第三百七十話【大丈夫……だよね?】
「ただいまー。ちゃんとお皿片付けたかー?」
「……アンタ、なんで帰ってきたのよ」
え、ひどい。
花渕さんを送り届けて帰宅した僕を待っていたのは、ものっそい冷たい目をした未来だった。
泣くぞ、おい。お兄ちゃんそろそろ本気で……っ。
「どうしてそのまま真っ直ぐ帰らなかったんだ。って、言いたいんだよ、ミライちゃんは。いや、本当にどうしてこっちに戻ってきたの……?」
「ご飯の準備もして貰ったし、特にこれといって進捗もあるわけがない」
「君の知る最後の情報は、君がこの部屋を出る瞬間のものだ」
「このほんの僅かな間に何かが劇的に変わるなんてあり得ないよ」
「うう……そ、そんなしっかりと責めないで……言われてみると、なんでこっちに戻ったのか、自分でもよく分かんないんだから……」
無思考で歩き回ると、そのうち食われて死ぬわよ。と、未来にはもうこれ以上無いくらい冷たいお言葉を頂いた。
はい、おっしゃる通りです。
今めっちゃ危ない状況にあるんだもんな。うん……気を付けます……
「まあいいさ。そういうことなら泊まって行きたまえ」
「君は……と言うか、この世界では、離れていてもすぐに連絡が取れるんだろう? 便利なものだよ、本当に」
「便利に甘えてこういう行動を取ってしまうのは誉められないけど、なってしまったなら仕方がない」
「親御さんに連絡を入れて、このまま休んでいくといい」
「あ、うん……真鈴、お前……花渕さんいなくなった途端に饒舌——」
ミライちゃん! と、嗾けるのが先か。それとも、ふしゃーっ! と、飛び掛かるのが先か。
いえ、どっちでも結果は変わらないんだけど。
ガブゥ! と、頸動脈のあたりを思い切り齧られて、僕は獰猛な肉食獣の餌食に……食べないで⁉︎
じゃれてる感じじゃない! 身の危険を感じる⁉︎
「君は本当に……はあ。いいよ、その不敬も無礼も今は見逃そう」
「君は怪我人、そこんとこを弁えた行動を取ると約束さえしてくれたらそれでいいさ」
「こうやってミライちゃんに噛まれないように振る舞う、とかね」
「いでで……は、はい……分かりました……」
真鈴はそれで許してくれたみたいだけど、しかし未来の方がまだぷんすこ腹を立てているご様子。
むすーっと膨れっ面のまま、ちょっとだけ間合いを取ってべしべしと僕の脚を蹴ってくる。
痛い痛い、弱攻撃連打するんじゃない。削りダメージも今はキツいんだ。
「それじゃあここら辺に……タオルでも敷いて寝たらいいか。寝袋とか買っておけば……」
「いや、君がベッドを使いたまえ。今一番休むべきは君で、今一番休まる場所はそこだ。なら、君がベッドを使うのが道理だろう」
え? じゃあ……ふたりは? 三人で仲良く川の字で寝るの? いや、割とそういう機会あったな。
今なら……あのやたらエロい身体のマーリンさんがいない今なら、それも割と健ぜ——ひいっ⁉︎
睨むな、睨むんじゃない、未来。
お前だってマーリンさんの……を、いつも堪能してるだろうが。
「ミライちゃんは普段と変わらない肉体を得ている。故に、どこでも適応出来るし、体力の限界値が僕達とは段違いだ」
「僕もそんなミライちゃんに抱えられて眠っているからね、下がベッドでも板でも土でも同じなんだよ」
「いや、同じわけ……むぐぐ。そこまで子供扱いするかよ……こんなおっさんだって見て知ったのに……」
大人と呼ぶには、行動と思考がお粗末過ぎるのよ。なんて背後から斬り付けられて、僕はもう涙をこぼさないので必死だった。
うわぁん! 未来が! 未来がマジで冷たい!
真鈴からもなんか言ってやってよ! 反抗期にしてもちょっと度が過ぎるよ!
「それじゃあおやすみ。僕達もすぐに寝るから、君もさっさと休むように。子守唄は要らないよね?」
「徹底的に……っ。うぐぐ……要らないよ、そんな歳じゃないって」
花渕さんといる時のこと、ちょっとからかっただけなのに、めっちゃ根に持ってるな……?
そんなの無くても、子供扱いはいつも通りなんだけどさ。
しかしどうしてこう、見た目完全におっさんの今の僕を子供扱い出来るかね。
元々のマーリンさんだって、もしかしたら僕の方が歳上かもしれないのに。
あれ? ということは……つまりマーリンさんの実年齢は、三十一より上————殺気⁉︎
「余計なことに頭使ってないでさっさと寝なさい」
「これで明日寝坊したら、アキトもアギトも二度と大人として扱われないものと心したまえ」
「そ、それは困るっ! おやすみ!」
二度とは困る!
