第三百六十九話【自信満々に】
「未来―、運ぶの手伝ってー。ほら、アキトさんも。真鈴もおいで、ご飯だよ」
なんか、新妻みた————違うんです——っ⁉︎ 決してやましい心は無くて!
心地よいリズムで繰り返されていた包丁の音。
ぼこぼこと無粋な音なんて立てない、静かに煮込まれる鍋から上がってた音。
ぱたむ。と、時折挟まる冷蔵庫の閉まった音。
水の流れる音は、他の何より大きかった。
さて、そんなASMRライブを背後に感じて、思い浮かんだ情景といえば……
「……お母さん……っ」
「おい。おっさん、頭おかしくなった? ぶっ飛ばすけど、そっちがその気なら」
だって! 見えてしまったんだもの! 純和風の家屋の中で、割烹着に身を包んだお母さんの姿が!
熟練度が高過ぎて……こう……なんと言うのか。萌えみたいなものが無い。
安心感と懐かしさ、それからほんのりと儚さを感じる。
女子力ではない、これは。その域はとっくのとうに突き抜けている。
「いくらなんでもこんなデカい子供いらんし。未来と真鈴ならマジでうちで養いたいけど。おっさんは返品で」
「ふぐぅ……うう……何を言われてもちょっぴり胸が切なくて、凄く凄く暖かい寂しさに包まれてる気分……っ。物心付いた頃に見た母さんがダブってしまう……」
花渕さんはもう突っ込んでもくれなかった。
それはそれでつらい、せめて怒ってください。
いやだって、ねえ。違うんだよ。世に言う料理好き女子とは違うんだよ。
世の料理好き女子のレベルを知らないから、下手なことは言わない方がいい気がしてきた。
でも、これはもう色々違うって分かるよ。
「すんすん……この間のとはちょっと匂いが違うわね。前のより……すんすん……? 薄いけど、濃い。むむむ……?」
「薄いけど濃い……? お前には何が見えてるんだ? まあ……そうだな。言われてみれば、透き通ってるのにしっかりと出汁の良い匂いがして……」
色じゃなくって。と、未来は僕を押し退けてまで鍋を覗き込んでいた。
ちょっとちょっと、危ないから。食べる時に嗅ぐでしょ、待ってなさいな。
「……違う匂いが混じってるのかしら。前に作ってくれたお鍋より、匂いが薄いのに濃い感じがするのよ」
「でも、多分同じもの……きっと同じ種類のスープだとは思うんだけど……」
「……え? アキトさん、未来ってなんかすごい系の子? 匂いでそんな分かるんだ、へー」
「えー、やば。ちょっとなんか、色々作り甲斐あるじゃん」
そこ、やる気に火を着けないで。期待しちゃう。これ以上のご馳走が……? と、期待しちゃうから。
僕がやらないといけないんだから、それは。
「ま、話は後でしたげるからさ。運んで運んで。ほら、未来」
はーい。と、素直に食器を運ぶ未来だが、しかし依然としてどこか不思議そうな顔で鍋から目を逸らさない。危ないから前見て歩きなさい。
んで、真鈴。出てきなさい。カーテンの裏から出てきなさい、いい子だから。
なんで……ついさっきまでちゃんとしてたのに……どうして……
「未来、ちゃんと座って。足んなかったらまた作ったげるから、ね。はい、いただきまーす」
「いただきまーす! あーむ……あふっ、あつ……ほふほふ」
こらこら、湯気上がってるものをひと口で食べるんじゃない。
火傷するぞ、しても治癒するかもしれないけどさ。
小さなちゃぶ台に並べられたのは、かぼちゃの煮物、小松菜の煮浸し、オクラと出汁とろろのかかった冷奴、お刺身。
そして大きな鍋に作られたあら汁。
え? ちょっと待って、これさっき作ったの? 嘘でしょ、どう考えても時間足りないけど⁇
「って言うか……えっ? も、もしかして魚も自分でさばいて……」
「そこまでは出来ん、ってーかやってられんて。魚屋さんでさばいて貰ったの」
「お刺身切るくらいは出来るけど、幾ら何でも一匹まるまるは相手出来ないって」
あー、良かった。良かったか? 本当に良かったか?
