第三百四十九話【真・食育】
じゃ、お疲れ。ふたりにそう言って、私はお店を飛び出した。
昨日からこの時間を心待ちにしていた自分がいる。
それが自分でも意外で、同時に呆れてしまうくらい単純なんだとも思った。
「えーっと、三〇八だったよね」
寂しがってるかな。最初に浮かんだのがそれだった。
昨日ちゃんと話をしたばかり、仲良くなったばかりで、なんて思い上がりだろう。
あの子達はずっとふたりで暮らしてた……んだろう。
だとしたら、私が来なくても寂しくなんてない筈だ。
でも……昨日、あんなに別れを惜しんでくれた所為で……
インターフォンを鳴らすと、すぐに未来が応答してくれた。
美菜だよ。なんて伝えると、音が割れるくらい喜んで……や、鍵開けて?
早く来て。早く一緒に見よ。と、そればかり繰り返して、なかなか招き入れて貰えない。
「未来、鍵開けて。このままじゃ入れんから」
『あっ、そうだった。ちょっと待ってて!』
がちゃん。と、通話が切れて、それからやや間を置いて玄関が開いた。
相変わらず小さくて可愛らしい、特徴的な色の頭がこっちに向かってくる。
「ミナ! ミナ! ミナっ!」
「んー、美菜ちゃんだよー。ちゃんと遊びに来たよ」
おいでー。と、手を広げると、未来は抱き着いて私の首のあたりにぐりぐりと頭を擦り付け始めた。
はー、かわいい。癒し。自分ではそんなつもりなかったけど、妹が欲しかったのかね。
「ジュンも来てるわよ! えへへ、早く早く! ミナも一緒にばいかーさん見よ!」
「はいはい、引っ張らない引っ張らない。っと、意外とパワフルだね、未来」
引っ張られた腕がちょっと痛いくらいパワフル。ちびっ子の体力って恐ろしいね。
ぴょこぴょこ揺れるオレンジ頭に連れられて、昨日と同じ部屋に案内される。
ジュン……えーっと、望月さんだっけ。アキトさんが保護者として十分かを見る為に来てる警察の人。
「ジュン! ミナ連れて来た!」
「おかえりー。それと、初めまして、望月純です。ミナ……ちゃん、で良いかな?」
ミナだよ! と、私より先に元気いっぱい返事をしたのは未来。違う違う、そういうこっちゃなくて。
望月純と名乗った警察官は、随分小柄で大人しそうに見えた。けど……
「あー、はい。花渕美菜です。お邪魔します」
「お邪魔してるのは私もなんだけど……ごほん。原口さんから連絡は貰ってます。凄く真面目な良い子だって」
ちっ。やば、舌打ち出たわ。誰が真面目な良い子だ、あのおっさん。
しかし、ここは堪えよう。堪えるようなことも特に無かった気がするけど、大概のことは堪えて流そう。
もし、アキトさんに悪い交友があると思われたら。
未来や真鈴にとって悪影響を及ぼしかねないと判断されたら。
私の所為でアキトさんがふたりといられなくなったら。それは……嫌だし、美学に反する。
「ミナも食べよ! はんばーがーっ! いっぱいあるわよ! 美味しいのよ! えへへー」
「ん、はいはい。ハンバーガーね…………? ハンバーガー? や、未来? どんだけ食ってんの? ちょい待ち、それいつから食べてる? いくつ食べた⁈」
私の問いに未来はキョトンとしてしまって、首を傾げたままバーガーの包み紙を剥き始めた。
こらこら、ちょいちょい。今何時。五時ちょい。
これは……晩御飯? それともおやつ? んで……
「……そのさ、そっちに転がってる袋は何……? それはお昼の……?」
「んーん、さっき食べてたの。ジュンが買って来てくれたの。美味しいわよ!」
や、美味しいのは知ってる。
知ってるけど……ちょい待ち、ジュンさん。アンタ何時に来たの? 何時にそれ持って来たの。
んで、それどういうつもりで食わせてんの。
「こんな……こんな時間にこんなに食べさせたら——晩御飯入んなくなるでしょうが——っ! 何考えてんだアンタ! 大人でしょうが——っ!」
「ひいぃっ⁈ ご、ごめんなさい! その、未来ちゃんいっぱい食べてくれるから、つい……」
限度がある!
