第三百五十六話【張り切っていきましょう】
「お疲れさま、原口くん。今日はもうあがっていいよ。また明日ね」
「……あっ、えっ? うおっ⁈ いつの間にかこんな時間⁉︎ お、お疲れさまでした!」
店長に声を掛けられたのは、床のモップ掛けが終わってポップ整理に移行しようとしていた頃だった。
もうなんて言葉通り、時計を見れば閉店から既に二時間が経過していた。
いかん、急がないとちびっ子が駄々こねる! 晩御飯は作ってないんだ!
「今日は凄い集中してたね。気合が入る出来事でもあった?」
「は、はい。うへへ、まあそんなところで……」
そっか。と、店長は微笑ましげに頷いていた。
こうしてみると子供扱いだなぁ、やっぱり。
このくらいならやって当たり前、何も言われないくらいにならないと。
やらかし多いんだから、せめて実力くらいは付けねば。
「それじゃあお疲れさまでした! また明日!」
「はい、お疲れさまでした」
さて、それじゃあこれからは別の時間だ。
帰り道に魔獣を探す……のは、今日はちょっとやめておこう。
遅い時間になっちゃったからな、思ってたより。
その分早く帰って早く寝よう。そしたら朝の時間が使える。
日曜日だからあんまり無茶出来ないけど。
「……僕にやれることを、ね」
ぎゅっと拳を握って、うちに溢れてるやる気を自覚させる。
今、なんかちょっと過去最高にモチベーション高い気がするんだよね。
こう……なんだろう。こんな言い方したら怒られるかもしれないけどさ……
————僕が————
「……? お……? 気の所為……か?」
え? なんか声聞こえた気がした。
ちょ、ちょっと待って、勘弁して。普通にもう暗いんだ、怖い怖い、泣いちゃうって。
なんだよ、せっかくやる気高めてたのに。やめてよ、こんなとこでへこたれさせにくるの。
急ぎ足でマンションへ向かって、そしてインターフォンも鳴らさずに玄関を目指す。
違う違う、不審者じゃないよ。
夜だから、もうふたりとも寝てるかもしれないから。お腹空かせてふて寝してるかもしれないから。
ごめん、すぐ行くね。ご飯出来たら起こしてあげるからね。
「ただいまー……って、あれ。花渕さんまだいるんだ。げっ、もしかして……」
ご飯の準備させちゃった……? いや、二食も連続で任せるの心苦しい。
あのバカめっちゃ食べるからな。作るのだって大変だろうに。
「ただいまー。ごめん、花渕さん。遅く……っとと」
「おかえり……を、私が言うのは変か。お邪魔してます。で、ちょい静かにね」
しー。と、指を口に当てる花渕さんの腕の中には、すうすうと寝息を立てる未来の姿があった。
おま……うん、分かってた。それも分かってたけど……うん。
懐いてるなぁって思ってたし、いつかはそうなると思ってた。思ってたけど……
「…………ごくり」
なんでこのバカは花渕さんの……の……その……花渕さんのまで揉んでるんだ。
やめなさい。そしてやめさせなさいよ、花渕さんも。
それと……その……そう……えー……ごくり。い、意外と……そのぉ……
「おい、ちょい。怒らんから、せめてもうちょい顔なんとかし。うっかり通報しそうになるじゃん」
「————す——すみませんでした————ッッ‼︎」
怒らんて言ってんのに。と、花渕さんは呆れた……呆れてるだけだよね……? こいつは本当にしょうがないおっさんだなぁ、くらいだよね……?
その……心の底から呆れ果ててる、侮蔑の笑みではないよね……⁈
「それよりアキトさん、ご飯作ってないわ、ごめん。や、事情があってさ。夕方からずっとこんな感じで」
「夕方から……ごめん、うちのバカが……」
なんて羨まし……じゃなかった。けしからん。
そんな……そんな……ねえ。現役女子高生の……ねえ。堪能しやがって、くそう。
いえ、違います、普段からこんな想像してるわけじゃないです、こんな身の丈に合わない願望なんて持ってないです! 通報はやめて!
しかし……ふう。現役女子高生って単語……エロいな……
「っと、ご飯ご飯。さて、何作ろうかな。何が作れるかな……」
「あー、ごめん。お昼に使い切っちゃったわ、食材。買い物も行けてない。マジごめん」
謝らないでよ、そんなこと。
むしろお昼ご飯任せちゃったんだから、感謝しかな——待って、冷蔵庫の中マジで空っぽなんだけど。めんつゆと生姜しかない。
バナナ一本だけ残ってるけど、これならむしろ全部食えよ。
未来、こら。ここまで食ったなら残すな、バナナを。
「ちょっとコンビニ行ってくるよ。卵と野菜ちょっと買ってきて、麻婆春雨作る。買い溜めしといて良かった……」
最後に頼れるのはやっぱり○美屋なんだなって。
ホントごめん。と、心から申し訳なさそうにしてる花渕さんの姿に、むしろこっちが申し訳なくなってしまう。
そんな、十七歳の女の子にご飯準備して貰うとか……ねえ。
帰ったらご飯準備してくれてる美少女……リアルだとマジで通報案件だから妄想も捗らんわ。
「って言うかさ、ふたりのこと任せたの僕だし。流石にそこ謝られると……立場無いから許してぇ……っ。ごめんなさい……お昼ご飯任せちゃって……」
「それは別にいいし。ま……じゃあ、そーね。今日のとこは持ちつ持たれつでいんじゃない?」
「私としてもさ、この子らには美味しいもの食べさせたげたいし」
聖母。或いは義母。あかん、なんか知らない間に花渕さんのバブみが高まってる。
と言うか親心芽生えてません? 庇護欲? それとも母性?