他のものは全部いちから作ったんだよね? 出汁取って、煮付けて。
って言うか、かぼちゃ全然煮崩れしてない。
こんなに柔らかくなってるのに、形が綺麗なままなんだけど。
母さんでももうちょっと崩れるのに……
「んぐんぐ……ぷはっ。すんすん……これよね、やっぱり。この間のお鍋のスープに近いんだけど、ちょっとだけ違う。うーん……」
「そりゃ違うだろ、お前。だってこれ、味噌とか入ってるし」
全然違うものだし。
しかし、どうやら花渕さんは未来の鼻に感心してるみたいだ。
え……? なんか一緒なの? 何かが一緒で、何かが違うの?
「結局さ、売ってる出汁も自分で取る出汁も、使ってるもんは多少似てくるからね」
「鰹節と昆布で出汁取って、醤油と塩とで味付けして、だから」
「で、具材煮て……ってやってたらさ、匂いの種類は近いもんになるんじゃない?」
「ただ、今回は骨ごと煮てるから」
「魚の匂いが強い……と。へー……ほー……えっ? お前、そんなの分かるの……分かるか、そりゃ。お前なら分かるよな」
犬より鼻良いもんな。
未来は花渕さんに褒められたのが嬉しいらしくて、にこにこ笑って擦り付いていた。
いや、そんなの無くてもやってそうだけどさ。
「……ミライちゃんじゃなくても分かるよ」
「普通、骨は煮過ぎるとえぐみや苦味が出るもんだ」
「獣のそれに比べたら幾分かマシだけど、しかし出てしまうものは出てしまう」
「そこの見極めが出来なければ、スープも濁ってしまうだろうし、味だってもっと雑なものになってる筈だよ」
「おっ……? おお……真鈴もつい口を挟んでしまう程の逸品なのか……」
相変わらず喋り方変だけどね。と、花渕さんに突っ込まれると、またすぐに僕の後ろに隠れてしまう真鈴の人見知りぷりよ。
だけど、料理については真鈴も得意分野だからな。感じるものがあるんだろう。
「未来も真鈴もそんながっつかなくていいよ。まだあるし、いくらでも作るからさ。そん時は、流石にアキトさんにも手伝わすけど」
「ほんと⁉︎ もっと! もっと食べたい!」
「ミナの料理は不思議よね。色も匂いも薄いのに、味はちゃんとしてて。ソースだって掛けてないのに」
そこら辺はむこうとこっちの食文化の差……なのかな。
もちろん、エルゥさんの料理も抜群に美味しい。それは前提として、だ。
あっちの味付けは結構濃いと言うか、香辛料があるならそれをふんだんに使うし、無いなら別のソースがたっぷり掛かってることが多い。
塩だけの味付けみたいなのもあるけど、出汁を取って……みたいな料理はあんまり食べてないかも。コンソメ的なはあるっぽいけど。
美味しい料理はすぐに無くなって……と言うか、未来に飲まれて、花渕さんはどこか満足げな顔でおかわりを作り始める。
僕もそれを手伝って、出来上がったものを運んで。
今度はお蕎麦だぞー……なんて持ってったのは、およそ僕の知ってるのとは違うものだった。
あら汁に使ったのと同じ出汁に、醤油と砂糖で味付けをして、ちょっと甘辛いつゆに卵がふわっと浮かんでて……
え? これ何? こういうのどこで覚えてくるの? てか、どこの料理?
