔物ではなく動物だったが多少なりとも魔力が含まれており、猪にしては上等なものに感じられた。
『モイラ』では何を食べても美味しい。
伊織はそう刷り込まれつつあった。
とはいえやはり塩が欲しい。というか、ないと死ぬ。
できれば醤油も欲しいが。
「レミィはインターネット環境にいるのか?」
「イエス、マイマスター。」
「なるほど、現代知識も調べ放題だな。色々と都合がいいかもしれん。」
「『モイラ』には特許制度もありますので利用されてはいかがですか?」
「そうだな。いずれ考えよう。」
「では候補をリストアップしておきます。」
「ああ、そうだ。そういうのはうちの座敷童子達が強いかもしれん。」
「!」
レミィは座敷童子と聞いて『自分を睨み付けるツヴェルフの瞳』がフラッシュバックして、絶句してしまった。
「レミィ?」
「・・・申し訳ございません、少々気が逸れておりました。」
「疲れてるんじゃないか?」
「いえ、そのようなことは。それより、座敷童子とはどういうことでしょう。」
隠しきれそうにない動揺を何とか誤魔化そうと、レミィは無理矢理に話題を戻した。
「どういうわけか、座敷童子達は俺が『モイラ』に転移する以前から異世界に転生することに興味津々でな。
転生したら何をするとか、何を作るとか、何を売るとか、わざわざWeb会議で大真面目に討論していたのを思い出したんだ。
連絡を取ってみてはどうだ?意外と使えるかもしれんぞ。」
「・・・イエス、マイマスター。」
「座敷童子の連絡先は・・・」
伊織はレミィの様子がおかしいことに気づいていたが特に触れなかった。
そしてレミィは伊織の為になるならば、どのような提案であっても『ノー』という選択肢は取り得ない。
例えレミィが顔色を失うほどに気が進まないないような案件であっても。
そうこうしていると約束の一時間などすぐに過ぎる。
三人娘のもとに向かうと、彼女たちは決意を秘めた表情をしていた。
「さて、その様子だと方針は決まったか?」
「はい。」
やはり交渉は長女のナナの仕事のようだ。
先程まで伏せていた耳が今はピンと立ち上がっている。
本人にとっては感情がバレバレというのも考えものだろうが、少なくとも伊織はそれを好ましく感じていた。
「聞こう。」
「足枷の破壊をお願いします。その後は貴方にお仕えしたいと思います。何でもします!どうか、お願いします!」
「後のことは落ち着いてからもう一度話し合ってはどうだ?そう急ぐものでもあるまい。」
「私達には行く当てがないのです。貴方は悪い人ではなさそうですし。」
「ネネとノノもそれでいいのか?」
「ああ。」
「いい。」
伊織は意識して溜め息を堪えた。
「おまえ達は俺の事を何も知らないだろう?」
「身一つしか持たない私達を対価なく救ってくださる。それだけで充分です。」
「まあ、時間はある。落ち着いて考えるといい。」
無駄になるだろうとは思いつつも伊織は逃げを打った。
「では、足枷を解除する。ナナ、足枷を出してくれ。」
ナナは少し恥ずかしそうにしながら毛布をたくし上げる。
「いや、そこまで上げなくてもいい。」
伊織がそう言うと、ナナは素直に毛布を降ろした。
「では早速始める。ちょっと怖いかもしれんが痛くもないし、後遺症が残る心配もない。リラックスして構わないからな。」
伊織はそう諭しながら枷に触れる。
「ほお、左右で同期しているのか。思ったより高度だな。やはり熱量発生系か。
・・・だが炭になるのは大げさだな。せいぜい火傷程度ではないか。
まずは術式を同時に破壊して、それから枷自体を破壊すれば・・・」
(レミィ、術式を破壊せずに枷を外す方法はあるか?)
