不毛の丘
『だからお昼に言ったじゃん。ちゃんと紹介しないとヤバいよって』
ドラゴンのロゴがかっこいい、俺用のゲーミングヘッドセットから白崎の呆れた声が無駄に高音質で響いてくる。
夕食後、いつものように白崎とゲームをしていた。
一ノ瀬の事で苦情を言いながら、湖の上に第二拠点の土台となる橋を作っている所だ。忌々しい食人族共は泳げないので、ここなら怖い思いをせずに済む。大掛かりな建設になるが、アニ森で慣らした俺に不可能はない。
『ママチャリ乗って金属バットで襲ってくるとは思わねぇだろ!』
『普段はいい子なんだけど、私の事になると暴走気味というか。ほら私、可愛いから。結構危ない目にあうんだよね。アンナちゃんもそういうの見てきたから、少し過敏になっちゃうんだと思うの』
『理由なんかどうでもいい! とにかく、あの暴力女をなんとかしろ! お前の管轄だろ!』
『は~い』
適当な感じで返事をする。
この女、本当に分かってるんだろうな!
†
翌日、昼休み。
いつも通りに屋上に来ると、いつものベンチに一ノ瀬がいた。
「……おい白崎。どういう事だよ」
「なんとかしろって言ったから。一緒にお昼食べて仲良くなったら良いんじゃないかと」
やっぱりこいつ、全然わかってない。
いや、わかった上で嫌がらせしてるんだろう。
「帰る」
「待って! ストップ! ちゃんと話せば絶対分かりあえるから!」
腰にしがみつく白崎をずるずる引きずって引き返す。
「逃げんのかよ」
「あぁ?」
聞き捨てならない言葉に振り返る。
「あたしが怖いんだろ。昨日だって尻尾巻いて逃げたもんな?」
無駄にデカい乳を支えるように腕組みをして、一ノ瀬が舐め腐った薄笑いを俺に向ける。
「はぁ? 誰がお前みたいなクソガキパンツのクソ雑魚のクソデブを怖がるかよ。相手をするのも面倒だから見逃してやったんだ。勘違いするんじゃねぇ」
「デブじゃないし! ちょっと骨太なだけだし!」
真っ赤になって言うと、一ノ瀬がスカートをまくり上げた。
「ほら! 大人パンツだって持ってるし!」
「ながっ!?」
「アンちゃん!?」
肉付きのいいがっしりとした腰回りを隠すのは、細い紐と繋がる黒いレースの小さな三角形。というか、全然隠せていない。網戸から向こうを見るように、小麦色の肌が透けている。
「は! どうだ! まいったか!」
あんぐりと大口を開けて唖然とする俺に、両手でスカートをまくり上げた一ノ瀬がドヤ顔で胸を張る。周囲のカップルも騒ぎ出し、ビンタや喧嘩の気配が聞こえてきた。
「そい!」
「ぐわぁ!?」
いきなり白崎に目つぶしを食らい、俺は眼を覆って悶絶する。
「アンちゃん! だめ! 私の彼氏を誘惑しないで!」
「あん!」
尻でも叩いたのか、パァン! という音と共に一ノ瀬がキモイ悲鳴をあげた。
「だ、だって桜、あいつがあたしのパンツガキ臭いってバカにするから……」
「黒川君はそういう人なの! 恥ずかしがり屋の! 照れ屋さんの! 天邪鬼の! クソコミュ症なの! だから意地悪な事言っちゃうの! 説明したでしょ!」
パン! パン! パン!
「あん! あん! あん!」
「それにアンちゃん! 女の子が人前でパンツ丸出しにしちゃダメだっていっつも言ってるでしょ! ていうか、そんなエッチなパンツいつの間に買ったの!」
パン! パン! パン!
「あん! あん! あん! ご、めんてば! はぁ、はぁ、あ、あれはママが、高校生なんだから勝負下着の一枚くらい持っときなさいって買ってくれた奴で。てかあたし、桜一筋だから! あんな奴誘惑する気とか全然ないから!」
「言い訳しない!」
パン! パン! パン!
