人買い
その日は、たまたま調子が良かったのだと思う。馬車に乗って、王都の流れる景色を見ていた。
王宮を出ることは、本来はいけないことなのだが、私は体が弱すぎて、それをどうにかしようと、定期的に王都の聖域に行っていた。
王都の聖域のエリカ様は、どこか、病気がちな青白い顔をしていた。今にも倒れそうな顔なのに、私の手をひいて、聖域に連れて行ってくれた。
聖域に行くと、不思議と体が軽くなった。何か悪いものがすっと抜けるようだ。
そして、王都のエリカ様の顔色がさらに悪くなったように見えた。
王都のエリカ様は寿命が短い、と教師に教えてもらった。王都のエリカ様は、優しく微笑んでいるが、きっと、私の病気を持っていっているのかもしれない。とても心苦しい。
そう思いながら、私は、馬車で王宮に戻る途中、何かに呼ばれたような気がした。
「止めてください!」
私の言葉に従う御者。私はドンドンとドアを叩く。
「はやくはやくっ」
「お待ちください!」
ばっと開くと、私は飛び出した。御者と従者が慌てて走って追いかけてくる。
子どもの足だ。すぐに捕まった。
「殿下、そちらは危ないです。戻りましょう」
「あ、やめてあげでください!」
私の目の前で、女が殴られていた。
「殿下、いけません」
「母上が言ってた。女に暴力をふるやつは悪いことだって! やめてください!」
「うるせぇガキって、貴族か」
ガラの悪い太った男が、女の髪をわしづかみしたまま、俺を睨む。
「商売の邪魔だ。こいつには、借金があるんだ!」
「そんな乱暴、やめてください!」
「逃げようとしたんだから、殴ったんだよ。お前も殴られたくなければ、あっちいけ!」
貴族だろうと、なんだろうと、関係ないのだろう。恰好も女だから、ちょっと脅せば逃げると思われたのかもしれない。
私は従者から無理矢理、逃げて、この暴力男の前に立つ。
「いくらですか?」
「はっ?」
「その借金は、いくらなんですか!?」
「殿下、いけません!!」
「答えなさい!!」
相手が実は、貴族よりも上だと気づいたのだろう。暴力男の顔色がかわった。女の髪を離し、ガタガタと震える。
「そ、その女の借金じゃ、ありません。女の、旦那の借金です」
「いくらですか?」
「き、金貨十枚、です」
しまいには、両ひざをつき、頭を下げる暴力男。
「金貨を持ってきてください」
「殿下!」
「いいから!」
侍従は、仕方なく馬車から金貨の入った袋を持ってきた。中には、金貨が十枚以上入っていた。私は、袋ごと金貨を暴力男に投げつけた。
「これで、この人は自由です」
「ひ、ひぃいいいい!!!」
悲鳴はあげるも、ちゃっかり金貨の入った袋を持って、逃げていった。
残ったのは、暴力男ですっかり傷だらけになった女だ。私は、女の汚れをハンカチでふいたが、汚れがひどすぎて、ハンカチが黒くなった。
「殿下、もう行きましょう」
「こんなとこに、置いていくわけにはいきません」
「あなた、ありがとう、ございます」
女は顔は初めて顔をあげた。
真っ白な髪に真っ白な瞳、いや、白銀の髪に白銀の瞳の美しい女だった。
女は、私の顔に優しく触れた。
「あなた、私、買った。私の、お腹の子も、買った。だから、あなた、助ける」
そう言って、動けない私に口づけをした。
「貴様、殿下に何をする!!」
侍従が私を女から引きはがした。
女は不思議そうに、俺を見上げた。
「私、あなた、返した。でも、お腹の子、あなたに、返していない。だから、お腹の子、あなたの」
「何をわけのわからないことを言ってるんだ。ほら、さっさとどこか行け!」
「置いてっちゃダメだ! 連れていかないと!?」
「いけません。私が王妃様に叱られます」
「どこにも行くところはないでしょ?」
「? わからない」
首をかしげる女。
「もういいでしょう。この女は助かったんですから。お前も、どこかに行け!」
侍従はもう、私を離さず、無理矢理、馬車に乗せた。
私はドアをどんどんと叩いて、女を見た。女は、呆然と私のほうを見て、動かない。
そして、馬車は走り出し、女の姿はあっという間に見えなくなった。
その夜、母上にこっぴどく叱られた。
「聞きましたよ。勝手に馬車を飛び出したとか。しかも、どこの誰かもわからない女の借金を返したとか」
「母上、あの人を探さないと」
「いけません! いいですか、王族は、平民一人を特別扱いしてはいけないのです!」
「でも、あの女、また、殴られてるかも。助けないと!」
「優しいことはいいことです。しかし、平民には平民の約束事があります。それに、王族が介入してはいけません」
「でも、きっと、泣いている」
女の人のことを思うと、胸がしめつけられるように苦しかった。何が悪いことをしているようには見えない。なのに、殴られて、でも、泣いたり怒ったりしていない。
助けないといけない、そう思う。
「ともかく、忘れなさい」
母上の説教はそこで終わったが、聞く気はなかった。




