聖女として命と引き換えに全人類を救うはずでしたが、そうはならないようです
「レリア=ティレリアント公爵令嬢。貴女との婚約は破棄となった」
珍しく自分から公爵家を訪ねてきた第一王子はそれはもう嬉々としていた。まさしく清々すると言わんばかりに。
「いやぁ。此度の決定、私としても残念でならないが、これもまた運命と知れ」
白々しいにもほどがあったが、流石に第一王子でも体裁を取り繕わずに公爵令嬢と接する気はないのだろう。あくまで体裁だけは整えた、それでいて白々しい言葉が垂れ流される。
「何せ貴女は神託にて聖女であると認められたのだからっ。破滅より祈りと命でもって立ち向かう使命があるとなれば、残念ながら未来の王妃としてその身を据えることは不可能であろう! 本当に残念でならないが、運命は貴女に全人類を救えと示した。となれば、王族なれど所詮は人の子である私にできるのは全人類を救う名誉を祝福して送り出すことだけであろう!!」
「…………、」
返事はなく、それでも第一王子は捲し立てていた。そう、自己満足のためだけに、だ。
(女は男に尽くすのが当たり前だと考える第一王子の評価として)愛想のない公爵令嬢との婚約などまっぴらだと言いたげにいつも不機嫌そうに顔を歪めていた彼がこうも嬉々として捲し立てていることからも本音は明らかなのだが。
ーーー☆ーーー
聖女。
その称号を語るのであれば全人類を救った『初代』と、その功績を維持していった『その他』とで分けて考えるべきだろう。
現代のそれよりも高度な魔法を人類が扱っていた遥か過去、人類は滅亡の危機に瀕していた。
魔神龍バルザビード。
たった一匹の龍によって大陸の半数以上の国家が消滅し、総人口の四割ほどがかの龍によって殺されたという。
魔神の呪法により不死と化した邪悪の極致たるその龍を倒すことは不可能である。ゆえにこそ『初代』聖女はその命を犠牲にして魔神龍バルザビードを封印したのだ。
炎、水、風、土。四つの属性を操る魔法の埒外、まさしく奇跡としか言いようのない力でもって。
とはいえ、あくまでそれは封印。不死たるその龍が死ぬことはなく、一度封印が解かれれば人類は今度こそ滅亡することとなる。
そのために二代目以降の──『その他』の聖女が必要となった。
封印を維持するには一年に一度、神託にて選ばれた清らかなる人間がその祈りと命を捧げる必要があるという。
神の代弁者にして大陸の隅から隅まで広がっている教会が神託を受けたと、聖女の封印を維持するにはそうするしかないと示したことで一年に一度、清らかなる人間──そう、聖女と呼ばれていようとも神託にて男が選ばれたこともある──は聖女としてその祈りと命を捧げてきた。
全ては全人類を救うために。
それを言われたらどうしようもない、残酷なまでに正しい理由を背負わされて。
ゆえにレリア=ティレリアント公爵令嬢もまた歴代の聖女と同じように全人類を救う。齢十四という短い生涯を終えることが全人類を救うために必要なことであり、正義であり、文句のつけようのない死に様だと徹底的に整えられた上で、だ。
ーーー☆ーーー
『いつまで泣いてんだよ』
それはレリア=ティレリアント公爵令嬢が(陰ながら護衛がついているとはいえ)平民の子供に混ざって遊ぶことが許されていた幼少の頃。
身分を隠していたために公爵令嬢という肩書きとしてではなく、レリアという一人の女の子として扱われていたために子供同士の些細な諍いで涙を流すこともあった。
そんな時、燃えるような赤髪の『彼』はガシガシと乱暴にレリアの頭を撫でて、乱暴ながらこちらを気遣うようにこう言ってくれたものだった。
『泣きたい時こそかっこつけて笑うもんだぜ!』
そんな『彼』は格好つけるには強くなければいけないといつも木の棒を振り回したり、修行と称して町中を走り回っていた。
髪と同じで燃えるような赤い瞳を爛々と輝かせて、前だけを見つめていたのだ。
だから、『彼』がトレジャーハンターである父親について行く形で大陸の外に向かうのも自然なことだったのかもしれない。
いつだって、そう別れの時だって『彼』は言っていたものだ。