「あん! あん! あん! だめ、桜、これ以上は、耐えらんない……」
いったい俺はなにを見せられてるんだ?
いや、見えてないが。見たくもない。
一ノ瀬の悲鳴は甘く熱を帯び、うっとりした顔が目に浮かぶようだ。
変態だ。間違いなく変態だ。
普通に怖くなり、俺は目を覆ったまま震えていた。
†
「というわけで、仕切り直しです。喧嘩は駄目。平和的に仲良くお弁当食べる事。わかったアンちゃん?」
「ひ、ぐ、うぐ、ぅん……」
白崎を真ん中に置き、向こう側に座った一ノ瀬が半泣きでぐすぐすしながら頷く。叩かれた尻が痛むのか、トイレを我慢するように尻をもぞもぞさせている。
「黒川君も」
「うるせぇ。なに勝手に仕切ってんだ。大体ここはカップル以外立ち入り禁止じゃなかったのかよ!」
「そこはまぁ柔軟に。アンちゃんは今だけ彼女って事にしておいて」
「そんな理屈通るか! 三人でカップルとかどう考えてもおかしいだろ!」
「そうでもないよ? ほら」
白崎が明後日の方向を指さす。
そちらを見ると、気の弱そうな可愛い系のショタっ子が先輩系委員長、元気系幼馴染、チャラそうな白ギャルの三人にぎゅっと挟まれて困った顔で飯を食っている。ちなみに三人でどう挟んでいるかというと先輩系委員長の膝の上に座っている。
「あの男の子は三年生の小森先輩。で、周りの三人は全員彼女。なので問題なし!」
「いやありまくりだろ! いつから日本は一夫多妻制になったんだ!」
そしてこの学校はどうなってんだ!?
「結婚してるわけじゃないし」
「そりゃそうだろうが……三股とか、不純だろ」
当然のことを言っただけなのに、白崎は「黒川きゅんは真面目だにゃ~」とか言ってニヤニヤしやがる。こいつも悪魔面の俺が真っ当な事を言うからバカにしているのだろう。
「不純なのはてめぇだろ! チートスキルで桜の事洗脳してエッチな事しやがって!」
「してねぇって言ってんだろ! 大体チートスキルってなんだよ! 現実を見ろよ現実を!」
「お前みたいな奴を桜が好きになるよりはまだ現実的だし!」
「だからこいつは俺を困らせる為に彼女のふりをしてるだけなんだよ! 親友ならそれくらいわかるだろうが!」
「それこそありえないし! 桜は変人だし勝手だし意味わかんない悪戯してくる事もあるけど、そういうクソみたいな嫌がらせは絶対しない子だし! てーか、そもそもお前にそんな価値ないし! 自意識過剰すぎ!」
「はいはいそこまでー!」
目の前で言い合う俺達を押しのけるように白崎が両手を広げる。
「彼女で親友の私を差し置いて、二人でいちゃいちゃしないで欲しい!」
「いちゃいちゃなんかしてねぇよ!」
「いちゃいちゃなんかしてないし!」
不本意にもハモってしまい、一ノ瀬と睨み合う。
「真似すんなよ!」
「真似すんなし!」
「やめろって言ってんだろ!」
「やめろって言ってるじゃん!」
「ぶっ飛ばすぞ!」
「ぶっ飛ばすよ!」
「うるさーーーーい!」
金切り声で叫ばれて、思わず耳を塞ぐ。
「もう、二人ともほんっと~に子供なんだから! 似た者同士にも程があるよ! 本当は生き別れの兄妹なんじゃない?」
「なわけねぇだろ!」
「もしそうだとしても、あたしがお姉ちゃんだし?」
フンと鼻を鳴らして一ノ瀬がドヤる。
「はぁ? 俺が兄貴に決まってるだろ」
「あたしの方が大きいし」
「毛も生えてねぇくせに生意気言ってんじゃねぇ!」
「なぁ!?」
真っ赤になって一ノ瀬が股を押さえる。
ふっ、勝ったな。
「あ、あたしのこれは生まれつきだし!」
「はぁ? バカかお前? 大人になったらみんなそこに毛が生えるんだよ。それくらい、俺だって知ってるぜ」
そんな事も知らないお子様が姉なわけない。
いや、そもそも血なんか繋がってないんだが。
ムカつくからつい張り合ってしまった。
「……桜、こいつって」
「しっ。黒川きゅんはお友達がいないからそういうの知る機会なかったんだよ。そっとしておいてあげよう」
こそこそ話をすると、二人が憐れむような視線を向けてくる。
「なんだよ、文句あんのかよ!」
「……ともかく、桜と別れろ!」
「俺に言うな! 白崎に言え!」
「桜! こんな奴と付き合うなんて絶対変だよ! お願いだからいつもの桜に戻って! エッチな事したいならあたしが相手になるからさぁ!」
パァン!
