28秒の鬼ごっこ
翌日、当然の如く大騒ぎになった。
まるで物理法則を捻じ曲げたかのような有様に、これまた当然のようにアウトサイダーと呼ばれる高校生が疑われた。
「ふわぁ・・・・・・え、なになに?・・・・・・滝?知らないよ。夜通しフェアリーウォーズしてたし・・・・・・いや、だから身に覚えが・・・・・・あー、めんど。帰った帰った。じゃあね、バイバイ」
大あくびして目を擦ったアウトサイダーは、押し寄せるマスコミを気だるげにあしらって、自宅の玄関に理で鍵をかけた。事件は迷宮入りした。
・・・・・・というのは、世間一般の話。
「わお・・・・・・」
眩しい陽光を額の上にあてた手で遮り、二股の滝の物珍しさから人だかりを作る見物人達をサングラス越しに眺め、ウィンディは苦笑した。これじゃああの子が疑われるのも仕方ないなぁと、一人納得した。
現在この国は、太陽と月の属性を持つ二人の女神によって統治されていた。
太陽の女神が表舞台で国を運営する傍ら、月の女神が『神の眼』と呼ばれるシステムで人の悪意を検知し、必要とあらばその芽を摘み取るセキュリティになる。その女神のうち一人が、ここにいるウィンディだった。
さってと・・・・・・と、きょろきょろとお目当ての姿を探す。事件の犯人は現場に戻ってくるのがお約束。話によれば、ほんの出来心で滝を叩き斬った後、泣きながら逃走したとのことで・・・・・・悪意は検知しなかったようだけど、はてさて。
「ん!」
滝の真正面にできる人だかりを、木の一つに身を隠した黒い猫耳パーカーが、恐る恐るといった感じに窺っていた。少女が抱えている太刀の柄と切っ先が、シルエットの向こう側からわずかに覗いている。
(レイちゃん、あれって・・・・・・)
(ええ、ビンゴです)
今も見ているであろう神の眼に思考を投げると、間をあかずに肯定が返ってきた。話をきいてみようと近づこうとした時、足音に気づいた少女が振り向いた。
「―――――――――――――」
赤と紫の虹彩異色と目があった瞬間、ザザッ――――――と、ノイズ交じりの既視感が沸きおごる。
(っ、・・・・・・んん?)
その感覚が何を意味するのか軽く首を捻る。と、ウィンディの所作を何と解釈したのか、視線の先でしばし硬直していた少女の両目にぶわりと涙が滲んだ。その様は、変なネガティブ思考に怯えているようで、
(あ・・・・・・)
逃げられる、と直感した。致し方ない。ここは実力行使だ。びしっと、少女に対して指を突き付け、大きく口を開いて息を吸い、
「確保――――――――――――ッ!」
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!?!?!?!
びくんっ、と少女の身体が跳ねた。自らが割った滝と追跡者に挟まれた少女は、90度向きを変えてへ走り出し――――――否、
トンッ
一歩、
トンッ
二歩、
グシャッ!
三歩目、強靭な脚力で地面に抉れた跡を残し、40メートルの距離をたった一歩で引き離す。
(縮地?)
あれ、今でも出来る人いたんだ・・・・・・と驚嘆しつつ、唇の端を嬉しそうにつりあげ、
「パーティクルウィング、展開」
命令をインプット。背に輝く翼型の力場を展開、足を前後に広げてクラウチング。全力全開の鬼ごっこ。魔法の国を統べる女神の片割れとして、絶対に負けるわけにはいかない。
かつて西暦という時代を生きた人間は、この世の全ての理を解明し、ついには魂の存在すらもオカルトではなく科学的に証明してしまった。
いずれは外宇宙、果ては銀河系に向けて漕ぎ出すことを誰もが夢見、技術を高めあっていた時代。しかし広大な宇宙に対して、種としての寿命が短すぎた人類のほとんどは、夢よりも太陽系の限られた範囲で生を営み、命を繋いでいく道を選択した。
倫理的な課題を除くほぼ全ての問題に対し解答を得た人類は、やがて発展する先を失った。そんな折、日本に住まうある少年が、画面の中で色とりどりのキャラクター達が行使する摩訶不思議な力を見て、不意にこんなことを口にした。
「魔法って作れないのかな?」
こうして科学技術を突き詰めた人類は、空想に回帰した。静謐な水面に落とされた一滴は偶然の連鎖で波紋を広げ、世界中に伝播し、返ってくる頃には大きな波を形作っていた。
かつて0と1の連なりが巨大な演算装置を作り上げたように、脳からインプットした微弱な命令を、理詰めで世界に現出させる技術を築き上げた。人類は、世界に魔法を実装したのだ。
この国は妖精災害によって西暦人類が滅び、長い時を経た現代において、そのころの名残を受け継いでいる。
「いっくよぉ――――――っ!」
地を蹴った身体は助走もなく、一歩目で最高速に到達した。少女の歩法は驚くべきものだが、単純な飛距離で魔法に及ぶはずもない。100メートル以上の距離を一瞬でゼロに縮め、
スカッ
「あれっ?」
捕獲しようと開いた両手は、「ひぃっ」と悲鳴のわずかに左。咄嗟に身体をずらした少女の涙目が、ウィンディの視線と交差し、またもその姿が消える。
1ミクロン秒の間をおいて、頭上を超えようとする背中が全方位の視界に映り、
(バインド、セット!)
