一
もうすぐ弥生が終わろうかという今月に入って二度目の蒼い満月が輝く夜。
俺、月皇桜架は僅かな月明かりと夜目を頼りに尻尾のように結わえた色素の薄い明るい赤みがかった紫銀の髪を靡かせて森の中を走っていた。
星が瞬く空で輝く二度目の月を巷ではブルームーンというらしく月の加護によって祓魔する俺としては酒でも呑みながら月見酒でも洒落込みたいところだ。濃紫の靄─不浄の気に包まれた堕精霊に追われていなければ。
「任務帰りに遭遇うとか運無さすぎだろっ!」
手首に付けた腕輪から鉄線を伸ばし、適当な枝に伸ばして一気に跳躍しながら吠えた。
不運なことを遇うのは日頃の行いが悪いせいと云うが、一つだけ言っておこう。俺より日頃の行いが悪い奴なんかいっぱいいる。師匠とか父さんとか…その辺。あの人達以上に不真面目な大人なんて知らない。少なくとも俺は。
『まだ未成年なのに酒に煙草にやるからじゃねぇの?』
「うっせーよ。誰が童顔だ、誰が」
右の耳朶に付けたピアス─俺の瞳と同じ海を想わせる深いブルーの石が淡く輝いてクツクツと楽しそうに笑うからかっているような変声期を終えたばかりの男の声が聞こえた。このピアスは超小型の通信機で術師の霊力を糧にしているので術師の魔力が切れない限りは使えるという優れもの。俺はピアスとして付けているがピアスしかないわけじゃないからイヤーカフ、イヤリング、イヤーフック等々。戦闘時に通信する事が多いというのと所属する部隊柄で付けるタイプしか持ってないがコンパクトや端末機といったタイプもある。
それはさておき…先程から話しているのは俺の幼馴染みで相棒、東雲蓮司。代々優秀な術師を輩出してきた家系の嫡子。親友だと思ってるのは口が滑っても言ってやらないけど、それくらい気を許している奴だ。
『誰もそこまで言ってねぇよ。出た方がいいか?』
「堕精霊が出た以上、コレは特務の任務だ。東雲、お前は先に戻って報告。そのまま帰れ」
蓮司が堕精霊と交戦しないよう“帰還命令”を出し、反論が返ってくる前に通信を切った。
蓮司は要領が良い。まだまだ不安要素はあるが卒業して経験さえ積めば特務の部隊長くらいは引っ張っていけるだろうと思えるくらいには。
─ぶっちゃけ特務に入れる気満々だけどな。あのくそ親父…
返せっ!
故郷を…
オレの家族を返せっ!
「冴桜っ!」
なんて考えていると叩き付けられるかのような呪詛の塊が襲い掛かる。あまりの呪圧に俺は眉間にシワを寄せて得物を喚ぶ。
腰に差した何の変哲もないほんのりと透明感のある鮮やかな水色の鞘に納められた短刀が発光し触手が届く間一髪のところで切り飛ばす。
柄尻の先で揺れるのは青と紫の糸で組まれた飾り紐、その更に先で揺れているのは玉髄と呼ばれるほんのりと透明感のある鮮やかな水色の石。冴桜の本体─核だ。青みを帯びた鮮やかな紫の柄に唐草模様の加工がされた申し訳ない程度の鍔、六十センチほどの反りがない刀身は冬の冴え渡った晴天の空のような青。これが俺の愛刀にして術式媒体、冴桜だ。
─不浄の気に包まれてるけど狼だな。あれは…
と、濃紫の靄が変化した触手と一緒にしかし触手特有のうにょうにょとした気持ち悪い動きをしていない尾で靄の中にいる怨嗟に飲まれたモノを推測する。
どうして?
何でこんなに苦しまなきゃいけないの?
オレは…オレ達は何もしてないのにっ!
「──っ…これ以上、憎しみに身を委ねるなっ! 戻れなくなるぞっ!」
堕精霊の感情に呼応するかのように触手が襲い掛かる。術式を組む隙も暇もなく次々と襲ってくる触手を俺は紙一重で避け、冴桜で切り飛ばす。
ゆるさない…呪ってやる…
ぜんぶ、こわしてやるっ!