『かっこいい男になるには旅に出ないといけないんだ! だから、その、なんだ。そんな泣くなって』
『う、ひくっ。だって……』
『別にもう会えなくなるってわけじゃないんだ。すっげーかっこいい男になって帰ってくるからさ!』
『でも、「外」をめざして海にでた人で、帰ってきた人はいないって』
『だいじょうぶ、ちゃんと帰ってくるって!』
『ほん、とう?』
『おうよ! かっこいい男はうそをつかないもんだ!!』
もしも、『彼』だったらなんと言っただろうか。
聖女として全人類を救うために死ななければならないレリアを前に『彼』なら……、
「は、はは。情けないですね。全人類を救う。そんなの正しいことなんですから、格好いいに決まっているじゃないですか。『彼』だって、否定なんてできるわけないですよ」
──神託を受けて一ヶ月、レリア=ティレリアント公爵令嬢は一人孤独に過ごしていた。
俗世との縁を絶つことで聖女としての純度を高めるためだと地下深くに押し込められ、生命活動のために必要な最低限以外はただただ祈りを捧げる。そうしないと聖女として完成することなく、全人類を救うことはできないと言われればやるしかなかった。
人生最後の一ヶ月なのだから本当なら思い残したことを少しでもやりたいと望んではいても、全人類という重荷が願望を口にすることを許さない。
暗く、狭い地下。時間感覚さえ狂うほどの暗闇の中で一心不乱に祈りを捧げなければならない極限状態からか、公爵令嬢として整えられた腰まで伸びた美しい金髪は色あせ、肌は荒れ、碧眼はぐずぐずに曇り、一ヶ月前の面影は見る影もなかった。
脳裏に浮かぶは『彼』との思い出ばかり。俗世に塗れ、未練に雁字搦めになった状態で、それでも聖女としては完成したのだろう。
一ヶ月が経過したある日、レリア=ティレリアント公爵令嬢は魔神龍バルザビードが封印されし地まで連れ出されていたのだから。
ーーー☆ーーー
『初代』聖女の末裔が代々担う教皇とやらが何事か言っていた。
教会と深い繋がりのあるこの国の国王とやらが何事か返していた。
森の奥深く、魔神龍バルザビードが封印された祭壇に一人座るレリア=ティレリアント公爵令嬢は祭壇の下に集まる有象無象の声を正しく認識することすらできていなかった。それほどまでに疲弊しており、それでも両手は祈るように合わせられていた。
ほとんど強迫観念にも等しく。
愛する両親や妹、これまで仕えてくれた従者や領地の民、顔も知らない大勢、そして何より『彼』の命運がかかっているのだ。失敗しましたでは済まされない。そんな終わりは、他ならぬレリア自身が許せない。
だって、自分が頑張らないとみんなが死んでしまうのだ。現代よりも魔法が高度に発展した遥か過去でさえも封印以外の手がなかった怪物が復活することだけは絶対に阻止しなければならない。
だからレリアは祈る。
『彼』だってそうするだろうと、格好いいとはこういうものだと言い聞かせて。
……だから、気づくことはなかった。護衛の兵士に囲まれ、教皇や王様と並ぶ第一王子が嘲るように笑っていたことに。
パァッ!! と祭壇の前方から眩い光が放たれた。その光はレリアの目の前で槍の形へと収束していく。
光の槍。
『初代』聖女の封印を維持するために歴代聖女の命を奪う際に出現する神聖なる奇跡。
炎、水、風、土といった既存の魔法の埒外、『初代』聖女の奇跡以外の何物でもないその光の槍でもってレリア=ティレリアント公爵令嬢は貫かれる。命を捧げ、もって封印を維持することで魔神龍バルザビードが全人類を殺し尽くすことを阻止する。
正しく、立派で、文句なんてつけようがなくて、だから彼女はここまでやってきた。誰にも止められることなく、正義に笑顔で背中を押されて。
だから。
だから。
だから。
それでも、この一言だけは、我慢できずにこぼれていた。
「聖女になんて、なりたくなかったですね……」
瞬間、正義は炸裂した。
ーーー☆ーーー
「どっこいっ、しょォだオラああああああああああああああああああああ!!!!」
ゴッギィィィンッッッ!!!! と、レリアを庇うように目の前に『出現』した少年が光の槍をすくい上げるように殴り飛ばしたのだ。
ーーー☆ーーー
「……ぇ……?」
