第三百十二話【夢だったんだ】
ようやくふたりもこの世界に慣れ始めたのか、その後に訪れた場所では素直な感動がちらほら見られた。
偶然見かけた飛行機には、魔獣だなんだと大騒ぎもしてた。
でも、説明したらすっごく目をキラキラさせて、乗りたい! と、声を揃えてせがんでた。
でも……ごめん、それはちょっと……っ。
兄さんと昔釣りに来た河川敷に着けば、なんだか魚が少ないわねなんてしょんぼりもしてた。
犬の散歩をしてるおばあさんとすれ違った時には肝を冷やしたけど、ふたりが元気良く挨拶したからか疑われることも無くやり過ごせた。そして……
「ふいー、ただいまー……って、僕はお邪魔します、か。でも……や、やっと帰って来た……」
「ただいまで良いよ、僕達の仲じゃないか。それと……うん、お疲れ様。ありがとう、アキト」
長い長い旅路から、やっとの思いでマンションの一室まで帰って来られたのだ。
玄関で靴と一緒に松葉杖を放り出して、もう動きたくないよぉうなんて駄々もこねたくなった。
でも……流石にいい歳こいた大人が子供の前でするこっちゃないから我慢してですね……
「それにしても驚くことばかりね、この世界は。でも……納得もした。
これだけ平和で便利な……それも、子供も大人もみーんなが守られてる世界で生きてたんだもの。
バカアギトの危機感の無さには納得も納得、むしろちょっと見直したくらいよ」
「あはは、そうだね。こんな世界から飛び出した君が、まさか魔王を倒し異世界を渡り……なんて、誰が想像出来るもんか。やっぱり、君は特別だったんだよ」
ふたりはちょっとだけ僕をバカにしつつも褒めてくれて、そして未来が杖を奪ったかと思えば、真鈴に抱き着かれて、尻餅をつくように床に座らされた。
あっ、ちょっ……座んないようにしてたのに……
「あー、もう無理……立てん、これもう立てない。足が棒のようで……」
「ゆっくり休みたまえ。僕とミライちゃんがいる以上、ここも君の家みたいなものだ。ゴロゴロしたって誰も咎めないよ」
邪魔だったら踏ん付けるけどね。と、未来はちょっとだけ悪態をついて、けれどすぐににこにこ笑って真鈴を抱き締めた。お前……ちょっとクセになってないか……?
「……じゃあ、お言葉に甘えて……って、そうだったそうだった。お昼買いに行かないと……ああ……でも……もう動きたくない……」
「だったら私が代わりに買いに行くわよ。あのこんびにに行けばいいのよね? お金は……アキト、ちょっと貸しなさい」
いや、なんでちょっと恩着せがましくカツアゲしてんだ。しかし、もう歩けないのは事実。
でも……うぐぐ、大丈夫かなぁ。ひとりでおつかいなんて……
「……あー……なんか……楽しいなぁ、こういうの。知ってる町をぶらついただけなのに、あの旅に比べたらずっとずっと狭くて何も無い道のりだったのに……」
「……アギト?」
楽しくて楽しくて仕方がなかった。
あんまり行ったことない近所を散歩するだけで、非日常的な刺激を受けた気分だった。
それもこれも、非日常的な存在が目の前をウロチョロしてたから……だけどさ。
うん……楽しかったんだ。
僕の頰に触れたのは真鈴の小さな手だった。
でも……僕の涙を拭ったのは、紛れもなくマーリンさんの手だった。
涙——そうだ、僕はどうやら泣いたらしい。涙脆いの、本当になんとかしたい。
涙脆くて情けない僕を、しょうがないなあって顔で見てたのはミラだった。
「——いつも——いつもいつも危ない目に遭ってて——っ。戦うとか、魔獣とか、魔人の集いとか——っ。勇者とか巫女とか、生き残るとか死ぬとか逃げるとか——そんなんばっかりで————」
涙がボロボロ溢れた。
これは……嬉し涙と、安堵の涙と……それと、なんだろうか。
やっぱり、怖かったから……なんだろうなぁ。ずっと……ずーっと……
「——ずっと——ずっと夢だったんだ——っ。こうしてのんびり暮らせたら……って。
ミラと……いいや、ミラだけじゃない。アーヴィンのみんなと、オックスと、エルゥさんと。
マーリンさんと……戦うなんて言葉が無い生活が送れたら……って、旅の間にずっと思ってた。
ずっと……怖くて仕方がなかったんだ……っ」
「そうだよね。君はやっぱりそういう子だから、自分の危険よりも周りの危険を怖がってしまう。
ある意味、君を召喚したのがレア=ハークスだったのは運が悪かった。
君自身に戦う力があったなら、きっと結果は変わっていただろうにね」
よしよしってマーリンさんはいつもみたいに僕を宥めてくれるけど、流石にこんな小さな子の姿では……ね。
いくらなんでもこんな子供の前で泣き言言ってるのは恥ずかしくて、僕は慌てて目を擦って真鈴の頭を撫で返した。
「わわっ、こらバカアキト! 子供扱いするんじゃないよ、もう。
それとも……むむむ、当て付けのつもりかい? いつも子供扱いしてたのは僕の方だったからね。
しかし……そういうつもりなら、向こうに帰った暁には……」
「ちょっ、違いますって! って、ああもう。そういうこと言うから、どうしてもいつもの喋り方になっちゃうじゃないか。今は小さくてなんの力も無い真鈴を演じてってば」
アギトに戻ったのは君が先だろう。と、マーリンさんは最後にそう言って、そしてそれっきりまた真鈴に戻ってミラに抱き締められていた。
それ……貴女もクセになってるっぽいですね……?
