第三百四十八話【お仕事優先! 最優先!】
花渕さんは巻き込めない。いいや、花渕さんだけじゃない。
他の誰も——普通に暮らしてるだけのみんなを、あんな危ない化け物退治なんかに巻き込んじゃいけない。
そう未来と誓って家路に就いて、僕は晩御飯もそこそこに布団に入った。
巻き込めない、僕たちでなんとかする。それは大事だし、間違いなく遂行しなくちゃならない。
でも……うん。秋人には、他にやるべきことがちゃんとある。だから。
「——おはようございます! 昨日は申し訳ありませんでした!」
「あはは。おはよう、原口くん。張り切ってるね」
張り切りますとも!
秋人としてやるべき最低限——働いてお金を稼ぐ、家族に恩を返す、店長や花渕さんに恩を返す。
それらと並行して、未来達の保護者として認めて貰う。
そのどれもを叶えられる素敵な職場、板山ベーカリーで、僕は朝っぱらから陳謝していた。
サボりは重罪、無断欠勤は色々まずい。だって、これ前にもやらかしてるもの。しかも二回も。
「そう大ごとに捉えなくていいよ。そりゃあ無断欠勤はとても見過ごせるものじゃない。君の場合初犯でもないしね。でも……うーん」
「うーん……って……? いえいえ、僕自身は大ごとに捉えないとまずいでしょう。初犯じゃない……というのも……はい、重く受け止めております」
でもねえ。と、店長はなんだか呆れ顔で笑っていた。
ぐ……もう信頼が無いのか……? 結局またやるでしょ? と、そう思われているのか……?
ぐぐぐ……何も否定出来ん……三度目ともなるともう言い訳のしようもない……っ。
「……全部ケンちゃんに聞いた話、事後確認での話だよ。
一回目。君、倒れてたんだってね。二回目……も、そうだね。今度はもっと長い、三週間も寝たきりだった。
病気……は、見つからなかったって聞いてる。でも、とても健康な状態にあるとも思えない。一年足らずの間にずいぶん痩せちゃったしね」
だから……じゃないけど。と、店長はちょっとだけ言葉を探してる様子だった。
うん……事情、どうしようもない理由はあった。
でも、それは全部アギトの事情だ。
それに引っ張られてしまうのは仕方ない……って、そう考えるのはダメだと思うから。
ふたり分の幸せ貰ってるんだから、ふたり分の義務も背負うべきだよ。
「……今回も、君より先にケンちゃんに電話したんだ。時間になっても来ないけど、また何かあったのか、って。
そしたら、ケンちゃんより先に家は出てた……って。それと……」
最近よく遠出してるらしい。最近帰りが遅いらしい。最近、また顔付きが変わったらしい。
店長はらしいらしいと、文字通り聞いた話を僕にしてくれる。
兄さん……やっぱりちょっと気付かれてたんだな、僕。
「咎めるよ、無断欠勤は。今回は体調も問題無かったみたいだし、うっかりなんかで仕事ほっぽらかされちゃ堪ったもんじゃない。
でも……まず、君が無事だったことを喜びたいし、君がまた何か変わろうとしてることを応援したい。
こんな言い方は酷いかもしれないけど、君はまだ……まだまだ未熟だから」
それは……そもそも僕に一人前までは期待してなかった……ってことだよな。
悔しいと本気で思った。
ぐっと拳を握ったのを見抜かれて、店長には優しく笑われてしまった。そうだよ、そういうことだよ、と。
「君が逃げ出したのは十三歳、まだ中学生の頃だね。
そして、まだ真っ当な生き方をし始めて一年も経ってない。当然、信頼なんて無い。子供扱いだよ。
だからこそ、君にはまだ間違えるチャンスを与えても良いと思ってる」
これで不貞腐れてしまうならそれまで。悔しいと歯を食い縛って今度こそ真っ直ぐ立ち向かうなら、いつかはちゃんと社会人として認められる日が来る。
そう続けて、店長は珍しく厳しい目を僕に向け、告げる。君はもう瀬戸際だよ、と。
「君は自分勝手な理由では人に迷惑を掛けない。それだけは信用してるから、信じようと思わせてくれる姿を見せているから、今回の件を重く見るつもりはないよ。
ただ……相談出来る範囲で相談はして欲しいな。ケンちゃん、凄く心配してたよ。変なことに巻き込まれてなければいいけど、って」
「うっ……それは……」
でも、自分から言わないなら聞かないって。と、店長はそれだけ言って、さあ仕事しよう! と、キッチンへ入ってしまった。
僕が自分で言わないなら、兄さんも店長も咎めない、か。
それは勿論、心配しないって意味じゃないだろうけど。
でも、手伝わない——手伝えないって意味は含んでるんだ。
「……ごめんなさい。それでも……っ」
きっと相談したらちゃんと話を聞いてくれる。力を貸してくれる。
