第三百三十四話【もじ、モジ、文字、moji】
魔獣を探し出すのには、やはりと言うかどうしても魔術には頼らざるを得ない。
しかし、ミラがこれまでに培ってきたあらゆる魔術は機能しない。
となれば、今最優先ですべきことはひとつ。
「——新しい魔術を——この魔術の存在しない世界に、新しい因果を刻み込む。
まともなやり方じゃ不可能かもしれないけど、君なら出来る筈だよ、ミライちゃん」
「うん、任せて! まずは……言語——言霊を書き換えるところから。この世界の言語を、適応の強制力を無視して勉強しなくちゃ」
未来はふんふんと鼻を鳴らしてやる気を燃え上がらせていた。
うんうん、良いことだ。それがどれだけ物騒な話でも、あんまり関わって欲しくない危険へのモチベーションでも、ともかくお勉強は良いことだぞ。
うんうん……それは良いんだ、うん。それは。
「……その話、僕のお腹の上でしなくちゃダメだったか? 降りてからでも良かったよな?」
まさかそんな、本当に真面目な話を人のお腹の上で始めるとは思ってなかったわ。
真面目な話するなら真面目な場を作りなさいよ。こんな間抜けな状況で、クソ真面目に企みごとをするんじゃない。
「うるさいわよ、このバカアキト。アンタにも関係ある話なんだから、真面目に聞きなさい」
「真面目に聞かせて! 別に不真面目にしてたつもりはこれっぽっちもないけど、この状況を見てそう思ったんだったら今すぐ降りて! 遊んでるつもりはないんだけど⁉︎」
うるさい。と、未来は僕のお腹をぐいーと押し込んで……ぐえぇ……お、お腹はやめなさいってば……
半年前ならいざ知らず、今はもうそこに肉の盾は無いんだ。
色々あってストレス痩せしたんだ、察してくれ。すっかりボロボロなんだよこの身体も。
「アキト、次はいつ来られるかしら。明日ね、明日よ、明日必ず来なさい。そして図書館へ連れて行って。
まずは何より文字の習得が急務よ。もっとも……簡単じゃないでしょうけど」
「と、図書館……ね……お、おっけー……ぐぇっ。明日……は……うん、ちょっとだけ用事あるから遅れるけど、お昼には来られると思う……うぐぇっ。お、お腹から降りて……」
しょうがないなぁ。と、真鈴は素直に降りてくれたものの、未来が一向に降りる気配を見せない。
なんで……? もふもふ犬ベッドじゃないよ……? もうもふもふ犬ベッドじゃないのよ……? なんだったら肉布団も怪しいよ?
それなのに、どうしてお前は僕のお腹にこだわるんだ。トト□じゃないんだぞ。
「……? ん……? んん? 簡単じゃない……? いや、お前ならそのくらいわけないだろ。
まあ……その……こっちだと単に文字って言っても、平気で四種類はあるけどさ。
でも、読める以上はすぐ慣れる。僕がそうだったし、お前だったら……」
「む……変なとこに噛み付い——四種類……? バカアキト、何言ってんの……? 文字が四つしかないって、そんなわけ……」
いや、向こうの文字ってもっと少なかっただろ。と言うか一種類……数字含めたら二種類? だった……筈。
ごめん、お前がめっちゃ気を遣って簡単なやつしか教えてくれなかった……とかなら……はい。
でも、四種類ってこっちでも馬鹿みたいに多い部類……だって聞いたことあるぞ。
ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット。もれなく全部必須なの、よく考えたら変だなこの国……
「だってアンタ、おにぎりでもう四字じゃない。もしかして同じ文字で読みが違うの? だとしたら……確かに難しいけど……」
「……うん? おう? いや、おにぎりはおにぎりだけど……おおん?」
なんか……話がすれ違ってるな。
違う違う、四文字じゃないよ。と、お腹の上で首を傾げてる未来に伝えると、もっと怪訝な……何言ってんだコイツ、頭おかしいのか。と、そう言いたげな顔をされてしまった。ふ、不服……
「いや、だからね。文字が……えーと……うーんと……ちょ、本とかスマホで説明するから、一回お腹の上から降りて。いつまで乗ってんだお前は」
「むぅ、しょうがないわね。それで、どういうわけよ。
随分発展した世界だと思ってたけど、実はあんまり先に進んでないのかしら。
ひとつひとつの文字で表せるものが少ないから、補完の為につぎはぎで文字を増やした……とか」
いや、そこの歴史はちゃんとは知らん。
ちょっと待ってなさい。と、やっと退いた未来を他所に、僕はスマホのメモ帳にあいうえおとアイウエオを打ち込んだ。
「まずはひらがなとカタカナ。なんか……これは……多分……兄弟……みたいなものだと思う……きっと。
これはどっちも五十音……え、五十だっけ。いやでも五十音順って言うしな。じゃあ多分五十個ある。だから合わせて百か。なんだこれ、多いな」
「な、なんでアンタが驚いてるのよ。でも……そうね、確かに多いわ。ふむふむ……ひとつひとつが音を持ってるのね。なるほど……」
音? うん? 音……とは。
なんだかよく分かんないけど、未来が理解してくれてれば良いや。
ひとまずひらがなとカタカナは……せめて例を見せないとダメだよな。えーと……おにぎりのパッケージで良いか。
これがお、これがに、これがぎ、これがり。これがツ、ナ、マ、ヨはカタカナ。うん……お腹空いてきたな。
「んで……漢字は……説明が難しいな、これ。えっと……これが鮭……さけ、魚の鮭な。あの、ほら。川にいるだろ」
「鮭は分かるわよ。ふーん……漢字ってのはひとつで意味を持つのね。ふむふむ……」
意味……? ううん? なんか……貴女、もしかして私より深いところまで知ろうとしてらっしゃる?
