01 初めての舞踏会!
登場人物紹介
メアリー・シドニー……主人公。田舎牧師の長女。勘違いしやすい性格の17歳。
エンジェル氏……主人公の地元、ブラックレー村の大金持ち。
エンジェル夫人……エンジェル氏の妻。主人公のお目付け役。小さなころから主人公をとてもとてもかわいがってくれるノンビリとしたご夫人。
§ § §
「メアリー、いいですか?向こうではエンジェル夫妻の言う事をよく聞いて、落ち着いて行動するのですよ?それから定期的に家に手紙をよこしなさい」
「はい、お母様」
「お姉様いってらしゃーい」
「皆も私が居なくても、お母様の言う事を聞いて、いい子にしてるのよ。では行ってきます」
こうして私は家族に手を振りながら、地元を後にしたのでした。
馬車の窓から外を眺めると、景色がゆっくりと流れて行きます
向かっているチェルトナム地方は風光明媚なリゾート地として知られていて、季節ごとに多くの人が集まってくると聞いてます。
今は生命の季節。
あちこちでみずみずしい草木が生い茂り、土のみならず吹き込む風さえも生命の息吹が感じられるようです。
かくして、私の旅は嵐に会う事もなく順調に推移してチェルトナムにつく事ができました。
チェルトナムはさすがに有名リゾート地だけあって綺麗な建物が整然と並んでいます。
私はわくわくしなからきょろきょろと辺りを見回していたので他人が見たら挙動不審なぁゃしぃ人物に見えちゃったかもしれませんね。
でも私は初めてのチェルトナムでとてもとても心が弾んでいて、他人の目などどうでもよかったのです。
そして、私たち一行はサイレンスター・ストリートの立派な高級ホテルに辿りついたのでした。
でもそこからは私の思い通りににはならなかったのです。
エンジェル夫人はとてもとても他人の目を気にする方であり、流行外の衣装を身に付けるのはトンデモない!という考えだったので、そこからチェルトナムでの流行を調べ上げ、値段が想像もつかない様な高級ドレスを購入するまで二、三日という時間が消費されたでした。
その間と言うもの、私はエンジェル夫人と一緒にお買い物に付き合ったり、おべっかを使って夫人のセンスをほめたりと忙しい毎日を送ったのでした。
なにせ大事なスポンサー様ですものね、機嫌を損ねるわけにはいきませんもの。
そして、ついに、ついに社交会館へと行く夜がやって来たのです。
ふふふふ、これで私もついに社交界デビューの日ですよ!
エンジェル夫人から借り受けた侍女の手によって髪型や服装が念入りに整えられます。
「メアリー様、とてもお綺麗ですよ」
鏡に映った自分の姿を自分自身でも念入りにチェックです!
……問題無いようですね。
部屋に入ってきたエンジェル夫人も、
「まぁメアリー、とても似合ってるわよ。私の侍女を貸したお陰ね」
と、私の事をほめているのか、自分の侍女をほめているのか分からない事をいっていたけど、そんな事はどうでもいいのです。
なってたって、初めての社交界ですものね。
これが私の初体験なのです。
あらやだ、ふふふふ。
でもこの後エンジェル夫人の着付けにたっぷりと時間がかかったのはまた別のお話。
そのおかげで私たちが、舞踏会場にはいったのは遅めの時刻になってしまいました。
うわぁ~。
すごいです、人が、まるで、ゴミのよ……ではなく沢山います。
ゴツン、と誰かにぶつかりますが、負けないように前に進みます。
痛っ、コイツ、今わざとぶつかって来たんじゃないでしょうね!
ふとエンジェル氏の方をみると、何処かにイソイソと出かけていく様子が見えました。
あれれ?
私たちをエスコートしてくれるんじゃないの?
「あれ?エンジェル氏はどこへ……?」
「あぁ、あの人なら他の殿方と一緒にカードでしょう。それよりも人が多いわね。ドレスが着崩れちゃうわ」
などと、エンジェル夫人は人ごとのようにのたまいました。
……どうもエンジェル夫人にとっては、夫であるエンジェル氏の事よりも自身のドレスの方が大事なようです。
私も押される度に転びそうになるので、エンジェル夫人の腕にしっかりとしがみついています。
……舞踏会ってこんな感じなの?もっとゆっくりノンビリできると思ってたのに!
踊っている人の姿も全然見えないじゃない!
