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甘い罠

 当然俺は逃げようとした。

 でも、無駄だった。


 白崎はタコみたいに四肢を絡ませ、意地でも離れようとしない。

 人通りの少ない裏道とはいえ往来だ。年頃の男女がくんずほぐれつ抱き合っていたら具合が悪い。それに俺は、女との接触にはまるで耐性がない。


 白崎なんか大嫌いだが、それはそれとして、人間には抗いがたい本能という物がある。

 吐息がかかる程に近い愛嬌たっぷりの小さな顔、艶やかな黒髪から香るフルーティーなシャンプーの匂い、ミルクめいた甘い体臭と少し高い体温、軽すぎる体重と柔からな肌の感触、むにむにと押し付けられる不釣り合いに大きな胸。

 その他諸々の白崎成分が津波のように押し寄せて、俺の理性を砕こうとする。


「とにかく離れろ!」

「やだ! 離れたらまた逃げちゃうもん! 私の話聞いてくれるまで離れない!」

「こんな状態で話なんか出来るかよ! 逃げねぇから、とにかく離れろ!」

「嘘ついたらやだからね!」


 白崎が離れた瞬間、すかさず俺は逃げ出した。

 そしてすぐに捕まった。


「嘘つき!」

「うるせぇ! 俺に構うなって言ってるだろ!」

「話聞いてって言ってるでしょ! 聞いてくれるまで、絶対に諦めないもん!」

「このクソアマ!」


 男ならぶん殴って強引に引き剥がしている所だ。

 相手が女ではそれも出来ない。抱きつかれた程度で殴ったら一発で停学だ。それが狙いの可能性だってある。


 仕方なく俺は妥協した。

 この女はイカレてる。

 無理に逃げようものなら、家まで追いかけて来てもおかしくない。

 そうなれば、母親を巻き込む事になる。それだけは避けたい。


 話を聞くにしても、表では駄目だ。

 事情を知らない奴が見たら、俺が白崎に告白していると勘違いするに決まっている。そして翌日には、醜い嫌われ者の俺が身の程知らずにも白崎に告白したというデマが拡散され笑い者にされる。人は信じたい事しか信じないから、先程の玄関先での騒動なんかなかった事にされてしまうだろう。


 そんな事を懇切丁寧に話してやったら俺が不利になるだけだ。ここは一旦白崎の話に乗った振りをして、告白なら人目につかない所で聞いてやると言っておく。


「いい所があるの! 友達に教えてもらったお店なんだけど、カレーがちょ~美味しいんだよ? 今回は特別に、私が奢ってあげるね!」


 そうして連れて来られたのは、商店街の裏道にひっそりと佇む、パルフェという名の古風な喫茶店だった。

 昭和テイストとでも言うのだろうか、十席程の小さな店だ。

 疎らな客は、全員が美味そうなパフェを食べていた。実際美味いのだろう。店内に甘く漂うクリームの香りだけでもそうとわかる。


「なに食べる? 私のおすすめは断然カレー!」


 死角になった奥の席に陣取ると、白崎が革張りの洒落たメニューをこちらに向けた。


「いらねぇよ。用があるならとっとと話せ」


 差し出されたメニューを突き返す。


「ダメだよ。お店なんだから、なにか頼まなきゃ失礼じゃん!」


 子供を窘める母親みたいな顔で白崎は言う。

 悔しいが、それはそうだ。

 舌打ちをしてメニューを引き戻す。


「……トーストとコーヒー、ブラックで」


 暫くメニュー眺めると、仏頂面で俺は言った。本当はパフェとメロンフロートを頼みたかった。ここだけの話、俺は大の甘党で、コーヒーなんか大嫌いだ。あんな苦いものを飲む奴の気が知れない。だが、そんな事を言っていたら舐められる。


「あれ? パフェじゃなくていいの?」


 水を飲んでいる最中にそんな事を言われて、思わず噎せてしまった。


「は、はぁ? そんなもん、食うわけねぇだろ!」

「ほんとかなぁ? 他のお客さんがパフェ食べてるの、羨ましそうに見てたけど。さっきだって、パフェのメニューに釘付けだったし」

「…………」


 そんな顔をしていたつもりはなかったのだが。

 思わず俺は自分の顔に手を触れた。


「やっぱり。私、こう見えて結構気遣い屋さんだから。そういうの分かっちゃうんだよね~」


 特技でも自慢するみたいに白崎は言う。


「……勘違いだろ」

「恥ずかしいんだ? 私は別に、黒川きゅんがパフェ食べても笑ったりしないよ? 可愛いな~とは思うけど」

「違うって言ってるだろ!」


 思わず声が大きくなる。

 この女、舐めやがって!


