第三百十九話【もしも明日を知ったなら】
「お邪魔しました。また来るね、未来ちゃん。真鈴ちゃんとも原口さんとも喧嘩しちゃダメだよ」
がちゃん。と、玄関のドアが閉まって、来訪者……望月さんは帰ってしまった。
いえ、来訪者はどっちかって言うと未来と真鈴なんだけど。
DVDプレイヤーは好きに使ってくれとのことだったが、その……ええんか? 私物をぽんぽん置いてったりして。
「無防備……ね。アンタに負けず劣らず、ジュンはかなり無防備だったわ。不意打ちで気絶させるくらいはわけないでしょう。いざって時は……」
「どうどう、なんでそうおっかないこと言い出すんだお前は。いざって時なんて無いよ、あってたまるか」
って言うか、婦警さんと僕とで警戒度が同じってどうなんだ。
これは……あれかな。未来からしたらどれも一緒……みたいな。
或いは、魔獣という脅威に晒されて生きた経験のある僕の心構えが、おまわりさんのそれに迫るものである……とか。うーん……どっちにせよ……
「望月さんに懐いてるように見えたけど……まさか、アレが演技だったとか言わないよな……?」
だとしたら泣いちゃうよ……?
あんなに嬉しそうに、楽しそうにしていたんだ。
なのに、いざとなったら力尽くで黙らせる……なんて言い始めて。
僕としては気が気じゃないと言うか……ぐすん。可愛い妹がささくれてしまった気分だ……
「別に、ジュンのことは本心から好きよ。見せてくれたもの全部、本当の本当に凄いと思ったし楽しかった。
でも、それはそれ。個人的な好きとやるべきことは分けて考えなさい」
「うっ……なんか大人な意見だな……可愛げの無いやつめ……」
ふと思えば、そういえばこいつはそういうのに慣れてるんだったな、と。
市長の代理として振る舞ってた頃、みんなに取り入る為に身に付けたぶりっ子が染み付いて抜けない……ってのもあるだろう。
それとは別に、やっぱりアーヴィンのみんなとの触れ合いは楽しいと、頭の中にあるブレーキと手で触れて分かる暖かさとのギャップみたいなものを、ハッキリ区別して生きるのに慣れている……みたいな。
「それにしても誤算だったわね。ジュンが来ることに文句は無いし、色々見せて貰ったことには感謝もしてる。
ただ……ハメを外し過ぎたわね、どうにも。今から歩き回ったんじゃ時間も限られる。
うーん……本当は今日も散策に行く予定だったのに」
「あはは……ま、僕はちょっと安心だけどね。いやはや……やっぱりギリギリなんだよ、身体が。寝返り打つのにも一苦労で……」
情けないとは言われなかった。ミラとしてはやや負い目もあるのかな……なんて。
終わったこと、それに僕が望んだことだ。この身体のへなちょこボロボログダグダ具合は甘んじて受け入れよう。
しかしそれでも……体力的な限度があるわけで。
「今日は真鈴もずっと寝てたみたいだし、ゆっくり部屋の中で作戦会議……なんて日も良いんじゃないか? まあ……作戦なんて何も立ててないけどさ」
「本当に呑気ね、アンタは……」
むすっとした顔でそうは言いつつも、未来は噛み付いたり飛び掛かったりして来ない。つまりは未来も分かってるんだ。
急いでも焦っても何をしても、僕達が歩き回るだけで得られる情報はほんの僅かなものにしかならないんだって。
この世界だから……とかじゃなくて。ずっとそうだったから、なんとなくだけど。
「お約束とは言いたくないけどさ、今までもずっとそうだったわけだし。
僕としては、ふたりにはここでの生活をたっぷり楽しんで貰いたい。時間もあるって真鈴が言ってたしさ」
「……そうね。その魔獣が本当にまだ幻影だとしたら、はっきり言って今打てる手立てなんて無い。気を張り詰め過ぎるのも良くないか」
そうそう、お前はもっと子供らしく遊んでたら良いの。と、そう言ったら今度こそ噛まれるんだろうな。
でも……いいや、言ったれ。どうして人は分かっていても止められないんだろう。
ふしゃーっ! と、牙を剥いて襲い来る未来の姿に、無情な諦念が浮かび上がって来た。
いや、本当なんで止められないんだろうな。
「痛い痛いっ! 噛むな噛むな……って、ああ。いや……うーん? そういうこと……なのかなぁ?」
「ふぁふぃふぉ……? 何真面目な顔してんのよ、気持ち悪い」
ひどいっ! 真面目な顔しただけでディスられるのは流石にひどいよ! ごほん。
いやね、もしかしたらマーリンさんもこんな気持ちだったのかなぁ……と。
僕をからかったり、ミラを甘やかしたり。ダメだと分かってる時でもやっちゃうのは、こういう約束されたリアクションが見たくて……安心したくてやってたのかなぁ……と。
「ふわぁ……おはよう、ふたりとも……むにゃ。いや……しまったね、こんなに小さな身体にするんじゃなかった。全然起きれない……むにゃ……」
「おはよう、真鈴。その様子だと、今日は演技派子役ではなさそうだね。それで、星見は成功した?」
ぼちぼちかなぁ。なんて大欠伸しながら答える真鈴に、未来は楽しそうに抱き着いて、抱き上げて、DVDプレイヤーの前に座らせた。
凄いのよ! なんて、まるで自分の手柄みたいに興奮してる姿は、やっぱり……十六、七歳には見えないんだよな……
「ふむ……? おお、おおおっ。おお……? これも絵が動くんだね。でも……ふむ?」
「あれ? あれ……うーん? さっきはこれで動いてたのに、おかしいなぁ。アキト、これ壊れちゃったの?」
未来がどのボタンを押そうと、プレイヤーは一向に映像を映し出さない。まあディスク入ってないからね。
しかし、メーカーロゴだけが映された待機画面にも真鈴は不思議そうな目を向けていて、これはこれでこういうものとして楽しんじゃいそうな雰囲気がある。
いや、ちゃんと楽しんで。今ディスク入れるから。
「っと、そうだ。真鈴用にって色々置いてってくれたんだよな。まあ……その……児童向けのアニメだけど」
「ふむ? なんだか分からないけど、これはこのマークを映すだけの機械ではないみたいだ。その箱を使うのかい?
