第16話 エピローグ
私の胸が揺すられる。私はそれで目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。
「大丈夫かい? ミウ。きっと怖い夢を見たんだね」
そこにはろうそくの明かりを点け、それに照らされたアドン。
私は思わず飛び起きて平伏した。
「ああ閣下、申し訳ございません!」
しかしアドンはきょとんとして、その後吹き出した。
「はっはっは。寝ぼけてるな。私が閣下かい? すると君はミウ妃だな」
頭が追い付かずに回りを見ると、見慣れた小屋のような家……。アドンは髭面で、着ている下着はボロボロの麻で出来ていた。
私は相当脱力した。夢だったのだ。寝てから二時間しか経っていない。その間の恐ろしい夢──。胸は激しく鼓動を伝えていた。
「怖い夢だった……」
「どんな?」
「小肥りの伯爵と結婚する夢……。アドンも別な人と結婚してしまうの……」
「なんだそりゃ~……。そんなことあるわけないだろ?」
「ねぇ、キスしてアドン。いっぱい、いっぱい……」
「おー、それはそれは。辛かっただろう?」
アドンはニヤついてろうそくの明かりを消すと、熱い熱いキスをしてくれた。私はアドンを抱き締めた。溶かすほどに強く。
「アドン、ごめんね……。私、あなたを裏切ってしまって……。本当にごめん、大好きなのはあなただけなのに」
「夢の話だろ? じゃあ私も別な人と結婚してしまってごめんな」
「バカ、バカ……。アドンのバカァ」
「う。叩かれるかよォ……」
ああ、これだ。伸ばせば手が届く。キスもしてくれる。互いに求めあって……。
こんなに、こんなに近くにアドンが……。良かった。本当に夢で良かった──。
◇
次の日、アドンは私に仕事を手伝ってくれと言って、荷馬車の後ろに乗せた。私は楽しげに車の上で移植鏝を振りながら歌を歌った。
そこは見覚えのある伯爵のお屋敷。私はアドンと仲良く花を移植していた。
すると、屋敷の扉が開かれ、中からシモン・ジュラルード伯爵が現れたので思わず顔を凝視してしまった。ああ、夢で見たシモンと同じだと。この頃は痩せていたのねぇと軽く思っていると、彼と目が合う。
シモンは電撃が走ったように身を震わせて、アドンを呼んだ。何やら話している。あの夢と同じように、私を譲って欲しいという話が聞こえる。
はあ、シモン。バカな人。そんなことしたら叔父さまに叱られるというのに。
アドンは困ったようになっていたので、私はおもいっきり粗野な女を演じた。
「おおい、オメさん! そったらとこでサボってねぇで、さっさと手伝ってくんしゃい!」
それにアドンもシモンも目を丸くしていたが、ダメ押し。
「そこの若い衆も、こっちさ来てけれ。人がたんねぇんだ。塩梅よぐ教えでやっからよォ」
シモンは幻滅したような顔をして急ぎ足で屋敷に入っていった。ふふ。仕事嫌いなあなたが手伝うハズなんてないもんね。
アドンは首を傾げながらこっちに来て聞いてきた。
「なんでそんなになまってるの? ジュラルードでもずいぶん山奥のなまりだろ、それ」
「ええでねーか、オメさん。で? 伯爵はなんて言ってたの?」
「なんでもミウをとっても気に入ったんだって。嫁に欲しいって言ってきたから断ろうとしたら、ミウのあれだろ? 逃げてった」
「ふふ、面白いねぇ」
「私は恥ずかしかったけどね」
照れてるアドンの顔が可愛くて、今日はベッドの中ではなまってやろうと思った。
それから伯爵家の庭の手入れには毎回付いていった。二人でやれば早いし、畑仕事はお休みの日にやればいい。それに私が家にいるところを夢の時のようにシモンに来られても困るし。まああの人は臆病だから一喝すれば帰ってしまいそうだけど。