「ぶー。折角奢るなら、好きな物食べて欲しいんだけどな」


 不貞腐れて呟くと。


「いーもん。それじゃ、私がパフェ頼んじゃうもんね~だ」


 当てつけるように言って、白崎は二人分のメニューを注文した。


「……で、話ってなんだよ」


 とっとと終わらせて帰りたい。

 促すと、白崎はギクリと固まり、かぁーっと頬を赤くした。

 落ち着かない様子で毛先を弄り、何度か深呼吸をして姿勢を正す。


「私ね、黒川君の事好きになっちゃったみたいなの。だから私と、付き合ってください!」

「断る」


 即答すると、白崎の肩がカクンとコケた。

 恨むように俺を睨み、「うぅぅ……」と喉の奥で唸り声をあげる。


「ちょっとは考えてよ!」

「うるせぇ。どうせ悪戯に決まってるんだ。考える余地なんかねぇだろうが」

「だから違うってば! なんで信じてくれないの?」

「逆に聞くが、そんなふざけた話、誰が信じるんだよ。お前は学校一の美少女で、みんなに愛されるモテ女だ。彼氏なんか選び放題で、今まで告ってきた相手の中には、俺より顔も中身もご立派な金持ちのイケメンが幾らでもいたはずだ。それを全部断って、なんで今更俺みたいな醜い嫌われ者に告白する? どう考えたっておかしいだろうが!」


 思わず語気が強くなる。当然だ。俺は苛立っていた。白崎のしつこさに、無神経さに、性根の悪さに、存在そのものに。もはや完全にバレている嘘を押し通そうとする面の皮の厚さが腹立たしい。人を舐めるにもほどがある。


「おかしくないもん! 私は黒川君にビビッて来たの! 他の人は来なかったの! そういう事でしょ?」

「そんな説明で納得出来るか!」


 アホらしい。騙すなら、もっとマシな言い訳を考えてこいってんだ!


「むー!」


 白崎は分からず屋を見るような目で頬を膨らませた。


「じゃあ、こういうのはどう? 私はモテるから、告白されるのには慣れっこなの。かっこいい人も、面白い人も、優しい人も、お金持も、黒川君が言うような人は周りに幾らでもいて、飽き飽きなの。そんな人と付き合っても面白くないし、わざわざ付き合おうとも思わないの」

「最低の理由だな」

「黒川君が説明しろって言ったんじゃん!」

「言ってねぇよ。そんな説明で納得出来るかって言ったんだ」

「同じだもん」

「同じじゃねぇよ」

「でも説明したし、納得した?」

「するわけねぇだろ」

「むー!」


 白崎がまた頬を膨らませる。

 それが可愛いからまたムカつく。張り倒してやりたい。


「あとはなんだろ。私って可愛いし人気者だから、愛されたり大事にされるのは慣れてるんだよね。でも、恋愛ってそういうんじゃないじゃん? もっとこう、二人で喧嘩したり苦労したりして育てていくみたいな? ていうか、私的には愛されるより愛したいみたいな? でも私ってこんなだから無理かなーって思ってたの。そこに黒川君が現れたの! 私を見る冷たい目、ゾクゾクしちゃった! クソブスって言われた時なんかもう、色んな所がキュンキュンしちゃって……じゅるり」


 遠い目をすると、白崎はものすごく気持ちの悪い顔で口元を拭った。

 俺は普通にドン引きした。嘘にしたってキモ過ぎる。


「そういうわけでビビッて来たの! もしかして、これが噂の一目惚れ? 運命感じちゃったのかなって! ちゃんとね、一週間様子みたんだよ? 気持ちは冷めず、思いは日に日に強くなるばかり!」


 ポッと頬を赤らめると、白崎は右手を差し出した。


「というわけで、付き合ってください!」

「断る」

「だからなんで即答!? 私、可愛いよ? 面白いし、空気読めるし、付き合ったら絶対楽しいと思う! この通り、おっぱいだって大きいし! その上なんと、結構オタク! ね? 黒川君好みのいい女だと思わない?」


 ツッコミどころは山ほどあるが。


「……なんでそこでオタクが出て来るんだよ」


 不穏な気配を感じて俺は聞いた。


「調べたの」

「はぁ?」


 調べたってなんだよ。

 俺はウィキペディアにでも載ってんのか?