まず初めに、空白があった。思考は現実を認識できず、何が起きたのか理解できなかった。
続いてじわりじわりと、噛み砕くように知覚していく。目の前に『出現』した少年が光の槍を殴り飛ばした。そう、聖女として全人類を救うために必要な儀式を台無しにしたのだ。
そして、最後に。
その背中は、燃えるような赤髪は、まさしく──
「おいおい、なんだこのクソッタレな状況は。そろそろひっくり返そうぜ」
少年が振り返る。
シャツにズボンとラフな格好ながらに、背負うは少年には不釣り合いなほどに巨大な剣。そして、何より、『彼』の顔を見間違うわけがなかった。
「じゃっ、く……?」
「おうよ! ジャックさんですよっと。久しぶりだな、レリアっ」
気軽なものだった。
全人類を救うために必要な儀式を台無しにした直後とは思えないほどに。
「しっかしまあ、ひっでえツラだな。ちゃんとメシ食ってんのか?」
「え、え……」
「おーい、レリアさーん。聞いてるかー???」
ひらひらと目の前で手を振るジャック。背が伸びて、男らしい顔つきになっても、なお昔と変わることのない面影を感じさせる。
その姿に束の間、聖女だとか全人類の命運だとか魔神龍バルザビードだとか重荷の全てを忘れてじんわりと胸が暖かくなる。
と、その時だった。
「きっきき、貴様ァッ! 何をやっている!?」
「あん?」
祭壇の下、大勢の兵士に囲まれた第一王子が指を突きつけて叫んでいた。
「ようやくあの忌々しいレリア=ティレリアント公爵令嬢を殺せるというのに、何を邪魔しているのであるか!?」
「おーおーちっせえなあ。小物臭がぷんぷんするぜ」
「小物……ッ!? 私をこの国の第一王子と知っての言葉であるか!?」
「生まれを盾に威張ってやがるのがもう小物なんだよなあ。男なら生まれた後の己を誇れよな」
「貴様ァああああああ!!」
何やら第一王子が地団駄を踏んで喚いていたが、ジャックはくだらないと言いたげに肩をすくめるだけだった。
そこで第一王子の隣に立つ国王がジャックをじろりと見やり、
「貴公は今何が行われているか、わかっているのか?」
「聖女として選ばれたレリアの命を捧げることで魔神龍バルザビードの封印を維持するってヤツだろう?」
「わかっているならば、なぜ妨害した? レリア=ティレリアント公爵令嬢の死は全人類を救うために必要なことだ。どうやらお主はレリア=ティレリアント公爵令嬢を助けんとしているようだが、その結果として封印の維持が叶わず全人類ごとレリア=ティレリアント公爵令嬢もまた魔神龍バルザビードに殺されるのならば無意味だろう。全人類のためにも、諦めてはくれんか?」
「くっだらねえ」
即答だった。
迷う理由を探すほうが難しいと突きつけるように。
だから。
その言葉を受けて、国王は泰然としていた。
だから。
その言葉を受けて、第一王子は大声で喚き立てていた。
だから。
その言葉を受けて、教皇はほのかに光る瞳で祭壇を見つめていた。
だから。
その言葉を受けて、レリア=ティレリアント公爵令嬢は信じられないと目を見開いていた。
ゴギリと首を鳴らし、ジャックは繰り返す。
「本当くだらねえにもほどがある。何が全人類を救うだ、怖気がするぜ」
「……、レリア=ティレリアント公爵令嬢が聖女として命を捧げなければ魔神龍バルザビードが復活して全人類が殺し尽くされるとわかっていて、なお、そんなことを言うか」
「当たり前だろうが。全人類だかなんだか知らねえが、そんなもんがレリアを殺す理由になると思うんじゃねえぞ!!」
「だから、全人類ごとレリア=ティレリアント公爵令嬢もまた魔神龍バルザビードに殺される道を選ぶ、と。少数を犠牲とする勇気なく、結果として大勢を失う愚であるとは思わんのか?」
「だからテメェは格好悪いんだよ。正論を盾にすればなんでも押し通せると思っているところがもうダメだ。支配者として格好悪いにもほどがある。まあその正論自体が前提からして悪意に満ちているようだが、今は置いておくとして。いいか、耳の穴かっぽっじってよおく聞きやがれ」
いっぺんの迷いもなく。
ジャックは当たり前のように言い放つ。
