06 ダンスに誘われました!
登場人物紹介
メアリー・シドニー……主人公。田舎牧師の長女。勘違いしやすい性格の十七歳。
エステラ・グレーヴス……グレーヴス夫人の娘。とても美人。二十二歳。
ドン・シドニー……主人公の兄。
ステファン・グレーヴス……エステラの兄。ドンの親友。
グレーヴス夫人……エンジェル夫人の元学友。エステラとステファンの母親。
§ § §
午後になると、私は約束通り、エステラが宿泊しているホテルに向かう事にしました。
が、場所は知らないので、途中の広場でエステラと待ち合わせをしています。
「メアリー」
向こうからエステラが手を振りながら優雅に歩いてきます。
そう、私は待たされていたのです。
「エステラ」
私も同じように手を振り返しました。
「メアリー、お待たせさせてしまったかしら?」
「少しだけね」
……実はたっぷり十分以上も待ったのです。
この間は私が遅れたとはいえ、やっぱりエステラが私を待たせる事が多いですね……。
が、友情を壊さないためにも私からはエステラが遅れた事を責めるような事はしません。
エステラも自身が遅れた事は気にしている様子もありませんし。
合流した私達は並んで歩き始めます。
暫く歩くと、エステラが「あの建物が私達が泊まっているホテルよ」
と指を指してくれました。
なんてことないフツーの建物ですね。
外見上で言えば私の泊まっているホテルの方が立派な気がします。
と、そこへ、一台の馬車が猛スピードで突っ込んでくると、ホテルの前で急停止します。
荒っぽい御者だなぁって思っていると、その馬車から思いもかけない人物が降りて来たのでした。
「えっ!?」
「あら、お兄様!」
降りて来たのは、二人の男性で、一人はエステラのお兄さんのようですね。
……そして私が驚いたもう一人は――。
「ド、ドンお兄様!?」
「メアリーじゃないか!どうしてこんなところに!?」
「お兄様こそどうして……。私はエステラの案内でここにきたの、今日届く衣装をみせてもらう約束になっていたんです」
「そうか、ミス・グレーヴスの……」
そう言ってお兄様はエステラに視線を移します。
あー、はいはい。
もうすっかり、エステラに参っているみたいですね。
お兄様のエステラに対する顔と態度を見れば、誰もがそう言うでしょうね。
その態度をみて私は分かりました。
いえね、最初は私に会うためにここに来たんじゃないかと思ったんですよ?
でも、お兄様の様子からすると、私に会う事は想定外だったようです。
と、そんな事を考えていると、
「おい、ドン、エステラ。僕の事は紹介してくれないのかい?」
と、もう一人の男性から声がかかります。
「メアリー、こっちは――」
「メアリー、こちらは――」
二人同時に喋ろうとして、思わず互いの顔を見合わせました。
「……ミス・グレーヴス。どうぞ、貴女から」
「こほん。こちらは、私の兄のステファン・グレーヴスです」
「初めまして。グレーヴスさん。私はドンの妹のメアリー・シドニーと申します」
「ミス・シドニー。今後ともお見知りおきを」
そう言いながらグレーヴスさんは片足を後ろに引き、丁寧に頭を下げてくれました。
ほほぅ……。
なかなか紳士的な人ですね。
これで外見もよければ文句無し、だったのですが。
残念ながらグレーヴスさんは太っちょであり、ぜんぜん私の好みでは無かったのでした。
エステラはすごい美人さんなのに、同じ兄妹とはいえ差が激しいですね。
「ドン、君もこんな素敵な妹さんが居る事を僕に内緒にしておくことはないだろう?」
まぁ、私の事を『素敵な』妹ですって!
あらやだ、うふふふ。
よく見たらグレーヴスさんも素敵な男性かもしれませんね。
「メアリーが素敵な妹?ハハハ、君の妹に比べれば大したことないさ」
そう言ってお兄様は私の顔とエステラの顔を見比べます。
……いえね?確かにエステラは私よりも美人さんだと思いますよ?
でもね、それを本人の目の前でいう事はないでしょう?
身内なんですから、もうちょっと贔屓してくれてもいいと思えました!