いきなり白崎が一ノ瀬の頬を平手で叩いた。
「アンちゃん。そういう所!」
「だってぇ……」
何事もなかったかのように会話を続ける。
ぇ? 俺がおかしいのか? 俺が知らないだけで世の中の親友ってこういう感じ?
だったら猶更友達なんか欲しくないんだが。
「あ、勘違いしないでね黒川君。他の子にはこんな事しないから。アンちゃんが親友のラインを越えてきたから叱っただけ。友情版愛の鞭だよ」
「いや、全然わかんねぇし。てか普通に怖いんだけどお前らの関係」
「親友だから。付き合いが長いと色々あるんだよ。ともかくアンちゃん。何度も言うけど、私は自分の意志でちゃんと黒川君の事を好きになったの。初恋で運命感じてるの。心に傷を負った疑り深い可愛い彼氏を絶賛攻略中なの。だから邪魔しないで。私は今、人生で一番一生懸命になってる所なんだから」
「う、うぅぅ、ひぐ、ぐしゅ……でも桜、あだぢ、心配だよ……」
七分泣きぐらいになって一ノ瀬が鼻をすする。
白崎は大型犬を可愛がるように一ノ瀬の巨体を撫でた。
「うん。それも分かるよ。だからさ、三人でデートしよ? そうすればアンちゃんも私が本気だって分かってくれると思うから」
「……デート? するする! あたし、桜とデートする!」
「うんしよ。最近構ってあげられなかったから寂しかったんだよね?」
「うん! 寂しかった! あたし、ちょ~寂しかった!」
「はいはい、アンちゃんは甘えん坊さんなんだから」
「ふにゅ~、ごろろ」
白崎に撫でられて、一ノ瀬が気持ちよさそうに喉を鳴らす。
猛獣使いか?
