愛しの妖精憑き
彼女が僕のことを”お兄様”と呼ぶので、僕は彼女のことを”エリカ”と呼び捨てた。それまで、彼女を名指しでそんなに呼んでなかったので、僕の中では違和感がなかった。兄と呼ぶのだから、呼び捨てて、何が悪い。
ところが、リスキス公爵夫妻は、お父様お母様呼びされても、”エリカ様”であった。後で、ものすごく後悔した。
妖精憑きのことについては、”お兄様”と呼ばれるようになってから、教えることとなった。アインズ様の側近として行く時は、なかなか時間がなかったが、リスキス公爵夫人の手紙運びのお陰で、時間がとれた。
エリカが聖域のお勤めが終わってから、僕は彼女が過ごす小屋の中で、二人、妖精憑きのことを話した。
「もともと、僕は男爵家の五男なんだ。その男爵家は、大昔、帝国の皇帝が降嫁してきた貴族家から始まっている、と書かれている。細かい話は省略するが、紆余曲折で、帝国から王国に移り、今は、貧乏男爵となって、男爵領を治めている。
とても人が良い、騙されやすい一族でね、そのせいなのか、よく、妖精憑きが生まれる」
「他の妖精憑きは、どんな方ですか?」
「残念ながら、僕が会ったのは、エリカが初めてだ。男爵家は、妖精憑きがよく生まれるせいで、記録がたくさん残っている。一番、新しいものは、父の妹、つまりは叔母の記録だ。僕が生まれるよにもずっと昔に出奔してしまっているので、今は、どうしているかわからない。
叔母は、記録の中でも、相当異色な妖精憑きだった。エリカのように、妖精の声が聞こえたり、姿が見えたりする力はなかった。その分、妖精にものすごく愛されているようで、叔母の願いは良いものも悪いものも、全て叶えられた」
「悪いものって、どんなことですか?」
「人を傷つける願いだ。叔母は、妖精の姿を視認出来なかったから、ともかく、人の死を願うことを禁忌として教育された。それでも、酷い目にあえば、転んでしまえ、ぐらいは願ってしまう。それを心をこめて口にすると、妖精は、転ばせるだけでなく、足の骨を折ってしまう」
エリカは口をおさえて驚く。エリカには、まだ、そういう経験がないようだ。
「妖精に加減はない。いや、加減はしているが、それは、妖精なりの加減だ。人並の加減は出来ない。だから、叔母が呪詛の言葉を吐き出せば、その相手は、ただでは済まない。
男爵家の邸宅には地下室がある。そこには、叔母の呪詛によって、人でなくなった者たちが閉じ込められている。人の寿命が終わるまで、彼らは僕たちが想像している以上の苦痛を受けて生き続ける」
「知りませんでした」
「妖精憑きの記録は残りにくい。だいたい、妖精憑きだとわかる者もいないだろう。男爵家は、そういう家系だから、記録があり、子どもが生まれると、妖精憑きと疑う。
もしかすると、エリカは帝国の皇帝の血筋かもしれないね」
「でも、捨てられちゃった孤児ですよ」
「どういう経緯かは、妖精に聞くといい。ただ、聞く順番を間違えてはいけない。妖精は嘘をつかないが、答えないことがある」
「………」
「まあ、無理に聞く必要はないさ」
自分のことを知るには、勇気がいる。震えるエリカの手を握る。
「妖精との付き合い方を少しずつ学んでいこう。大丈夫。僕が知っている。男爵家でも、妖精憑きに教えて、守らせることはたった三つだ。
妖精が見えたり、声が聞こえたりすることは、誰にも言わない。
妖精の加護を利用しない。
妖精の提案を絶対に受けてはいけない。
これだけだ」
「でも、妖精憑きだって、お兄様には知られてしまっています」
「僕は気づいたんだ。エリカが言ったわけじゃない。いいかい、誰も言っちゃダメだ。例え、リスキス公爵でも、アインズ様でも、王国の国王でも、言ってはいけない」
「それじゃあ、二人だけの秘密ですね」
目をキラキラと輝かせていうエリカ。まあ、男爵家の血筋でもないエリカのことを実家にいう必要性はない。
「確かに、僕とエリカだけの秘密だ」
この二人だけの秘密が、彼女の中での僕が、兄から恋心へと変化させたようだ。なんとなく、エリカの僕を見る目が恋慕へとなっていることに気づいていた。しかし、距離をとることは不可能だった。
週一で最果ての聖域には行き、エリカが暮らす小屋で一泊する。それでも三年、僕は誤魔化し、逃げたのだから、自分を誉めてやりたい。
「お兄様、赤ワインを自作してみました」
エリカと過ごすのは、苦痛でしかない頃のことだ。笑顔で自作のワインを持ってきた。
週一で眠れない夜を過ごしているので、この時は、酔って寝るのもいいな、程度に思っていた。
「先代エリカ様も、お酒を飲んだのか」
「いえ。あの方は敬虔な方でしたから。教会では、お酒を持ち込むことは禁止ですし」
一口飲んでしまった。
「酒作りはダメじゃないか」
「バレなきゃいいんですよ。それに、お兄様に飲んでもらいたかったんです」
外では聖女のごとき、敬虔な人だというのに、僕の前では、悪い面を見せる。ちょっと悪いことをするのも、エリカの息抜きになったのだろう。
お酒は嗜む程度に飲むのだが、その日は、それを越えた。酔った僕に伸し掛かるエリカ。
「お兄様、愛しています」
理性が切れた。
妖精の声を聞き、妖精の姿を見ることが出来る少女は、成人すると、見目麗しい女性となった。
僕は、変わらず週一で最果ての聖域を訪れていた。彼女との関係はずぶずぶと続いていた。妊娠しないのが不思議なほど、濃厚な関係であった。
義理の弟も健やかに育ち、アインズ様の立場は相変わらずだ。
アインズ様は、変わらず月に二回の最果ての聖域を慰問しているのだが。
「ロベルト、私は邪魔者のようだな」
エリカのアインズ様に対するあからさまな冷たい態度に、僕との関係は気づかれていた。