第7話 その後5
私とシモンの仲は悪化した。普段ともにいることが少なくなるものの、彼は欲情したときのみ私の部屋を訪れ、終わると自室に帰って寝てしまう。
そんな生活だ。
月末になると馬車の料金を払って欲しいと業者がやって来たので、シモンを呼んだ。彼は平然と言ってのけた。
「なんだ。私はジュラルード伯爵だぞ? 料金なら屋敷に請求してくれ」
と。この人は息子のブライアンが領地の経済は苦しいと言っていてもお構い無しなのだ。
しかし業者は苦笑した。
「実はジュラルードもマクエガーのほうも、あなた様の買い物には金を出さないと言っているのです。ですからあなたさま自身に払っていただかないと。無理ならば馬車は持って帰るまでです」
「な、なんだと?」
「月払いも出来ますよ。金貨三百枚ですので、月に金貨十五枚の利息は頂きますが」
「金貨十五枚だと? 安いじゃないか。じゃそれにしよう」
私はシモンの頭の悪さに今さら驚いてしまった。それは利息。金貨三百枚は残るのよ? 今でさえ予算オーバーだというのに、金貨十五枚なんてすぐに破綻だわ。それも分かってないなんて。
私は呆れて業者に言った。
「いいえ。もう結構だわ。私たちお出掛けする機会もそんなにないし、馬車はお返しします」
「お、そうですか? では……」
シモンは業者を止めたが、なぜか業者は私の言葉に従って馬車を引いて行ってしまった。シモンにはその支払いの信頼すらないということだわ。
するとシモンは、馬車を呆然と見送った後で私に掴み掛かってきた。
「ミウ! 余計なことをしてくれた! 伯爵家を追い出され、なけなしの金を与えられ、馬車すら持てない……。みんなみんな君のせいだ! 君が平民だから! 元々人の妻だったから! 私の人生はおしまいだ。なぜ君なんかに惹かれたんだろう……」
シモンは哀しんで泣き出しそうだった。私も同じだ。こんな苦しい言葉を投げかれられるなんて。
まただ……。
またアドンのことが頭をよぎった。自分自身が捨ててしまった夫を。
あの頃は何もなかったが夢はあった。彼はベッドの上で遥かな夢を語った。庭師の幸せを。日当銀貨半分の小さな夢を。
今の私は完全に行き詰まってしまった。あの頃のほうが幸せだと思うのはなぜだろう──。
なぜなんだろう。
いつの間にか私の目から涙がこぼれていた。そしてシモンの手を取って強く握った。
「ねぇシモン。ここは窮屈だわ。二人で都に出ましょうよ。あそこは暮らすだけで楽しいし、きっとあなたの気に入る仕事もあるはずよ?」
「バカな、仕事だって? 私は仕事なんてしたくない。あんなもの身分が低いものがすることじゃないか!」
「でも叔父さまも、ブライアンも働いてるわよ。私だって……、働けるもの」
「だが私は嫌だ。そんなことしたら、まるで、まるで……並みの男じゃないか!」
──────。
私は思わず吹き出して、地面に伏してしまった。この人ったら、なんというプライドを。
シモンは貴族というものはそう言うものだと認識し、叔父さまやブライアンが言うことが全く理解できないのだ。
並みの男ですって? 今のあなたはその並み以下なのに。
言うこともクズみたいなことを。まあ仕方ない。それがシモンなのだもの。この人を見限ったら、誰も助けられないものね。
私は涙を拭いて立ち上がった。シモンはなぜ私が笑ったかよく分からない様子だったけど。
「シモン。私が叔父さまに手紙を書くわよ。都での仕事を紹介してくださいってね。あなたは仕事が嫌ならじっとしていてくれて構わない。でもきっと暇になって何かしたいと思うけど」
「そんなこと思うわけない。叔父に手紙を書くのなら勝手にしたまえ」
彼はそう言って屋敷の中に入ってしまった。シモンは暇なんて感じないのかもしれない。
お金を稼ぐのにブライアンのアヒルの案もいいけど、このマクエガーの監視下にいるよりも都で自由に働いたほうが、きっと楽だと思う。
シモンの気持ちにもそのほうがいいはずよ。
私はマクエガー子爵に、都での仕事はありませんかと手紙を送ると、彼は嬉しがって突然の来訪だった。
「やあミウ。シモンはいるかい?」
「あら叔父さま、都にお仕事はあるものかしら?」
「いやいや、そんなことより嬉しいじゃないか。シモンが仕事をしたいというのだ。なに気にする必要はない。私の軍に配属するという道がある。試験にパスすれば、階級だって貰える」
どうやら嬉しすぎて、大事な一文を読み飛ばしてしまったようだ。
「叔父さま違いますよ。仕事をするのは私です」
そう言うと、マクエガー子爵は眉尻を下げてヘナヘナとそこに崩れ、床に座り込んでしまった。
自分の勘違いなのに、よっぽどダメージが大きかったようだ。
「叔父さま。でも私が働いて、華やかな都会にいたら、シモンだって働きたくなると思いませんか?」