「告白する前に色々知っておきたいでしょ? 初めて好きになった人だから、絶対に失敗したくなかったし。だから友達とか色んな人にそれとなく聞いて、黒川君の情報を集めてみたの。黒川君、高校生になってこっちに引っ越して来たみたいだから、詳しく知ってる人はいなかったけど。友達ゼロの嫌われ者で、休み時間はいつも一人で携帯でゲームしたり漫画とかラノベ読んでニヤニヤしてるって。帰宅部だし、そんなの絶対オタクじゃん」


 不意打ちのストレートがいい所に入った。

 恥ずかしさに顔が火照り、胸が苦しくなる。

 自分的には上手く誤魔化せているつもりだったんだが。

 俺、ニヤニヤしてたのか……。


「……だからなんだよ。休み時間に俺がなにしてようが勝手だろうが」


 内心の動揺を押し殺して白崎を睨む。


「別にバカにしてるわけじゃないんだよ? 私もそういうの好きだし! 付き合ったら一緒にゲームとか出来て楽しいだろうなって!」

「無駄だって言ってんだろ。なにを言われようが、騙されねぇよ」

「だーかーらー! 嘘じゃないってば! なんで信じてくれないの!? 私なにか黒川君に嫌われるような事した?」

「今まで俺は散々お前みたいな奴に騙されてきたんだよ」

「騙されたって、どういう事?」

「カマトトぶんなよ。そんなもん、嘘告に決まってんだろ」


 白崎の目に同情が滲んだ。次いで、怒りも。


「ひどい……。そんな事、私しないもん!」

「そう言って俺を慰めた後に裏切った奴もいたぜ」

「そんな……黒川きゅん……キュンキュンじゃん!」


 白崎は左胸を押さえ、うっとりした顔で俺を見た。


「……はぁ?」

「わかんない、自分でもわかんないよ……。でも、この気持ち、そうなのかな? もしかしたら私、不憫萌えなのかも!」

「ぶっ飛ばすぞ!」


 なんだ不憫萌えって。

 馬鹿にしてんのか?


「仕方ないじゃん! そういう性癖なんだから! 黒川きゅんだって人に言えない特殊性癖の六つや八つあるでしょ?」

「ねーよ!」

「ないわけないよ! 人間なんだから! 私の推理によると……。黒川きゅんはオギャりプレイが好きと見た!」


 白崎が手を望遠鏡の形にして俺を見る。


「マジでぶっ飛ばすぞ!」


 あんまりな言いがかりに、思わず腰を浮いた。


「ちなみに私、天邪鬼とか悪人面も性癖だったり」


 照れ照れと胸元で指いじりをしながら言ってくるが。


「聞いてねぇよ!」


 本当に聞いてない。

 大体、そんな物好きがいてたまるか。


「ほら、息もぴったり? ねぇねぇ~、付き合おうよ~」


 白崎が腕を揺さぶる。


「触んな! 嫌だって言ってるだろ! そっちこそいい加減に諦めろよ!」

「やだもん! ていうか黒川君、私が嘘告してるって思ってるんでしょ? そんなのノーカンだよ! だから付き合おう! そうすれば私が本気だって分かるから! 黒川君の心の傷が癒えちゃうくらいちょ~可愛がるから!」

「傷なんかねぇし、仮に本当でも俺はお前が嫌いだし、仮にもなにも絶対嘘に決まってる。以上! 終わり! 終了! これ以上お前と話す事なんか一つもねぇ!」


 テーブルを叩いて話を断ち切る。


「むー! 黒川きゅんの分からず屋! そんな所も可愛いけど!」


 むっすりとして白崎は言う。

 俺は無視した。

 白崎は何か言おうとして、諦めたように溜息をついた。

 そこに店員が注文の品を持ってきた。


 俺の前にはキツネ色のトーストとどす黒いコーヒー。

 白崎の前には脚の長いグラスに入った純白のパフェ。

 濃厚なクリームの甘い香りがふわふわと漂ってくる。


「ほ~れほれ、こっちのぱ~ふぇはあ~まいぞ~」

「……」


 白崎が見せつけるようにパフェを揺らす。俺はプイっとそっぽを向いた。

 そんなもんに釣られるか。正直ものすごく食べたいが、明日の放課後に一人で来ればいい話だ。一日くらい我慢できる。

 とにかく、早く食って帰りたい。

 手早くトーストを食いつくすと、俺は覚悟を決めてコーヒーに口をつけた。


「……っ!?」


 にがっ! 嘘だろ! こんなの毒だっての! 

