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異世界転々  作者: 赤井天狐
最終章【在りし日の】
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第三百三十一話【復帰初日】


 体力はほぼ戻った。精神的にも癒やされた。

 憂いは……ちょっと残ってるけど、預けられる頼もしい仲間に預けてきた。だから……よし。

「行ってきまーす」

 スマホと財布とそれから松葉杖を持って、僕は真っ直ぐ立って歩いてお店へと——板山ベーカリーへと向かった。

 もう大丈夫、働ける、戦える。

 この杖は花渕さんに怒られない為のもの。昨日怒られちゃったからね……念の為に持ち歩け……って……

 おはようございます。と、出来る限り元気にお店に入ると、まず真っ先に花渕さんに睨まれた。ひぃんっ、怖い……っ。

 でも、僕がちゃんと元気になって、そして最低限の備えも持って現れたことを確認すると、呆れた顔になっておはようと返してくれた。うふふ……心配性だなぁ……

「おはよう、原口くん。その様子だと、もう大丈夫そうだね。でも、いきなり無理はさせられない。しばらくはのんびり慣らして行こうか」

「おはようございます。僕はもう大丈——夫……な、つもりですけど、やっぱり何ごともいきなりは危ないですからね! 準備運動はしっかりしないといけませんよね!」

 ひぃっ! 背中をめっちゃ睨まれたのが分かった。

 花渕さん……怒ってるのか心配してくれてるのか分かんなくなってきたな……っ。

 そんな僕達の無言のやりとりを見て、店長はどことなく微笑ましげに笑っていた。

「ひとまずは今日、しっかり仕事を思い出していこう。もし大丈夫そうなら、今週末からでもピークに入って貰おうかな。人手があるってのは頼もしい限りだよ」

「はい! よーし、頑張る……ほ、ほどほどに頑張るぞぅ……」

 ま、まだ睨まれてる……っ。

 しかし……昨日の件と言い今日と言い、あれだな。あんなに忙しい週末にも関わらず、人手よりも僕の健康を優先してくれるなんて。

 もしかしなくても……僕ってあんまり役に立ってなかったです⁇

 え? もしかして、いなくても変わんないから面倒ごと起こされないように配慮されてます⁇

「……だとしたら尚更……っ。よ、よし! まずは……って、レイアウト結構変わってるな。花渕さんいるとこういう仕事早いよね」

「当然、あたしがいてワンシーズン前のレイアウトとか許されないし。ってか店長、そろそろ夏のイベント考えなよ。もう六月だけど」

 七夕くらいはやんなよ。なんて花渕さんは凍り付いた笑顔で店長にそう言った。

 この子いるとやっぱり空気が締まるわ……三月から先月までかなりゆるゆるだったもん……

「七夕……って、なにするんだろ。短冊吊るして………………?」

「ま、その程度で良いっしょ。あんま凝ったことしてもさ、伝わんなかったら意味無いし。

 この近辺じゃそういうの飾ってる場所も無いからさ、あるだけでちょっと違うでしょ。商店街ちょい遠いし」

 で、問題は商品の方だよね。と、花渕さんはちょっとだけ困った顔をした。

 商品……つまりは新作、期間限定メニューだね。

 それはいつも通り、そのイベントにあったものを出せば……

「……あっ。七夕って食べ物なんかあったっけ……? 月見団子……は九月か。たなばた……たなぼた……ぼた餅!」

「あんぽんたん。七夕って別に何か食べる習慣残ってないんだよね、あるにはあるんだろうけど。

 織姫と彦星とか、天の川とか、妙に毎年雨が降るとか、そんなんばっか。どうしようか」

 い、言われてみると、子供の頃から天の川見れたこと無いな。

 あんまりそういうのに積極的じゃなかったとはいえ、いつも曇ってるか雨だった気もするし……じゃなくて。

「そうなると……あ、天の川パン……? とか……」

「……ま、こっちは単に旬のもので行くしかないかなぁ。飾りっ気で勝負しようと思ったら、すぐ近くにケーキ屋もあるわけだし。いや、勝てんでしょ絶対」

 そう……そうだね、無理だ。

 技術とかそういう問題じゃない。そもそも土俵が違う。

 こっちはパンで向こうはケーキ。

 大きな違いは、飾って焼くか、焼いてから飾るかという点。

 天の川……に見えるように計算して形を作って、それから焼成する。こっちはこれが限界。

 でも、向こうはクリームとかフルーツとか、焼いてから飾っていけるから。

 それも一流のパティシエだ、腹立たしいことに。

 ぐっ……なんで普段デュフフとか言ってる奴があんな綺麗なケーキ作るんだ……

「となると……す、スイカパン……?」

「そこは素直にメロンパンにしなよ……。ま、方向性はあってるけどさ。これ以上夏っぽい食べ物も無いもんね、スイカ。

 果物なんて年がら年中スーパーで買えるのに、コイツだけは夏しか売ってないし買わないし食べないもん」

 やや辛辣だけど分かる。夏以外に食べるスイカ、全然イメージ出来ない。

 逆に他の果物で夏っぽいものも……分かるには分かるけど、夏だからって感じのものはあんまり浮かばない。

「スイカパン……スイカパン? スイカのパンってどんなのだろう……?」

「や、一回スイカから離れなって……いや、ありかな? 誰もやってないなら逆にありかも」

 お? おお⁈ もしかして僕、金脈掘り当てちゃいました⁉︎

 でかした、やるじゃん、流石。と、褒めていただける可能性も出てきましたね!