こう……まだ……まだ……ちょっとくらいは可能性があると信じたいじゃないか……っ。
マーリンさん攻略ルートの実装……ちょっとくらい信じて生きていたいじゃないか……っ。
しかし、今朝はぐっすり寝たし、しかもこっち来てから夕方までも寝ちゃったしで……いや、コレ寝れる気しな——
目が覚めて初めて、自分が眠ったことに気付いた。
爆睡も爆睡、ガッツリ十時間とか寝てる気がした。
気がしたじゃないわ、これ。
現在の時刻は午前七時。
昨日花渕さんを送ってったのが七時半とかだから、帰って来て八時。
ちょっと話してすぐ寝たから、なんなら十一時間近く寝たわ。
「……寝坊⁈ いや、何時に起きるとか決めてない……朝ごはんの時間過ぎてる⁉︎ 寝坊!」
やばい! マーリンさんルートが! 魅惑の歳下歳上おねえたま攻略ルートが消えて無くなる!
そもそも無いとか言うな、夢くらい見させろ。じゃなくて。
どうせまだあの寝坊助がダラダラしてる筈だから滑り込みセーフ! と、勝手に特殊ルールを設けて飛び起き——て——
「——あ——れ……?」
立ち上がって、そしてそのままベッドの上に座り込んでしまった。
あ、あれ? なんだ? 力がうまく入らな……い——ででででっ⁈
痛い⁉︎ なんか、身体が——主に脚と腕が痛い⁉︎
「起きたみたいだね。おはよう、アキト」
「どうかな? 僕が泊まって行けと言った理由、ベッドを貸した理由。分かって貰えただろうか」
「ま、真鈴……いぎぃっ⁈ これ……もしかして、星見で……」
そんなの無くても予想は出来たけどね。しかし、視えた以上は最善策を選ぶさ。と、にこにこ笑って寝室に入ってきたのは、自分もまだちょっと眠たそうな真鈴だった。
あれ? 未来は? あのバカ振り切って起きてきたの?
凄い、あの拘束をどうやって抜けたんだ。
「未来ちゃんなら、もう起きて勉強の真っ只中だ。朝食は僕が準備するから、そこで身悶えているといい」
「怪我の痛みも勿論あるが、それ以上に酷使のツケが身体に出ている」
「早い話が筋肉痛、日頃からもっと運動を心がけるように」
「筋肉痛……な、なんて情けない理由で……」
だ、だせえ……っ。せめて……せめて怪我が原因であって欲しかった……っ。
全然嬉しくないし、かっこもつかないけど……でも、運動不足が原因で立ち上がれなかったは……かっこ悪過ぎる……っ。
「筋肉痛は日々の運動不足が招いた結果だが、疲労感は別だ」
「二十余日眠り続けて、体力は著しく低下していた」
「やっと杖に頼らず歩けるようになったばかりだったんだ、無理も無い」
消化のいいものを作るから、今日は回復に努めなさい。と、真鈴は僕の頭を軽く撫でてすぐにリビングへと戻っていった。
そしてがちゃがちゃと音が聞こえ始めて、向こうで何度も聞いた、料理をするあの人の姿が思い浮かぶ。
「……星見で知ってた……ってことは、何かしらが起こるのも分かってたのかな。分かってて……僕が振り切っちゃった、とか」
視えた未来は変えられない。
マーリンさんはかつてそう言った。
それは、結局はそういう結果に落ち着くもんだ、という意味だった。
手を加えて一度は回避したように思えても、結局遠回りして同じゴールに辿り着いてしまう。
だから……多分、あの時真鈴は、それを必死に食い止めようとしてたんだろう。
「話を聞いていれば……だよな。それで……どっかで一回冷静になれたら」
「いや……どうなんだろう。未来が変わらないって話なら、あの時の僕は……」
冷静さを取り戻すのは無理だった……のかな。
一回は経験してることなんだし、どっかで気付けてもいいのに。
それが無理なら、せめて未来がいる時に無茶すれば良かったのにな。
ちょっとすると、真鈴はあったかいうどんを持って来てくれた。
え? あれ? ちょっと、なんか僕の作るやつと匂い違うんだけど。
あれ? もしかして、花渕さんの料理見て、食べて、技を盗んでしまわれた……?
ば、バカな! 教えて貰っても出来なかったのに! 僕がやると鰹節がえらい勢いで……っ。
「ベッドの上にいる君にご飯を持ってくるの、前にもあったよね」
「あの時は……あの時も、かな。君が無茶して、ミラちゃんと喧嘩になっちゃった時」
「魔弾を探して半日川に浸かって、風邪を引いて寝込んでたんだ」
「……なんで思い出させるの……? むぐぐ……いただきます……」
そうだね……そうなんだよね……
はい、全く成長の無い男です。
だけど、今回は……今回こそ、か。
まだこの先の話だし。なんとなくだけど、今回は大丈夫。
この後、ちゃんと自分がすべきことに向き合える……気がする。
なんとなくだけど、確信に近い予感があるんだ。
真鈴は僕が元気にうどんを食べ始めたのを見て、未来ちゃんの分も作ってくると寝室を後にした。
残念ながら、僕の身体は想像以上にガタが来てるらしい。
うどんを食べ終えてちょっとしても、布団から出ることは叶わなかった。
むぐぐ……本当に……本当に僕は大丈夫なんだろうか……