と思いましたが、お兄様はエステラにすっかり心惹かれているようですからね。
エステラを上げて、私を下げる事によってエステラからの印象を良くしようとしているのかもしれませんけど。
こうして思いもよらない出会いから、私達四人は連れ立ってエステラの泊まっているホテルの部屋へと歩きました。
その道中、私は、積極的に話しかけてくるグレーヴスさんの話に相槌をうったり、お愛想笑いを浮かべたりする事に忙殺されながらもしばらくすると目的の場所にたどり着きます。
「母上、お変わりはありませんか?」
「ステファン!貴方なの?まぁまぁ!疲れたでしょう?」
「大したことはありませんよ、僕の馬車の乗り心地は完璧ですからね」
「あらそうなの?それで此方にはゆっくりできるの?」
「えぇ、大学の方もひと段落着いたので、こうして友人のドンと一緒にこっちに来たんですよ」
そのグレーヴスさんの言葉でグレーヴス夫人は私のお兄様が一緒に居る事にやっと気が付いたようですね。
「まぁ、シドニーさんもお変わりなく」
「グレーヴス夫人、お久しぶりです」
「それで、母上。ドンをこちらに泊めてやるわけにはいきませんか?勿論、僕の部屋も必要ですけどね」
そう言ってグレーヴスさんはハハハと笑います。
おや、お兄様はグレーヴスさんと一緒に泊まるみたいですね。
まぁ、私がこっちに来てることも知らなかったみたいですし、元々グレーヴスさんの所で泊まる予定だったのでしょう。
「さ、感動の再会はここまでにして、私達は目的を済ませちゃいましょうか。行きましょう、メアリー」
私はエステラに連れられて、いそいそとその場を離れました。
「どうかしら?」
エステラは届いた外套を身に付けてくりんこんと回転します。
うーん、モデルさんみたいです、美人は何を着ても似合うから困りますね。
「どっても似合っていますよ、エステラ」
これはいつものおべんちゃらではなく、心からそう思っています。
私だってたまには心からの言葉を口に出すのです。
「あら?やっぱりそう?私もそうだと思っていたの」
私も色違いの似たような外見の外套を持っているんですが、モデルが違うとここまで印象が変わりますか……。
これではもうあの外套を着て、一緒に並んで歩けませんね……。
並んで歩いたらどう見てもエステラの引き立て役になってしまうでしょうから。
そんなのはごめんなのですよ!
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、エステラは鏡を見ながら細部を確認しています。
そしてその後はエステラをモデルにしたプチファッションショーが始まり、結局私が解放されたのは小一時間ほどたった頃でした。
はー、疲れた。
だって本当にそう思っているからといって、毎回のように「素敵よ、エステラ」だの「どっても似合っていますよ、エステラ」だのを一時間も言い続けるのは疲れるものなのですよ。
そして、やっと解放される、と思った別れ際。
私がグレーヴス家の泊まっているホテルをお暇し、自分の泊まっているホテルに帰ろうと、グレーヴス家の方々に別れの挨拶をしようとしたその時。
グレーヴスさんから思いもよらぬ言葉がかけられたのでした。
「もうお帰りですか?ミス・シドニー」
「はい、長々とお邪魔してしまいましたが、そろそろ帰ろうかと思います」
「そうですか。……ミス・シドニーは今夜は社交会館に行かれますか?」
「はい、エンジェル氏やエンジェル夫人と一緒に行く予定ですが。……それがなにか?」
「そうですか、では都合が良いですね。僕も行く予定なのですが、ぜひ最初に僕と踊っていただけませんか?」
「えっ!?」
「貴女のような素敵な女性は他のお約束が入っているかもしれませんが。どうでしょうか?ミス・シドニー」
だ、ダンスのお誘いですよ!
そ、それに!私の事素敵な女性ですって!