 想定外の苦さに、思わずカップから口を離す。

 生暖かい視線を感じて前を見ると、白崎が微笑ましそうに俺を見ていた。


「むふ~。甘党な上に苦いのも駄目なんだ? 背伸びして頼んだのかにゃ? 全く、黒川きゅんはお子様だにゃ~」


 ここぞとばかりに白崎が仕掛けてくる。

 恥ずかしすぎて顔を隠したいが、ここで怯んだら負けだ。

 俺はキッと白崎を睨み。


「うるせぇ。猫舌なんだよ」

「それはそれで可愛くない?」


 あーいえばこういう! 本当大嫌いだ! もう、一言だって喋りたくない!

 と、そこで俺は気づいた。

 白崎は、全くパフェに手を付けていない。


 カキ氷なんて無粋な水増しは入っていない、生クリームとソフトクリームとホワイトチョコだけで構成された、シンプルなパフェだ。それ故に、溶けるのも早い。そうなっては、せっかくのパフェが台無しだ。


「……おい、白崎。パフェ溶けてんぞ」

「そうだね」


 動いたのは口だけで、白崎はスプーンを握る気配もない。


「……そうだねじゃねぇ。パフェ食えよ」

「実は私、甘いもの苦手なの」

「……じゃあ、なんで頼んだんだよ」

「黒川君が意地張るから、代わりに頼んであげたら食べるかなって」


 そう言って、ニッコリと微笑む。

 この女は、どこまで俺を馬鹿にしたら気が済むんだ?


「食わねぇって言ってんだろ」

「じゃあ、このパフェは残念ながらお残しという事で。南無南無」


 澄ました顔で両手を擦り合わせる。


「ふざけんなよ。てめぇが頼んだんだ、責任もってちゃんと食え!」


 なんなんだこの女は。本当に、マジで、手が出そうだ。


「やだってば。そんなに気になるなら黒川君が食べてよ」

「だから俺は――」

「私は勇気を出して告白したの。初めての告白。なのに全然信じてもらえなくて嘘つき呼ばわり。このパフェだって、黒川君が食べたそうにしてるから頼んだのに」


 白崎は哀しんでいた。

 涙こそ流れていないが、流れていないのが逆に不思議に見える。

 そんな顔をしていた。


「私の事、信じられないならそれでもいいよ。私だって沢山の人を振ってきたもん。自分だけ上手くいくなんて思ってない。でも、一つくらいは信じてくれてもいいでしょ? 私の選んだパフェ食べて。それで、美味しかったって言って。そしたら私も、黒川君の事諦めるから」


 どれだけ真に迫っていても、嘘は嘘だ。

 俺を形作る全ての歴史と経験が、騙されるなと叫んでいた。

 勿論俺は騙されなかった。


「……勘違いするなよ。食い物を無駄にしたくないだけだ」


 演技だと、嘘だと分かって食べるのだ。

 だから、騙されたわけじゃない。


「どうぞどうぞ」


 ニッコリ笑って、白崎はパフェとスプーンをこちら差し出した。

 乱暴にそれをひったくり、パフェを掬って口に運ぶ。


 その瞬間、地球が消し飛び、俺は真っ白い宇宙に放り出された。

 甘いミルクの香りに包まれた、優しくて幸せな世界だ。

 暫くの間、俺はその中を夢見るような気持ちで漂っていた。

 やがてスプーンがグラスの底を叩き、俺は理不尽ばかりの現実に引き戻された。


「美味しかった?」


 意地悪な声が俺に尋ねた。

 他の人間には無邪気な声に聞こえるのかもしれないが、俺にはそうは聞こえなかった。


「……あぁ、美味かった」


 グラスの底に声を落とした。

 甘い物に嘘はつけない。

 ただそれだけの話だ。

 顔を上げると、白崎がニコニコしながら俺を見ていた。

 小さな両手が、横向きになった携帯を構えている。


「じゃじゃ~ん」


 白崎が画面を向ける。

 そこには、我が子を食らうサトゥルヌスのような顔でパフェを食う、おぞましい俺の姿が動画に収められていた。


「黒川君。この動画をばら撒かれたくなかったら、私の彼氏になって下さい」


 ほら見ろ。

 また騙された。


「断る」


 自分の愚かさを呪いながら、俺は席を立った。

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