15. 花めく為に散る、
今日も、人を殺す。
次は、あいつだ。
『転生者』、か……
面白い……
昔のことを思い出すな……
自分が生まれ変わる前のことを……
「やーいやーい!」
「どうして地面を見つめているんだい?」
「こっち向いたらどうなの?あ、でもそれじゃあ無理か」
川口蓮は小学校からの帰り道で、鈴木士郎に頭を靴の裏で抑え付けられて、アスファルトの上で土下座のようなポーズを取らされていた。
士郎があまりに強く踏みつけるため、蓮は頭が割れるような痛みに襲われた。
「士郎、一旦ここでやめとこう」
やりすぎはバレると判断したのか黒田輝久が、ここまでにする様にと鈴木士郎に云う。
「でもよぉ輝久、こういうやつにはもっと教え込まないとダメだぜ?」
「今日じゃ無くても良いさ」
「それもそうだな、お前、次紅奈のこと変な目で見たら殺すからな!」
と、いじめっ子達はせかせか走っていく。
自分は春原紅奈のことなど変な目で見ていない。
春原紅奈はクラスの女王的な存在だ。蓮からするとそんな存在は逆に眼中になどない。
あいつらは俺をいじめたいからそうやっていつも変ないちゃもんをつけてくるんだ。
俺が太ってるからいじめるのか?メガネをかけているからか?それとも俺の母親が遠くにいるからか?
ほんとうに飽きもせずよくも毎日やり続けられるなと、蓮はいつものことにうんざりしながら、ヒリヒリ痛むおでこを擦りながら起き上がった。
今日はおでこを重点的に攻められたようだ。
おでこには心無い言葉がペンで書かれていたが、蓮は何が描かれているかも確認しようともせず、汚れを落とすために家の近くにある公園へ向かう。
「父さんに見つかったらまずいな……」
いじめを知らぬ父を思い遣り、父に心配はかけまいと、公園にある水道でゴシゴシ額を擦っていると、
「ねぇ、何してるの?」
「わぁっ」
横からパチクリしたまん丸い瞳が覗いてきて、蓮は思わず尻餅をついてしまう。
蓮が視線を上げると、そこには少女がいた。
背丈は自分と同じくらい、綺麗な黒い髪を長く靡かせた少女である。
「え、えと……」
蓮は男友達は愚か、女友達も一人もいないため、前にいるのが美少女ということもあって、うまく言葉を紡げずにいた。
「君、おでこが赤いよ」
少女は尻餅をついた蓮に顔をグッと寄せてくる。
当然蓮はあたふたしていた。
が、あることに気づき、ハッと目を開く。
「君のおでこも、赤いよ……」
少女の前髪の隙間から見えるおでこもまた、赤かった。
「うん、お揃いだね」
少女はにっと口端を上げる。
そこからしばらく、落ちていく太陽の中、蓮は少女と話をした。
少女の名前はあやねと言った。
あやねはこの公園の近くに住んでいるらしいが、蓮とは隣の小学校であるらしい。
おでこが赤かった理由は、母親に日々虐待をされているからだと、淡々と言った。
それで、家に帰りたくないから、この公園にいるんだと言う。
今度は蓮が自分の境遇を明かした。
自分は学校でいじめられているんだと。
理由もなく毎日毎日いじめられて、いろんな箇所に怪我を負わせられてる、と。
そこでお互いの体にある痣を見せ合っていたらいくつか場所が一致していて、おかしくてけたけたと二人で笑い合った。
隠したいはずの傷を見せ合って笑い合うのは、お互いにとって初めての経験だった。
少女は家庭内に問題があってこの公園に来ていた。
少年は学校内で問題があってこの公園に来ていた。
そんな二人の息はあっという間に統合した。
しばらく会話をした後、二人は「またね」と言って解散した。
蓮は嬉しかった。
初めて自分と同い年の話相手ができたからだ。
そして、また会う約束をした。
その日は少しだけ、明日が早く来てほしいと思った。
蓮は父親と二人暮らしだった。
父親は仕事が忙しく、家にいないことが多かったが、家にいれば必ず遊んでくれるし、家にいなくても父親が残してくれたものがあるから、楽しかった。
いじめのことを、その時だけは忘れられたから。
父親のことは大好きだったし、尊敬していた。
