第三百三十七話【勤勉な勇者】
ご飯を食べてすぐに家を出て、バスに揺られて市内の図書館へと向かった。
猫カフェの時もそうだったんだけど、バスや電車自体にはそこまで驚いたり喜んだりしないんだよな。
曰く、既に知ってるものの延長なら、そこまで驚かない……とのことだけど。
「結局は馬車の延長、汽車の先の姿に過ぎないもの。ここがより発展した世界だって知ってるなら、このくらいは受け入れないと話にならないわ」
「むむ……そうか。それはそれでちょっと寂しいな……」
いつまでもおにぎりに驚いたりしないわよ。なんて未来はフンと鼻を鳴らして、他に誰もいないバスの中で吊り広告やら窓の外の標識やらをじーっと睨んでいた。
今はとにかく言葉の勉強……か。一直線だな、相変わらず。
「そろそろ着くな。お金渡しとくから、僕がやるのと同じように箱に入れてくんだぞ。最初に取った紙も一緒にな」
「運転手ひとりで精算も行うのかい? それとも、また素晴らしく怠惰な発明品があるのかな? なんにしても、この世界にある“仕組み”は、どれもこれも面白いものばかりだ。なんとか向こうでも使えないものかな」
それは……うーん、どうだろう。機械で自動管理してるものについてはちょっと無理な気もする。
でも、そうじゃないものは頑張ったら出来そう。
ただその……魔術を活用すれば、って前提で。
誰にでも出来る、どこでも使える……となるとまだちょっと難しいのかな。
図書館に到着すると、早速未来はアルファベットの書かれた本……英語の本を探し始めた。
始めたけど……残念ながらと言うべきか、それとも幸運なことにと言うべきか。きっと前者……これは困った問題だろうな。
今時じゃ日本語だけの本でも、表紙やタイトル、ラベルなんかにアルファベットは使われている。
本棚を漁り始めた未来が混乱するまでには、そう時間も掛からなかった。
「……? これも……これも違う……これは……これも……? ねえ、アキト……」
「分かってる分かってる、欲しいものとは違うんだろ。ちょっと聞いてくるから、ふたりは座って待ってて」
静かにしてるんだよ。と、そう念押しして、僕は司書さんに英語の本の在処を……聞きに行くのはちょっと恥ずかしいと言うか、やっぱり苦手と言うか……アレだな、デンデン氏のこと言えないな。
店員としてお客さんと接するのは慣れたけど、制服着てないと自分から行くのちょっと嫌だな。
「こういうやつの為に検索用のパソコンがあるのかな……? っと、これ使うならふたりにも見せてやれば良かった」
あとでもう一回来るか。
しかしこうなるとアレだな。安いので良いからパソコン買って……ああ、ネット環境が無いのか。
工事入れて……とかやっても、ふたりが帰ったら意味無くなっちゃうもんな。
ポケットWi-Fiとか契約すれば自分でも使えるし、そういうのはありかな?
「……っとと、今は英語英語。英語……アルファベット? 最初はアルファベットの勉強からした方が良いのかな……?」
あったよね、小学校で。
いやでも、もう読めるわけだからいらないのかな? 分かんないし、どっちも持って行ってやろう。
いるいらないは、僕よりふたりに判断して貰うべきだ。
子供用のアルファベットの本、児童向けの英語の教材、そして本格的に英語しか書いてない本を持ってふたりの元へと戻ると、そこには既に近くにあったのであろう歴史書を読み耽るちびっ子の姿があった。こらこら、英語はどうした。
「持ってきたぞ。何読んでんだ? また随分難しい顔してたけど」
「これ……この西郷隆盛って人の本。この人はどのくらい昔の人なの? こうして書に残されて伝えられてるところを見ると、とんでもない功績を挙げた人なのよね。まだ生い立ちしか読めてないけど……」
西郷どんか。
いや……その……ごめんな。僕はそういうのほんっとうに勉強しなかった人間だから……っ。
しかしそこまでのビッグネームなら多少は分かる。その……アレだよ。薩長がどうの……とかの……
「……戊辰戦争……なんて言葉がある以上、この人は軍人だったのかしら。それとも騎士? どっちにしても……意外と言うか……ううん、ちょっと違う。少しだけ……うん、がっかりしたわ」
「がっかり……? それはどういう……」
この人がとってもとっても昔の人だっていうなら、そこまで大きな落胆でもないんだけど。と、未来はそう前置きして、そして凄く寂しそうな顔で本の背表紙を撫でた。