「自分一人の犠牲で全人類を救うだなんだくだらねえこと押し付けられた女を前にしたら、そんなことする必要ねえと言うべきなんだ。そんな風に追い詰められている女がいたら、復活した魔神龍バルザビードくらい俺がぶっ倒してやると格好つけるのが男なんだよ!! わかったか、クソッタレが!!」
ついていけない、と国王は首を横に振っていた。
第一王子が周囲に侍る数百もの兵士にジャックを殺すよう命じていた。
教皇は何も言わずにほのかに光る瞳で祭壇を見つめ続けていた。
ジャックに殴り飛ばされていた光の槍が飛来、レリア=ティレリアント公爵令嬢を犠牲と捧げて封印を維持するために襲いかかっていた。
その全てを無視して、ジャックはレリアへと声をかける。
「というわけで、死ぬ必要なんてないからな、レリアっ」
「ふざけないで、ください。魔神龍バルザビードをぶっ倒す? 今よりも魔法が発展していた過去でさえもどうしようもなかった不死の怪物をどうやって倒すというんですかっ。子供のように格好つけても、現実はそううまくいかないんです! わたくしが死ぬのが、それが、正しいことなんですから!!」
「わかってねえなあ。レリア、俺は別に正義の味方なんかじゃねえ。だから正しいか正しくないかなんて知ったことじゃねえよ」
「だから子供のように現実を見ずに格好つけると? そんなことをしても何にもなりません! 最善から遠ざかっても無意味な犠牲が増えるだけです!! わたくしはっ、ジャックに死んで欲しくないから命を捧げるんです!!」
「ったく、正義ってのはこれだから。酔ってんじゃねえよ、くだらねえ。何がどうなったところでレリアが死んでいいことにはならねえってのに」
兵士の群れがもう少しでジャックを呑み込むその寸前に、彼は口の端をつり上げてこう続けていた。
「まあ、そういう話なら仕方ねえ。正論に仕込まれた悪意をぶち抜いて、正義ってヤツをぶっ壊すしかねえよなあ!!」
ゴヅン!! と鈍い音が炸裂した。
それこそが正論をぶち抜く一手だった。
ーーー☆ーーー
「大陸の外には色んなもんがあった」
兵士の群れがジャックを取り囲んでいた。飛びかかれば少年一人どうとでもできる距離で、しかし誰も動こうとはしなかった。
ゆえにジャックの声だけが響く。
その声を、止められない。
「チョコのように甘い蛇だの氷のように冷たい鳥だの山を拳で砕く筋肉ムキムキ野郎だのそれはもう色んなもんを見てきたが、中でも驚いたのが魔術だな。魔術には炎、水、風、土といった制限はない。理論上はまさしくなんでもできるってヤツだな。魔法では考えられない超常でもって魔神龍バルザビードを封じた聖女、か。なんてことはねえ。大陸の外からやってきた女が魔術という力を使っていただけだ」
いいや、それ以上に注目すべきことがあったのだ。その間にもジャックは続ける。
「魔術には独特の気配と使用の際に身体の一部がじんわりと光るってのがあってな。お陰で分かりやすかったぜ。光の槍なんつー魔法ではあり得ない、それでいて独特の気配がする超常が展開されている中、教皇ってばピカピカお目々光らせてんだ。そんなの自分が光の槍を具現化してますって喧伝してるのと同じだろうが」
ジャックが放った一手は単純だ。
『初代』聖女の末裔が代々担うことが慣例となっている教皇の顎を足元から土系統魔法で具現化した土柱でもってぶち抜いただけ。
見事に白目を剥き倒れた教皇に連動するように光の槍──そう、魔神龍バルザビードの封印を維持するために聖女の命を奪うシステム──が霧散したがために兵士たちは身動きを止めていた。
あってはならないはずだ。
もしも光の槍が封印を維持するためのものであれば教皇がどうなろうとも影響が出るわけがないのだ。遥か過去から紡がれてきた奇跡に現代に生きる教皇が関与できるわけがないのだから。
こうして教皇が気絶したことに合わせて光の槍が霧散した以上、そこには何らかの理由があって然るべきだ。
例えば。
聖女の命を奪う光の槍という奇跡と魔神龍バルザビードの封印は別物である、などだ。
もしもそうであるのならば、封印とは関係のない光の槍が奪った命はどうなる? 本当にその犠牲は正しく封印の維持へと関与しているのか?
