貧乏男爵家
父が確認した書類を、僕はもう一度見直した。齢十に満たない僕の横で、ハラハラと心配そうに様子を見ている父。もう少し、男爵家当主としての威厳を示してほしい。
「父上、契約書は作り直してください。これでは、また騙されますよ」
「しかし、ロベルト。友がお願いしていることだから」
「いいですか、父上。友達は、友達を騙すようなことはしません!!」
明らかに、悪意しかない契約書である。こんなのを寄越すヤツは、友達じゃない。
「だいたい、買取金額が、市場の半額以下じゃないですか!」
「余っているものだから、いいじゃないか。それに、運送費がかかるんだぞ。可哀想だろう」
「それでも、市場価格以下ですよ!?」
「みんな、苦しんでいるんだ。助け合うことは、大事だ」
なんでも、友達だという貴族の領地は凶作だった、と泣きついてきたらしい。どこの領地なのか、まだ、聞いていないので、確認が出来ていない。
毎回、騙されている父のせいで、借金が減らない男爵家。これはまずい、と若い身空で経営に口を出す僕を叱ったりしない両親と兄姉たちは、出来た人たちである。
騙されやすいけど。
書類から、どこの領主か確認して、王都への調査を昔から男爵家に仕える一族の者たちにお願いの書状を書いて渡した。頭痛がする。
「とりあえず、確認が出来るまでは、保留です」
「そんな!? 明日にでも欲しいって、言ってるんだ。領地民が飢えて死んでしまうよ!」
「そういう時は、国に書状を送れば、きちんと対応してくれます。僕のほうから代筆しておきますよ」
「それでは、時間がかかってしまうよ! そうだ、そのままタダで渡してしまおう!!」
「父上!?」
「誰か、すぐに荷馬車を準備してくれ!!」
「やめてぇえええーーーー!!!」
当主の一言は、跡取り以下の僕の言葉よりも優先された。
最後のあがきで、自称友達だという男の領地への運搬に、平民の恰好でついて行ってみれば、領地は凶作どころか豊作であることが発覚した。
まさか、父が直接来るとは思っていなかった、自称友達は、悪行がバレてしまい、態度最悪で僕たちを追い出した。
何故か、僕たちが持っていった収穫物は、「このまま戻るのも大変だろうから、買い取ってやるよ」とはした金を投げてきて、取り上げられた。
「ロベルト、すまない!」
屋敷に戻れば、父は僕に土下座して謝った。
「我が家は食うには困らないのですから、やっていけますよ」
「うっうっうっ」
涙もろい父は、土下座したまま泣いた。いい歳した大人が、情けない。
王都のほうに使いを出してしまっているし、今回のことは、国のほうにも報告してしまった後である。
あの貴族、無事では済むまい。
貧乏男爵家であるが、王都でも屈指のリスキス公爵家の遠縁である。あまりにも騙されるので、リスキス公爵様から、常に報告するように、と僕が言われていた。決して、父には言わないし、頼まない。
「終わってしまったことは仕方がありません。どうせ、余った収穫物ですし、有効活用されますよ」
「ううう、まだ、公爵様に叱られるぅ」
そっちかい!? してしまったことよりも、リスキス公爵の怒りのほうが怖い父である。
「公爵様は、父上のことをそれはそれは心配しているだけですから。注意だけですみますよ」
「本当かな?」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をあげる父。黙っていれば、かなりの美形だと言われるのに、涙もろいところは美形度も半減すると社交界ではまことしやかに語られているらしい。
「あなた!?」
そこに、父のことを愛してやまない元侯爵令嬢の母がやってくる。
「あの男、あなたのことを泣かせるなんて」
「すまない、こんな情けない男で。君に愛想つかされてしまうね」
「まさか! そういう所も全て、愛しております!!」
「僕も、君の全てを愛しているよ!!」
ひっしと抱き合う二人。もういいかな? 僕、ここにいる必要ないよね?
毎日、繰り広げられる愛情の確かめあい。見ていて、砂を吐き出したくなるが、我慢する。
「父上、公爵様とは、僕と兄上が話しますから。あと、僕より下の子はいりませんからね」
言外に、子作りするな、と言って、僕は父の仕事部屋から出ていった。どうせ、僕の話なんて、聞こえていない。
結局、あの自称友達の貴族は、他にも悪事の証拠が出され、一族ごと平民へと落とされていった。
報告を持ってきたのは、消息不明の叔母が助けたという兄弟である。
よく、騙される男爵家だから、領地民はよそ者を嫌う。この兄弟も、男爵領に来たばかりの頃は警戒されていたそうだ。しかし、叔母が助けた、ということで、領地民はすぐに受け入れた。
話でしか聞いてないが、叔母は、とても特別な人だとか。男爵領が騙されて、借金まみれであっても、毎年、豊作なのも、叔母のお陰だと、領地民がいう。
しかし、この叔母が助けたという兄弟は、叔母のことを恐れている。
「王都まで、ありがとうございます。疲れたでしょう」
「大したことがありません」
「大恩ある、男爵様のためなら、この程度のことで疲れたりしません!」
叔母のことを恐れているからか、それとも、飢えているところを助けたからか、忠誠心は並々ではない。
本来なら、跡取りではない僕には、人がつくことはない。しかし、当主が騙されやすいこともあって、出来る者がやる、という方針から、男爵家に仕える一族ではない、この兄弟が僕に仕えることとなった。
僕の倍は生きている兄弟だというのに、不満はないだろうか。ふと、そんなことを何気ない聞いた時は、
「やっと御恩がお返しできます!」
「僕たちをあの地獄から救ってくさった男爵様の役立てるなんて、光栄なことはありません!!」
僕とこの兄弟の温度差は、永遠にかわりそうにない。
「叔母の行方は相変わらずですか」
この兄弟には、王都に行くついでに、叔母の消息も探してもらっていた。
「残念ながら」
「そうですか。仕方がないですね。また、時間がある時にお願いします」
「申し訳ございません!」
「土下座はやめてくださいぃーーーー!!」
大人の土下座は、本当に勘弁してほしい。