でも……うーん、しかし奇怪だねぇ。本当に予想だにしない娯楽が溢れ返っている。羨ましいやら悍ましいやら」
いや、悍ましくはないでしょうが。悍ましいの? え? まじでそんなに? 妬ましいとかじゃなくて?
僕のそんな矢継ぎ早な問いに、真鈴は口をとんがらせて拗ねたように答えてくれた。
「そういうのもなくはない。でも、やっぱり悍ましい……恐ろしいし、理解し難い。
ここに至るまでにどんな経緯があるのか、それが全く分からないからね。
えれべーたーとやらも大概だが、アレはまだ分かる。
しかし……だ。その……君の持つすまほやこの箱みたいな、娯楽の発達というのは本当に解せない。どこで思い付いてくるんだ、こんなもの。
晴れていれば川で釣りをして、雨が降れば部屋で読書に勤しむ。それのどこが不満でこんなものを求めたんだろうね」
進化は需要の下に……か。
なるほど、確かにそう言われたら……えっ、きもっ。誰だよ、DVDとか開発したやつ。なんでこの薄い円盤に映像が記録出来てるんだ。
い、言われたら全部キモく見えてきた……っ。
「……もっとも、最初は別の目的に使用されていたのだろう。
たとえば……そうだなぁ。地図とか、資料とか、量が増えると紙では持ち運びが不便だからね。
そのすまほにもあっただろう、なんだかやたら動き回る文字が。
きっと出来るんだろう、これまでは紙に記すしかなかった情報を残す手段があるんだ。いやはや……」
「なんでそんなにガッカリするんですか……。ち、ちなみにですけど……はい、メモ帳アプリはあります」
動き回る文字……ってのは、あれか。ホーム画面をスワイプしてる時のことを言ってるのかな。
しかし……す、凄えなこの人やっぱり。当たり前になってるからそりゃ出来るよと言いたくもなるけど、全く未知の状態からG〇〇gleマップを予想するかね。
カーナビすら知らないのに、いったいどうやって予想立ててんだこの人は。
「……うん、やっぱり悍ましい。これだけ平和な世界になるってのに、僕達はどうしてあんなにも野蛮な行為を繰り返さなくちゃならない。
この平穏が、発展が、約束されているのだとしたら、どうしてそれに向かって一直線に進んでいない。
自分では全速力で前に進んでいると思っていたのに、ほとんどが無駄な遠回りだったなんて。
こんなにも酷い話は無いだろうよ」
「真鈴の言う通りね。正直……うん、私もそれは思ってた。
だって、こんなにも平和で便利な世界になるなら、魔術なんて勉強してる意味あるのかな……って、思い知らされるわ。
限られた魔力で、限られた人物だけが行える儀式。
そうして得られるものが、誰にでも使えるこの機械よりも劣っているのだとしたら……」
はあ。と、ふたりは大きなため息をついてうなだれてしまった。えっと……その、じゃあ……
「……この世界は楽しくない……? 自分のやってることを否定された気分になって、面白くない……? 僕の生きてる、僕の大切なこの世界は……」
「そうね、それだけだったら全然楽しくもないし面白くもはい世界だったわ。
でも……それだけじゃないって分かってるから、今はすっごく楽しいわ。それと同時に……」
まだ出し抜けそうな部分も幾つか見られるからね。と、未来に抱きかかえられたまま真鈴はそう言った。
出し抜けそう……ですか。なんとまあ負けず嫌いな連中だろう、術師ってのは。
ふたりは稀代の魔術師だ。それは誰に言われるでもなく僕が一番思い知ってる。
けれど……望月さんから借りた児童向けアニメを見ながら目を輝かせる姿は、どこにもそんな凄みを感じさせない、幼くて素直なものだった。