だからいじめのことを知られたくはなかった。父親には迷惑をかけたくない。
蓮はあの日以来なん度もあやねと公園で会った。
二人はお互いに互いの敵の愚痴を言い合っていた。
「ったくあの母親ダメだよほんとに」
あやねはブランコに座って、空を蹴りながらそう話す。
「また、何かあったの?」
「うん、また男捕まえてきたの」
「げ、また?」
「そうなの、今年何度目だろ。男の前では良い母親演じるから、ほんとに吐き気がするよ」
「あーあ、それは最悪だよ」
「でしょ?普段は殴る蹴るなんて日常茶飯事なのに、男が家にいるときは一切そんなことしないの。それどころかお菓子まで買ってくれて」
「俺をいじめてる奴もそうなんだよ。普段は酷いことばかりしてくるのに、先生や保護者の前じゃ、優等生気取ってんの。本当にずるいよ」
「あーあ、そっちも最悪だね。それにあいつら、」
「「人から見えづらいところに痣作ってくるんだよね〜」」
二人は声が重なって、ケタケタと笑い転げる。
似ているけど、違う境遇にいる二人なのに、一致することが多くて面白い。
こんなに苦しくて重たい日々の傷を、誰かと笑い合えるなんて、なんて幸せなことなのだろう。
一人だったら泣いてしまうような出来事を二人で半分こしたら、なぜか急に笑えてくる。
確かに二人で分けたはずなのに、傷は二分の一よりももっと減っていく。
きっと互いの口から耳に届くまでの間に悲しみを風が運んでいってくれるのだろう。
二人は小さな体にある、大きな心を夕のような色でお互いに満たしていった。
それは二人だからできたことだった。
「ねぇ、蓮」
「ん?」
二人は夕陽に照らされた花壇を眺めながらブランコをゆらゆらと小さく漕いでいた。
「花めく、って言葉知ってる?」
「はなめく?何それ、わかんない」
蓮は初めて聞く言葉に首を捻る。
「私もよくわかんない」
「ぶっ……何それ」
蓮は思わず吹き出すもあやねは続ける。
「はなやかになったり見えたり、ときめいたり、栄えたり、そういう意味らしい」
「いろいろあるんだね」
「いい言葉だなって、そう思った」
「うん、いい言葉だ」
あやねはじっと花壇に咲く花々を眺めていた。暖かそうだなと思った。みんなが並んで咲いているのは心地が良いからなのか、これからくる夜に怯えているからなのか。
蓮はあやねの母親と違ってすぐに否定しない。それがあやねにとって心地良かった。
「私たちって、間違ったことしてないよね?」
「どうしたの急に」
さっきからやけに真剣なトーンで話すあやねにそう聞く。
「いいからいいから」
あやねは答えるよう促す。
蓮は迷いも見せずに、
「うん、してないよ」
「だよね、よかった」
あやねは予想していた回答に安心する。
「酷い目に遭ってる俺たちが間違ってるなんて言えるのは世界がひっくり返った時だけだよ」
「あはは、間違いないね」
笑顔がほどけた後、真剣な表情をしているあやねの横顔は、夕暮れに照らされていて、とても綺麗だった。
「正しいことをした人間はどうなると思う?」
あやねに問われ、蓮は少し考える。
「……天国にいく、とか?」
「そうだね、それもあると思う」
「他には何があるの?」
蓮は他に何があるのかさっぱりわからなかったため、あやねにそう尋ねる。
「生まれ変わって、幸せな人生を送るの」
「生まれ変わる?」
「そう、生まれ変わるの。この世界でも別世界でもいいから生まれ変わって、とにかく幸せになるの」
蓮は想像してみた。自分が生まれ変わった時のことを。
ただ、うまく想像できなかった。まだ自身の人生の五分の一すら生きていない蓮にはあまりにもイメージが浮かばなかった。
「私たちは大人から、社会から、間違ったことをされてきた。でもそれでも、正しく生きてきた。そうでしょ?」
「うん、そうだ。俺たちは正しい」
ここで言っている正しいこと、というのに些細な間違いは含まれていないだろう。
「だからこのまま正しいまま死んだら、きっと来世では上手くいく。神様は私たちを見てくれている」