そんなシモンは私たちの仕事の時、たまに出てきて、私の顔を見てはポーっとなっていたが、安定のなまり攻撃をすると屋敷の中に去っていった。
そのうちに、シモンはマクエガー子爵が連れてきた貴族の娘と結婚したようだけど、どうでもいいわ。シモンは汚名を負うより、そっちの人生のほうが有意義に違いないもの。
私とアドンは、伯爵家の庭の手入れが終わった後、旅行に行った。都見物をしに行ったのだ。
しかし、旅行は楽しめなかった。私はちょうどつわりになってしまい、都に着いたとたんに家にとんぼ返りとなったのだ。
アドンは心配して、目の下に真っ黒い隈を作りながら看病している姿が、可愛くてまた笑ってしまった。
月が満ちて私は男の子を産んだ。アドンは大変喜んでくれた。そして私が床上げする時、子供の名前を決めたと、私を椅子に座らせた。
そしてテーブルの上に家系図を広げる。アドンの隣にミウの名前。そしてその下に、ブライアンの文字があった。
「どうだい? ブライアン・スタイラン。それがコイツの名前だよ」
「わあ! すごいステキ。あーよちよち、ブライアン」
ブライアン。この子もブライアンなのね。夢の中で産んだあの子もブライアンだった。私の初めての男子はブライアンなのだわ。まさかルーイ四世を名乗らないわよね?
この子にはたっぷり愛情を注ぎ込まないと。と、私はブライアンを抱き締めると、彼はキャッキャと笑っていた。そして思い出してブライアンを抱いている逆の手を伸ばして家系図をめくる。
すると、アドンのお祖父様の横にはクロード・リックラックの名前があるので驚いた。
あの夢は……。一体なんだったのかしら? シモン・ジュラルード伯爵と会った時も思ったけど、私は一度アドンを裏切ったのかしら? そして人生のやり直しを? 夢と言えども内容が同じ過ぎるもの。夢と違うのは、私がアドンを好き過ぎるってところだけ。
私はそのクロード・リックラックの名前を指差す。
「ねぇアドン。この人スタイランじゃないわ。そのお父様もよ。リックラック。どうしてお祖父様はリックラックを名乗らなかったのかしら?」
アドンは驚いてその家系図を手に取った。
「本当だ。リックラックはこの国の大公爵の姓だぞ? なんだ、なんだ、おかしいぞ?」
ちょうどその時だった。ドアがノックされたので、アドンがそれを開けに行く。私はブライアンを抱いて、アドンの後ろからその客の顔を見た。
それはリックラック公爵家の執事頭のアンソニー・ゾージングだ。何度も顔合わせしたので覚えている。
やはりあの夢は、未来を導くための夢だったのだ。私が足を踏み外さないための。私とアドンを公爵家に向かわせるための。私はアドンの妻として、公爵妃になるのね。なんてステキな──。
「こんばんわ。私はゾージングと申します。アンソニー・ゾージングです」
「ええ、そのゾージングさんがなんのご用事で?」
「実はあなたは、大公爵リックラックの最後の血筋なのです。我が主人、クロード・リックラック閣下は、あなたを連れてくるよう命じられました。あなたを後継者にたてられるお考えです」
「わ、私が大公爵ですか!?」
アドンは卒倒しそうになったが、なんとか壁に寄り掛かってこらえた。
そして震えながら答えたのだ。
「そ、それはとんでもないお話で……」
「さあさ。時間がありません。閣下がお待ちです。どうぞ馬車にお乗りください」
「は、はい。そ、そら、ミウ。早く荷物をまとめよう」
「う、うん」
私はブライアンを抱いたまま、奥に引っ込んで荷物の整理をしようとした。するとアンソニー・ゾージングは眉をしかめて私たちを制止した。