「しまっ───ッ!」
これ以上、堕ちれば本当に消さなくてはならない存在になるその前に浄化術をと清浄の気を放出しようとして俺は奴の呪詛に飲み込まれた──
「あー…隙付かれた…」
呪詛に飲まれた俺はガリガリと痒くもない頭を掻きながらボヤいた。呪詛に飲まれても意識が飛ぶだけで体に何かあるわけではない。辺りに他の敵がいるなら話は違ってくるけど気配はなかったから
呪詛に飲まれた先に待っているのは呪詛による精神汚染。勝てば現実に戻るが負ければ奴と同じように堕ちる。俺の場合、呪詛弾きの刻印があるから堕ちることはねぇけど…
「癒えるまで悪夢に魘されんのは嫌だな」
あんま強くねぇし…とため息を吐いた次の瞬間、奴の記憶が俺の脳裏にフラッシュバックよろしくと流れ込む。
これが堕精霊の…アヤカシ達の手口。こうして相手の精神を壊して絶望させて自分の中に取り込んで操って同化する。妖獣や妖魔のように知識もなく対処法も知らず倒せるモノではない。
破壊される森…〔次々と殺される実験体…〕
住処を守ろうと立ち向かう父と母…〔俺を逃がそうと己を犠牲に逃がしてくれた飛架…〕
何でオレだけ生き残った?〔どうして俺達だけこんなに苦しいの?〕
“オレ”と“俺”の記憶が同調した。
オレは人間に…
俺は狂った科学者に…
『生き方を狂わされた…』
「──……っ…あんま…他人の過去を覗くんじゃねぇよっ! 清浄なる月の光よ、不浄なるものを切り祓い囚われしモノを癒せ〔月光刃〕」
一番、見られたくない記憶を見られた俺は拒絶よりも覗かれたことに対する怒りで最も攻撃性の高い祓魔術を放った。三日月を模した優しくも力強い浄化の気で形成された刃は次々とアヤカシを切り刻み、中にいる妖獣を癒していく。
アヤカシと交戦するのはこれが初めてではない。何度も精神攻撃を食らったことだってある。それでもあの頃の記憶は誰にも見られたくないモノ。怒り任せに術を放たなかった俺を褒めてやりたいくらいだ。
「妖獣や妖魔を気遣いこそすれ、てめぇに気遣うほど俺は優しくねぇよ」
キィキィと耳障りな鳴き声を上げるアヤカシが依代としていた妖獣を吐き出し霧散した。
俺と同じで元から色素が薄いのか、それとも単にそういう色を持つ種なのか吐き出されたのは十五、六センチくらいの銀狼。耳と尻尾の先と足先は鮮やかな水色だが全体的に白銀く同化する手前まで囚われていたであろう体は触れるのを躊躇するほど細い。
─取り敢えず、連れて帰るか…
冴桜を鞘に納め、このまま放っておけば確実に衰弱死すると容易に想像出来るほど弱った銀狼を左手で抱え、右手でベルトポーチの中を弄る。
容量が少なそうに見えるこのベルトポーチだが容量拡張の術式を組み込んでいる為、見た目の倍は物が入るので重宝している。決して安い買い物ではないが俺みたいな職に就いているとウエストポーチやサコッシュみたいなカバンは邪魔以外何物にもならないからベルトポーチくらいが丁度良い。
「んー…ぁ、あった」
弄ること五分。引っ張り出したのは透明度の高い氷をそのまま石にしたかのような透き通った握りこぶしくらいの水色の石。この石は“空間転移”の術式が彫られた俗にいう術具。中に浮いている“壱”という数字は後、何回分の霊力が残っているかの数字。
術具というのはとても便利なもので霊力さえあれば…あるいは術具に霊力を込めてあれば使用者が使えない術式でも使うことが出来る。
種類は全部で四つ。
一つは紙。紙は一番、安く手に入りやすいがその代わり一度しか使えない。いわば使い捨てタイプ。ちなみに術式構造をきちんと分かっていれば自作出来る。その為、系統を決めずに符を使うことで術を発動させる符術師という術者も存在する。
二つ目は木。木は術式を小刀やナイフなんかで彫ってあるだけのもの。つまり術式の構築はしなくていいが霊力を込めなければ使えない。使った分だけ劣化するからあまり連続では使えないが紙よりは長く使える。
三つ目が石。石は木と違って特殊な道具を使って術式を彫り込む。木と同じで使用者の霊力が必要になるが石そのものが割れるまで使える。木で作ったものよりは高いがその分、長持ちする。鉱石といえば想像しやすいだろう。
最後が結晶石。結晶石というのは霊力を宿した石のことで有名なところでは紅玉、藍玉、瑠璃といった装飾品にも使われる石に霊力を使って術式を彫り込み術具として使う。これも回数制限はあるにはあるが予め、霊力ないしは魔力を込めておけば込めた分だけ使う事が出来、劣化しヒビが入っても霊力や魔力で修復出来るので半永久的に使える。その分、恐ろしく高い。ちなみに術師が武器を生成する際に核として使うのも結晶石で人工的に作り出すことも出来る。
「……残り一回って」
ゆらゆらと中で浮かぶ“壱”という数字に俺は思わず苦笑いした。
この結晶石は“雪晶花”っていう術で作った結晶を石に加工してそれから術具にした物だから俺の霊力さえあればいくらでも修復出来るし回数も増やせるんだけど残数が壱というのはメンテ不足にも程がある。
自慢ではないが俺は空間転移や回復といった術式が苦手だ。それこそ蓮司に呆れ果てられるレベルで。だから帰る時は空間転移の術式を彫り込んだ自前の結晶石を使う。で、残数がゼロになれば帰れなくなるわけでメンテは欠かさずやってる筈なのに何で“壱”の数字が浮いているんだろう…
「明日は非番だし…冴桜もまとめてメンテするか」
コロコロと手のひらの上で結晶石を転がして遊び、そのまま地面に落とした。すると透き通った水色の光が辺りを照らし空間転移特有の浮遊感が俺達を包み込む。
光が消える消える頃には桜架達の姿はなく残ったのは戦闘があったという痕跡といつもより強く輝くブルームーン。そしてそのブルームーンに寄り添うように輝く星達だけ…




