第九十六話
「ガァーッハッハッ! 嬢ちゃんいけるクチだなァ!」
「あーっはっは! あーったり前じゃない! ほら、アギトーっ! 飲んでるーっ⁉︎」
おかしい。何がどうしてこうなった。オックス! オックスはどこへ行っ……ダメだ、奴もあっち側の子だった! 目の前に山のように積まれているのは、絢爛豪華……とは言い難くも、食欲を刺激する丸焼きの鶏。それから床下の蔵から取り出された樽と瓶。有り体に言えば……肉! 酒! 女……の子!
「あんたらもねぇー……こーんなとこで油うっれる暇があっらら……アーヴィンにきにゃさーい! あらしがぁ……市長になっらら……ひっぐ。まとめて雇ってやるわよーっ!」
ミラはそんな大言を吹いて、手にしていた木製のジョッキに口を付けた。ゴクッゴクッと良い音を鳴らして、次に顔を天井から背けた時には空のジョッキをテーブルに叩きつける時だった。ダメだ……コイツには酒を飲ませちゃダメだったんだ……っ! と言うかなんでこうなった⁉︎ ええと……ミラがこの盗賊団のアジトに乗り込んで……制圧して……そのままここに泊まるとか言い出して…………
ミラは何事も無かったかの様に、この無秩序に積み上げられた要塞の中を進む。奥へ奥へ、進むにつれて増える倒れた人間の数に僕は肝を冷やす。もしこの中にゲンさんみたいなのがいたらどうするつもりだったんだ。
「しかし……派手にやったな、お前も……」
「当然。罪には罰を。悪党には鉄拳制裁を、よ」
その鉄拳の威力は十分に知っているが、ううむ。通りすがりの小娘に叩きのめされると言うのはどれほど堪えるものだろうか。
僕らは進んだり登ったり、降ったり戻ったりしてひときわ大きな扉の前に立った。恐らくここは元々あった建物の部分の、一番奥に相当するのであろう。他のどこよりも作りがしっかりしていて、仕事も一際丁寧だ。そんな事を考えているうちに、少女は遠慮無くその扉を押し開ける。そこには野盗達の中でも際立って体の大きな——それこそオックスやロイドさん、果てはユーリさんよりも大きな大男が倒れていた。服装や装備も他の盗賊とは一線を画すその姿に、僕は彼がここの頭目だと理解する。
「では、約束通り部屋と食事を分けて頂きます。まあ、魔獣に襲われるよりはマシだったと思ってくれれば良いわ」
「……へっ。魔獣の方がよっぽどマシだったね、これじゃあ」
男は大きなコブをさすりながら体を起こした。ミラに打ちのめされてまだ動ける事がまず一つ目の驚きで、次に彼をさも知人であるかの様に振る舞うミラに驚いた。なにその……一度戦ったらライバル……みたいな絆感。
「…………殺さねえのかい。いや、嬢ちゃんにそれは似合わねえか。憲兵を呼べば良い。いつもならまだしも、嬢ちゃんも纏めて相手取んなくちゃならないってんなら俺達は大人しくお縄につくんだがな」
男は随分としおらしく彼女にそう言った。それは降伏を意味する言葉であったのだろう。
「……いいじゃない、それは。私は宿を探していて、悪漢が襲ってきたから抵抗した。それでいいの。私は貴方達の罪を見ていないし、なら咎める事もないわ」
「そうかい……随分お優しいこって」
おいおい、さっきと言ってる事が違うじゃないか。と、僕はミラにボソリと伝える。しかし彼女は少しとぼけた顔で笑い……そして言うのだ。
「罪には罰を。でも彼らには何もしないわ。彼らが悪だとしても、彼らを否定する事以上の罪は無い。彼らにも彼らの事情があるのだから」
事情というのは? 僕はそれを彼女に問うことはしなかった。街を出てすぐに襲ってきた二人組は、今日の食事にありつくという原始的な望みの為に。それがいかに愚かしく、他人に迷惑な事かなど彼女も分かっている。だが、彼女はそれをただ悪として切り捨てられるだけの非情さ……情に拠らない物の考え方をしきれないのだ。彼女の望みが、万人の幸福だと言うのなら。いつか聞いた彼女の理想の街は、彼らをも受け入れると懐を開くのだろう。
「……しょうがねえなぁ。おうオメエら! 飯の準備だ! お客人をおもてなししろぉい!」
男の威勢のいい号令と共に、フラフラしていた他の盗賊達もなんとか立ち上がり忙しなく動き回り出す。
「嬢ちゃん、ひとつだけ言っておく。俺達は別にアンタを尊敬もしないし許しもしない。だが見逃して貰った事の恩には報いる。一宿一飯、これっきりだ。次に会う時はただの娘っ子と悪党。目が合えば仇として斬りつける。それだけは忘れなさんな」
「ええ……ありがとう。随分と紳士的ね、顔に似合わず」
うるせえと笑い飛ばすと、男はそのまま立ち上がった。そして僕らを座らせる為の席を準備して、酒を取りに行くと言ってスタスタと出て行ってしまった。
「…………おいおい、大丈夫かよ。おっかない事言ってなかったか……?」
「何言ってんの。逆よ逆」
逆……? 僕はミラに問う。呆れた様に彼女はため息を吐いて、相変わらず察しの悪い……と、呟いた。
「私達に彼らの罪の一端を担がせる気は無い、って事よ。盗賊を見逃したんならそいつも賊と同じでしょ?」
「そう……だけどさ」
本当に? 別に彼女の言葉を疑うわけでは無いのだが……都合の良い解釈をしているだけじゃ無いのか? 本当に、本当に恨みを買っていて、今晩にでも寝首を掻かれないとも限らないのでは無いのか?
