零Ⅴ:私を買ったご主人様がなんか前の勇者様だったんだけど……
彼は、見覚えのある勇者――。
そう彼は……
一昨日に会った、あの勇者様だった。
だが、それは一昨日とは違う勇者様でもあった。
どこか前の華やかさは薄れ、落ち込んだような暗くなったような……。
その目は前会った時のような優しさは見えず、曇っている。
でも……それよりも……
彼は私を、買おうとしている。
その事実が私を驚かせた。
「そう……ですか」
失笑する奴隷商はそう言うと、私を檻から出した。
と思うと私の手錠に繋がれた鎖を持って、引っ張る。
私はそれにつれられて立ち上がると、奴隷商は私をどこかへ行かせようとする。
「お客様、もう暫くお待ちください」
そう言った奴隷商はその部屋の隣の部屋に私を誘導した。
何だろう。
そう思った次の時、奴隷商は私に言った。
……。
私は彼の言う通りに行動する。
彼が言った言葉は、こうだった。
「彼に向かって私が良いと言うまで『ご主人様』と言いなさい」
少し、さっきと奴隷商の私に対する態度が違う気がした。
ー ー ー ー ー ー ー
必死に、ただ必死に私は叫んでいた。
防音効果の所為か、あちらに届かないこの声で、『ご主人様』と。
もう何回言っただろうか。
意味の無いような苦痛――声や喉が乾いてくる。
「もう大丈夫ですよ」
奴隷商の声が聞こえてきた気がした。気のせいだろうか。
私は心の中で、休みたいと言っているのか。
……そのような甘えはもうやりたくなかった。
私はそれだから愚かだったのだ。私はそれだから罪人なのだ。
私は続けた。
「お止めなさい!!」
その一言で、私はその声が奴隷商の声そのものだと気付いた。
と同時に体が疲労感に襲われ、頭の中は『ご主人様』という言葉のみになる。
それを見た奴隷商は私の手錠に付いた鎖を持ってまた私に動くよう指示をする。
その時には私ももう、彼に従って体が動かすことしか出来なくなっていた。
「大変お待たせ致しました、どうぞお受け取り下さい。それで、手錠はいかがしますか?」
奴隷商の質問と共にご主人様元い……いや勇者様元いご主人様が正しいのだろう。とにかく彼は私を受け取る。
ご主人様は取ってやれとお答えになった。
「畏まりました」
私の手錠を、奴隷商が取る。
ご主人様は取れたことを確認すると私にお声がけ下さった。
「付いてこい」
ご主人様は私を連れて、外に出る。
外はカラッと晴れていて、そこは裏路地である。
そしてそこには、馬車がない。
今まであって、私を運んでいたはずの馬車が無い。
どうやらご主人様は馬車を用意されていなかったらしい。
だったら……
そう思ってご主人様を見ると、もうそこにはおられなかった。
――ご主人様はどんどん先へ行かれているのだ。
それを確認した私は、追いかけるように小走りをしながらふとご主人様に問いかけていた。
「あの……ご主人様?」
「ん?」
「えっと……何で私をお選びになられたのですか?」
私のような無能を、あそこまで反対されたのになぜお選びになったか。
私は嬉しさのような何かと共に、気になっていた。
どうしても、訊きたかったのだ。
暫く間をおくと共にご主人様は前を見られる。
そして口を開かれた。
「その前に、お前の名前を訊いておこうか」
少し意外な発言に私は言葉を濁す。
が、すぐに小さく言葉を発した。
「クラリス……」
「ん?」
――もっと大きな声で言え。
そう急かすように、ご主人様は私を見つめられた。
「クラリス、クラリス・ド・ラキーユ。元は貴族令嬢ですの」
あ。
自己紹介をする時いつも公の場だった所為か、貴族のような言葉遣いを使ってしまった。
そして、関係ない情報をご主人様にお伝えしてしまった。
すぐに私は慌ててその言葉に被せるようにもう一度言い直す。
「クラリスだよ!」
慌てすぎて今度は失礼な大きさ、そして言葉遣いになってしまう。
私は口を塞いで、落ち着かせてもう一回言おうとする。
そんな私を見て、ご主人様はフッとお笑いになった。
「俺はミネノ ユージ、元勇者だ。宜しくな」
――『元』。
それの単語が心に響く。
今、ご主人様は勇者では無い。
それが察せた。
「その、何てお呼びしたら……」
私がそう言いかけるとご主人様の顔から笑みは無くなって、前をご覧になって冷たく言う。
「何でも良い」
何でも……良い。
私がその言葉に戸惑っていると、『ついでに』とご主人様はこうおっしゃる。
「お前、敬語慣れてないだろ」
「え……?」
私は思わず止まってしまった。
結構ちゃんと出来ていると思ったのだが。
ご主人様は歩きながら、そんな私を振り返ってご覧になる。
「いや、分かる。時々敬語じゃなかったり二重敬語だったり。そもそも間違えてたりしてるもんな」
大体お前は元貴族令嬢だろ? そりゃお嬢様言葉みたいな奴しか基本喋ってなかったんだからしゃーねえしな。
ぶっきらぼうなご主人様の言葉を聞いて、私はなぜか力が抜ける。
そのような、空気を持っていたのだ。
「それじゃあ、こんな感じでいいのですか?」
自然と出てくる言葉に任せると、くだけた敬語になる。
だがご主人様にはそれが丁度良いと見えた。
私が追いかけるようにご主人様の元へ走ると、最後にご主人様はこうおっしゃった。
「ついでに俺は奴隷に従順さ以外は求めてない。従順であれば、何でも良い」
その時、私は先程の自分の問いの答えに気付く。
私は奴隷商曰く従順であったから選ばれたのだ。
そしてそれと共に分かったこと、それは……
ご主人様は誰かに、裏切られたという真実である。
久しぶりの更新、お待たせしました。
主人公の性格を迷ったのですよね。
追放系主人公か、純情系主人公か、などなど……。
ついでに後半は「リラックスできる音楽」を聴きながら書いているので、少し他の空気が違うかもしれません。あくまで「しれません」という感じですが。