第14話 その後12
それから、同じような毎日を過ごす。仕事に出て、仕事が終わり、家に帰る。使用人の一人が待っており、私にお湯を用意してくれた。私が身体を拭くためだ。
私は使用人に今日のことを聞いた。
「今日の家の様子はどうだったかしら?」
「何も……、何もありませんよ」
奥歯にものが挟まったような言い方なので気になった。私は再度訪ねる。
「様子が変ね、本当は何があったの? いいなさい」
「恐れながら、奥さま」
「なに?」
「奥さまと公爵はデキていると都中の噂です。旦那さまが外出すると後ろ指を指され、旦那さまは回りに当たり散らすようになっております」
「そう……。噂というのは困ったものね」
「ですが、その噂は……」
「ええ」
「公爵邸の侍女たちが直に見聞きしたことが伝わっているのです」
「あの人たちにも困ったものだわ。私と閣下には何もないわよ。私は夫を愛しているし、夫のために働いているのだもの」
「そうですか……」
「信用出来ないかも知れないけどね」
「いえ」
「そう……」
私とアドンのことは都中の好奇の的になっているのでしょうね。でも私たちは決して交差しない。
彼は私に夫がいる限り手を出さないだろう。私はこれ以上アドンを好きになって何かすれば、きっと国のどこにもいられなくなるのだわ。
私はシモンの部屋を開けた。彼は眠っていたが、その手を握り、唇にキスをした。それにシモンは目を覚まし、たちまち私に抱きついてきた。
「ああ、ミウ。もう仕事なんて辞めておくれ。君は私だけのもの。公爵なんかに渡さない」
「シモン。聞き分けがないわよ。私が仕事を辞めたらお手当てが貰えなくなる。そしたら、使用人も馬車も手放さなくてはならなくなるのよ?」
「そんなことを言って……! 君は公爵が好きなのだ! 私を裏切ってここを出て行ってしまうんだ。私がアイツにしたように……」
シモンは私の身体に甘える。そのまま、欲望の果てに。
ああ、シモン。あの時、あなたは輝いていた。私にたくさんの贅沢をくれた。でも今は私が全て与えて、あなたは私に幻滅しかくれない。
もしもあなたが、あの時のアドンのように私の手を引いて「どこかに逃げよう」と言ってくれたなら……。今の私なら一緒に逃げれるわ。アドンを忘れて……。あなたと新天地で生きるでしょう。
でもどうしてあなたは何もしないの? 私に期待するだけ。希望するだけ。
このままでは私……。
シモン。どうか、どうか、お願いよ。あなたこそ、私を愛しているなら行動してちょうだい。
私は贅沢言わないわ。日当銀貨半分だって、週に一度はお肉を食べれる。その幸せだけで十分なのに──。
◇
次の日、公爵邸に出仕して、アドンの身の回りのお世話に励んでいると、使者が飛び込んできた。
それは国王陛下からの使者で、私を一瞥すると蔑んだような顔をした。おそらく王宮にも私の噂が流れていてけしからん女と思われているのでしょうね。事実なのでしょうがないけど。
陛下はアドンをお召しで、すぐに来るようにとのお達しだった。
「では着替えなくてはなるまい。ジュラルード伯夫人。着衣を選んでくれたまえ」
「はい」
私はアドンの上着を脱がし、下着も剥ぎ取り、見慣れた肉体を晒す。そして新しい下着を着せて、正装に改めた。
アドンは鏡でチェックすると、私のほうを向いた。
「今日はもういい。明日また出仕したまえ。帰宅の後の事はステラにやらせるとしよう」
「ステラにですか? 私だって出来ますよ。お帰りになるのをお待ちしてます」
「おいおい。ステラやベッツィのようなことを言うのは君には似合わないよ。久々の休暇だと思って君は帰りなさい。夫のジュラルード卿によろしく言ってくれたまえ」
「は、はい」
アドンは私を置き去りにして、進んで行く。その後に、ツンと鼻を尖らせたステラ一党が続いていった。
ベッツィやステラの気持ちが分かる。アドンはとても魅力的な人なんだわ。みんなを魅了してやまない。