 なんで女子高生に褒められたがってんだ僕は……

「店長、今しがたアキトさんと話しててさ。スイカってパンに使えたりしないかな? 出来れば見た目も寄せれたら良いんだけど……」

「ああ、スイカパン。そうだね、そういうのも良いね。確かどこかのお店が有名だった気がするし、レシピ探して試してみようか」

 えっ⁈ もうあんの⁉︎ 僕も花渕さんもつい驚いてしまった。

 そうか……あるのか……あるのかぁ……っ。うぐぐ……世紀の大発明ならず、か。

 しかし……えっ? 本当にあるの? き、気になる、ググってみよ。

「えーと……スイカ パン 検索、と。うわっ、本当にある。思ったよりスイカ」

「え? ちょ、見してみ。わっ、ホントじゃん。えー、あるんだ。へー……」

 うぐぐ……二番煎じになってしまうか。

 じゃあ……他の果物にする? うーん……でもスイカ以上に夏っぽいものなんて無いしなぁ。

 夏と言ったらスイカとそうめんとカレーだよ。

 え? カレーはフルシーズン? ばっか……ナスとかとうもろこし入った夏野菜カレーってのがだな……

「ふむふむ……これならうちでも作れそうだね、これにしよう。果汁を入れるとなったら、またアレルギーの表記増やさなくちゃね。それ以外に何か無いかな、夏っぽいもの」

「え? や、やるんですか? もうあるのに……」

 そんなこと言ったら、メロンパンだってずっとあるじゃない。と、店長は苦笑いで……い、言われてみれば。

 そうかそうか、別にオンリーワンに拘らなくて良いのか。

 そうとなったら夏野菜カレーパンを! ごろごろ夏野菜カレーパンを是非!

 いや、僕が食べたいとかじゃないよ? ほら、やっぱりカレーは人気だから。

 子供の野菜嫌い克服に一役も二役も買ってくれる、地上で最も美味しい料理のひとつだから……え? いや、だから僕が食べたいわけじゃ……

「あはは、カレーパンね。どっちも材料無いから今日は出来ないけど、明日から試作してみよう。ふたりともお腹空かせて来てね」

「うっ……ま、まあ、言い出したの私だから手伝うけどさ……」

 カレーっ! カレーっ! いやほんと、ご飯が欲しいよ。

 さて、アイデアも出たことだし仕事しよう。

 幸いと言うか……リハビリタイミング的にはちょうど良いと言うか、今日はあんまり混まなさそうだ。

 天気もどんよりしてるし……え? 雨降る? もしかして雨降るの? 傘忘れたんだけど⁈



「お疲れ様でした。じゃあ……えっと、一応また明日……で良いですよね?」

「はい、お疲れ様。そうだね、明日……試食だけしにおいで。隔日で働いて慣らしていこう。もし朝起きて身体がつらかったら連絡してね」

 なんというぬるま湯環境。

 うぐぐ……これがそもそも僕がへっぽこなのと、余計な心配を掛けまくってしまったからだというから問題だ。

 しかし文句は言えないし無理も出来ない。これ以上心配掛けるわけにいかないからね。それに……

「雨降んなくて良かった……それじゃあお疲れ、花渕さん。また明日」

「ん、また明日……アキトさんどこ行くの? ちょっと、おじいさん。あなたのおうちはそっちじゃないでしょう」

 ちがっ、呆けたわけじゃないよ。これはその……ついうっかりだよ。

 そこそこ出た廃棄をそこそこ持って、僕はついついふたりの——未来と真鈴のいるマンションへの道へと進み始めていた。ぐ……確かにボケ老人に見えなくも……

「その、ちょっと遠回りをね。最近いっぱい歩いてるんだ、早く復帰する為に。無理はしてないよ? その……えーと……疲れるくらいには歩こうと思って」

「ふーん。ま、殊勝な考えだとは思うよ。でも、アキトさんは自分の無理無茶の範囲分かってないからさ、あんまし見過ごせないわけで。ほどほどにしときなよ」

 ううっ……顧問の先生みたいだ……っ。ほどほど……うん、ほどほどに。

 お店の前で花渕さんと分かれ、夕日なんて雲で隠れて見えない暗い帰り道をひとりで歩く。

 罠を張りに行く……って言ってたからな、昨日。たくさん歩いて疲れてるのは僕よりふたりだろう。

 だから、パンを持ってってご飯を作って、出来るだけ労ってあげないと。

 無理せずほどほどにしときなよ、って。


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