なんにせよ……それはまだちょっと早いと言うか、そのチビ同い歳なんですよ……ええ……
コンビニまでひとっ走りして晩御飯の準備を済ませ、あとは未来を叩き起こすだけ……なんだけどさ。
これが一番苦労するって言うか……いつも苦労させられてたと言うか……今回はいつも以上に苦労すると言うか……
「こら! 未来! 起きて! 離れなさい! ちょっ、未来ってば! こら!」
「あ、待って、こら未来。服を掴むな。やめなさい、その状態で引っ張ったら僕が罪に問われる」
「……アキトさん、マジで中学生みたいだね、頭ん中だけ。いちいち気にしないって、おっさん相手に」
えっ……しゅん。
その……見ても怒られないのは、それはもうすっごく嬉しいんだけど……
怒られない、恥ずかしがられない、隠されもしない……となると……もう、尊厳が……っ。じゃなくて。
「……ごめん、花渕さんも起こすの手伝って貰っていい……?」
「なんで撫でてるの? なんで頭撫でちゃうの? なんで寝付きよくすることばっかりするの⁉︎」
「え? あ、ごめ。やー……無理だわ、これ。いいとこにあんのよ、頭が。いいサイズ感でさ、撫で心地いいし」
猫毛でふわふわしててさ、気持ちいいんだよね。なんて、ほんわかした顔で申されても。
しかし禿同。未来の髪はふわふわさらさらで、しかもこっち来てからは雷魔術も使ってないから、普段以上に髪質が良い筈だ。
トリートメントも良いの買ってあげたからね。でもなくて。
「……はあ。こいつのはいいわ、あとでチンして食べさせる。真鈴、ご飯だよ。お腹空いたろ」
「え、は? ちょい、アキトさん待って。それは……それは……可哀想じゃない? ちゃんとみんなで揃ってさ……」
育ちがいいなぁもう! 分かってるよ! その方がいいのは分かってます!
でも! 起きないの! そうなっちゃうとそれはもう起きないの!
起こそうと思ったらもう実力行使しかないの! 具体的には! 具体的には……うん。その手があった。
「真鈴、出来るだけ美味しそうに食べろ。花渕さんも、一番近くにいるんだから、一番美味しそうな声出して。はい、じゃあいただきまーす。うーん! うまい!」
「え? ま、マジで食べるの……? アキトさん……そういうとこ結構薄情だね。アキトさんのご飯、一番楽しみにしてんの未来なのに……」
待って、そういうのはやめて。めっちゃ効く。泣きそう。もう味分かんねえよ……っ。じゃなくて。
みんなが楽しそうにしてる。みんなが美味しいもの食べてる。そういう空気には敏感なんだ、それは。
だから、花渕さんからも一言お願いします。
それはそれとして、すっごい睨むのやめてください、お願いします!
違うんです! 本当に……本当にこれしか方法が無くて!
「い、いただきまーす……むぐむぐ……お、おいしー……アキト、これ美味しいね」
「……演技下手になったな、真鈴。そうか……そんなに緊張してるのか……」
ぴぃ……と、か細い悲鳴をあげて、真鈴は必死に保ってた笑顔を崩して僕の後ろに隠れてしまった。
どんだけ……はあ。いえ、分かります。
花渕さんみたいなタイプ、向こうにいないもんね。
んで……ミラともエルゥさんとも違うタイプだもんね、外見的にも。
こう……あのふたりとは違って、なんか……こう……スタイリッシュと言うか、大人と言うか……いえ、ミラと同い歳で最年少タイなんですけど。
「……すん……すんすん……ん……んふふ、ミナのにおい……? ごはん……? ごはん!」
「うわっ、起きた。え? マジで? そんなことある?」
「アキトさん、ちょい後で個人面談。それは人間の子供に対する躾じゃない。ペット感覚なら保護者やめな」
突然正論の刃で斬りつけるのやめて。
違うの、本当にそれしかないの。
んでもってそいつはそもそもペット枠なの、犬か猫なの。ではなく。
ごはん! と、なんともお約束な鳴き声をあげて、未来は目をまん丸にして……花渕さんに頬擦りを繰り返した。
いや、起きろや。起きて飯食えや。手洗って顔洗って、そんでちゃんと自分の席(座布団)に着けや。
花渕さん、分かっていただけましたか。
それが……それがうちの未来ちゃんの本性です……