転がっているのは多分一番大きい紙袋——家族で買ったらこんなもんみたいな大きさの袋……が、四つ。
未来が大事そうに抱えてるのも同じサイズ。
うちひとつはジュースだとして……ちょい待ち、マジで何個食ったのこの子。
「未来。ご飯はちゃんと決まった時間に食べなさい。アキトさんも準備してくれるし、私だって作りに来てあげるから」
ミナがご飯作ってくれるの⁉︎ と、なんだか都合の良い部分だけ聞き取られてしまった感じあるけど……まあいいわ、それで。
未来は大急ぎでバーガーを貪って……二個、三個、四個……五個いったね。
凄いね、みるみるうちに消えたわ。そんな入るんだ、ふーん。でも、暴飲暴食はダメ。身体に悪い。
「はあ。バランス悪いし、同じものばっか食べちゃダメだよ。アキトさんにもその辺仕込んどくから、色々食べないと」
「むぐむぐ……ごくん。いっぱい食べたわよ? チーズのやつと、お肉たくさんのやつと、ちょっと辛いやつ。それにポテトも食べたわ!」
わぁ、いっぱい食べれて偉いね。じゃなくて。
それ同じだから。栄養が偏りまくってるって話だから。
はあ……しょうがない、晩御飯で足んないとこ補うか。
いや、そもそももう入らないんじゃない? 流石にもう無理じゃない?
だって、少なく見積もってもバーガー二十個……? や、真鈴とジュンさんが食べた分は別だろうから……
「……? 真鈴は? 真鈴はどしたの? まさか、食べてすぐ寝ちゃってる?」
「マリンは今日はずーっと寝てるわ。昨日出掛けたから疲れてるみたい。私と違って、あんまり体力無いのよ」
未来のバイタリティと比べちゃったら、アスリート以外みんな体力無いって。
でも……ずっと寝てる、か。それもまたあんまり良くないね。
「……ん。それじゃ別で作って持ってって……いや、真鈴も食べられそうなものを作るべきか。
未来、晩御飯作っとくからさ、アキトさん帰って来て、お腹空いたら食べな。今はもうお腹いっぱいだろうし」
「ごはん! まだお腹いっぱいじゃないわよ! まだまだ食べられるわよ! えへへー、ミナのごはんーっ」
まだ入るんだ……へー。
いっぱい食べるって言うなら、それはそれで作り甲斐あるし、いいけど。
さーて、何にすっかね。と、他所様の冷蔵庫を開けるのはやや気が引けたが……どうせアキトさんが家主みたいなもんだし、いいや。
「野菜はある……肉もある……んー……調味料とかは……」
出汁、無い。でもめんつゆはあるわ。塩胡椒もある。醤油、チューブの生姜。以上。アキトさん……本当にこの子ら預かれる……?
お皿もそんなに無い……のは、暮らし始めて間も無いからだろうけど。
「……野菜いっぱい食べられるもの。んで、出来れば真鈴も一緒に食べられるもの」
起きて来た時自分の分が無いんじゃ泣いちゃうでしょ、あの子。未来より小さいし。
てなると……鍋かなぁ。流石にめんつゆだと……や、いけるか?
流石にこれ単体でやったことないけど……いける……か?
「…………買い物行ってくるわ。未来、また帰って来たら鍵よろしく」
「お買い物ですか? だったら私も……」
荷物持ちが必要でしょう。と、名乗り出てくれたのはジュンさんだったけど……や、子供ら残してどうすんの。ちゃんと見ててやって。
荷物持ちが必要なほどは買わない……必要になるほど食べる……? その子、そんなブラックホールみたいな胃袋してんの?
「……未来、一緒に行く? 何食べたいかとか、見た方が分かりやすいっしょ」
「行くっ! えへへー、お出かけお出かけー」
可愛。えー、マジかわだな、こいつ。
お出かけと分かれば急いで準備をする、すっかりお姉ちゃんっ子になったね。
はー、マジでやばい。養いたい。うちの子になんないかな。
アキトさんより私の方が保護能力高いと思うんだけど。
「ミナ、どこ行くの? すーぱー? こんびに? それとも昨日のでっかいとこ?」
「んー、まあスーパーかな。それよりお嬢さん、口の周り汚いまんまだよ。ちゃんと顔洗ってき」
こら、手で拭わない。
やー、どうだろ。私にこの子御し切れるかな。アキトさん、アレで意外とタフだからなぁ。
駄々こねられまくっても、子供相手に癇癪起こすとか無さそう。
私は……どうだろ。短気な方だと思うし、向いてないかも。
顔をびしゃびしゃにしたまま現れた未来の顔をタオルで拭いて、私達は近所のスーパーに向かった。
ひとまず鍋にしよう、方向は。んで、何入れるか。味をどうするか。
流石に出汁取ってる時間は無いし、市販の鍋の素でやるかな。美味しいし、こういうの。
あとは未来に好みを選んで貰うだけ。さ、何にする?