「というわけだから、次の週末デートしようね?」
「いやしねぇよ!」
「どうせ暇でしょ?」
「暇じゃねぇよ!」
「嘘乙!」
手を乙の形にして白崎が叫ぶ。クソムカつく。
「友達もいない、部活にも入ってない、バイトもしてない、そんな黒川きゅんのどこに忙しい要素があるっていうの!」
「うるせぇ! たとえなんの予定もなくたってな! お前らとデートをするような暇は一ミクロンも存在しねぇんだよ!」
そんな事するくらいなら庭に穴を掘って埋め直してた方がまだマシだ。
「まーまー。黒川きゅん、脊髄反射で喋ってないでちょっとは頭で考えてみて」
「ぶっ飛ばすぞ!?」
「させねぇよ!」
白崎の背後でスタンドみたいに一ノ瀬が睨みを利かせる。
白崎は右手を軽く上げて一ノ瀬を大人しくさせた。
完全に猛獣使いだ。
「三人でデートすれば、結果的に黒川きゅんも得をするんだよ?」
「なわけあるか!」
「だってそうでしょ? 私が黒川君にぞっこんな姿を見れば、アンちゃんの誤解も解けて襲われなくなるし。親友のアンちゃんが納得したって事は、黒川君に対する私の気持ちは本物だって証明になるでしょ? そうすれば黒川君の自意識過剰な疑いも晴れて、私達は本当の意味で恋人同士になれる。ハッピーエンド、いぇい!」
ダブルピースを浮かべる白崎を鼻で笑う。
「なにがハッピーエンドだアホらしい。そもそも一ノ瀬はお前の親友、味方だろうが。そんな奴がなにを言った所で、何の証明にもなりゃしねぇっての! このやり取りだって全部俺を騙す為の芝居かもしれねぇだろ! てか、そうに決まってる! 引っかかるか!」
「わ~お!」
白崎は呆れ果てて言葉もないという風に肩をすくめる。
「マジでお前どんだけ自意識過剰なんだよ。あたし等がお前なんかの為にそこまでするわけねぇだろうが!」
「はっ! どうだかな! お前らみたい見た目だけのクソ女どもはただの暇つぶしに俺みたいな醜い男を弄びやがる。そーいうのが三度の飯より好きなんだろ! なんにしろ、白崎が俺に惚れてるなんて話よりはよっぽどマシだ!」
「まぁ、それはあたしも思うけど」
「アンちゃん!? そこで納得しちゃったら三人でデート出来ないよ!」
「いーじゃん。たまには親友同士二人っきり、水入らずでデートしようよ。日帰り温泉旅行とか熱くない?」
パァン! 景気よく白崎の平手が飛ぶ。
「……さーせん。調子乗りました」
「分かればよろしい。とにかく、黒川君が来ないんならこの話はなしだから」
「え~! やだやだやだ! 三人でもいいからデートしたいし! 黒川も、わけわかんない事言ってないでデートしろよ! 学校一の美少女に加えてあたしまでついてくるんだぜ? まさに両手に花だ! こんなおいしいダブルデート、断る男いないだろ!」
「やだね。どうせ罠だ。そんなの、誰が乗るか」
一ノ瀬はジト目で俺を睨むと、不意に舐めたようなニヤニヤ笑いを浮かべた。
「……ははん。さてはお前、ビビってんだろ?」
「はぁ? なににだよ」
「あたしらにだよ。どうせお前、今までデートなんか一回もした事ないだろ? デートのデの字も知らない素人、可哀想で惨めな非モテ野郎だ。そんな奴がいきなりあたし等みたいな極上の美少女二人とデート出来るとか言われたら、そりゃビビっちまうよなぁ? ぎゃはははは!」
「ながっ!? 思い上がんなよクソデブの変態女! いっとくが俺はお前らなんか――」
「ごめんね黒川きゅん。そうだよね、黒川きゅんは友達のいないボッチのコミュ症、女の子にはまるで無縁の童貞さんだったよね。それでいきなりダブルデートなんて、ハードル高すぎだよ。この話はなかった事にして、もうちょっとソフトな所からリハビリしていこ?」
憐みの表情で白崎が言ってくる。
それで俺はキレてしまった。
「ふざけんじゃねぇ! 上等だよ! なにがダブルデートだ! そんなもん屁でもねぇ! いいぜ、やってやろうじゃねぇか!」
「絶対だな? 逃げんなよ? 嘘ついたら針千本だからな!」
一ノ瀬が念を押す。
「はっ! 誰が逃げるか! それにな、嘘なんかつかねぇよ。俺はそこのホラ吹き女とは違うからな!」
白崎を睨みつけ、俺はフンと鼻を鳴らす。
「だってさ、桜」
「うむ、アンちゃんナイス。流石親友」
「当然じゃん」
二人がハイタッチする。
……あれ?
もしかして俺、嵌められたのか?
愕然とする俺に、二人のビッチがニンマリと底意地の悪い笑みを浮かべる。
「ばーか。お前、チョロすぎ」
「黒川きゅんは単純だにゃ~。そこが可愛いんだけど」