「いいえ令嗣さま。閣下は、あなた様を連れてくるようにおっしゃったのです。どうやら奥様もお子様もおられますな。ですが、あなた様は大貴族なのです。正室は王族か、貴族から娶らねばなりません。よって、清らかな身ひとつで公爵家に入ることとなります。ですから奥様とお子様はここに置いて行って下さい。手続きが済み、後継者となった然る後、お妾と庶子という形でお呼びなさることになります」
「は、はあ?」
アドンはいつもの穏やかな顔ではなく、眉を吊り上げた。
「なぜ私が妻や息子と離れ離れにならなくてはならないのです! ミウが妾だって!? 妾……! どうして愛する妻を妻と呼べないのですか! 私は妻も息子も愛しています。その二人と別れてまで貴族になどなりたくもない! どうぞお帰りください!」
アドンは怒ってアンソニー・ゾージングを追い出した。彼はドアの向こうから凄んだ。
「後悔しますぞ。奥さまを妾と呼びたくないだけで公爵の座につかないのは浅はかです。虚を捨て実をお取りになればよい。正式な場では正室と一緒にいて、愛するのは側室でよろしいじゃありませんか」
「なにを言っている! 私の妻はミウただ一人だ。そんな詭弁に騙されるものか!」
「ああ、なんと愚かな。公爵家は本気です。あなたが嫌でも兵が派遣されて囲まれ捕えられ強制させられます。そしたら夫婦は引き裂かれ、奥さまを側室として屋敷に呼ぶことも出来なくなりますぞ? それでも良いと申されますか!」
「ああ、私のお祖父様がリックラックを名乗らなかった意味が分かる! 愛するものを捨てて、なにが公爵だ! 帰れ!」
「では帰ります。令嗣さま。ごきげんよう」
そう言って馬車は行ってしまった。こ、こんな未来、私は知らない。アドンが公爵家行きを蹴ってしまうなんて……。
アドンは颯爽と動きだし、貯めていたお金を革袋に詰め込んで、それを何度も何度も確認した。
「しばらくはなんとかなる。ミウ、君は少しの間ブライアンを抱いていておくれ」
「で、でも、アドン?」
アドンはさらに、私たちの衣服や、農具、食糧や作物の種などをそれぞれ袋に詰め込み、それらをいつものボロい荷車に押し込んだ。重い家具は置き去りだ。
そして私に手を差し伸べる。
「ミウ、ここを逃げよう。公爵の兵がくるのはいつかは分からないが、その間に姿をくらませるんだ。なに、君は何も心配しなくていい。さあ早く!」
ああ……!
そうか、そうなのか。
この手。この手を掴むか、そうでないかで、私の幸せの結末は決まるのだわ。
掴んでしまったら、そこには公爵家に怯えながら暮らす毎日が待っている。
アドン。何よ。あなたは絶対にこの家から逃げる選択をさせるのね。公爵家から逃げるんだもの、うんと山奥にいかなくちゃ。そしたらあなたは公爵にはなれない。良くて樵でしょうね。
そんなの苦労ばかりだわ。貧乏に貧乏を重ねて、家はネズミだらけ、顔は泥だらけ。毎日沢から何度も水を汲まないといけないわ。
あなたが薪を行商している間に、私には畑仕事をして、暇なときには藜の杖でも作れというの?
ふふ、それもいいかもしれないわね。アヒルを飼ってもいいのかも。それらが売れたら美味しいお菓子でも買って。そこらじゅうに罠を作りましょう? そしたらたまにお肉も食べれるわよ。あなたは手作りの石窯を作ってくれる。それでパンを焼いてあなたの帰りを待つのも……、それもきっと楽しいわ。
あなたは夢の中で言ってたわね。お祖父様は侍女と共に逃げたって。愛する人を妻に出来ないならと、ここに来て二人で庭師となって、人生を彼女のために捧げたのだわ。
それと同じ。アドンは素晴らしいお祖父様の血を引いているのよ。
私の行動は決まっていた。
「ええ、アドン。私の手を決して離さないで」
「もちろん!」
私はアドンに手を伸ばす。彼はしっかりとそれを握って表へと駆け出したのだった。
たとえ世界中を敵にしたって、たった一人、この人が味方なら、そこには幸せしかないのだもの。
【了】