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第10話 その後8

 その後もさんざんだった。アドンは些細なことで私のことをみんなの前で面罵した。

 回りの使用人たちは、アドンの様子に神経を尖らせて、私を厄介者のように思っているようだった。


「次はこの茶器の乗ったトレイをお運びください。お茶のいれ方はご存じですか? 今度は怒られないようにしてくださいよ」


 私は背筋を伸ばしてアドンの書斎に入る。そして彼の後ろを通り右側に茶器を置く。するとトレイのバランスが崩れて『ガチャ』と大きな音がたった。


「も、申し訳ございません」

「はあ。君は何をさせても満足にいかんな。まあいい。お茶をくれ」


 私は彼のティーカップへとお茶を注いだ。しかし、悲しくなって涙が溢れてよく見えなくなってしまい、かといって手が塞がっていたので拭くわけにもいかず、そのままタイミングで注ぐのを止めようと思ったが、いくぶん溢れて下皿にこぼれてしまったので、アドンは舌打ちをした。


「なにをやっている!」

「も、申し訳ございません」


 アドンは私を睨み見た。その時、泣いていることに気付いて慌てて立ち上がり、顔を覗き込んで指で涙をすくってくれた。

 夫婦だったころ、目に砂が入って泣いてしまったことがあったときのように。


 しかしアドンはすぐさま自分がしたことに気付いたように、胸のポケットチーフを引き出してその指を拭いてしまった。


「……すまん。婦女子の身に触れるなど本意ではない」

「あの……、閣下、お優しい……」


「勘違いするな。婦女子が泣いていたら男なら誰でもするだろう。すぐさま代わりを出したまえ」

「は、はい」


 アドンはポケットチーフを突き出してきたので、私はそれを持って部屋を出た。

 外に控える侍女に言うと、すぐさま青いポケットチーフを持ってきて、折りかたを教えてくれた。


「美しく上品に折ってくださいましね。そしてら閣下の上着のポケットに挿し入れて差し上げて」

「分かったわ」


 私は部屋に戻り、ポケットチーフを折ると、アドンは無言で椅子を回して広い胸を突き出した。

 私は彼に近づいて、右胸のポケットにそれを入れる。私とアドンの距離が近くて、私はまるで恋した乙女のように胸を高鳴らせた。


 アドンがもしも手を広げて私を包んでしまえば、抱き締められる距離。

 私が彼の胸に倒れ込めば、彼に甘えられる距離だった。


「……閣下、終わりました」

「……ご苦労」


「ありがとうございます」


 その時間は終わってしまった。互いになにもしないまま身を離したのだ。

 アドンは難しい本を読み始め、私には壁に控えているように命じられた。

 それはただの主人と使用人だ。


 でもこれは『ごっこ』だ。『主人と使用人ごっこ』。この部屋の外には、いつでもアドンに対して世話をする侍女たちが十人も控えている。

 私が使用人の役を上手に出来なければ、アドンは彼女たちを呼ぶのだろう。

 彼女たちも外でそう思っている。そうなってしまっては私の恥になるのだ。

 それが私の仕事だ。




 アドンの仕事は領内の陳情に対して、解決策を提示したり、決定したりすることが主だ。

 他にも軍の書類に目を通していたりもする。


 本当に本当に公爵さまになってしまったのだわ。でもどうして?

 彼が庭師の頃はそんな素振りなど見せなかったし、彼の父親も庭師だった。祖父も庭師だったと聞いている。アドンが公爵になる要素などどこにもなかったのに。


 その後、食事の用意をしたり、庭に出るときに帽子を用意したり。とにかくアドンの背中にくっついて歩き回ったので足が棒のようだ。

 やがて夜となり、アドンは寝室に入った。そこで彼の身体を拭いて、着替えをすれば仕事は終わりだと言われた。


 一日中立ち尽くした私は肉体的にも精神的にもボロボロだった。しかし最後の力を振り絞って彼の身体を拭き始めた。


 何度も何度も見た肉体。あの頃となにも変わらない。アドンは気持ち良いのか吐息を漏らした。


 やがて身体を拭き終えると、着替えだ。彼に下着と寝巻きを着替えさせてやった。

 アドンはそのままベッドに入ったので、私は胸まで毛布をかけた。アドンはそのままの姿勢で労いの言葉をくれた。


「明日も今日と同じ時間に出仕せよ。ご苦労であった」

「ありがとうございます」


 私はお礼を言って部屋を出る。どっと疲れが身体にのし掛かる。だがこうしてはいられない。早く家に帰って寝なくちゃ、明日も四時起きだもの。

 時計を見ると22時30分。お仕着せのまま公爵邸を飛び出して用意されている馬車へと飛び乗った。


 自分の家に着くと23時。そこにはシモンがお酒を呑んで待っていた。


「ミウ! 公爵にはなにもされなかったか? 君の身に触れなかったか?」


 疲れているのに。なにもしないくせに、お帰りも言わずに、そんな心配ばかりしていたのね。

 私は苦笑しながら答えた。


「何もないわよ。明日も早いから寝るわね」

「な、なんだその言い方は! 不誠実だぞ! やはり公爵となにかあったんだ!」


 私がベッドに倒れ込んでもわめき散らし、さらにはのし掛かって自分の欲望を吐き出した。


「なあミウ、愛してると言ってくれ。私は心配で心配で……」

「ええシモン、あなたを愛してるわ。お休み……」


 私はそのまま眠りについた。そして次の朝も早く起きて、仕事に。

 公爵邸に入り、アドンの世話を。

 叱られ、緊張し、また失敗。そして叱られるの堂々巡り。

 公爵邸の侍女たちは、私を疎ましく思っているようで、誰も目を合わせてくれない。こんなにきらびやかな場所が、まるで鬼の住みかのようだった。


 それが数日、数週間。ヘトヘトになって家に帰ってシモンに愛を強要される日々。私の身体は限界に近づいていた。

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