第三百四十四話【身悶えるやつ】
とってもとっても満足げな未来を連れて、僕達はやっとのことで大型スーパーに入ることが出来た。
まさか二回もATM使うハメになるとは思わなんだ。やはり侮ってはいけない、勇者の胃袋。
「さてと、ぐるっと回って色々見ていくか。気になるものあったら、ちゃんと声掛けてから見に行くんだぞ。絶対にひとりで勝手にどっか行ったり、立ち止まったりしないこと」
いいね? と、ふたりに言い聞かせるが、果たしてこの約束に意味はあるだろうか。
既に暴走寸前の未来に、ちょっと進むごとに立ち止まっては急いで追い付いてくる真鈴。もうダメな気がする。
「……ま、僕が気を付けてれば良いか。未来、楽しいのは分かるけど目の届くとこに……僕の目の届くとこにいなさい。ほら、真鈴と手繋いで」
「む……なんだか子供扱いだね、急に。僕も侮られたものだ」
いや、子供だし。実際ふたりともだいぶお子ちゃまだし。
未来はそんな僕と真鈴の微妙な空気などお構いなしに、えへへと笑ってそのちっちゃい手でもっとちっちゃい手を握り締めた。
こうなれば大丈夫なのは猫カフェに行った時に分かったからね、最大限活用していこう。
「アキトっ、眼鏡! すいまーさんの眼鏡! ねえねえ!」
「待ちなさい、順番に見ていくから。おもちゃは最後」
あっ、なんか今お母さんっぽかった。
ま、最後なんて言ったけど、おもちゃ売り場がどこかも把握してないんですよね。
だって、大人になってから来たの初めてだもの。
コンビニと近所のスーパーで満足出来ちゃうからね……
「順番に……となったらまずは食料品だな。いっぱい食べるし、いっぱい買っておくか。未来―、今日晩何食べたい?」
さっきたらふく食ったやつに聞くことじゃないな、これ。なんて思っても、未来は元気いっぱいにハンバーガーと答えてくれる。
うん、知ってた。そして泣いた。僕の手料理よりファストフードかお前……っ。そりゃ確かに美味しいけど……
「真鈴は何かあるか? 食べたいもの、食べてみたいもの」
「うーん……そうだねえ。そこは君にお任せするよ。これまでも僕達の知らないものをいっぱい届けてくれたように、今晩も驚きと幸せを振る舞ってくれたまえ」
うっ、ちょっとハードル上げてきたな。
しかしそうなると……うーん。お寿司とか? お寿司良いな。パックのお寿司買って帰ろう。
あとはちらし寿司とか作ろうかな。手巻き寿司とかも楽しいかも。
ふたりとも生魚大丈夫かな? 未来は大丈夫だな、一応。ボーロ・ヌイで克服してるし。
あの後嫌いになったとかは……無いだろ、こいつに限って。
「そうなるとお惣菜コーナーか。いや、その前に野菜と肉買っていこう。未来、そこのカート持ってきて。カゴも……一応ふたつ」
「かーと? これ? この車輪付いてるカゴ? へー、こんな小さな荷車があるのね」
荷車……うん、そうね。その通り。
カートで遊んじゃうかな? なんてちょっとだけ心配したけど、流石にそんなことはなかった。
馬車やら手押し車は向こうにもあるからね。それが便利な道具だって分かってる以上、今更遊び場だとは誤認しない。
僕は子供の頃、あれ持って走って怒られたけど。
「えーと、キャベツ、もやし、たまねぎ……あっ、焼きそばもありだな。麺買って帰るか。それと……牛乳と……」
あれ、買い物楽しい。ふたりが何食べるかなって考えながらする大きいお店での買い物、めっちゃ楽しい。
甘いもの好きだし、三個入りのプリン買ってってあげよう。
大きいヨーグルト買って毎朝食べよう。それにバナナとジャムも入れてあげよう。なんて、色々考えてしまう。いかん、お母さんになってしまう。
「そんなに買って大丈夫かい……? 今日いっぱい食べさせて貰ってるし、あんまり無理しなくても良いよ。
僕はちょっとくらいの絶食にも耐えられるし、ミライちゃんだって魔力を使わないなら……」
「ちょっ、そんなに心配しないで。大丈夫大丈夫、そのくらいの甲斐性はあるから。
まあ……うぐぐ……アギトのイメージだと中々難しいかもしれないけど……」
養って貰う側だからね。
真鈴の言葉に未来もちょっとだけ心配そうな顔をしてくれるけど……お前は遅いんだよ、もっと早くに心配しろ。