「全人類を救うため、か。なるほどそいつは文句のつけようもないほどに正しいのかもしれねえ。そんな風に整えられると嫌だとは言えねえのかもしれねえな。あるいは当人が拒否したって周りの連中が善良な顔して死ねと押し付けてくることだってあったのかもな。……本当は光の槍で誰かの命を奪ったって封印の魔術には何の影響もねえのに。魔術に命を捧げたって何の意味もねえんだからっ。そう、だから、くそっ、歴代の聖女は何の意味もなく殺されていたってことだ!!」
「……、確かに先の光の槍は教皇が具現化したものだ」
そこ『は』認めた上で。
国王は続ける。
「だが、それは『初代』聖女の末裔として受け継がれてきた教皇の力でもって今代の聖女の命を奪うことが封印を維持する儀式であったからに他ならない」
「まだそんなことを言うかよ!!」
「レリア=ティレリアント公爵令嬢を救いたいという願望が妄想となっているだけだ。現実を見るがいい」
「大陸の外で封印の魔術を目撃した! その時に感じたものと同じ独特の気配がこの近くからも漏れている!! つまり魔神龍バルザビードは封印の魔術でもって封じられているんだ!! 付け加えるなら封印の魔術を筆頭にどんな魔術にも命を捧げることで効果時間を延長したり効果を増幅したりと後付けでどうこうすることはできねえんだよ!!」
「魔術ではなく、聖女の奇跡なのだから法則が異なることもあろう」
「テメェ……ッ!!」
「今までと同じく、これからもずっと聖女には祈りと命を捧げてもらう。全人類が救われるのだからそれが正義だろう」
双方共に決定打に欠けていた。
それでいて、国王には『とりあえず』今まで通りに聖女を犠牲にすれば安寧を保てるという盾があった。
問答は平行線で、ならば『とりあえず』全人類を救える道を支持する国王が有利に見えた。
その時である。
「いつまで騒いでいるのであるか、不敬者っ。ようやくあの生意気な女を聖女にしてやったというのに邪魔しやがって!! その不遜なる態度を後悔させてやるから覚悟するのである!!」
喚き声が、それこそ駄々っ子のような第一王子の叫びが正義の奥にある悪意をつまびらかにした。
少なくとも聖女とは神託ではなく王族の意思でどうとでもなるもの、となれば、その他の法則にも疑問が出てくる。そう、本当に聖女が命を捧げることが封印の維持に必要なのか、など。
……これまで泰然としていた国王が眉根を寄せているのが全てではあるのだろうが。
「兵士ども、早くその不敬者を殺すのである!!」
それでも、兵士たちは己の武器を握りしめて、じりじりと距離を詰めていく。真相がどうであれ、第一王子からの命令を無視することはできないのだろう。
ジャックは舌打ちをこぼし、レリアへと視線をうつす。あるいは最初からそうしていれば良かったのかもしれない。
レリアがどうであれジャックのやることに変わりはなく、それでも──その手を握ってくれるか否かには大きな違いがあるのだから。
「なあ、レリア。ここまで聞いて、それでもこのまま聖女として死ぬのが正しいと思うか? 聖女として命を捧げることで魔神龍バルザビードの封印を維持するというのは正義に見せかけた茶番に決まっているっ。こんなもんに付き合ったって無駄死ににしかならねえんだよ!!」
「ジャック……」
「まあ、正直言うと明らかな証拠はない。もしかしたら俺の予想とは違うってのはあるかもしれねえ。『とりあえず』レリアが命を捧げれば全人類が殺し尽くされることはないのかもしれねえ」
だけど、と。
ジャックは叫ぶ。
「そんなんどうでもいいだろっ。だって死にたくなんてねえはずだ! こんなところで人生終わりだなんて耐えられねえだろうが!!」
「わた、くしは……」
「面倒くせえのは俺がなんとかしてやる。聖女云々が本当であれ嘘であれ帳尻合わせてやる! だから、全人類とかくだらねえもんは無視していい!! レリアの本音を、思うがままの本心を吐き出してくれ!!」
そして。
そして。
そして。
「本当はっ、死にたく、なんて! ないに決まっているじゃないですかあ!!」
「だったら掴め、俺がなんとかしてやるからよお!!」
伸ばされた手を、レリアは掴む。