蓮はあやねの言葉に、まさかあやねが死ぬ気なのでは無いかと一瞬ギョッとする。
「ああ、違う違う、別に今死のうとしてるとかそういうのじゃないから」
「もう、ビビらせないでよ」
「ごめんごめん」
蓮はホッと胸を撫で下ろす。
「だから私はね、正しいまま死にたいの」
「もし、生まれ変わって幸せになれるなら、俺も同じことを思うよ」
「そうでしょ?やっぱり蓮ならわかってくれると思ってた」
「うん、わかるよ。俺たちは間違いを与えられた正しいもの同士だからね」
「うんうん」
間違いを与えられた正しいもの同士、という言葉にあやねはやや微笑む。
人間、間違いを与えられ続ければ、いつしかそれが正しいか間違いかという尺度で見ることできなくなる。そしていつしか、崩れ落ちる。
もちろん、正しい間違いは普遍的なものではなく、流動的なものであるが。
でも、こういうふうに、あなたは間違っていないんだと認め合える存在がいるのは、人にとって大きな支えとなる。
「次の人生かぁ……想像もつかないなぁ」
蓮はオレンジ色の空を見上げながら呟く。
「私はきっと、花めいてると思うよ」
「それ、本当に使い方合ってるの?」
「わかんなーい」
あやねは花めくように幸せそうに笑っていた。
「まあ、結局私が何を言いたいのかと言うとね、私たちは今もすっごい辛いし、これからももっと辛くなるかも知れないし、もしかしたら間違いを受け流せない時もあるかも知れない」
きっとこの二人もいつかは喧嘩をする。喧嘩をして、心無い言葉を投げ合ってしまうかもしれない。ただ、それは間違ったことじゃない。
間違ったことではあるが、最終的に間違いを認め合えたなら、それは正しさの中の間違いとなる。些細な間違いや失敗を認めることは自分の信じる正しさの肯定へと繋がる。
だからそれはたぶん、正しいことだ。
「うん、そうだね」
蓮にとっては幸せな来世より、酷な現世のがより鮮明に想像できた。
「でも、私は正しく生きたい。私たちは正しく生きて正しく死ぬの」
「そうだね、それが幸せな来世のためならやってやろう」
蓮はなんでも来いと言わんばかりに自分の胸をドーンと叩く。
「ただただ、生まれて死ぬんじゃ、正しく生きたって、あいつらみたいに間違って生きたって変わんない。人がいずれ死にゆくために生きてるんだとしたら私は耐えられない。私はこの世界で間違いを与えられた分、来世ではうんと花めくの。だから蓮───」
あやねはブランコから降りて、蓮の前に立ちとびっきりの笑顔を魅せた。
「来世で二人で花めくために頑張ろうね、!」
しばらくすると、蓮の父が公園の前を通りかかった。病院の帰りだったらしい。
ガールフレンドか?と、いじられたが、蓮は嫌な気分にはならなかった。
何よりも父親の嬉しそうな表情が自分にとっても嬉しかった。
その二日後、蓮の父、蓮の父の秘書、蓮、あやねを乗せた車は大型トラックに突っ込まれ、蓮は間違った生まれ変わりをすることとなる。
蓮はあやねとの会話を思い出して思った。
あやねは、あやねでいてほしい。
自分からすれば、あやねは充分花めいていた。
だからあやねは『生まれ変わる』のではなく、もう一度、あやねとして別のどこかに『生まれて』ほしい、と。
そして間違いではなく、優しく水を与えられる花のように、心を温めてられてほしい。
自分は、正しく生まれ変われなかったのだから。
神様どうか、その分どうかあやねを。
世界がどんなでも。あやねをなんとか。
彼女が飽きるくらい花めかせてやってください。
そいつは今日のダイニングでの会話を思い出していた。
犯人は『転生者』という生まれ変わったものであり、魔法を使用できたり、とにかくはちゃめちゃな力を持っていると。
そいつはそんな大層なものが自分に使えたならどんなに楽か、と薄く笑った。
ただしく生まれ変われなかった自分にそんなものが使えるものか、と。
今思えば、あやねは魔法のような笑顔をしていた。
彼女の笑顔は、言葉は、きっと魔王城にさえ花を咲かせられる。