ハンバーガー食べた後に焼き肉とトンカツとクレープとたこ焼きとおかわりハンバーガー食っといて今更どういうつもりだ。
お金の心配は要らないよって何度も何度も説得しながら、食料品の次に衣料品コーナーへと足を向ける。
タオル買って、洗剤買って、服……は、今度ゆっくり見よう。
オシャレしたいだろうし、こんな片手間でぱぱっと選ばせるのは可哀想だ。
靴も同様、サイズの合う合わないもあるしね。
「さて、ひと通りは買ったかな。じゃあ帰——」
「——らないわよ! 眼鏡! すいまーさんの眼鏡! 忘れんじゃないわよ!」
っと、そうだったそうだった。大事なものを忘れてたよ、ごめんごめん。
ばしばしと僕の背中を叩く未来の手にも力が入ってる。
そうだ。子供にとっておもちゃを買って貰う約束は、他の何よりも重大なイベントなんだ。
それを忘れられたとあっては、たまったもんじゃないよな。
「……で、どこにあるんだろ。結局見つかんなかったんだよな、おもちゃ売り場。うーん……電化製品コーナーか? その奥とか……?」
分かんないわ。取り敢えず行ってみよう。と、会計済みの商品もそのままカートを押して、未来の機嫌が悪くなる前に歩き出す。
あっ、時計も買わなきゃ。あの部屋マジで何も無いんだよな。
スマホで分かるから僕は困らないけど、ふたりはそうもいかないし。
「いつまでも借りっぱなしってわけにいかないし、DVDプレイヤーも買うか……? いや、そういうのは電気屋で見た方が良いな。
時計と電池と……エアコンのリモコン、電池なんだっけ……? 単三? 単四?」
「何をぶつくさ言ってんのよ。早く早く、眼鏡―っ」
その眼鏡って呼び方なんとかならんの……?
商品名思いっきり出てたじゃん、能面スイマーEX変身ゴーグル。
せめてゴーグルって呼んであげてよ。微妙なところで愛が無いな、お前。
それはそうとしても時計は必要でしょうが。
壁掛け……は、いらないか。リビングと寝室にひとつずつ……寝室にいる? どうせ寝ぼけてる状態でしかあの部屋にいないよね。
じゃあリビングに卓上時計ひとつだけでいいか。
「……むっ。すんすん……この匂い……」
「匂い? お前本当に鼻良いな。もうちょっと行ったとこにフードコートでもあるのかな? どんな匂いだ? 甘いやつ?」
食べ物じゃないわよ! と、未来はむっとして僕のお腹を叩いた。
痛い痛い、さっきより全然痛い。どうした、やけに不機嫌だな。
未来はちょっとだけ険しい顔で周囲をキョロキョロ見回して、そして僕の背中に隠れるようにして警戒を強めてしまった。
ま、まさか魔獣……? いや、それならむしろ僕の前に出る筈。じゃあ……
「いた! がるるる……」
「いた……? どうどう、落ち着け。何をそんなに威嚇して……あっ」
あっ。げっ。と、目があってすぐにそんなやりとり(?)が行われてしまう、未来が僕の後ろで呻き声を上げながら警戒するもの。
それは、かつて散々子供扱いしてきた宿敵、花渕さんだった。こんばんは。
「こんばんは、花渕さん。買い物?」
「……は? あー、うん。買い物……うん。えーっと……ちょい待ち、どっからつっこんでいいか分かんないわ」
おや、どうしたことだろう。なんてボケるのが先か、現実に目が行くのが先か。
花渕さんが物凄く懐疑的な目を僕に向けるから、ギリギリのところで後者が先。そういえば……
「——こ——ここここれはですね⁈ こ、け、こ、こここけこっこ……結局この子達はですね……」
「あー、うん。いい。そこの説明はいいわ。その懐きかた見たら事件性は低いって分かるし。
それは……うん、いいとして。何その買い物の量。
おつかい……じゃないよね。いや、三十のおっさんにおつかいって言葉も変か。
じゃあ……えーっと……何? まさかアキトさん、その子ら養ってんの……?」
あっ、うん。すごい、説明ゼロで理解してくれた。
流石だなぁ。なんて感心していると、花渕さんは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
なんだってそう呑気なの……と、泣き言をこぼしていらっしゃるが……おや、どうなさった?