姿勢制御より先に、命令をインプット。
光の輪が対象の斜め四方に出現し、少女は空中で身を捻って反転する。と、中から伸びかけた光の縄ごと、出現した輪の全てが同じタイミングで霧散した。いつの間にか抱えていた太刀を握っていた少女は、くるりと宙返りを決め、膝を曲げて着地。刹那の間をおいて、再度掻き消える。
(四つ同時に“斬られた”・・・・・この子、すっごく速い・・・・・!)
瞬きのない全方位の視界をもってしても、消失としか映らない神速。それ以上に問題なのは、触れた瞬間にそれを上回る速度で完全に避けきる反応速度だ。
魔法は基本的に、習得さえすれば誰でも使えるように作られている。爆発的な出力に対し、膨大な余波を処理する動作が予め組み込まれているため、起動と終了の兆候は切り離せない。反応速度の差を覆すことはできないのだ。
・・・・・・けど、それならそれでやりようはある。
(神の眼へアクセス、対象の精神世界を観測)
翼の効果で慣性を打ち消しつつ、着いた足を軸に転換。地を蹴ったベクトルをブーストし、
(『ラプラスの魔眼』起動。エンドポイントへ至るプロセスを算出。行動予約開始)
迫る背中。首をわずかにまわした少女の紫瞳にウィンディの姿が映る。宙に浮く右足が、神速に比べてややゆっくりと地面に触れ、
「っ!?」
消えた身体は、先んじて展開されていた透明の檻に自分から激突し、ウィンディは捕らえたと確かめるより先に入り口を綴じる。すると息を吐く間もなく、檻を形作る格子に無数の線が奔ってばらばらに砕け散った。
やっぱりだ。信じられないことに、少女の斬撃の方がこちらが1+1を処理するよりも速い。
ひやりと頬を汗が伝う。相手は遠方にある滝を、“不定形の水流は,生まれた隙間を埋めようと動く”という当たり前の物理法則ごと叩き斬った。能力の危険性で言えばアウトサイダークラス。もしも悪意を秘めていたらと思うと、ぞっとする。
でもこれはただの鬼ごっこ。どちらも相手を傷つける気は微塵もない。
(信じてるから)
今度はもう一回り大きい檻を展開し、自分ごと囲う。と、空中で柄を握り直した少女の周囲に無数の光輪が出現。そのうち4つが胎動を見せたかと思えば、少女の太刀が翻って霧散し・・・・・・しかし変わらず、光輪はそこにあった。
「そんな・・・・・・っ?!」
少女の瞳が驚愕に揺れたが、なんということはない。タイミングは把握していたので、ノータイムでもう一度出現するよう予約していただけだ。これで「斬っても無駄だから避けるしかない」という認識を植え付けた。
元あった檻が消失し、少女の身体が空中に投げ出される。以降の可能性は全て潰し尽くした。あとは飛行能力を持たない身体が地面に触れる前に、両手で抱き留めればチェックメイト。飛びつこうと腰を落とした瞬間、落ちてくる少女の両目と至近距離で相対した。ぐるぐるぐるぐる。錯乱するオッドアイがどうしようどうしようと叫び、限界を迎えた涙がこめかみを流れ落ち、
(対象の精神に異常発生。危険。回避不能、防御不能)
「え――――――?」
完璧に制御していたはずの因果が、突如として変貌する。構造が解析できず、能力が不明だった太刀の刃がウィンディに向けられ、
「わあああああああああああああああああ!!!!!!」
一閃。
「―――――――――――――!」
反射的に回避運動に入ろうとした身体が硬直したウィンディ。肌を斬られた感触は――――――ない。生まれた隙に、地に足がついた少女の身体が描き消え、
ゴンッ!!!!!
「はうっ」
横手でものすごく痛そうな音がして、悲鳴の主がばたりと地面に落ちる。
「・・・・・・」
どきどきどきどき、うるさいほどの鼓動が鳴り響く.。時間はゆるやかに流れ過ぎ、少女が立ち上がらないのをようやく確信し、ウィンディは大きく息を吐き、額の汗を拭った。
「た、助かったぁ・・・・・・」
念のために檻を展開していなければ逃げられていた。この速度相手では、どんな大軍を用いても少女を捕らえるのは現実的じゃない。機会を逃したくはなかった。
さて、と倒れ伏した少女に近寄ろうとした時、足に何かが引っかかる。
「おや・・・・・・?」
視線を落とすと、白い布地がウィンディの足元に、ぐるりと囲う形で落ちていた。
そういえばと思い出す。肌を斬られた反応は確かになかった。ではさっきの斬撃は、一体何を断ち切ったんだろう?なんだか妙に、涼しいような――――――?
と、暖かな陽気を帯びた心地よい風が吹き抜け、剥き出しの肌を撫でた。身にまとっていたワンピースの胸から下が消失し、露わになった恥部を。
「ぁ・・・・・・ああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?!?!!??!?!?!?!?」
太陽の女神ウィンディ。ありのままを好む彼女は、パンツをはかない主義だった。