それとも、僕が普通にやってることをいちいち反芻しないといけないだけ? うーん……前者だろうな。
まずもって、未来の理解力は半端じゃない。
常識を知らなかったが故のボケはあったけど、基本的にはちゃんとした子だったしな。
「んで……おにぎりには書いてねえな。えーと……お茶とか……あったあった、これこれ。このGreen teaってやつ。
これが……ええっと……英語で……アルファベットは……日本語じゃないけど……日本語の読み方もあって……」
「……アンタ、絶望的に教えるのがヘタクソね。
でも、なんとなく分かったわ。読めるって……適応って本当に便利と言うか、異常と言うか。
初めて見る文字列なのに、これがどういう音を伴うのかがすぐに分かる。
アルファベットってのは、ひとつひとつは音を持たない……ううん、音を持つ文字と、それを補佐する文字で成り立ってるのね。
一番原始的で、向こうの文字と似た性質のものね」
あ、そうなの? なんて言うと、未来はもうすっっっごい顔で僕を睨んだ。
人があんなに親身になって教えてやったのに。と、そう言いたいのかな? 言いたいんだろうな。
うふふ……み、耳が痛え……っ。
「……なるほど、四種類か。しかし……ふむ。アキト、僕はこれを同一国家……あるいは同一文明内で発生したものではないと見た。
少なくとも、アルファベットというのは、全く違う国で生まれたものだろう。そもそも読みと意味が違うしね。
それと……恐らくだけど、漢字も違うものだ。
ひらがなとカタカナは……どうだろう。外国から流れてきた一方を、使いやすいように改良したものがもう一方……だなんて話もあり得るのかな?」
「えっ? えーと……アルファベットは……か、海外の……です。漢字は……漢字……っ! 中国! 中国から……いや、えっと……外国から来たやつ……だった気がします。ひらがなは………………ちょ、ちょっとググるね!」
うわぁん! なんでふたりとも僕の知らないとこまで突っ走ってっちゃうんだよ! もっとドヤらせて! ええっと……ひらがな……Wikipedia……
「えっとね……えっ⁈ ひらがなって漢字から出来てるの⁉︎ へー……あ、カタカナもそうなんだ。
ほほー……え? じゃあなんで漢字をひらがなで読んでるの……? 漢字と同じ……ひらがな……お……おお……おおお……?」
「おーい、戻っておいでー。しかし……これは確かに大変だね。
ミライちゃん、どうかな。これだけある中から、果たしてどれなら適応の穴を見つけられるだろうか」
宇宙はどうして出来たの? 人間はどうして生きているの? 死後の世界はあるの? シュークリームはなんであんなに……はっ⁈ いかん、一瞬だけ宇宙と繋がってた。
しかし……そ、そうか……ひらがなは漢字から生まれて……それはもういいんだって!
なんだかふたりはそれよりも先の難しそうな話をしてて……ま、混ぜてよ!
「アキト、この中でアンタが一番使わない文字はどれ。無くなっても平気なやつ……だとちょっと違うか。
アンタの生活の中で——この国の普通の人の生活の中で、一番使われてないか、一番学ばれてないか、一番影が薄いやつ」
「影が薄い……うーんと……ええ、ちょっと待って……一番は決めにくいなぁ……」
ひらがな……は、まあ無いと話にならないよね。送り仮名とか読み仮名とか全部そうだし。
カタカナも絶対。漢字もまあ外せない。
アルファベットもめっちゃ使う……あれ? ダメじゃね? 全部必須……というか、使われまくってね?
「……ええっと……し、強いて言うなら……アルファベット……? その……カタカナで済ませちゃうかなぁ……みたいな……無学な僕には……使いこなせてないと言うか……っ」
「アルファベットはそれなりに勉強しないと覚えられないもの……或いは、他の三つがより普遍的に触れられてるものなのね。分かったわ、ありがとう。じゃあ……決まりね」
え、ええ……? 良いの……? その……英語の授業をまともに受けたことがないだけの僕を基準にしちゃって良いの……?
あれだぞ? お前……英語はあれだぞ、ぐろーばるすたんだーど……だぞ?
それをお前……お前……よりにもよって、勉強してない人間代表みたいなやつを基準にしちゃった所為で……
まずはアルファベットを完全に習得する。未来はそう意気込んで、そして晩御飯を要求してきた。
ちょっ、お前さっきバーガーいっぱい食ってただろうが。作るけどさ。
明日は沢山お勉強するって話……になってたっぽいし、子供が頑張るなら大人はその手伝いをしてやらないとな、うん。うん……食費、結構キツイなこのペース……




