第5話 その後3
屋敷に帰り、ドアを開けると小さな子どもがやってきて、私たちの道をふさいだ。
「どなたです? ここはジュラルード伯爵家で、今は領主は不在です。私の父代わりのロベルト・マクエガーならおりますので暫時お待ちのほどを」
とやるので面食らった。澄まし顔のこの子はきっとブライアンに違いないと目頭が熱くなった。
私たちが旅行で不在の三年間に言葉を覚え、こんなに見事に振る舞えるなんて。
「ああ、あなたはブライアン!」
「え? 私は確かにブライアンですが……」
「私はあなたの母です。こんなに大きくなって……」
私は手を広げてブライアンが胸に飛び込んで来てくれることを待ったが、彼は冷ややかな態度のまま足を揃えて礼をした。
「ああ、あなたが私の母上ですか。すると後ろに居られるのは父上ですね。初めまして、私はブライアン・ジュラルード。当年で三才。領主の代理です」
それは冷たい挨拶で、敵意すら感じられた。
するとその後ろから、シモンの叔父のマクエガー子爵が現れた。相変わらず眉間に皺を寄せて怖い顔をしていた。
マクエガー子爵は、そのままブライアンを抱き上げると、ブライアンはマクエガー子爵に甘えるように首と胸に手を回した。
「領民を放ったらかしにしての旅行は楽しかったかシモン」
「ハ、ハイ」
「お前がいない、この三年の間、領内はずっと不作続きで、執事頭のウォーレンは私を頼ってきた。領民は苦しんでいるが、ご領主は旅行のお金が足りないと月々に無心するので、どうして良いか分からないので助けてくださいとな。幸い、私の息子のジェイクも仕事を覚えたので、それに任せて私がこの領地を見ることにしたのだ。ブライアンのこともな。ブライアンは利口な子で、もう立派な領主だよ。君たちがいなくても領地運営は回せるようになった」
「ハ、ハイ」
「ではブライアンに後は任せて隠居でもしたまえ。そしたら好きな遊びは山ほど出来るぞ?」
「ハ、ハイ」
「ハイと言ったなシモン。では私がブライアンの後見人になろう。みんなも証人になってくれたまえ」
すると使用人たちは足を揃えて、大きな声でこう言った。
「新しきご領主、ブライアン万歳。後見人のマクエガーに祝福を! ジュラルードに栄光あれ!」
それにはさすがのシモンも慌てた。マクエガー子爵の足にすがり付いたのだ。
「お、叔父上それはないでしょう。私はまだまだ若いですし、ブライアンなんて子どもですよ。私から領地を取り上げるなんてあんまりです。さては叔父上は息子を手なずけて、ジュラルードを奪う腹積もりですね?」
と言うと、マクエガー子爵は感心したように眉を上げた。
「ほほう、シモン。そなた『腹積もり』などという言葉を知っていたのか。だがシモン。私にそんな野心があるなら、こんな面倒なことをすると思うか? ブライアンを施設に入れ、領境を閉じればおしまいだよ。私はジュラルードの血統なのだからね。醜聞のそなたと違い、私には各所に信頼もある。シモンは乱心したのでジュラルードの当主となると宣言すれば決まりなのだよ。だがそうではない。私には兄ルーイより託されたジュラルードを守る義務がある。外敵はもちろん、腐った内部もな。だから君たちは追放だよ。まあブライアンが望むなら領内に屋敷でも建ててお情けで暮らすのも可能だがな」
私たちは突然なことで『ハイ』すら言えなくなっていると、息子ブライアンがマクエガー子爵に提案した。
「大叔父さま。私を三年も放ったらかしにする親など近くにもいりませんよ。マクエガーに空き家はありませんか? そこで暮らして頂きたく思います」
それを聞くとマクエガー子爵は声高らかに笑いだした。
「ご領主のお沙汰は見事なものですな。当然マクエガーには適当な屋敷があります。では私がご案内致します」
と言うと、ブライアンはさっとマクエガー子爵の腕から飛び降りて、執事頭へ命令した。
「ウォーレン。馬を用意してくれたまえ。水路を見に行く」
「ああ、ぼっちゃま……いえ、旦那さま。馬は危のうございますよ。馬車になすっては?」
「いや、僕は馬が好きなのだ。ハリス、エドワード。共をしろ」
「はい。旦那さま」
「なあハリス」
「なんでしょう旦那さま」
「歩き疲れたら肩車してくれるか? 僕は君の肩車が好きなのだ」
「当然でございますよ、ぼっちゃ……いえ旦那さま」
そう言うと、私たちには目もくれず、さっさと出ていってしまった。マクエガー子爵は、見たこともない嬉しそうな顔をしてその姿を見つめていた。
「シモン。見たか? ご領主は領民のために水路を確認に行くそうだ。途中で民に会えば困ってないか聞きいて回っている。どうして君からそんな聡明な子が産まれたんだろう? まあ今になってはどうでもいい話だが」
するとシモンは私の顔を見てきた。
それは疑っている目。私がシモン以外を受け入れたのではないかという……。
そんなはずはない。時期的にアドンとはなかったし、シモン以外はないのだ。
私たちは旅装のまま、粗末な馬車に入れられた。美しい馬車はもうブライアンのものだと言われて。
マクエガー子爵は、領内に入ると、屋敷の中の小さな空き家に案内した。
「今日からここが君たちの屋敷だよ。ジュラルードから年金を一人につき金貨50枚出すそうだ。贅沢しないで上手に貯めれば十年後に外に屋敷が建てられるし、年に二回は旅行も楽しめる。遊び好きな君たちには過ぎたる温情だな」
「ハ、ハイ」
「まあ仕事が欲しかったら私を呼びたまえ。息子のジェイクは君を毛嫌いしているところがあるから相手にされんだろう。腐っても君は私の甥だ。なんとか面倒を見よう」
「ハ、ハイ」
「では楽しい生活を」
そう言うとマクエガー子爵は、無惨にも私たちを置き去りにしたのだった。