その言葉に私はすっかりメロメロになってしまい、この時ばかりはスピードマンさんの事などすっかりと忘れてしまったのでした。
「え、えぇ。大丈夫です」
「そうですか、良かった。それでは今夜を楽しみにしています。ミス・シドニー」
なごり惜しそうな雰囲気を漂わせながら、私はグレーヴス家が泊まるホテルを後にし、私が宿泊するホテルへと帰ります。
道中はお兄様も一緒です。
どうも私がお世話になっているという事で、エンジェル氏に挨拶に行くみたいですね。
私は、お誘いの有った事で、喜びにすっかりと浸っていましたが、不意にお兄様が話しかけてきました。
「メアリー、君はミス・グレーヴスの事をどう思う?」
「とても良い人だと思います。それに美人ですし」
それを聞いたお兄様はあからさまに顔に喜びを浮かべました。
「そ、そうか。そうだね。メアリーも言う通りミス・グレーヴスはとても良い人だよ」
「えぇ、エステラと知り合いになれて私も良かったです」
「……所で、ミス・グレーヴスは何か僕の事を言っていなかったかい?」
「お兄様の事?」
そう言ったお兄様は目を輝かせて、私の次の言葉を心待ちにしているようです。
でも、困りましたね……。
お兄様が期待している言葉は分かりますが、事実としてはエステラからお兄様の話題が出る事は少ないのです。
精々、兄であるグレーヴスさんの親友、というところでしょうか?
うーん。
嘘をついてお兄様を喜ばせる事はとてもとても簡単です。
ですが、そのような嘘をついて、あとで嘘とバレ、問い詰められたら大変ですものね。
私は、正直にですが、出来るだけお兄様を気遣った言葉をかける事にします。
「お兄様はグレーヴスさんの親友で、とても良い方だとおっしゃってました」
「そ、そうか!」
お兄様の顔が喜びで溢れます。
……我が身内ながら、ずいぶんとチョロイですね。
余りのチョロさに心配になるレベルです。
ですが、身内を言葉で喜ばす分にはタダですので、もう少しだけサービスしてあげましょうか。
「えぇ、以前グレーヴスさんのお宅をお兄様が訪れた事があったとかで、また会いたいとかなんとか。一体いつから、そんな親密になられたのですか?」
「あ、あぁ。ステファンの家に誘われた時があってね。その時だよ。以前実家に帰った時、メアリーにも話したじゃないか」
「本当にそれだけなのですか?もっとこう……親密な感じを受けましたけど」
「……その後にも数回会う機会があってね。本当にそれだけさ」
そう言いながら、お兄様は顔を赤らめて私から目をそらしてしまいました。
……これは、そうとうヤラレテしまってますね。
私は心の中でフフフと含み笑いをします。
お兄様とエステラねぇ……。
正直容姿ではつり合いが取れないと思います。
お兄様は身内の贔屓目でみてもふつーの容姿ですし。
でも人生は顔だけじゃないですからね!
お兄様の熱意がエステラを動かす可能性もゼロでは無いのです。
……そう、ゼロでは。
……。
私自身の事ではないとは言え、考えていると空しくなってくるので、もうこれ以上考えるのはやめましょうか。
その後、しばらくは無言で歩みを進めた私達でしたが、ホテルが見えて来たあたりで不意にお兄様がおっしゃったのです。
「ステファンはどうやらメアリーの事を気にしているようだね」
それには今度は私の方がドキリとしてしまいます。
「そ、そうなのですか?」
「あぁ。素敵な女性だとか言っていたよ。メアリーはステファンの事はどう思うんだい?」
私は素敵な女性と言われた事や、ダンスを申し込まれた事を思い出してすっかり舞い上がっていたので、
「そ、そうですね。とても良い方だと思います」
と、言ってしまいました。
実際の所の容姿は、全然好みじゃないのですが、言葉の魔力とは偉大なのです。
「ステファンはちょっと強引な所があるけど、あれはアレで良い奴なんだよ」
「そうなんですか」
「あぁ、グレーヴス家に誘われたときも、本当は断って実家に帰る予定だったんだけど、強引に誘われて断わり切れなくてね」
「あら?帰ってこられる予定だったんですか?」
「そうなんだ、でも今では行って良かったと思ってる。……その、ミス・グレーヴスともお知り合いになれたしね」
そう言ってお兄様は顔を再び赤らめました。
そして、その後はお互いに一言も話さずにホテルへと帰還し、お兄様はエンジェル夫妻に丁寧な挨拶をすると、勧められた食事の誘いを先約があると断って、グレーヴス家の待つホテルへと戻ったのでした。