23. 全ては二人の
「ミロ!」
孤島にある閉ざされた館の地下室の扉が強く開かれる。
ミロと呼ばれた女性は牢屋越しに男性の影を見る。
「……レ……オ……?」
彼女の精神は極限まですり減っており、未だ夢かうつつかの区別が付いていないようだった。
「大丈夫か!?」
数日前とは大きく変わったミロの様子を見たレオと呼ばれた男はすぐさま彼女のいるところの格子の前まで駆け寄る。
地べたにぺたりと座った彼女は、ただ座っているだけでも精一杯なように見えた。
傷がついた足に、ひどく痩せた顔。
まともに入浴もさせて貰えていないのか、長く白い髪にも幾つか汚れが見て取れる。
美しい双眸もどこか生気を失って光が足りていないようにも見える。
彼にとっても予想していたことではあったが、彼女の姿からこの数日の彼女の処遇が想起させられて、彼は自分の情けなさを一層腹立たしく感じる。
「……ほん……とうに……レ……オ……?」
彼女からは弱々しい声が発せられる。
普段の明朗快活な彼女からは想像もできない声だ。
「ああ、俺だ!……だからもう、心配は要らない!安心してくれ!」
「どう、して……」
「カサミラがみんなに内緒で協力してくれたんだ!だからもう、大丈夫」
彼は格子越しに彼女を安心させるように彼女の肩を抱く。
「……っく……っ……」
すると彼女の肩が震えだす。
「え、あ、どうした……あ、ごめん、辛かった、よな、よしよし……」
彼にとってこれは想定外だったようで、彼は絵に描いたように動揺する。
彼は彼女を安心させるつもりで肩を抱いたのに、自分が手を置いた瞬間泣き出してしまうなんて。
「っ……違う、違うの……」
「な、何がだ……?」
泣きじゃくる想い人を前に彼は冷静さを保っているふりをする。
「わ、わたし……助けられる資格なんてっ……きっと、ないのっ……」
ひっくひっくと彼女の肩は鼻を啜るタイミングで跳ね上がる。
彼は普段は明るい彼女が目の前で泣きじゃくる姿を見て、ただただ悲しくなった。
彼女は自分は助けてもらう資格がないんだと、そう言った。
「そんなこと、ない」
彼はやや強めに、されど優しく彼女の言葉を否定する。
「あるっ……あるよぉ……」
それでも彼女の中には納得のいかないことがあるらしく、彼の擁護を否定する。
「わたしっ……ずっとみんなに迷惑かけてばっかでっ……何一つ、役に立ててないっ……レオにもずっと守って貰ってばっかでっ……今回だって、こんなことに、なったのは全部私のせいでっ……私がもっと上手くっ……立ち回れていればっ……レオにだってっ……こんなに迷惑かけることなかったのに……私がっ……無力だからっ……」
彼女はどうやら、自分の無力さに嘆いていたらしい。
彼はそんな彼女の嘆きを聞いて、ひどく申し訳ない気持ちと、自分への怒りが込み上げてくる。
彼女にこう言わせてしまうほど、精神的に追い込んでしまったのは自分だ。
自分がもっと早くここに辿り着けていれば。
自分がもっと彼女の味方でいてあげられれば。
彼女はこんなに悩まなくてよかったに違いない。
彼女がこんなに泣きじゃくることもなかった。
そうさせたのは自分だ、そうできなかったのも自分だ。
「違う、それは違うんだミロ」
「……何がっ……」
彼は彼女の顔を真正面から見つめ、真摯に向き合う。
この六日間、いや、それよりもっと前からできなかった分を取り戻すように。
「ミロは、無力なんかじゃない」
「無力だよぉ……私、自分では考えてるつもりだけど……結局周りが見れてなくてっ……視野が狭くてっ……いつもいつも迷惑かけてばっかりっ……」
「違う。確かにミロは他の人よりちょっと抜けてるところもあったりするけど」
「ほらぁ……」
「でもそれが、その真っ直ぐさが誰かの支えになってるんだよ」
「誰かの支えに……?」
彼女は本当にわからないといった様子で首を傾げる。
「ミロはさっき、自分は守られてばっかだと、そう言ったけどそんなことない」
「ううん、そうだよ……実際私はレオを守ったことなんてない……守ろうとしたことは何度もあるけど……」
