第九十八話
「「「へっぷしっ!」」」
ぱきぱきと薪が爆ぜる音をかき消す三人前のくしゃみを、更に波の音がかき消す。寒い……寒いよ……と、震えながら涙を浮かべるミラの起こした炎に当たりながら、僕達は濡れて冷え切った体を乾かしていた。
「海なんて絶対作らない……二度と来ない……」
「かなり深いトラウマになってるな、こりゃ……」
あんまり近付くと火傷するぞ。なんて声をかけたのだが、ミラは焚き火のすぐ側でその小さな体を震わせる。比較的暖かいアーヴィンの夜でも僕の背中を温かいと言って好んでいたあたりも加味すると、この少女は随分寒がりなのかもしれない。
「ミラさーん。危ないっスよー。アギトさん、あの人っていつもあんな感じなんスか?」
「あんなってのは……どれを指して?」
しょうがないじゃない、候補が多すぎるんだもの。オックスも少し考えてから、諸々っス。と、力無く言った。諸々という事なら、うん。まあ間違い無くいつも通りだ。火をぱぱっと魔術で起こすのも、考え無しに海に飛び込んだのも、寒いからと火に近付き過ぎる危機感の無さも。強いて言うなら……いつもはもう少し、オックスも知っての通り髪が広がっているくらいか。元々の髪質が猫毛なのと、訳あって帯電気質なのが相まって、彼女の毛先はバサバサフワフワと広がりがちだ。別に傷んでるとかそう言うんではない。触り心地もサラサラだし、良い匂いもする。と言うのは流石に黙っておこう、変態だと思われてしまう。
「——あっつ! あちちち……」
「ほら言わんこっちゃない……」
ばちんと一際大きな音を立てて爆ぜた枯れ木に襲われて、ミラはこちらへ一目散に逃げてきた。言わんこっちゃないと二人して少女を叱る姿は、どこからどう見ても三兄妹だろう。おい末っ子、お兄ちゃん達の言うこと聞きなさいな。
「でも寒い……」
「やめときなさいって。懲りないな、お前も」
恨めしそうな顔でこっちを見るんじゃない。そんなに寒いかな。と、空を見上げる。確かにびちょびちょだったさっきは寒く感じたが、暑いくらいに日も照りつけているし……服だってすっかり…………乾き切ってはいないにしても、もう肌にはりつく程濡れているわけじゃない。ミラの寒がり方に少し違和感を感じていると、涙を浮かべた少女はすごすごと僕の方へ寄ってきて……
「ちょ……ちょっとミラ。どんだけ寒いんだよ。大丈夫か?」
僕の膝の上に登ってきた。がたがたと震えながら黙って頷くその姿に、僕らは流石に不安を覚える。まだ冷たい髪を撫でてミラをぎゅっと抱きしめれば、ガチガチ歯を鳴らしているのが分かった。
「……悪いオックス。どっか宿取って来て貰えないか? とりあえず、今日は早めに休ませよう」
「了解っス」
すっかり元気になったオックスを見送って、僕は震える少女を必死で温める。こんなに弱々しい姿を見るのはガラガダ帰り以来だ。ミラもやはり歳相応の少女に過ぎない、体が冷えれば体調も崩すと言うものだ。
「…………アギト……」
「なんだ? まだ寒いか? 待ってろ、今オックスに泊まる部屋確保して貰ってるから」
ぎゅうと僕の服を掴んでミラは小声で名前を呼んだ。こんなに小さかったかと不安になる程縮こまった肩を抱いて、僕はその声に耳を傾ける。
「…………お腹すいた……」
「よし、元気だな。元気じゃないか。元気だろお前!」
心配して損した! お腹すいたから元気無かったって……お前なあ!