「安心しなさい。私はあくまでここに交渉のために乗り込んだんだから。交渉が成立したからアンタ達を呼びに戻った。オックスもいるんだし下手なことはしないわよ」
「俺と二人でも配慮してくれよ……」
ミラは笑った。あどけない子供の笑い声はやがて男達の喧騒に溶けて行き、大きなテーブル一杯に料理と飲み物が運ばれて来る。文字通り宴の始まりだった。
オックスは……ダメだ、全く。ピクリとも。死んでいるんじゃ無いかと思うほど動かない。辛うじて生存を確認出来ているのは、豪快にかいているいびきのおかげか。ミラはミラで男達の真ん中で、というかテーブルの真ん中で一気飲みを繰り返して……ああ、もう! 誰だ、アイツに酒なんて飲ませたの!
「いやあおもしれえなオメエんとこの嬢ちゃん! 妹か? 兄妹にしちゃぁ似てねえなぁ!」
「らぁーーーれがいもうとよぉーっ! ういっ……そいつがぁー……あらひのおろうろれぇー…………」
そんなになってもまだ引きずるか! じゃなくて! 流石にこれ以上は収拾がつかなくなる。っていうか大丈夫なのか⁉︎ 未成年で飲酒って……体に害とか……そもそも法律とか……
「なぁーんだよおめえ弟かぁはっはっはっ! ちいせぇ姉ちゃんだなぁ!」
「ちょ、ちょっと! あんま煽んないで! っていうかなんでお酒なんて飲ませてんですか⁉︎」
さっきから僕の頭をペチペチ叩きながらミラを眺めて笑っている頭目の男は、僕の一言に大笑いして…………突然真顔でこちらを向いた。
「…………いや、ガキどもに飲ませるほど酒の備蓄は無ぇんだわ。俺も、あの嬢ちゃんと兄ちゃんが何に酔っ払ってんのか分かんねえ」
「………………はい?」
酒は……飲んで無い……? え? ミラもオックスも……飲んで……無い……?
「あぎろぉーっ! あんらもろみらひゃいよぉーほらぁ!」
「うえっ……って甘。これって……?」
そのままミラは僕に抱き付く様にしてダウンした。うん、息からも……酒臭さは感じないし……うん。ミラが飲ませてきたこのジョッキからも甘い香りだけで……
「はちみつとオレンジと卵混ぜただけなんだけどなぁ。面白いこともあるもんだ。盗賊やってて良かったと初めて思ったよ、がっはっは」
面白いこと……あるかぁ! なんだこの惨状は! 二人して勝手に酔い潰れ……いや、酔ってないのか? 酔ってないけどへべれけで眠って……だぁああ! 僕もやけ酒……酒じゃ無いんだって言ってんだろうがよぉおお!
「ハッハッハッ! 兄ちゃんも大変だなあ! ダッハッハッハッ!」
「だっはっは……じゃ無いですよ……」
結局、宴会は夜通し続いた。ミラとオックスはぐっすり眠ったまま、僕は騒がしさから逃げる様に、しがみついていたミラを抱えて準備された寝床に隠れる。そして横になって朝を待ち続けた。こんな……こんなさみしい宴会は二度とごめんだと、涙で枕を濡らしながら。