[現状では不可能と判断します、マイマスター。
契約を達成する、最上位の契約魔法で初期化する、術者が用意したマスターキーで解除する、などの方法で解除可能です。
ですが現状では破壊する以外の選択肢は取り得ません。]
(そうか、いずれまた必要になることがあるかもしれん。優先度は低くて構わないから情報を集めておいてくれ。)
[イエス、マイマスター]
「では、術式を開始する。
まずは安全のため結界を貼る。
《神意ありてこそ人成るは 人ありての神になり》
《真空結界》」
伊織はナナの精神状態を考慮して、口頭で説明しながら施術を開始した。
《真空結界》は伊織が双子の姉である彩葉とともに編み出した熱を完全に遮断する結界だ。
耐熱結界を二枚張り合わせ、その間に極薄の真空状態を作り出すという妖術と科学を融合させた、妖術に一種の革命をもたらした結界だった。
魔法瓶を想像すると分かりやすいだろう。
熱が『放射』、『熱伝導』、『対流』で伝わることは初等科学で説明されている。
完全な真空状態を作り出すことでそれらを無効化することでこの術式は成立している。
尤も、真空状態を作り出すことは容易ではなく、現状ではごく限られた範囲でしか成立し得ない。
人を真空状態で包み込む様な荒業は、いかな伊織といえどその道筋すら見えていなかった。
左右の足枷に巡らせたそれぞれの《真空結界》の出来をしっかりと確認し、次の段階に入る。
「足枷の術式を同時に破壊する。何が起きても安全なので安心していい。」
「は、はい。」
ナナは緊張を隠しきれていないがそれも仕方のないことだろう。
歯医者の治療台に乗るのと同じことだ。
多くの人はいくら痛くないと言われても力んでしまうだろう。
術式破壊により予想される結果は二つ。
ひとつ、何も起こらない。
ふたつ、熱量が発生する。
先程の解析結果を踏まえ、伊織は高確率で前者になるだろうと予想していた。
この時点で《真空結界》が働かないことは伊織も望むところだった。
「《神意ありてこそ人成るは 人ありての神になり》
《潰せ》」
伊織は基本的に脳筋に分類される。
対象の術式がそれほど強固なものではなく、魔力のオーバーフロー対策がされていないと気づいた瞬間、躊躇いなく魔力量に任せてのごり押しを選択した。
音もなく、見た目にも変化はないが、伊織は確かな手応えを感じた。
そして左右の足枷からは一切の魔力を感じなくなった。
「術式は無事破壊した。もう怯える必要はない。
最後にこれらの枷を外すが、構わないか。」
「はい、お願いします。」
人生を縛る忌々しい鎖だ。
除去は望むところだろう。
ナナは全身の力を抜いて安心した表情を見せた。
「では、金属の熱疲労による・・・」
「伊織、妾に任せて欲しいのじゃ。」
それまで人形のように大人しくしていた村雨が伊織の袖を引いた。
普段の豊かな表情は鳴りを潜め、珍しく神妙な顔をしている。
「どうした?」
「今回、妾は伊織の邪魔をしただけじゃ。妾も伊織の役に立ちたいのじゃ。」
しょんぼり、といった風情でそう言われるとさすがに伊織も無下にはできない。
「それで、どうするんだ?」
「斬るだけじゃが?」
接合部を切り飛ばすだけならば村雨の技量を以てすれば確かに造作もないだろう。
伊織は村雨の腕にその程度の信頼は抱いている。
だがナナがそれをどう思うか。
村雨とナナ。
両者の気持ちを天秤に乗せ、伊織はあっさりと判断した。
「いいだろう。お前の腕は信頼している。」
「任せるのじゃ!」
「えっ。」
村雨は花咲くように破顔した。
対照的なのはナナだった。
人形のように可愛らしい少女が物騒なことをいっている。自分の足に向かって。
「村雨の腕なら万一もないから安心していい。」
「なーに、一瞬で終わるのじゃ。安心してたも。」
「えっ。ちょっ。」
伊織は《真空結界》を解きながら他人事のように言う。
まあ、実際他人事なのだが。
「いくのじゃー。」
「ひぃぃぃ。」
人形のように可愛らしい少女が切り飛ばすと言っていた。
すっかりリラックスした様子で見たこともない構え?をする少女に目を白黒させるが、足を切り飛ばされてはかなわない。
せめて動かさないようにと、パニックになりそうな心を涙目になりながらも押さえ込んだ。
「ほいっ。」キンッ
「ほいっ。」キンッ
ゴト、ゴト。
気の抜けた声がしたと思ったら音がした。
少女は全く動いていない。
音がしたと思ったら足枷が落ちていた。
何を言ってるのかわからないと思うけど、何をされたのかわからなかった。
頭がどうにかなりそうだったので、きっとそういう魔法なんだ、無理矢理そう納得した。
「うーむ、相変わらず無駄がない。残心も見事だ。参考にもできんレベルだな。」
「ふふん、どうじゃ、見直したか?」
「ああ、俺は大抵のことは真似できるがそいつは無理だ。絶望的に何かが足りていないらしい。」
「何を呆けたことを。ほれ、終わったことじゃし修練にいくぞ!」
すっかりと元気を取り戻した村雨が伊織の袖を引く。
「まだネネとノノが残っている。」
「むむ、とっとと切り飛ばすのじゃ。」
結局のところ《真空結界》は日の目を見ることはなく、ネネとノノ足枷もまた無事に切り飛ばされた。
余談ではあるがネネとノノは何をされたのか理解できておらず、全く怖がることはなかった。
「遅くなったが食事を用意してある。
それから、水場についたので身を清めるといい。
今日は他にすることもないので、自由にしてくれていい。
あまり遠くに行かなければ馬車から出ても構わない。」
「ありがとうございます。」
「ありがと。」
「あい。」
三者三様の返事を聞きながら、伊織は背を向けた。
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ちゃむだよ? >_(:3」∠)_
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