第三百四十一話【見るものは残っておらず】
皿洗いと片付けを済ませると、まだ朝ごはん食べてる真鈴を待ちながら、昨日撮った写真を未来に見て貰うことにした。
魔獣の足跡……だとその時は思ったけど、一晩経って冷静になったら、違うものに見えるかもしれない。
真っ暗だったのとひとりだったので、勝手に不安になって怖いイメージばかり膨らませてたとかもあり得るし。
「どうだ? こういう足跡って向こうで見たことあるか? とりあえず……うーん……犬とか猫じゃないとは思うんだけど……」
「……比較物が無いから断定は出来ないけど、少なくとも野良犬のものじゃないわよね。大きさは……これくらい? それとももうちょっと大きかった?」
おっと、そうかそうか。足跡だけ画角に収めてしまったから大きさが伝わりにくかったね。
大体こんなもんだよ。と、両手を使ってイメージを伝えると、未来は渋い顔で考え込んでしまった。
「こっちにどんな生き物がいるのか知らないから……いいえ、どんな生き物がいたとしても、こんな人の多い場所、自然の少ない場所に棲息するサイズじゃないわね。
餌の問題もだし、姿を隠す場所も無い。
動物的本能が歪んでるか、或いは偶然紛れ込んだか。どっちにしても、もう近くにはいないでしょう」
「やっぱりそうなるよな……この足跡を追ったんだけど、公園から出ちゃってて追い切れなかったんだよな。雨も降ってたから土の跡も流されちゃってたし……」
そうなると……もう姿を消してしまったのだろうか。
それなら……うん、マシ。
まだ実体を伴ってうろついてるんだとしたら……っ。
ぎゅっと拳を握って気合を入れると、ちょっとだけ悪寒……というか、嫌な視線を感じた。え? 敵? 嘘⁈ 家ん中で⁉︎
「足跡を追った……って……このバカアキト! なんだってアンタはそう危ないことに首突っ込むのよ! へなちょこのヘタレなんだから大人しくしてなさいっていつも言ってるでしょうが! ふしゃーっ!」
「いたい! お前か! お前の眼だったか! 痛い痛い、ごめんごめん! でも、ちょっと遠かったし、寝てたら可哀想かなって!」
誰が子供よ! ふしゃーっ! と、未来の怒りは更に激化し、噛み付かれた首元が段々と痺れて……ちょっ、噛み過ぎ! 血が止まってる! っていうか千切れる! 食い千切られる⁉︎
「それは僕からもお小言をあげないといけないなぁ。次からはひとりで無茶しないでね、まったく。
君はアギトじゃない。それは何も、肉体や性格の細かな違いというだけの話じゃない。
君はアギトのような勇敢さを求められる必要は無いんだ。
今回の君の行いは、蛮勇——或いは無謀、と。ともかく、身の程知らずと罵られるものだよ」
「うっ……お、思ったより厳しいお言葉を……っ。以降控えます……」
やっとご飯を食べ終わったらしい真鈴にまで怒られてしまっては……面目次第もございません……
我ながら危ないことやってるなとは分かってたけどさ。
真鈴は僕の反省を確認すると、よろしいなんて言ってお皿を流しに運んで行った。
うぐぐ……ちびっ子に言われるとちょっと……むぐぐ……
「さて、そういうことなら早速見に行こう。君をただの愚か者から勇敢な先兵に祭り上げるには、僕達で結果を残してあげないと。
もしも魔獣なら……僕達の予想している通りの問題だとしたら、もしかしたら魔力痕も見られる筈だ」
「そうね。今はどんな情報でも欲しいし、新しい術式のヒントも欲しい。早く案内しなさい」
え、めっちゃ上から来られる。ふたりともめっちゃ上から来るやん。んまあ普段から下にいるんだけどさ、僕が。
それにしても……もっとこう、見ず知らずの文明や世界にあたふたしてよ。
もっと僕を頼ってよ、優越感に浸らせてよ。適応が早い。
「その場所は公園……ええと、住宅街よりも自然の多い場所だったんだよね? それで……足跡には、どこかで留まった形跡も無く、その場所を素通りしたように見えた……と」
「しっかり話聞いてたんだな……流石と言うか抜け目無いと言うか。
僕にはそう見えた……ってだけだけど、少なくともあそこに住んでるわけじゃないのは確かだ。
どっか行ったのか、どっか行く途中だったのか、消えちゃったのかは……うん」
そこまでは求めてないわよ。と、未来に背中を叩かれて……それは励ましてる? バカにしてる? まあ……一応励ましてくれてるんだろう。
お前、最近マジで僕に冷たいよな。泣いちゃうぞ、もう。
「魔力痕が残っているなら調べられるけど、そうでないなら僕達でも分かんないだろう。
足跡がある以上は実体を持っていたんだろうけど、しかし雨が降ったんじゃ臭いで追うのも難しそうだね」
「追えるだけは追ってみるけど……流されちゃってるでしょうね」
うう……晴れてたらもっと楽だったのに。
晴れてたら……晴れてたら真っ直ぐ帰ったのでは?