私は、それが当たり前だと思っていたのに。
私の特別の休みはアドンの計らいだったのだろう。外に出ると公爵家の馬車が待っていた。
家に帰ることが重い。アドンの側にいたい。ずっと、ずっと……。
家に帰ったら何をするというの? シモンと何をすればいいのだろう。私は彼の欲望の捌け口なだけだもの。
私は憂鬱な気持ちのまま、家のドアを開けた。中には使用人もコックもいない。執事もだ。おそらくお使いにでも出ているのだろう。
しかし、家の中からゴソゴソと動く音が聞こえる。耳を澄ますと、女と話す声だ。
そちらのほうに進むと、果たしてシモンの部屋だった。私が部屋のドアを開けると、シモンが娼婦と睦みあってる最中で、私を見て固まっていた。
ガラの悪い娼婦なのか、怒って立ち上がり、シモンを毒づいた。
「なによ! 使用人はみんな出したと言ったじゃない! シラけたわ。お金だけ貰って帰るわよ」
と、私に肩をぶつけて出ていった。私はただ呆然と夫がバツが悪そうに服を着ているところを見ていた。
「な、なんだよゥ。今日は早いじゃないか。これはその……、君がいつもいないから寂しくてつい……な」
私は呆れてため息しか出なかった。私が遅くまで働いている間に、私が働いたお金で娼婦を買っていたのだ。
私がもう一度ため息をつくと、シモンは激昂して詰め寄ってきた。
「な、なんだ。呆れたように! 私がなにも知らないとでも言うのか!?」
「一体なんだというの、シモン。何を知ってるのよ」
「公爵は私より何倍もいい男なんだろうな、君は私を顧みない。その男に抱かれているのであろう!」
ああなんと愚にもつかない。だから娼婦を買っていいわけがない。だから浮気していいわけが──。
万が一、私がアドンに抱かれているとしても、その言い訳が利くのだろうか? 全く不誠実な人。それが私の夫シモン。アドンと天と地ほどの差がある。
どうしてシモンを好きになってしまったの? 一時的に貴族の夢を見たかったなんて、もう元には戻れないのに。私は大馬鹿だわ。
アドンとともに歩めば良かった。アドンの日当銀貨半分の夢を。毎日の鳥豆を。二年に一度の旅行を。あの時、アドンと一緒に都に逃げれば──。
そこには安心があっただろうに。
「シモン。アドンを馬鹿にしないで。アドンはそんなことしないわ」
「なっ。どうして今さらアドンなんかのことを? 私はアドンの話はしていない。公爵が無理やり君を自分のものにしている話をしているんだ」
「無理やり私を? そんなはずない。私たちに肉体関係はないわ。私はアドンの身の回りのお世話をしているだけよ。アドンは紳士なのよ? 今日だって、たまには愛する夫と過ごせと休暇をくださったの」
「アドン? 公爵の名前はあのアドンと同じなのかい?」
「名前だけじゃない。公爵は私の元夫アドンその人よ。彼は先代の公爵の兄の孫だったの。ジュラルードから消えたのは公爵家に招かれたからよ!」
そこまで言うと、シモンは泣き出してベッドに顔を埋めてしまった。ああ、なんと面倒臭い。
シモンはわぁわぁと声を上げている。まるで子ども。私たちの子どもは立派に領地経営しているというのに。
「アドンは私に復讐するために、ミウを囲い者にしようとしているんだ。公爵の地位を笠に着て、ミウを私から取り上げる。ミウがいなかったら、私にはなにも残らないというのに」
シモン。分かってはいるのね。だったら行動してちょうだいよ。魅力的に輝く人になって。
アドンはね、私のことを取り上げるなんてことしないわ。もしも私が抱いて欲しいと懇願しても、彼はきっと抱かない。
それがアドンだから。
私はそのアドンを傷付けた悪い魔女。決して許されない悪魔なのだもの。
私はシモンを放って、日が高いというのにベッドに入った。
だってアドンと一緒にいないなんて退屈なんだもの。今日やることは寝るしか残ってないんだもの。