それでもエンジェル夫人と一緒にひたすら前へ前へと進むこと数分、ようやく一番奥の、少しだけ周囲より高くなっている場所に出ました。
そこで始めて辺りを俯瞰できたのですが……。
うぁ~、皆踊ってる~。
これよ、これ!
これが、私の想像していた舞踏会だわ!
私も早くおどりたーい!
でも悲しいかな、現実は厳しいのです。
この街に来て間もない私には、男性の知り合いはいなく、誰も誘いにくる気配はありませんでした……。
本当ならここでエンジェル氏がさそってくれるシーンでしょ?
でも、エンジェル氏はカードをやりに行ったままです。
……ここまで来てこんなお預けを食らうなんて……。
お相手がいないという意味ではエンジェル夫人も同じなのですが、エンジェル夫人はさほど気にした様子もなくのんびーりと構えてます。
これが大人の余裕というやつなのかしら……。
私がエンジェル夫人にチラチラと視線をおくっていると、それに気が付いたのか、
「メアリーを誘ってくださる殿方がいると良いですわね。あ、そうそう貴女は踊れたのかしら?」
「はい、おばさま。多少ですが……」
「そうなの?ではもし誘われても大丈夫ね」
エンジェル夫人はいつも通りののんびりとした口調で、私にそう言ってくれましたが……。でも、待てど暮らせど私にお誘いがくる気配は無かったのです……。かなしい。
そうこうしているうちに、音楽が止み、ダンスの時間は終わってしまったようでした。
すると、皆が一斉に、舞踏会場をでて喫茶室に移動し始めます。
まるで民族大移動なのです。
私はガッカリしながらエンジェル夫人と共に、同じように移動します。
ここでも押し合いへし合いなのです。
そうしないときっと良い席が取れないのでしょう。
私は来た時と同じように必死でエンジェル夫人の腕にしがみつきました。
これが私の舞踏会初デビューだと思うと悲しくなります。
誰からも誘われずにしょんぼり見てるだけだなんて……。
これが噂に聞く恐怖の壁の花というやつなのね……。
私たちは一番奥の高台にいたせいで、喫茶室に入るのも最後の方になってしまいました。
すると勿論、良い席は全部埋まっています。
仕方なく隅っこのテーブルに腰を落ち着かせた私たちでしたが、周りは勿論、知らない人ばかり。
あ、同じテーブルに座っていた人がチラリと視線を落としてはスグに元にもどし、会話を続けていきます。
なんだこの人達は、そんな感じの視線でしたね。
どうやら知り合い同士で固まっているテーブルに座ってしまったみたいですね……。
私たちは蚊帳の外ですごく居心地が悪いです……。
もぅ!こんな時こそ顔の広いエンジェル氏の出番でしょう?
でもエンジェル氏はいまだにカードから戻ってこないのです。
私はそんな悲しい気持ちでいっぱいでしたがエンジェル夫人はあまり気に留めた様子もなく、腰を下ろしたとたんあれこれ自身のドレスを確認すると、
「メアリー?私のドレスにほつれた所はないかしら?やぁねぇ。折角新調したドレスなのにあんなにもみくちゃにされるなんて。ほら、もっとよく見て。大丈夫そうかしら?」
「……はい。見た所、特にほつれなどは無さそうです」
「あらそう」
エンジェル夫人は私の言葉に喜んだような笑みを浮かべると、
「買ったばかりで破けでもしてたら大変だったわ。良かった何もなくて」
と、ダンスのお相手がいなかったことなど、まるでなかったかのように笑顔でおっしゃいます。
「だってこれ、結構なお値段がしたのよ?それに舞踏会場を見回しても、私よりセンスのよいドレスを着ている人はいなかったわ」
いやいやいや、今話題にするのはそこですか?
私たちは舞踏会場で誰からもダンスに誘わなかったんですけど?
エンジェル夫人のその自慢のドレスだって、誰も見ている人はいなかったんじゃないですか?
……などと思いましたが、勿論、口に出して言ったりはしません。
折角誘ってくれたスポンサー様のご機嫌を損ねては大変ですからね!
もう誘ってくれなくなるかもしれません。
代わりに少しばかりおべんちゃらも使っていきましょう。
「そうですね、おばさまのドレスより良いドレスは無いと思います」
「あら、メアリーもやっぱりそう思う?やっぱりこのドレスを買って良かったわ」
「でも……舞踏会場で知り合いに会えないのは居心地がとてもとても良くありませんね」
「そうねぇ……、あの人がいればまた違ったんだろうけどねぇ」
本当にその通りです!エンジェル夫人はともかくとして、エンジェル氏が私をエスコートするのは義務だと思います!