するとマクエガー子爵は少し考えてからスクッと立ち上がって襟を直した。
「ふむ。確かにそうだ」
「でしょう?」
「やれやれ。私は君を少し誤解していたかもしれないな。君のほうがシモンに比べたら人間らしいよ。よし、任せたまえ。住む場所は私が提供するから、家移りしたまえ。仕事は探しておくよ」
そう言ってマクエガー子爵は出ていった。あの人は本当はシモンのことが好きなのだわ。だからこそいろいろと世話を焼いてくれる。
まあ互いに思いは平行線だから一生交わらないんでしょうけどね。
◇
やがてマクエガー子爵から、都での住む場所が決まったから来てくれとの手紙が来たので、私たちは都へと向かった。馬車は当然マクエガー子爵が用意してくれた。
都の住む場所は、マクエガーの屋敷よりも小さく、庭も余りなかった。シモンは不満そうだったが、庭にジュラルードの旗を立てていた。ふふ。彼にとってまあまあの及第点ってところなのね。
マクエガー子爵は、私の仕事の案をいくらか提示してきた。
「少し無理にな……知り合いの貴族のかたに頼んだのだ。短期ではなく長期だから、まあ難しくはあったのだが」
「どんなものがあるでしょう?」
「伯爵夫人だった君には申し訳ないが、バックス伯爵のお屋敷中のベッドメイキング。伯爵が都に滞在中だけだが、いない間は軽い掃除をして欲しいそうだ。これは月に金貨五枚」
「なるほど」
「クウェッド侯爵のお屋敷のお掃除もある。これはお屋敷の庭も含まれる。月に金貨十枚。まあその十枚から平民三人ほど雇って手当てを払う方法もあるな」
「ああそうですね」
「もう一つは……、これは悪い冗談だと思うが」
「なんでしょう?」
「リックラック公爵閣下だ。私も知事の仕事を頂いている。閣下に君のことを詳しくお話しすると、自分の身の回りの世話をするなら月に金貨百枚出すというのだ」
金貨百枚……!
私が驚いていると、シモンが割って入ってきた。百枚貰えるなら、これにせよと介入するのかと思ったが違った。
「リックラック公爵の仕事なんて嫌ですよ、叔父上、これだけは断ってください!」
まるで怒っているかの言葉に、私はシモンの顔を見た。彼は駄々っ子のようにわめき散らしたのだ。
「リックラック公爵の行列を見たとき、彼はミウの姿を逃すまいとずっと見ておりました。ミウの美貌に目が眩んだことが分かったのです。ミウが彼と面会したら、きっと私から奪いますよ。ミウは私の大事な妻なんです。こればっかりは嫌です!」
マクエガー子爵も、大きく頷いて持っている紙を折りながら答えた。
「そうだな。リックラック公爵は現在奥さまが居られない。手当て金貨百枚は多すぎる。それにはミウの身体を自由にする権利も入ってるかもしれないからな。シモンの言う通りにするか……」
しかし私は紙を折る手を止めた。
「いいえ、叔父さま。公爵さまのお仕事をお請けすることにします」
「……な。さっきも言ったが、閣下は若い。君の身に触れることもあるかもしれないのだぞ?」
私は笑って答える。
「確かに。私はシモンと結婚する前に不誠実なことをしましたが、もう不貞はこりごりですよ。シモンは私の夫です。お金がないと暮らせません。家を守るために公爵さまの元で働きます。それでシモンは贅沢出来ますし。それに公爵はその沿道で見ていた私がジュラルードの人間だなんて知るはずもないでしょう。叔父さまからジュラルード夫人の名前を聞いて、よこしまな気持ちを抱くわけがないのです。もしも公爵さまが変なことをしようとしたら、逃げてきますからご心配なく」
するとマクエガー子爵は感動して答えた。
「そうかね。まあ閣下の冗談かもしれん。ひょっとしたらそんな仕事はないと言うかも知れないしな。とりあえず閣下に面会してみよう」
と言ってくれた。シモンはふて腐れていたが、これでシモンだって大好きな馬車が持てるじゃない。
私はリックラック公爵に面会出来る日を待った。
ここでのお金の設定です。
金貨一枚はだいたい十万円くらいと思ってください。(作者の頭では12~15万なのですが、分かりやすくするため)
ですからミウやシモンが月に使えるのは80~90万円ですね。ここから使用人やコックには月々にお手当てを支払ったり、食事もさせなくてはならないので、210万円くらいかかってしまうという算出になります。
ここでは銀貨は金貨の10分の1の価値となってますので、一枚一万円くらい。(作者の中では12,500円から15,000円と幅があります)
アドンの言う日当銀貨半分は、五千円くらいとなります。
五千円で庭の手入れをしていたんですね。それでたまにはお肉を食べたり、お金がたまったら旅行に行こうとしていた。ということです。