お疲れ様でした! 明日からも気合を入れて頑張ります! と、それはそれはもう必死に……挨拶まで必死にやって、僕は家路に——マンションへの家路に就いた。
まあ、明日は休みでいいよって言われちゃったんだけど。
僕としては失敗を取り戻したかったけど、店長目線ではまた倒れられても困るってのがあるし。
「……はあ。これでせめてもう一方が進んでるんならなぁ……」
兄さんにも勘付かれてたらしいし、やっぱり僕に隠しごとは無理……か。
でも、巻き込めない。巻き込まない為に話さないとは決めた。
そもそも未来も真鈴も、全部終わったらいなくなっちゃうんだ。後でそれを説明するのも大変だし……
「……いなくなっちゃうんだよ……そう。そうなんだよな」
ぎゅうと胸が痛くなった。
ふたりがこの世界からいなくなる。それは悲しい、寂しい。
せっかく戦いなんて忘れて、笑ってられる世界に来たのに。
ハンバーガー食べて美味しいって笑ってるだけで良い世界なのに、それもすぐに無くなってしまう。でも……
それ以上に、あんなに仲良くなった花渕さんとの別れがつらい。未来もつらそうにしてた。
でも、花渕さんだってきっと寂しがるだろう。
あんなに懐かれて、あんなに可愛がって、急にいなくなったら寂しいに決まってる。
お別れを言う時間があるかどうかも分からない。今までの召喚を思えば……っ。
「……っ。いかんいかん、顔に出るぞ。ここは楽しいことだけ考えて……」
よし。と、顔を叩く。もう大丈夫、頭の中お花畑。
カードキーでエントランスを抜けて、そしてエレベーターで三〇八号室を目指す。
花渕さんがご飯作ってくれるって言ってた。そう、花渕さんが。あの花渕さんが。
花渕さんの料理が食べられるんだ! 外食より豪華!
「ただいまー……もう良い匂いがする⁉︎ すんすん……この匂いは……」
「ちょい、行儀悪い。おかえり、アキトさん。
なんか真鈴がへばってるって聞いたからさ、生姜いっぱい入れた鍋にしたよ。
雨降ったりで最近寒いし、あったまった方がいいっしょ」
おかあさん……っ。
いかん、幻覚が見えた。違う違う、そうじゃない。
せめて新婚さん。新妻。無理……ダメ……ママ……っ。ママみに溢れる……
「やっと帰って来たわね! 早く! ごはん! ほら、ジュンも! 今日は食べてくでしょ?」
「え……? あ、いや……でも……」
いいから食べてき。外寒いよ。と、ママからおばちゃんにジョブチェンジした花渕さんに無理矢理座らされて、望月さんはちょっとだけ困った顔をしていた。
まあ……でも、この場合はセーフでしょうよ。
「僕からじゃなくて花渕さんからですし、これは多分セーフですよ。うん……むしろマイナス付くかもしれない……っ。
女子高生に子供の晩御飯の面倒お願いしてる大人……」
「ちょい、そこ。何暗い顔してんの。どうせしょうもないボケしてんでしょ。そんな暇あったら手洗ってきな。
で、そのまま真鈴起こしてきて。アキトさんにしか懐いてないし、私らが行くわけにいかんでしょ」
あ、はい。真鈴……まだ人見知りしてるのか……
言われるがままに洗面所に向かい、そして寝室でこっそりリビングの様子を窺っていた真鈴を迎えにいく。このポンコツ……っ。
僕と未来と真鈴と、花渕さんと望月さん。小さなちゃぶ台に五人で向かい合って、花渕さん特製の鍋を囲んだ。
「未来、まだ待ち。ちゃんと手合わせて。はい、いただきます」
あ、それ僕の仕事……ぐすん。全部……全部取られた……っ。でも、未来が嬉しそうだから良し。
僕も食べよう、ちょっとだけ。帰ったらご飯あるし、ちょっとだけだけど。
ちょっとだけ……うまっ。え? いやいや、ちょっとだけだから……うっま。
いや……ちょっと……ちょっとだけにしないと……うっっっま⁉︎ 鍋、うっま!




