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第1話 前編

 私は幸せだ。伯爵であるご領主に見初められ、平民にもかかわらず妻として娶られた。

 私は、勝ったのだ。泥臭い日常から解放され、美しいものを着て、美味しいものを食べる。そして旦那さまであるシモンと愛し合う日々。

 全てを捨てて良かった。心からそう思う。





 シモンさまの元に嫁いだのは、初婚ではない。二度目だ。

 一度目の夫は、もちろん平民でひとつ年上の幼馴染みだった。名前はアドン。地域に数人いるようなありふれた名前だ。口の回りには口ひげが生えており、男らしく愛嬌もあった。

 職業は代々の庭師。彼の祖父も父も庭師で、植木や剪定、木や花を植える商売だ。私は最初、アドンの元に嫁ぐことに疑問を持たなかった。


 近所に住む、好きな男と結婚することは、我々平民にとって当たり前のこと。幼い頃よりアドンなら一緒にいて楽しいし、両親たちも賛成していたので当然の流れだった。


 私たちが結婚した後にすぐにアドンのご両親は亡くなり、彼は家や土地を受け継いだ。

 小さな畑には鳥豆という豆をたくさん植えた。収穫した鳥豆は、本当に小鳥のような形をしているのだ。栽培は簡単で収穫量も多い。ただ味はなんとも言えない。それが私たちの食事。スープはその豆の葉で作る。

 アドンは私の作る鳥豆料理をいつも笑顔で食べていた。


「これってホントに鳥みたいな形してるな」


 と毎日同じセリフを言う。今となっては面白くともなんともないが、それに一日の感謝をして、腹を満たしていたのだ。


 私の転機となったのは、シモンの家にアドンが仕事で呼ばれたからだ。庭木と花を植える仕事で、私は木箱に入った花を荷車から下ろし、庭に移植する手伝いに付いていった。


 屋敷につくと、なんともきらびやかで、農夫姿の私たちには場違いなところだと思った。と同時に憧れを抱いたのだ。

 同じ人でも、こんな暮らしが出来るものかと感嘆したのだった。


 アドンは仕事で都の公爵さまや侯爵さまの元にも出張していたので、都にはもっとすごい建物があるぞと、自分の手柄のように言っていたが、そんなもの耳に入らなかった。


 二人で仕事をしていると、シモンが仕事を見学に来た。彼は私と同じ歳で爵位を継いでいた。見事な立ち居振舞いで、金髪で気品のある顔立ち。むさ苦しい口ひげなどなく、これが本当の貴族なんだと眩しく感じた。

 だが、その彼は私を見て固まっていた。今まで自分では気付かなかったが、私の顔立ちやスタイルは人より優れていたようだ。

 シモンは、すぐにアドンを呼んだ。


「こ、これ。アドン。君の助手はずいぶん美しい人だね。名を何と言う?」

「ああ、ご領主。あれはミウと言って私の妻です」


 それにシモンは息を飲んで、とんでもない提案をしてきたのだ。


「なに? 君の妻だって? すまんが私に譲って貰えんか?」


 唐突な申し出に私の頭は真っ白になり、その白いキャンバスに豪華な暮らしがグルグルと回り始めた。


「なにをおっしゃいます! 自分の妻を譲るバカがどこにおりますか。ご領主、このような冗談を他でなすってはなりませんよ」


 とアドンは毅然とした態度でシモンさまを諭した。しかしシモンさまは食い下がる。


「冗談などではない。これはきっと運命なのだ。彼女は神が私に与え賜うた天使なのだ」


 情熱的な言葉に私の心は跳ね上がった。しかしアドンはそれを突っぱね肩透かしの回答をして、さっさと仕事に戻ってしまった。


 私はなんとも言えない感情となった。アドンなどただの百姓で、シモンさまは伯爵でお洒落でまだまだ若い。そして平民の私を天使とまで言ってくれた。アドンが諦めてさえくれれば……。

 シモンさまは、しばらく私を見ながら立ち尽くしていたが、笑顔で目配せしてくれた。そしてその場を立ち去ったのだ。


 シモンさまは私を諦めてしまったのかしら……? そんな思いを抱きながら花の移植をした。そして考えた。伯爵夫人となって優美な生活を送ることを。

 この庭園は私のものになるのだ。ここを散歩して二階からここを見下ろして……。たくさんの使用人に『奥さま、奥さま』と言われるのだ。なんと華々しい。


 やがて日も落ちかけ、アドンは私を荷車の後ろに乗せて引き出した。

 荷車の後ろ……。ところどころ虫食いも板の間には隙間もあるわ。それに揺れるし遅い。


 これが馬車だったらどうかしらね? 優美な作りに屋根までついている。すいすいと林道やアドンの横を駆け抜けて伯爵のお屋敷に帰るのだわ。なんて、なんて素敵なのかしら?