「いいや、ある。これはええと、そうだな……あー……知り合いから教わったんだけど、守るってのは寄り添うってことなんだよ。物理的な力から守ったり、心無い言葉から守ったりすることだけが守るってことじゃない。ミロは、誰よりも真っ直ぐに嘘のない心で、人と向き合ってきた、寄り添ってきた。だから、その、なんて言うんだろ、ミロは気づいてないかもしれないけど、ミロが真っ直ぐに人と関わった分だけ、ミロに守られた人がいるんだよ。俺もその一人だ」
彼は成長していく中で、色んな世界を見た。
陰湿な大人、友達の悪口を言う友達、大して仲良くもないのに偏見で決めつける人。
そんな人が、歳を取れば取るほど、増えていった。
彼はそれに早い段階で気がついた。
きっとみんなももとは純粋だったのかもしれない。
けれど彼と同じように、色んなものに触れ、変化せざるを得なかったのかもしれない。
本当は優しいあの子も、不可逆的な環境の移り変わりに心が変形していっただけかもしれない。
彼も同じで、どんどん自分が悪いものになっていくような気がした。
成長すればするほど、身体は大きくなるのに、いや、大きくなるからこそ、自分の心の小ささを知ってしまった。
きっと自分も、いつかは嫌った、怒鳴り散らかす大人になるんじゃないかと思った。
けれど、隣を見れば、いつも純粋なままの彼女がいた。
彼女もいつかは変わってしまうのかもしれない。
そう思うたびに胸が苦しくなった。
けれど、彼女は変わらなかった。
ずっと綺麗なままで、自分らしくいた。
時にはその綺麗さで、彼女の預かり知らぬところで歪みを生み出してしまうこともあったが。
それでも、彼はずっと隣にいた彼女に、変わらぬ美しさに心を奪われていった。
「この世界には、この世界にはこんなにも綺麗な心の持ち主がいるんだと、本気でそう思ったんだ」
彼は頬を赤らめながらも思ったことをまっすぐに口にする。
彼女の泣き顔など、見たくないから。
彼女がいかに素晴らしい存在なのかを彼女自身に語る。
「俺はミロのように真っ直ぐに生き続けることはできなかった。上手そうな話があるとすぐ深読みしちゃうし、人の無条件の優しさですら疑ってしまう。毎日毎日他人を疑ってばかりだ。だから俺はミロに惹かれたんだ。誰よりもまっすぐなその瞳に、心に。ミロだけは疑わなくても良かったから。ミロ、告白して困らせてごめん。魔王討伐に連れてってごめん。この六日間上手く話せなくてごめん。こんなとこに置いてけぼりにしてごめん。助けに来るのが遅れてごめん。泣かせてごめん。だけどどうか、俺の言葉を信じてほしい。俺が信じたミロのことも、信じてほしい」
……
彼の言葉の後、しばらくの静寂が訪れた。
彼女の肩も次第におとなしくなっていく。
この少しの冷却期間が彼の熱を上げていった。
「ぷっ……あはは、レオってば顔真っ赤にしちゃって……」
「なっ……!?」
彼女は真っ赤に染まった彼の顔を見て、思わず吹き出して、泣き笑いをする。
それは彼の言葉が、彼女にとってとても大きな影響を及ぼしたこと意味していた。
せっかく良いことを言ったのに笑われるとは思っていなかった彼はしばし目を見開いた後、く、と彼もなんだかおかしくなって彼女と一緒になって笑い転げた。
数日間、貯めた分を一気に吐き出すように、ケラケラと。
彼らの行動を咎めるものはどこにもおらず、次第に彼らは自分たちでも何がおかしくてお腹を抱えているのかわからなくなっていった。
今の彼らにはそれで十分だった。
無意味に笑い合うことが、こんなにも有意義な時間だと知れたから。
「ふぅ……それで、本題を話していいか?」
しばらく笑い転げた後、彼は声を顰めて本題に移る。彼がここにきた理由を。犯人の正体を、手口を。
「うん、わかった」
彼女も覚悟を決めたようで、真っ直ぐに彼を見つめる。
「実は───」
彼は話した。
この事件の全貌を。
誰がどういった手口でこの事態を招いたのか。
彼にも実は不明瞭な点がいくつかあった。
それでも彼は犯人を追い詰める策を考えていた。
むしろ、その策を行うことで、犯人に確証が持てる。
それには彼女の助けが必要だ。
「そん、な……でも確かに……言われてみれば……なんで……なんでこんな簡単なことに気づけなかったんだろう」
彼から話を聞いた彼女はひどく衝撃を受ける。
彼女も彼同様、なぜ今まで気づくことができなかったのだろうと、思った。
口にしてしまえばなんとも単純なことだったのだ。
「それで、ミロに手伝ってほしいことがあって───」