「……や、もう怖いから深入りはしないわ。どうなってんの、おっさんの人生。三週間も寝てたと思ったらいきなり子連れになっ——」
美菜ちゃん。と、声が聞こえて、そこで花渕さんの態度が一変した。
姿勢も。しゃきっと背筋を伸ばして、もういつもの不敵な顔はもう浮かべていない。
デンデン氏の前で見せる姿……とも少し違う。これは……
「美菜ちゃん、お知り合い? こんばんは、美菜の母です。いつも娘がお世話になってます」
「おっ、お母さんっ⁈ こ、こんばんは、原口ですっ。娘さんにはいつも面倒をおかけしてしまって……」
花渕さんのお母さん⁈
そ、そうか。親子仲も改善したって言ってたし、そりゃ親子で買い物くらい来るか。
しかし……な、何この花渕さん。お母さんの前なのに、借りてきた猫みたいになってるんだけど。
「原口さん、お話は板山さんから窺っております。美菜が随分お世話になったとか」
「ちょっ、お母さんっ。その話はしなくていいですから。ちょい、アキトさんも! 何見てん……見てるんですか!」
あ——っ。
でゅふ……でゅふふ、かわええ。
そっかそっか、花渕さんお母さん呼びなんだ。
そして……敬語なんだね、家だと。
育ちが良いとはずーっと思ってたけど、想像以上にしっかりした家みたい。
うふふ、顔が赤いぞ。やっぱり恥ずかしいんだな。
まあ、普段と違い過ぎるから仕方ないんだけど。普段からそっちの方が良いのでは……?
「アキト! 眼鏡! 早く眼鏡! はーやーくーっ!」
「こらこら、おっきい声出さないの。すみません、やかましくって」
あれ? ママ友か? 僕、いつの間に花渕さんのお母さんとママ友になったんだ?
まあ花渕さんよりお母さんの方が歳近いのはガチ。ではなくて。
そんなにゴーグルが欲しいのか、それとも花渕さんが気に食わないのか。とにかく未来が拗ね始めてしまった。
ちっちゃい子なんだよ……その行動原理は……
「ちゃんと買いに行くから、大丈夫だって。すみません、それじゃあ」
「それでは……? あの、原口さん。眼鏡屋さんでしたら反対ですよ?」
いえ、本物の眼鏡ではなく。
なんだったら眼鏡なんて全く必要無いスーパーマンです。
もう、眼鏡眼鏡言うから変な誤解されちゃったじゃないか。
「いえ、おもちゃ売り場を探してて。眼鏡ってのは……」
「おもちゃじゃないわよ! すいまーさんの眼鏡は凄いのよ!」
ああもう、話がこじれる。
花渕さん出現により興奮状態にある未来は、真鈴がどれだけあやしても落ち着いてはくれない。
うぐぐ……こういう時に必要なもの……甘いものとおっぱい……っ。真鈴じゃ質量が足りてない……っ。
「能面スイマーっていう特撮にハマっちゃって。それでそのグッズを買いに来たんですけど……こら、暴れないの。もう」
「能面スイマー……そうでしたか。おもちゃ売り場ならこの先をずっと行って……ええと。そうだ、美菜ちゃん。貴女そういうの好きだったでしょう。案内してあげたら?」
時間が一瞬だけ飛んだ気がした。いや、間違いなく飛んだ。
ぶわっと毛穴が開く感じがあって、冷や汗が背中を濡らす。
花渕さん母と未来と真鈴以外の……って言うか、僕と花渕さんだけ時間がごそっとぶっ飛んだ。
完全なる沈黙が数秒訪れて、そして……その後にやって来たのは……
「————へ? な——何——お母さん——っ⁈ な、何言って——好きだったって、そんなの子供の頃の——」
「今だってよく見てるじゃない。あのー……変身グッズ? っていうのも、いっぱい買ってるし」
あっ、だめ。それはダメ。
花渕さんの顔がみるみるうちに赤く……いや、もうダメ、許してあげて。それはダメ、僕にも効く。
うふふ、かわいいなぁ……では済まされない。共感性羞恥というやつだ。
隠れオタのオタバレは————
「————貴女もすいまーさんが好きなの————っ⁉︎」
「————ぴ————っ⁈」
それは純粋な感情。喜び。
自分の好きなものを好む人。人はそれだけでその相手を好きになれる。
花渕さんの手を握った未来の顔にはもう警戒も敵意も無くて、純粋な好意と興味と歓喜が映っていた。
けれど……っ。けれど、花渕さんの顔には……
「未来、ちょっと待った。待て、静かに待てだ。お願いだから」
「むっ、何よ。こら、離しなさい! むぐーっ!」
お願いだから追い討ちかけようとするのやめて!
そこに立っているのは、僕の知る花渕さんではない。
そう。板山ベーカリーの参謀花渕美菜ではなく、たった今オタ趣味を暴露された上に、親にそれを知られていた事実を突き付けられた、あまりにも弱く可哀想な少女であった。強く生きて……っ。