「それに……」と、私はここで声を落として。
「このテーブルにいるのは私たち以外お知り合いばかりのようですよ」
「そうなのよねぇ……でもここ以外に席もそうそう空いてないし……」
そう言って、初めてエンジェル夫人もバツの悪そうな顔をします。
「はやくあの人が戻ってこないかしら」
「エンジェル氏のカードは長いんですか?」
「勝った場合はね。負けた場合は早く戻ってくるわ」
そう言ってエンジェル夫人は視線をカード部屋の方に向けますが、エンジェル氏が戻ってくる気配はなさそうです。
「せめて顔見知りがいればねぇ……。去年知り会った、ええと名前はなんとおっしゃったかしら……。とにかく知り合いに合えればそちらに席を移すのだけれどねぇ……」
むー。
知り会いがいない状況では、たとえ席を移した所で同じような目にあうのは確定的に明らかです。
私たちはそのまましばらく居心地の悪い状況を過ごさざるを得ないのでした。
初めての舞踏会なのに……。
なんか泣きたい気分になってきました、えーん。
と心の中で泣いていると。
「あ、メアリー、見て!あの人が帰って来たわ」
やっとエンジェル氏が帰って来たようです。
随分と遅かったようですけど、カードで大勝ちでもしたのでしょうか?
「おぉ、ここにいたのか、ずいぶんと探したんだぞ」
「貴方こそ、ずいぶんとお待ちしてたんですよ」
「おや、そうだったか。いやぁ、なかなかカードから抜けられなくてね。わはははは」
随分と機嫌がよさそうです、この分ではカードで大分勝ったのでしょうね。
「どうだったミス・シドニー、舞踏会は楽しかったかね?」
その言葉に私はカチンと来ました!
貴方がエスコートしてくれないから、私は誰とも踊れなかったんですよ!
……でも勿論、口に出したりはしません。
心の中で悪態をつくだけにしておきます。
「はい、とても。このような場に誘っていただいた事をエンジェル氏には感謝いたします」
と、心にもないことを言っておきました。
お誘いが無かったなんて言う必要は無いですものね。
け、決して言うのが恥ずかしかった、何てことじゃないですから!
けど、私のその細やかなプライドは次のエンジェル夫人の一言で打ち砕かれたのでした。
「メアリーも踊れればもっと楽しかったはずなんだけどねぇ……」
お、お、お、おばさま~!
なぜそれをばらしますし!
「貴方がいれば踊りのお相手が出来たんだけれど、メアリーは本当に残念だったわね」
「私と?はははは、こんな年かさと踊ってもミス・シドニーは嬉しくないさ。今日は到着が遅れたせいもあるかも知れないな。次はうまく相手が見つかるだろう」
エンジェル氏はそう言って慰めてくれましたが、その目に憐みが浮かんでいたのを私は見逃しませんでした……。
シクシク、初めての舞踏会で誰にも誘われない可哀そうな娘だと思われてしまいました……。
誰とも踊れないよりはエンジェル氏でも良いから踊って見たかったです。
はぁ……。
夜も更けてきたので喫茶室からも徐々に人の気配が消えていきます。
「それでどうする?そろそろ私らも帰るか?」
「えぇ、もう帰りましょう。知り合いもいませんし、居心地が悪いですもの」
そう言って、エンジェル夫人は席を立ちます。
私も慌ててそれに合わせて席を立ちました。
エンジェル氏が戻って来たのなら、もうちょっといてもいいんだけど……。
そんな私の心など、だれも読み取ってくれません。
「そうか、では帰るとしようか。今日は大分疲れたしな」
はぁ……。
私はエンジェル夫人に後に続き、トボトボと歩き出した時。
その時です!
私は、確かに、確かに聞いたのです!
「あの娘なんか、なかなか綺麗じゃないか?」
そうです!
私の方を見ながら、二人の紳士がそう話しているのを聞いてしまったのです。
決して聞き間違いとかじゃありませんよ~。
間違いなくそう言っていたのです。
いや~、今日の舞踏会はとても楽しかったですね!
ふふふふ、私を見て「綺麗」だって。
きっとダンスに誘われなかったのは人が多すぎて私を見つけられなかっただけなのね!
エンジェル氏の言う通り、もっと早く、人の少ない時間帯に来ていればきっと目に留まって誘われたはずね。
次はもっと早く来るべきだわ。ぜひそうしましょう。
私は今までのみじめな気分が一転し、すっかり気分が良くなると足取り軽く会場を後にしたのでした。