故人を悼む……というのは未来らしいけど、それを歴史上の人物にするのは少し…………ああ、そっか。これはアギトがそうだったのと同じか。
「……こんなに発展しても、進化しても、平和になって綺麗になっても、争いごとは残ったままなんだな……って。
ならきっと、私達の世界はまだまだ争ってばかりいるんでしょう。そう思ったら……」
「……そっか。そうだな……それは確かにガッカリするよな」
僕もかつて、今の未来と同じ顔をしていたんだろうか。
物語の中の英雄、魔獣と戦い続ける巫女。マーリンさんに初めて会った時……は、めっちゃ失礼なこと言って…………その……タマを……っ。ごほん。
歴史上の人物、教科書の中の人、遠い存在。
そういう認知が無い未来にとっては、西郷隆盛も近所のおじさんも変わらないのだ。僕にとってマーリンさんがそうだったように。それが戦争だなんて……
「さ、今はそれより勉強よ勉強。後ろ向いて落ち込んでも仕方ないわ。アキト、早くその本よこしなさい」
「お、おう。とりあえずこれが……」
子供向けの本。これが小学校くらいの教材。これがガチ英語の本。
しまった、中学とか高校の教材も探せば良かった。なんて後悔をする暇も無く、未来は片っ端から目を通し始める。
お前読むの早いな……速読ってやつなのかな、それ。
「……僕もなんかするか、勉強。せっかくの機会だしな」
未来も真鈴もすっかり集中しちゃってて、怠惰なままでは話し相手も暇潰しも存在しない。
せっかくだから、今まで未来が読んでた西郷どんの本を読むか。
こういう歴史上の人物の本は、図書室でたまに読んでたんだよね。まあ……漫画のやつだけど……
「うっ……いきなり難しい感じがする……っ。いやいや、僕だってラノベいっぱい読んで来たんだ、この程度では怯まんぞ」
ばっちこい活字! ああっ、なんかちょっと堅苦しい言い回しが多い。
なんか……なんかちょっと拒まれてる感があるよぅ。勉強してから出直せって言われてる気分。
だからその勉強をしたいんだよ! この本で!
僕が西郷どんの本を半分くらいでギブアップした頃、未来は既に全ての本を読み終わっていた。
何やらメモ帳に色々書き殴っていて、どうやら式の組み上げをしているらしいとは僕にも分かる。
分かるが……ひぃん……書いてあるの全部英語だ……怖いよぅ……
「も、もうこんなに……っ。やっぱり凄いな、お前は……」
僕はこんなじゃなかったぞ……?
向こうでお前に文字を教わったけど、自分の名前書くのにもひーこら言ってたのに。
うぐぐ……これが……これが普段の差か……っ。
いつも勉強する習慣がある分、勉強の仕方が分かってるんだろう。
勉強の仕方って何? とは僕に聞かないでくれ。僕が一番知りたい。
何を勉強したら良いのか分からない。何が分からないのかが分からない。
「……おや、どうかしたかい? もしかして……ふふーん、またいつものかな? しょうがないなぁ、僕が遊び相手になって……とは今回ばかりはそうもいかない。ごめんね」
「い、いやいや……未来の手伝いしてあげて、うん。僕は僕で何か……何かを頑張るから……っ」
僕の手持ち無沙汰に気付いてしまった真鈴が、少しだけ苦い顔で気を遣ってくれた。
やめて。今のそのちびっ子の姿で気を遣われるとすっごくつらい。
いつもは優しいお姉さんだからいいけど、子供に気を遣われるのはめっちゃキツい。
図書館には結局三時間くらい居座ってしまった。
途中までは僕も色々本を……難しい本を読もうと頑張ってたんだけど……結局漫画とラノベしか読んでなかったよ……っ。
最終的には未来に本を献上する係に就いて、英語の教材とあらゆるジャンルの英語で書かれた本を運搬し続けていた。
「……よし、とりあえずはこんなもんね。お腹も空いたし、一旦出ましょう」
「うん、お疲れ。それじゃあどこか食べに行こうか」
時間的には、もうお昼ご飯なんてとっくに過ぎてるからね。そりゃお腹も空くよ。
それだけじっくりがっつりこってり集中してたってことか。やっぱり凄いな、お前は。
「お昼何食べたい? 近くにお店あるといいけど……」
「ハンバーガーっ! またあのハンバーガー食べたいわ! ポテトも付けてね!」
お、おう……いきなり現代っ子になるんじゃないよ……
すっかりお気に入りになったハンバーガー屋でお昼ご飯を済ませると、僕達は午後もまた図書館で勉強に時間を費やした。
持続する集中力があるから勉強出来るのか、勉強してきたから集中力が持続するのか。永遠の謎である。僕は……うん……