瞬間、四方八方より兵士が殺到して──ビヂュン!! とほのかに瞳が輝いたジャックとレリアの姿が霧に呑まれるように消えたのだ。
それこそ瞬間移動でもしたかのように。
「なっ。消えた!?」
「まさか、今のが魔術……?」
「落ち着け。蜃気楼などを魔法で再現して姿を隠しただけに決まっている! 魔法には転移なんてものは存在しないのだから!!」
兵士たちが騒いでいたが、国王はすでにジャックたちがこの場から去ったのだと確信していた。何せ転移の魔術の気配がしたのだから。
「息子の我が儘に付き合っただけであったが、これはこれでティレリアント公爵家への『攻撃』として使える、か」
ぎゃんぎゃん吠える第一王子の横で国王がそう呟いていたのだが、その呟きは誰の耳にも入ることはなかった。
ーーー☆ーーー
「あっぶねえ。転移の魔術習っておいてよかったあ!!」
森の外でレリアの手を握ったジャックは額に浮かぶ汗を拭っていた。格好つけてはいたが、ぶっちゃけあそこで兵士の群れとやりあっていたらレリアを守り抜けたかどうかはわからない。
何せジャックが習った魔術は転移を除けば対人ではなく対軍を想定したものばかりなのだから、うっかりレリアまで吹き飛ばしかねなかったのだ。
「あ、あのっジャック! これからどうするんですか!?」
「そりゃあレリアを助けるに決まってんじゃん」
「ですが、どうやって? 事は一国の範疇に収まりません。神託によってわたくしが聖女と指名された以上、予定通り命を捧げなかったとなれば大陸中を敵に回します。逃げ切れるとは思えません。それにジャックの予想が外れていて、わたくしが命を捧げなかったばかりに魔神龍バルザビードが解き放たれたらどうするんですか? 勢い余って手を握ってしまいましたが、やはりわたくしは……」
「あー、なんだ。実は『初代』聖女の封印なんて些細なもんというか、そんなもんに構っている余裕はなくなるというか、正直早めに帰ってきたのには理由があるというか、言うタイミング逃したというか」
「?」
気まずそうに、やがてジャックはこう言った。
「ぶっちゃけると、魔神龍バルザビードとは関係ねえ魔神龍の大群が大陸を襲うらしいんだ。だから、まあ、大陸全土を敵に回す程度で負けていたらどうせ魔神龍の大群に殺されるだけだし、何なら最悪俺の予想が外れていて魔神龍バルザビードの封印が解除されたって大群に一匹追加されるだけだから気にすんな! あっはっはっ!!」
…………。
…………。
…………。
「はぁ!? 魔神龍の大群って、バルザビード以外に魔神龍っているんですか!? というか大群で襲ってくるって、え、ええ!?」
「いやあ、『向こう』の小さな島国はこっちの大陸が蹂躙されている隙に準備を整えて、大規模封印魔術で魔神龍の大群を封じて、適度に弱ったこの大陸を侵略しようなんて考えてやがるからさ。『向こう』でできた仲間と共にそんなことになる前にどうにかできねえかと足掻きに帰ってきたってわけだ。とりあえずこの情報を各国家にばら撒いて迎撃の準備をしてもらうとして、信じてもらえるかなあ? まあ色々大変そうだが頑張ろうぜ、レリア!!」
無茶苦茶にもほどがあった。
それでいて彼と一緒ならなんとかなると思えてしまうほどには、レリアの心はどうしようもなく溺れているのだろう。
おそらくは幼少の頃から、ずっと。
ーーー☆ーーー
そんなわけでレリアを守るために教会を軸とした大陸全土を敵に回したり、国王や第一王子が呆気なく魔神龍の大群に殺されたり、ジャックの仲間にして『向こう』の魔術師たちと力を合わせて魔神龍の大群に立ち向かったり、想定よりも遥かに犠牲を少なくすることで『向こう』からの侵略を見送らせたり、レリアたちによって教皇が自身と深い関係のある国に不都合な人物を消すために聖女という肩書きを利用していたことを筆頭に数々の悪事が暴かれたことで自暴自棄になって魔神龍バルザビードの封印を解いたり、勢いあまって教皇を踏み潰した魔神龍バルザビードをジャックが一年に一度の犠牲なんて必要のない力で封印したことで『とりあえず』という言い訳を取り除くことができたり、レリアが幼少の頃からの想いを『彼』に告げたりするのだが、それはまた別のお話。