彼はまた小さな声で彼女に作戦を告げた。
彼女は小さく頷きながら、わからないところを随時彼に確認していった。
「……わかった。それで、捕まえられるんだね」
「ああ、俺の推理が正しければ、間違いなく」
「うん、信じるよ」
彼女の中に彼を疑う理由は一つもなかった。
彼は彼女が自分を助けてくれたと、そういった。
彼女の方には自覚がなかった。
けれど、その言葉はとても嬉しかった。
今まで自分が否定してきた部分が、人を救っていたなんて。
否定していた部分が認められて、自分の生き方全てを肯定された気がした。
今まで彼女は彼の隣に立てているとは思えていなかった。
だからきっと彼と自分は釣り合わないと無意識に認識していたのかも知れない。
でも今は隣にいる気がする。
彼女の中にはある気持ちが芽生えようとしていた。
いや、その感情はずっと前からあったのかもしれない。
ただ、彼女がその存在に気づけなかっただけで。
彼は今、何を考えているのだろうか。
彼女は彼の顔をぼんやりと見つめる。
彼はおそらく何か考え事をしているのだろう、それだけは彼の仕草から彼女にも読み取ることができた。
「ねぇ、レオ……」
「ん?」
「この作戦が上手くいったら私、レオがしてくれた告白の応えを、伝えたい」
だから彼女は彼をまっすぐに見つめる。
「え……」
頭の中で作戦の手順を再確認していた彼の思考が思わず止まる。
「だからこの作戦、絶対成功させようね」
「あ、ああ……」
彼は頭の中で思った。
(めちゃくちゃフラグじゃねぇか……)
彼は彼女のセリフとそのタイミングに若干焦りながらも、彼女の言葉を嬉しく思った。
彼女のこういうまっすぐなところがやっぱり自分は好きなんだと。
「あの、俺も一つ伝えたいことがあるんだけど、言っていいか?」
「うん、今ならなんでも受け止められるよ!」
「本当に?」
「ほんとほんと」
彼の言葉により自信のついた彼女は、どんと来いと言わんばかりに胸を叩く。
「じゃあ、あんまり気を悪くしないで聞いてほしいんだけど……」
「うん!」
(私が気を悪くする話?なんだろ?)
彼女は大仰に構えながらも、どんな言葉が飛び出すのか内心ではほんの少しだけハラハラしていた。
彼の方も覚悟を決める。
間違いなく、今言うべきセリフじゃないが、彼はどうしても今、自分の気持ちに正直になっておきたかった。
小さく息を吸って、
「俺、その、俺───
────黒髪の方が好きだ!」
「え……?」
若干身構えていた彼女の肩からするりと白い毛が流れ落ちる。
少しの静寂の後、彼女はまたしても「ぷっ」と吹き出してしまった。
「あははは、何それ、今、言うことなの?」
彼女はおかしいおかしいと笑い転げる。
「いや、これだけはなんとなく言っておきたいなって思って……」
彼は恥ずかしそうに頬をぽりぽりかく。
「だとしても、だよ、はーおかしい」
彼の方はやっぱり今言うべきじゃなかったかもしれないと軽く後悔する。
「レオってさ、ほんと空気読めないよね」
「お前には言われたくないわ!」
まっすぐな彼女だけには言われたくないセリフまで言われてしまう始末。
「わかったわかった。そんなに黒髪の私が好きなら、今週末黒に染めてくるよ」
「いや、別に無理にとは言わないし……それに白髪は白髪で現実感がなくて幻みたいに綺麗で……」
「ううん、私もあんまり似合わないなって思ってたの。どうせ近々戻す予定だったからレオが言ってくれて丁度よかった」
「そ、そうか……」
彼は自分の発言で彼女を傷つけることがなかったことを見て安堵する。
「それと、さ」
「ん?」
彼は思い出したようにもう一つ伝えたいことを付け足す。
「その、今は二人なんだしさ、レオってのもやめない?なんかミロにそう呼ばれるとムズムズするというか……」
「あー、なるほどね。みんなの前でずっとそう呼んでたから二人の時も癖でそう呼んじゃってた」
「……えと、レオの名前ってなんだっけ?」
「なっ!それ本気か!?」
彼女はあえて戯けて見せて、彼の反応を楽しむ。
「……ったく」
彼は彼女の耳元に口を近づけて、自身の名前を囁く。
「ああ〜そうだった!」
「わかってただろ……」
「えーと、それじゃあ、」
彼女は胸の前で両手にグッと握り拳を作って、彼の名前を呼んだ。
「作戦成功させようね、れん」