だけど、ふたりは僕にとっての恩人で、僕にとっての護るものだ。
この問題は——アギトとして解決しなきゃならないこの問題は、絶対にみんなには押し付けられない。
「——っ! 仕事! 切り替え! 働けバカアキト!」
ばちぃん! と、久々に思いっきり顔を平手で引っ叩いて、昨日人手が減ったことを思わせないくらいちゃんと準備された店内を掃除する。
打ち明けない、相談しない。不義理を働く以上、やるべきことはちゃんとやる。
まだ全く無いと言われた信頼を、今から築いていくんだ。
僕がやる気を出すとお客さんが来ない。
なんとなく自分の中にあったジンクスが今日も発揮されて、お昼頃に花渕さんがやって来るまでは、ずっと暇な時間を過ごし続けてしまった。
このモチベーションはどこへ持っていけばいいんだ……っ。
「はよーっす。で、怒られた? 流石にこってり絞られた?」
「おはよう。怒られた方が良かった……とだけ……」
あー。と、花渕さんはなんとなく思い当たる節があるなぁって顔で目を逸らす。
やめて。その、みんな最初から君には期待してなかったよみたいなの、本当にやめて。いや、僕が自分でやめさせるんだ。
「……ま、私もひとのこと言えない立場だけどさ。
それなりに好き勝手やってられるのも、まだ子供だから。
本当に責任取らなきゃいけない歳だったら、きっと店長は私のやることもっといっぱい制限してたと思うし。
そう考えると……この店よく持ち直したね。いっそ落伍者更生施設として作り替えた方がいいんじゃない?」
「……わ、笑えない話だね……それはまた……」
もっとも、そんなのも私らがきちんとこのまま成果出してからの話だけど。と、花渕さんはそう言って更衣室へ向かった。
そう……だね。それも本当にそう。
正社員にはなったけど、まだ仕事内容は店長のそれとは程遠い。
店舗管理の責任を……とまではいかないけど、せめて営業と運営と仕込みについてはひとりでやれるようになんないとな。
「あー、ところでさー。そのー……えー……あれ。話、した?」
「あれ……? あー……うん、あれ、ね。うん……」
ドア越しに聞こえる声の、なんと要領を得ないことか。花渕女子らしからぬキレの悪さ。
それもそうだよね、そんな大声で出来る話じゃないもん。
そもそも花渕さんに内緒だった時点で、誰にも相談してないんだろうなって思われてそう。
このおっさん、どうせ家族にも相談せずにひとりで抱えてんだろうな、って。いえ、事実ですけど。
「私はアキトさんより先にあがれるからさ、早めに様子見に行くよ。晩御飯の準備ってしてある? 無いならやっとくけど」
「え? 良いの? た、助かる……昨日大急ぎで帰ったし、今朝もこっちに真っ直ぐ来たから、朝昼とおやつの準備しかしてなくて……」
そんだけちゃんとやってんの、偉いね。なんて花渕さんは微笑ましげに頷いているが……それ、どういう感情?
ちゃんとお母さんやれてるじゃん。みたいな、母親……もといおばあちゃん目線?
後輩(数日先輩)だし、部下(一応上司)だけど、子供(歳上)にはなった覚えは……
「おはよう、花渕さん。今日はあんまり仕事無いけどよろしくね」
「仕事無いって……ま、そうなるよね。新商品開発はどう? 順調? あのスイカパンより良いの出来た?」
花渕さんの質問に、店長はいやぁと答えをはぐらかして、たった今キッチンから顔を出したのにまた引っ込んでしまった。
そうか……新商品開発どころじゃなかったよね、昨日。
今日ももしかしたら……と考えたら、やっぱり当日の営業を優先したくなる。ぐぬぬ……僕の所為か……
「……ま、店長が許してくれたんなら、もう気にしなくていいでしょ。
普通は反省しなきゃいけないとこだけど、アキトさんは引きずり過ぎるタイプだし。
評価されてる部分は継続としても、マイナス部分は消すしかないじゃん?」
「そうだね……うん、引きずる……引きずりまくるタイプだよ、自覚あるよぅ……」
マイナス部分は消す……か。
仕事が遅い……のは、動き出しを早くして解決しよう。
よし、早速……午後分の陳列は終わっちゃったしなぁ。
掃除も必要無いし、トレーとトングの補充も済んでる。
表の掃除……くらいか……? それも正直この季節は、葉っぱとかそんな落ちてないし……いや、やろう。
午後は今まで通り——再召喚の前と同じくらい、なんとか赤字は避けられるペースでの客入りとなった。
でも、どこかで利益上げないと、お店としてかなり危ないよな。
新商品に望みを託しつつ、僕は僕に出来ることをちゃんとやろう。一人前の大人になる為に。