 家につく頃には日が暮れていた。アドンは扉を開けて明かりをつけながら開口一番。


「まったく困った伯爵さまだ。人の女房が欲しいだなどと。そうは思わないか、ミウ」

「で、でも伯爵さまの言うことに逆らうなんていけないわ。仕事だって来なくなるかもしれないし」


「はあ? 何を言ってるんだ。妻を取られるくらいなら仕事なんて失ったって構わないよ。他に仕事などたくさんあるのだし」

「でも、でも……」


「大丈夫さ。ミウは心配することない。何も恐れることはないよ。その時になったら、夜逃げでもして他領に逃げればいいんだから」


 そうじゃない。そうじゃないのに。私はもうここにはいたくない。狭い狭い小部屋。風の入ってくる小さい家。心配なのはこれからの生活よ。


「まあいいさ。飯にしてくれ」

「は、はい」


 私は台所に入って鳥豆の袋を見ると、ひとすくいの豆しか残っていなかった。豪奢な暮らしの想像をしていてうっかりしていた。今日もらった日当で芋でも買おうと思っていたのだった。

 それをアドンに言うと、彼はにこやかに答えた。


「ああちょうど良かった。伯爵のところでお茶をたくさん頂いたので、お腹がいっぱいだったんだ。君だけ食事を取るといい。私は疲れたのでもう寝るよ」


 と寝室に行ってしまった。灯りがもったいないので平民は早寝だ。私はなけなしの鳥豆を煮込んで口に入れた。なんて貧しい食事。

 伯爵家だったらどうかしらね? 銀や陶器の皿が並んで、見たこともない豪華な食べ物が並ぶのだわ。

 私は望めばそんな生活が出来るのだ。なんとも悔やまれる。アドンのような平々凡々な近所の男に。運命なんてまるで感じられない、どこにでもいる農夫に流れるまま結婚しただけなのだ。


 ああ神様は意地悪だわ。こんな運命をくださるなんて。どうにかして伯爵さまのところにお嫁に行けないものかしら……。


 私は惨めさを噛みしめながら、アドンとは離れて眠った。





 次の日、アドンは伯爵邸に行って昨日の仕事の続きをすると言うので、私は土にまみれた姿を伯爵さまに見せたくないので、自分は手伝いをしたくないと言うと、アドンはそれがいいと喜んで、弁当も持たずに出ていった。まあ弁当の材料はなかったから仕方がないのだが。


 私はため息をつきながら、近所で食べ物を買い、畑の作物に水やりをしていると、家の前に馬車が停まり伯爵さまが降りてきた。


「ああ、ミウ。君に会いたかった」

「なんと言うこと? 伯爵さま、どうしてこの場所に?」


「実は君の夫のアドンに聞くと、君は自宅にいると言うじゃないか。だから彼の仕事中に巡察の名目で、ここにきたのだ」


 私は思い描いた人に会えて、ただ呆然としていたが、伯爵さまは息を切らせながら告白してきた。


「私は君を見た瞬間から、君に心奪われた。ああミウ、君を愛しているのだよ」

「本当でございますか? 私もでございます」


「な、なんだって? 君も?」

「ああ、なんてことでしょう。出会う時間が遅すぎたことで私と伯爵さまの間には何も持たない夫なんていう障害物があるなんて!」


 私たちはしばらく庭先で抱き合っていたが、伯爵さまが御者に馬に牧草を食べさせてくることを命じるとともに家の中へ──。


 私たち、二つの雫は重なりあって大きな水滴となり葉の上で溶け合う。やがて朝露が葉から落下するように地面に堕ちて行った。

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