しかし……はあ、なんとも間抜けな話だ。
「アンタはずっとこうだったのよね。この平和な世界の生活を見せられて、その裏ではあの過酷な旅を見せられて。
ずっとずっと……お姉ちゃんに召喚されてから、あの日まで。ずーっとそういう生活を送ってたのよね。
だったら、しょうがないんじゃないの」
「……ずっと夢だったんだよ、本当の本当にずーっと。
初めてお前に会ってから……じゃないけど。でも、すぐに。
初めてお前が魔獣と戦ってるところを見てから、ずっと。ずっと僕はこの光景に憧れてたんだ」
秋人として触れ合いたい……とは思わなかったけど。
まさか実現する日が来るなんて思わなかったからさ……ミラのバカは、やっと全部終わったと思ったのに、魔人の集いと国の東側の問題に首を突っ込む気満々でいやがったし。
もう……のんびりした生活は無理かなぁ……って諦めてたから。
「フルトで魔竜と戦った日……大変だったんだぞ。あれ以来トラウマでゲームすら出来なくなって……あー、えっと。ゲームってのはだな……」
おかげでお前そっくりに作ったキャラ使えなくなったんだからな……とは言えない。
だって、流石にキモい人になっちゃうじゃないか。
え、仮想空間の中にリアル妹投影してんのお前……ってなるじゃん、今回に限っては。
いつもなら非実在性の実の妹を投影してるヤバいやつで済むんだけどさ……済んでねえな、これ。
「こういう……のばっかりじゃない、もっともっといっぱい種類が……なんか……遊び方……じゃなくて……とにかくいっぱいあるんだ。
それも、スマホでやるのばっかりじゃなくて……うぐぐ……説明難しいとかいうもんじゃない……っ」
「なんだかよく分からないけど、つまりはこの世界の娯楽なんだね。
ふむふむ……しかし、絵が動くだけでも十分に面白いというのに。
君は……ううん、僕達人間は、かな。どこまでも欲深い、度し難いほどの快楽主義者みたいだ」
スマホに映されたソシャゲの画面を、未来は食い入るように見ていた。
真鈴も嬉しそうに見てたけど……なんだか難しい話が始まりそうです?
随分としたり顔で、それでもなお幼さを拭いきれない笑顔で、スマホよりも未来を見つめていた。
「っと、そうだ買い物。アキト、早くお金出しなさい。
こっちでも変わんないわよね、さっきも銀貨を出してたし。
でも……銅貨もあったわね。あっちじゃ王都くらいでしか流通してないんだけど……」
「………………ごめん、ミラちゃん……僕がもっとしっかりしていれば……」
突然マーリンさんに戻って謝るのやめて貰っていいです?
真鈴は重苦しい表情を浮かべて、切実な……それでいて生々しいあの国の経済事情を説明してくれた。
金貨銀貨とは別に、あの国にも銅貨というものはキチンと存在していたのだ。
けれど……金貨や銀貨に比べて価値が低く、経済活動の活発な地域以外ではそれを通貨として受け入れられないという実態がある。
少量では売買での受け渡しに不便し、しかし大量に確保しようものなら地方から金貨銀貨が消えて無くなってしまう。
金属としての単純価値が云々……と、いかん、本当に難しい話が始まった。
「あー、えっと……じゃあ頼む、未来。その……あの……僕が……いや、アギトが無知なだけだったらあれだけど……紙幣ってあの国にあったっけ……? ちょっと細かいのが……で、五千円札しか無いんだけど……」
「紙幣! そうかそうか、やっぱりそういうものもあるよね!
バカ王と議会の頑固者どもに見せてやりたいよ! やっぱりこれが将来に通用する経済の形だって!
諸外国ではもう導入が始まってるんだぞって、何回言ったことか!」
ちょっ、お金の話になるとすぐにマーリンさんが帰って来ちゃう。
星見の巫女の名は返上した……とかなんとか言っておきながら、やっぱり国の未来には誰よりも関心を抱いているのだな。じゃなくて。
現在ここにいて買い物に行こうとしてる未来が、その紙幣についてイマイチ分かってないっぽいのが問題だ。
えっとだな……これはこの穴空いた銀貨百枚分の価値があって……と、とりあえずこれ出してお釣り全部持って帰って来い!
ポッケに突っ込んで……は、危ないか。財布……僕のそのまま渡すわけにもいかないし、かと言ってふたりが持ってるわけないよな。
なんかポシェットとか……な、何もお金をしまえるものが無い⁉︎