「かきたま蕎麦……だけど、どこのとかは知らない。いや、なんかの時にテレビでやってて。勝手に真似してるだけだし」
「むぐむぐ……んふふ、おいひい。アキト、ちゃんと作り方覚えたでしょうね? これからはアンタも作るのよ」
ひぃ、パワハラ上司みたいなこと言い出した。
仕事は目で盗めじゃないんだ、盗む暇なんてあるか。
お腹いっぱい……だったのに、僕も真鈴も一杯ずつお蕎麦を食べて、残りを未来が完食するのを待つだけの時間。
幸せそうに食べる未来の姿は……こう……
「……癒し……はあ、うちに欲しい」
「ちょっとちょっと、花渕さんってば。ダメだからね?」
未来は幸せを振り撒くなぁ、相変わらず。
毎度毎度骨抜きにされる花渕さんを見るこっちの身にもなって欲しい。
いえ、何が悪いとかではなく。
強いて言えば、やや悔しい。うん、やや。
デンデン氏の前でキラキラした笑顔を浮かべるのと同じ感じ。やや悔しい。
ご飯も食べて、ちょっとだけ遊んで、そしたらもう帰る時間になってしまって。
未来はやっぱり駄々をこねて、真鈴も部屋の隅っこで寂しそうな顔でこっちを見てる。
お前は近くに来なさい。じゃなくて。
「……花渕さん。その……結局何も説明してなかったね。ごめん、ちょっとだけ待って。すぐ纏めるから」
「あー……はいはい。そーいやそういう予定だったね、最初は。忘れてたわ」
忘れないで。
お昼にも電話くれたじゃないか、そこそこ気にしてるんでしょ。じゃあ忘れないでよ。っと、ボケてる場合じゃなくて。
伝わりやすいようにちゃんと纏めて、それできちんと説明しないと。
いっぱい心配して貰ったんだから、そうしなきゃ不義理だ。
「……や、いいわ、やっぱり。説明とか、めんどいし」
「え……ええっ。いや、そうは言っても……」
いいよいいよ。と、花渕さんは笑って、そして未来をぎゅっと抱き締めた。
あー、癒される。なんて言いながら、ちびっこい未来をぬいぐるみみたいに抱き上げて……
「……そういうのさ、聞かなかったら……説明しなかったら、説得しなかったら、アキトさんやめてくれそうじゃん」
「やるならちゃんと話をしてから、とか。ちゃんと責任とってから、とか。ならさ……いいわ、聞かない」
「……ミナ?」
未来を抱き締めている花渕さんの手は震えていた。
ぎゅーっと抱き締めて、隠れるように頭に顔を埋めて、肩を震わせていた。
その姿は、まさしく怯えている子供のものだった。
「……なんかさ、変なことに首突っ込もうとしてんだよね。やめなよ、そういうの。似合わんし、向いてないって」
「なんか……危ないことしようとしてんのだけは分かんの。そういうの、マジでやめときなって」
アレでしょ。前にアキトさんちの前で見たやつ。ああいうのが絡んでんでしょ。って、花渕さんは震えた声で続ける。
そう……だよ。それをなんとかしないといけないんだ。
確かに、秋人としては似合わないかもしれないけど……でも、やらないと。
「田原さんとこでわざわざ話までしてさ、んで……ついに怪我までして。もう疑うとこ無いよね」
「アキトさん、アレなんなの。何に首突っ込もうとしてんの」
「なんで……そんなのに巻き込まれてんの……っ」
「……ごめん、花渕さん。アレは……なんか危ないやつ、くらいにしか僕も分かってない」
「でも、巻き込まれたわけじゃないよ。ずっとやってたことだから」
「意外と慣れっこなんだ。だから、僕達がやらないとさ」
なんと言うか……この子も大概だよな。
未来と同じ、甲斐甲斐しいと言うか、それだけ僕が頼りないと思ってるんだろう。
いや、事実頼りないけど。
だから、僕が変なことしようとしてると、不安で不安で見てられないんだろう。
第一印象に比べて、ほんっとうにドライなイメージがどこにも感じられなくなったもんだ。
「それに……それに、この子らもなんか関係してんでしょ……? だったら尚更やめときなよ」
「なんかさ、話来てんだよね。養子縁組とか、里親とか」
「ちょっとしたら普通に家族になって、普通に暮らしてけるんだよね」