「違うのよ……そう言うんじゃなくて……」
「……やっぱりどっか悪いのか……?」
損した! なんてさっきは思ったし口にしたが、やはり心配なものは心配だ。シスコンの気持ちがよくわかる。わかってるのかな? ともかく、こんなに弱った姿を見せられては居ても立っても居られない。
「………………撫でて……」
「撫でて? お腹痛いのか?」
恐る恐る背中をさする。蹲ったままの丸まった背中を撫でてやると、少しだけ気持ち良さそうにして僕の方に体重をすっかり預けてくる。のだが……まだ文句があるみたいで、こちらの様子を窺っている。
「どっか痛いのか? 足攣ったとか、捻ったとか……」
「…………そう言うんじゃ無いけど……」
さっきから随分様子がおかしい。もごもごと歯切れの悪い様は、いつものミラらしく無いというか……
「……………………頭…………撫でて…………って……」
「……頭?」
はて、どこかでぶつけるような事があっただろうか。尋ねてみても、唸り声を上げるだけで何も答えは帰ってこない。僕は思い切って直球をぶつけてみる事にした。
「……もしかして、怖かったから慰めて欲しいとか……?」
「…………うるさい……」
全身から力が抜ける。なんだそれ……そんなの……
「もっと素直に言えば良いのに……」
可愛い妹が甘えてきて嫌なお兄ちゃんはいませんとも。僕は全身全霊でミラの頭を撫でた。なんだかんだこうして撫でられるの気に入ってたんじゃないか。ええ? この、可愛い奴め。よーしよしとわざとらしく声を出して目一杯少女を甘やかす。ミラも随分気持ちよさそうに力無く僕にもたれかかって……
「……ぐぅ……」
「…………ぐう?」
眠りについた。それは少し待って欲しい。いや、待って! 待っておくれよ⁉︎ 僕だって寝てないんだ! そんな……ああ! どんどん湯たんぽの温度が高く……
「なに……やってんスか…………?」
「っっっおおおおぉうっ⁉︎ おっ……おおおおオックス⁉︎ もう戻ったのか⁉︎」
眠さは弾け飛んだ。だがミラはそうもいかないようだ。だが今は彼女のことはいい、問題は……
「……やっぱりオレ、付いてこない方が良かったんじゃないっスか? 普通に言ってくれれば、二人きりにしますよ……?」
「誤解だ! それについては本当に誤解なんだ‼︎」
寂しそうな目で顔を背けるオックスに僕は必死に弁明する。違うんです! これはそういうんじゃないんです! と、何度言っても信じて貰えない。なら……
「そ、そうだよ! 俺よりオックスの方が体温も高いんだし! 寒いって言ってたんだから、俺よりオックスの方が⁉︎」
「どうしてそうなるんスか⁉︎」
どうしてだろう、わからない。だがもう後には引けない。僕は後退るオックスにミラを押し付けて寝かしつけさせた。どうだ、こう……父性というか母性がくすぐられるだろう?
「……いや、これ今どんな状況っスか?」
「あれぇ⁉︎ 擽られない? 庇護欲⁉︎ こう……自然と愛おしくならない⁉︎」
可愛い顔してるとは思うっスけどね。と前置きされた上で、でもアギトさんいるっスから。と、未だ誤解が解けていない事を通告される。違うんだ……違うんだよオックス……っ! 僕はともかく、そいつにそんな感情は……と歯噛みしていると、寝ぼけたミラはオックスに抱きつく様に寝返り……寝返り? をうった。そして……
「……っ⁉︎ アギトっ⁉︎ あれ……オックス…………ってぇ⁉︎」
急いでオックスの腕から逃げ出した。おや……? もしかして……もしかしてオックスの言う通りフラグ立ってたりとか……
「アギト! あっ……あああアンタなんで‼︎」
「え……いや、オックスの方が体温高いし、力もあるから寝心地いいかと思って……」
僕がそんな事を言うと、ミラは真っ赤な顔して僕に詰め寄った。そしてチラチラとオックスの方を確認しながら彼に聞こえないように耳打ちする。
「流石に男の子にあんな事されるのは恥ずかしいわよ……っ! いくら歳下だって言っても……」
「おい⁉︎ 俺も⁉︎ 男の子なんだけど⁉︎」
全くの逆……っ! むしろ男として意識されていないだけだった……っ‼︎ 返せ! 僕の淡い期待を返せ! 事あるごとに微妙に期待させるんじゃない! 純情を弄ぶなやい‼︎
「……? そりゃアンタは家族なんだし……」
「分かってたよ! オックス! 飯いくぞ飯! こんな奴もう知るか!」
きょとんとしたミラの頭に三発のチョップをかまして、僕はオックスに向かって叫ぶ。オックス! 遠い! さっきからお前の心の距離と実距離が遠い! 遠過ぎるよ‼︎