雨が降ってなかったらそもそも僕が見付けてないという説、あると思う。
そう考えたら……良くはないけど最悪でもない……みたいな状況なのかな。
ふたりを連れて昨日の公園までやって来ると、そこには随分薄くなってしまったけど、まだしっかりと足跡が残されていた。
昨日から雨が続いてるから誰も通ってないっぽいのはラッキーだろうか。だろうな。
痕跡が踏み消されてしまっても困るし、見付かって騒ぎになっても困るもん。
「……ま、分かってたけど、野生動物のそれじゃないでしょうね。
堂々とし過ぎてる、怯えが無い。普段からこういう場所に暮らしてるんでなければ、まず間違いなく」
「怯え……って、そんなのも分かるのか。それは……魔力痕とかじゃ分かんないよな?」
動物の習性の問題だね。と、補足を入れてくれたのは真鈴だった。
立ち止まることも周囲を警戒することも無く、真っ直ぐに進んでいるだけ。
飼い犬や飼い猫でも、もうちょっとフラフラするもんだ。なんて言われても……いや、覚えがある。未来は確かにフラフラうろうろしてるわ。
「臆病だからね、動物というのは。人間も含めた全ての動物は、不安のある場所では立ち止まらずにはいられない。ただ真っ直ぐというのは本能的ではない。
周囲を見回し、どこかに安心が無いかと探してしまう。当然、立ち止まって振り返ることもする。
経験や推測という要素が加わると、後ろを振り返るのが怖いとか、早く立ち去ろうとするなんて行動も考えられるけど……」
「そこまでの知性は無いでしょうね。あるんなら、とっくに被害が出てるか、もしくはこんな痕跡を残してない」
とっくに目的を達成してるか、もしくはその妨げになるようなことはしない……か。
ふたりはしゃがみ込んでじーっと足跡を観察しているが、しかし収穫はあまり望めなさそうだ。
未来が苦い顔をすれば、真鈴は困った顔をしている。
点々と続く足跡の先を追おうともせず、一歩目を前に立ち止まってしまっていた。
これはつまり、臭いも魔力痕も感知出来なかったってことだろう。
先を見に行っても、僕から聞いた話以上のものを得られなさそうだ……ってことでもあるんだ。
「一応見に行こうか、奥まで。暗かったし、僕に見落としがあったかもしれない。そうでなくても、一応は全部確認する予定だっただろうけど」
「当然……だけど、もうちょっとだけ待って。念の為に……ね」
念の為……? いったい何を確かめているんだろうか。
真鈴もちょっとお手上げらしくて、未来が何やってるのか分かってなさそうだ。
なら、きっと魔術か錬金術絡みだろう。
それも、マーリンさんに教わったものじゃない。今ここで組み上げているか、ここ最近で作り上げたなんらかの術。
その将来を全て失った真鈴には見ても分からない、新しい可能性なんだろう。
「……うん、よし。さ、追っ掛けるわよ」
「もう良いのか……マジで何やってたんだ……? そういうの絶対説明してくれないよな、お前らって」
ら……? 僕も⁈ と、驚いているのは、説明が足りない人筆頭の真鈴だった。完全なおまいう案件だわ。
しかし今回は被害者(?)側。これで普段の僕の苦労を思い知れ……じゃなくて、一緒に振り回されようね。
未来を先頭に、足跡を辿って公園を抜けはしたものの、しかし昨日僕が見た以上のものは見つからなかった。
臭いや魔力痕についても同様、これといった手掛かりは無し。
ふたりの見解は、これもまたやはり昨日の僕と同じ。
魔獣はここをただ素通りしただけ。まだいるのか、それとも消えたのかも分からない……というものだった。
「はあ。冴えない結果になったわね、それにしても。分かったのは、もうこれだけ大きい個体も出現するようになったってことだけ。急かされるばっかりで、何も手掛かりが無いままだわ」
「そうだねぇ。大きいものは出現させるのが難しい……という法則があるのかも分かんないけど、単純に考えたらそうであるべきだろう。特に、質量を伴うのなら尚更ね。
材料を用意するのでも、その必要は無いのであっても」
もう事態はそれなりに進行している……か。
それなのに、こっちから打つ手無しなのは胃が痛くなる。
しょうがない、切り替えよう。と、そう言い出したのは真鈴で、また家に帰ってお勉強の続きを提案した。
うん、それは賛成だ。雨の中外で遊んでると風邪引くしな。
「ちょっと勉強したら、気晴らしにお出かけしような。洗剤とかタオルとか、これから雨が続くかもしれないから沢山買っておこうと思って。あの部屋、ちょっと物が少な過ぎるし……」
「そういうことなら、見たいものがあるわ。ううん、買いたいもの……欲しいものかしら。どこに行ったら売ってるのかしら」
おや、欲しいものとな。言ってごらん、お兄ちゃんが買ってあげるから。
未来はうきうきした顔で帰り道を急ぎ始めて、よほど魅力的なものを見付けたらしいことだけは分かった。でも教えてはくれないのね。
またバーガーじゃないだろうな、お前。そんなにハマったんか。まあ……美味しいのは認めるけどな。