「じゃあ……こんな……っ。未来……こんな小さいのにさ……っ」
小さくない! って、いつもなら怒るのに、今日は未来もしょんぼりした顔のままだった。
だけど、そこは……勇者だからね。
泣いてる市民を見たら手を差し伸べる。これが、世界を救った天の勇者の姿だから。
「大丈夫よ、ミナ。アキトは私が守るもの。それにマリンもいるわ。だから大丈夫、任せて」
「……未来……っておい! 僕が! 僕が守るからな⁉︎ 子供が大きなこと言うんじゃありません!」
ふしゃーっ! と、こっちを威嚇して、それでも花渕さんの腕から抜け出そうとはしない。
そんな未来は、抱き締められたまま器用に向きを変えて、やっぱりちょっと泣いてた花渕さんに思いっきり抱き着いた。
すりすりごろごろと、いつもやってたみたいに。
「大丈夫よ。だって、絶対死なないもの。絶対無事に帰るもの。絶対、絶対」
「だって、アキトはこんなんでもヒーローだもの」
「……それ……ぐす……や、それはお話の中の話で……」
大丈夫ったら大丈夫だってば! なんて、もう駄々をこねてるようにしか見えないやり方で、未来は花渕さんを説得する。
絶対守るし、絶対守ってくれる。
それで、絶対全部解決する。
絶対絶対と未来はそればかりを繰り返して、花渕さんも不安げな顔からだんだん困った顔に変わっていってしまった。
「負けらんないもの。それに、死なせるわけにもいかないもの」
「じゃあ、負けないし、死なせない。私はもう何も失わない、全部ぶんどってやるわ!」
「だから、またすぐにミナのご飯も食べさせて貰う。毎日だって、毎食だって!」
「……ふふっ。や、毎食は厳しいって」
「でも……そうだね。なんか、未来が言うと現実味ちょっとだけあるわ。自信満々に言い切ってくれるからだろうね」
「はあ……アキトさん、私らも見習わないとダメだわ、これを」
「あーあ、ちょい凹む。態度と自信でこんな説得力って変わるもんだね」
いや……うん、そうだね。
一応実績あるからこその説得力……だと僕は思うけど。
花渕さんがそう感じるのなら、やっぱり自信満々なのも大切な要素なんだな。
いや、自信が付くくらいの実績を上げるのが大切なのでは……?
「……ごほん。未来が守ってくれるらしいから、僕の心配はいらないよ。で、未来のことは……僕と真鈴で守るから」
「やや頼りないかもしれないけど、こう見えて未来が頼もしいから大丈——痛いっ! 噛むな! 痛いってば!」
「アンタには私がどう見えてんのよ! ふしゃーっ!」
どうもこうも、この通りだよ!
犬だよ! 野良犬だよ! 餌貰うと割とすんなり懐く野良犬だよ! どう見ても!
僕と未来の割といつものやりとりに、花渕さんはやっと笑ってくれた。苦笑いだけど。
「……じゃあ、任せたよ、未来。そのおっさん、マジでいきなりぶっ壊れるから」
「前科あるからね。気を付けなよ……って、言っても勝手に壊れるし、なんともならなさそうだけど」
「むがむが……ぺっ。任せて! なんともならなかったら、殴ってでもなんとかするわ!」
物騒。それと、お兄ちゃんをぺって吐き捨てるのやめて。泣いちゃう。
頼もしいやらおっかないやら、胸を張る未来を見て、花渕さんはため息ひとつついて帰り支度を始めた。
アレは冷蔵、コレは冷凍、こっちは今日中……なんて指示を残して。それで……
「じゃ、またね。アキトさんも、ほどほどにしときなよ」
「それ終わったら、未来と真鈴も連れて田原さんとこ行こうよ。あの人子供好きらしいし」
「えっ? 通報……? 通報が必要な案件……? 子供好きって……」
そういうんじゃなくて……? 健全な方……? 信じ難い。
でゅふふと笑う不審者なんだけどな、僕の中では。
またね! って、未来に元気一杯に見送られて、花渕さんはそのまま帰宅……じゃない! 帰らせるな! ひとりで!
ちょっと送ってくるから、片付け頼んだ! と、僕も急いで部屋を飛び出した。
送ってくからって伝えると、花渕さんはめっっっっちゃ苦い顔で笑ってくれた。
送って貰った後、ひとりで帰らせる方が心配だわ、と。もうちょっと信頼して⁉︎




